第27話 夜明け

 


 温かい湯船に浸かっているようで心地よい気分。


「ーー」


 差し込まれる可憐な、されど焦燥を含んだ音。

 どこからともなく聞こえるそれは人の声だ。


「アダムッ‼︎ ねぇ起きてよぅ、アダムッ‼︎」


 薄っすらと瞼を開けて緑色の宝石を視界に映す。


 キラキラして綺麗なその宝石は、柔らかそうな白い肌と相まって、その存在を妖精か何かと勘違いさせてしまうーーいや、これは本物の妖精さんか。


 実際、可愛くて可愛くて仕方がない。


「おはようミクル、パパにおはようのチューは?」

「ッ‼︎ キモッ、起きたと思ったらなにそれ、死ねばいいのに‼︎」


 ーーベチンッ


「痛ァあッ⁉︎」


 するどい張り手で一気に眠気が覚めた。


「いつまで寝ぼけてる。起きろ、アダム」


 ゴミを見る眼差しを送ってくるミクルの後方、男の声が聞こえた。

 それは聞き覚えのある声。

 つい先ほどまで共に合った相棒とも友とも呼べる者の声だ。


「シバケン……」

「あぁ、俺がシバケンだ」


 よくヒゲの剃られた見慣れた顔は苦笑いして答えた。


 やつれた印象は受けないとても健康的な顔だ。

 黒髪はしっとりしていて濡れており、薄紅色の瞳にも生気が宿っている。


 着ている革のロングコートは少し汚れているが、灰色世界のような擦り切れたボロボロな物ではない。


「元気そうだな」

「あぁ、すこぶる調子はいいぞ。最高の気分だ」

「はは、それにずいぶんと早起きなんだな」

「いいや、つい今しがた目覚めたばかりさ」

「たしかに少し眠そうだ……なんだ、くたびれてなきゃ、なかなか二枚目な野郎じゃないか」

「そうだろう? これでもそれなりに女性ウケはいい」


 澄ましたシバケンは濡れた髪をかきあげた。


 キザったらしい仕草だが、緊張感のなさがこちらとしては嬉しい。

 なぜなら、それはこの場に危険がないことの証明だからだ。


「ふぅ……それより、アダムちょっと付いて来てくれ。大事な話がある」

「ッ、シバケン……」

「ミクルはほかの狩人たちを頼む。それと本部へ連絡を入れておけ。みな狂気のせいでクタクタだろうからな」


 シバケンは辺りを指し示し、ミクルへ手早く指示を飛ばした。


 周りを見渡すことで、ここがどこなのかを俺も理解した。


 灰色世界に入る直前の場、あの青白いアンプに照らされていた地下遺跡のホールだ。


 完全にイかれてるとしか思えないコート集団が観客席に腰掛けていた、あの狂気のホールなのだ。


 現在は前のような薄暗い雰囲気ではなく、ロングコートを着た人間たちはヨタヨタと起き上がったり、伸びをしたりしている。


 一体彼らの身に何が起こっていたのかはわからない。


 だが、これまで聞き情報から、およそ「イかれてた」という表現で間違いってないのだろうと思う。


 ミクルはシバケンの指示を受けてもすぐには動かなかった。

 なんとも言えない顔でシバケンの顔を見つめ返すだけだ。


「ミクル、俺はアダムに治療をしてやらないといけない」


 シバケンはしゃがみこみ、俺の左足に手を添えた。


「ん、夢から覚めたら全部元どおりかと思ったが。なんでシバケンだけ綺麗なってるのに俺は骨折したままなんだ?」

「俺だって何も元どおりじゃなかったさ、お前より少しはやく起きたから、身支度を整えて整髪料を落としただけに過ぎない」

「整髪料って蜘蛛の体液のことか……」

「……気にするな」


 しれっとアレを整髪料と勘違いしていた感覚に恐れを禁じ得ない。


「とりあえず、協会の最高級ポーションをぶっかければ、人間でも粉砕骨折くらいならなんとかなる筈だ」

「この世界の医療パンパねぇな」


 ボコボコにされたエヴァンスの治療を思い出した。


 シバケンは自慢げにニコリと笑い、何もない空間から手元に黒いステッキを出現させる。


 艶々としており、禍々しく鈍く光る黒色の杖だ。

 灰色世界でシバケンが使用していた物と同じだろう。


「これを使え」

「気が利くな。こりゃモテるわけだ」


 杖を受け取り、支えにして起き上がる。


 シバケンは俺が地に足をつけたのを確認し、床に寝かしてあった剣を手にとって立ち上がった。

 見覚えのあるそれは、シバケンの愛刀・拝虞はいぐうだろう。


 実際に使ってるところは見たことないが。


 シバケンは黙してただついて来いとばかりに歩き出した。


 俺は杖をつきながら、灰色世界でも常にそうであったように、彼の背中を追うことにした。


 今思えば、俺は彼の示した道を歩いてきただけなのではないか、と妙な劣等感をかすかに感じる行為。


 彼についていけば、大体なんとかなるという大きな信頼を、潜在意識の中で寄せているのか。


 だからだろうか、今となっては特に悪い気持ちはしなかった。


 かつてミクルが壊した壁から地下遺跡ホールを出た。


 広めの部屋となっている隣の遺跡室には、頭を抑えてダルそうにしているコート姿の者たちが複数人いたりした。

 皆が皆、とても調子が悪そうだ。


「彼らは放っておいて大丈夫なのか?」

「大丈夫だろう。もう既に悪夢と世界との繋がりは断絶した。それに不解たちも葬ったしな」

「薄々気づいてはいたが、あいつらが原因だったのか」

「彼らは人の身に余る叡智を授けようとする。適切なプロセスを除いて、人が真に外蒙がいもうするなど不可能だというのにな」


 前を歩くシバケンは軽薄に笑った。


「頭が良いのか悪いのか、それともただの暇つぶしの余興なのか……彼らの真の考えは未だ人の知るところにはない」


 来た時とは別の扉から遺跡室を退出した。

 扉を開けるとすぐに階段があり、登った先には扉があった。


 階段上の石扉を、再度押し開けると凄まじい光を俺たちをむかえた。


 何度か瞬きをして目を光に慣れさせる。


 すると、感じた光ほ思ったほどのものではなく、意外にも薄く明るいだけだったことに気づく。


 外の新鮮な空気。


 息の詰まる世界から解放された、あとの呼吸は最高にデリシャスな一服だ。


「もう朝だったのか。丸一日くらいあの灰色世界にいたんだな」

「はぁ……本当に夜明けを迎えたのか、俺は」


 薄明るい朝焼けの感想は二者二様。


 灰色世界とは違ってじっとり湿ったような暑さが残る夏の早朝だ。


 扉を抜け先には、下り階段が続いている。


 さらに、その先には一面に広がる白い花畑があり、切り立った崖のふちまでぎっしり咲き誇っている。


 シバケンは軽い足取りで階段を下り、その先の白花の中へ踏み込んでいった。

 俺は杖をつきながら、そんな彼に置いていかれないよう後をひたすらに追いつづけた。

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