第26話 悪夢のおわり

 


 ーービギィィァアッ


「ぐぅはぅぅうーー‼︎」


 空間が軋む、薄氷を砕くような音が聞こえた。


 視界を覆い尽くすのは青紫色のひかり。


 間違いなく直撃してるはずの光線に生きた心地がしない。けれども、死んだ気もしない。


 まったく痛みは感じなかった。


 俺がそんなことを思考する隙間に入ってきた叫び声は、俺を我に返らせる。


 すぐかたわらで顔面から血を吐いて叫ぶ男。

 声は聞こえているのか、いないのかわからない。


 何せ眩しくて、うるさすぎて聴覚がイかれている。


 それゆえにシバケンが天上から降り注ぐ高密度の熱量を、杖一本で受け止めていたのに気づくのが一瞬遅れたのだ。


 光が収まると同時ーー。


 震える手で杖とステッキをとり落とし、シバケンが脱力して崩れ落ちた。


「ぁ、ぁ、くぞ、すま、ねぇ、一回ぼう、ぎょ、でせい、いっぱいだ……」

「おま、お前、格好つけやがってッ‼︎」


 空からゆっくりと降りてくるエイメンダースから距離を取り、抱えたシバケンを避難させ、地面に下ろす。


「もう休め、お前の仕事はお終いだ。あとはおっさんに任せておけ」


 キランと歯を光らせて怪我人に安心感を与える。


「ぐ、ぐはッ‼︎ ……歳上ぶりやがって……」


 最後まで減らず口を叩くシバケンにニコリと笑いかけ、俺は背を向けて立った。


 背中に背負った彼の愛刀、拝虞はいぐうを歩行杖がわりに左手に握り、降臨する神様ごっこをするエイメンダースへ歩み寄る。


「頼れる仲間もダウン、残るは片足が使い物にならない老いたジジィ」


 自虐的に現状を述べてみた。


「相手はなんだ。謎の光線を吐き、宙空を自在に舞い、かの拳者アダム・ハムスタから一本取る武を身につけた怪物か?」

「グルドォォォォ‼︎」


 おぞましい雄叫び。


 本能的に相手を萎縮させる効果でもあるのだろうか?


 自分がわずかに怖気を感じている事に驚く。


「なるほど、怖がっていたから不覚をとった、か」

「グルドォォオォォオッ‼︎」


 エイメンダースは叫びながら、二足歩行のすり足で近寄ってくる。

 六メートルあるジジイが、そんな事をしてくるのだから、怖くない方がおかしいか。


 恐怖を感じるのは人の純粋な感情だ。

 何も悪い事じゃない。

 だが、老いてベテランを気取ってた俺には相性のよくない気持ちではあった。


 だからこそ、思考、判断にわずかな気の迷いが生じたのだ。


 結果、この様である。


「はは、未だに若過ぎるというわけかーー」


 理想的な姿勢から放たれる予備動作の無い正拳突き。

 エイメンダースの意を消した攻撃は実に見事だ。

 見事、だがーー。


「技が身に付いてる訳じゃないーーそれは人から盗んだまがい物だな」


 打ちこむ手管に粗さが見える。


 意を消すのは大事な事だが、そのせいで肝心の拳撃が雑になってしまっては、元も子もないというものだ。


 拝虞はいぐうを取り落とし両手を空ける。


 俺は打ちこまれる正拳を優しく包み込んだ。

 右手は正拳の手の甲で優しく、左手は少し奥、手首を包みを掴むようにーー愛と慈しみをもって。


「ーーフルゥアァアッ‼︎」


 極限の集中力を動員し、身体中を駆け巡る衝撃波を一気におかえしする。


「窮地を何度も救ってきてくれた「秘技・仙道せんどう返し」じゃ、ボケがぁあ!」


 本来ならば俺を砕く力の波動は、巡り巡ってエイメンダースへ。


 その結果、手首、肘、肩の三関節を破壊する、三連撃のほぼ同時の内爆裂がクソジジィの腕で発生した。


 苦しみに悶えるエイメンダース。


「グル、ド、ォォオ‼︎」

「ほう、意外に冷静な奴だ。この技もシバケンに教わってたのか?」


 初見なら焦り、戸惑い、神秘的な技を使用した相手に畏怖畏敬の念を抱くはずだが。


 エイメンダースには苦しみの感情は感じれても、その手の感情は感じられない。

 少なくとも俺の合間見えて来た奴らとは反応が違う。


 まぁいい。

 激痛を与えられて思考力、気力ともに削れたのだから良しとしよう。


 俺の返した力はエイメンダースの手首、肘、肩の三関節を同時連鎖的に粉砕骨折させたのだ。


 これで奴の右腕は使い物にならない。

 足やられている分、こちらが少々不利だが条件は近づけた。


「グぅる、ゥゥゥッ‼︎」


 エイメンダースは壊れた腕を握る俺の手を振り払い、後ろへ下がろうとする。


 こっちは機動力が死んでるので、深追いはしない。


 結果、エイメンダースは壊れた腕をぶら下げたまま一歩距離を取ることなった。


 しかし、クソジジィはあろうことか、次の瞬間には僅かに距離を調整し、すかさず足を大きく振り上げていた。


 今のは焦りからの退避ではなく、戦術的フェイントだとでも言うのだろうか。


 それに、腕をやられてすぐさま反撃に転ずるとは、気力も充実している。優れた闘争者の資質がある。


 ただ、モーションがわざとらしい程に大きい。

 これは、これはアレかーー。


「おまえ、当てる気ないな……?」

「グルドォォオォォォォッ‼︎」


 派手に雄叫びをあげ、振り下ろされたかかと落とし。


 放射状に割れた山頂に大きなクレーターを出来上がっていく。


 しかし、それで攻撃は終わらない。


 エイメンダースは打ち込んだ足を軸に、突撃槍のごとき前蹴りを、間髪入れず逆足で見舞ってきた。


 派手な攻撃をバックステップで避けた相手を狩る、追い突き攻撃の二段構え。


 回避は極めて困難。

 術者の思惑通り動いたならばーー。


「はっ‼︎ 見切ったァアッ‼︎」

「ォォオッ⁉︎」


 当てる気のない攻撃など付き合うだけ無駄。


 かかと落としを、半歩下がる前髪をかすめる程の紙一重で避けたからこそ間に合う見切りである。


 俺は突き出された前足を上から、思いっきり押さえつけてエイメンダースの姿勢を崩さした。

 ちょうど先ほど俺がやられたようにだ。


「グルドォぉお⁉︎ ォォォォオオッ‼︎」


 予想だにしない反撃にあったせいか、今度はみるみるうちに焦りの感情が、そのしわくちゃの空虚な瞳に浮かび始めた。


 すでに膝蹴りでひび割れていた顔面ーーさらにはおでこのあたりにある黒点へ狙い定める。


「グッドゲームだった、エイメンダース」

「グルドォォォォォォオオーッ‼︎」


 引き絞った貫手を狙い違わずエイメンダースの額に打ち放つ。


 そして、黒点の中でなにかを掴む感触をへて、強引にそれを引っ張り出した。


 その瞬間から、糸の切れた人形の様に動かなくなったエイメンダースは腑抜けていき、膝を崩して倒れてしまった。


 頭部のひび割れや、破壊した右腕から黒い液体が溢れだす。


「どうやら……倒したみたい、だな」


 踏みつけていたデカイ足からひょいっと降り、尻餅ついて俺は腰を下ろした。


 意識しないようにしていたが、そうとうに疲れが溜まっていたらしい。

 この世界に来てからおよそ二十数時間、歩いては戦い、歩いては戦いを繰り返してきたのだ。


 体にはかなりの疲労感が襲って来ていた。


「ぅ、ぐぅ、やった、のか?」

「おう、起きたのか。仕事はもう片付いちまったぜ。見せ場残せなくて悪かったな」


 シバケンはステッキにすがり、今にも死にそうな顔で歩み寄ってくる。


「帰れる……帰れる……帰れる、のか、俺は」


 独白気味に誰かに問いかけるようなその声は、羨望し待ち望んだ者がソレを手に入れた時特有の物だ。


 彼は俺の知らない程の苦難の先にこの場に辿り着いた。

 今は下手に揶揄するのではなく、ただ黙って見守ってやるのがいいだろう。


「ん、そういやこれ。クソジジィの中に入ってた最後の黒ちゃんだ」

「ぁ、ソロモン……」


 黒点の中から剥ぎ取った黒い金属の彫刻。


 なにかの角のように見えるそれを、色付き始めた地面に置きシバケンへ返還する。


 シバケンは安心したような顔で、俺の手から角を受けとると、ご苦労だった、と一言言って角とステッキを同化させた。


「ふぅ、ではアダム、向こうの世界へ帰還しようか!」


 シバケンは疲労など忘れたようにして急に立ち上った。

 それどころかステッキを使わずに快活に歩き、鼻歌を歌ってご機嫌まである。


「これだから精神論は馬鹿にできないねぇ」


 俺は重たい腰をあげ、達成感からか元気なったシバケンを追った。


 ふと、途端に意識がふわふわと曖昧になっていく感覚に襲われる。


 縛られていた魂が解放されるような、凄まじい多幸感を感じる。


「大丈夫だ、アダム。それは悪夢からの目覚めーー夢のおわりだ」

「夢のおわり……し、シバケン、シバケン、これ、本当に大丈夫か?」

「だから大丈夫って言ってるだろ。安心しろ向こうですぐに会える」


 シバケンの訳知り声が今はとても心強い。


 俺は共に死線をくぐり抜けた戦友の言われるがままに、多幸感に身を預けることにするのだった。

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