第23話 地獄の三千階段

 

 赤、橙、色とりどりの木の葉が美しく景観を彩る森。

 トリアトノースのホクロを攻撃するべく、俺は斜面を登り大きく迂回した。


 道中これといった危険はなかったので、本当にただ回り込んだだけだ。


「全然気づいてなくないか……?」


 目先100メートルの位置に陣取るトリアトノースは全くもってこちらに気がついた素振りがない。


 ただ頂上付近にあるという光徳寺への参道を見つめているだけだ。


 本能が、殺せる、と確信を持っている。


 本当にこのまま行ってしまっても良いのだろうか。

 これで殺せてしまったら、あまりにも呆気ないような気がしてならない。


「うーん、でも、気がついてないんだもんなぁ……」


 落ち葉に囲まれて、山の斜面で硬質な隆起を作るトリアトノースの命はもはや俺の手の上で転がっているのだ。ダンゴムシだけに。上手い。


「んっん。まぁいい。気づかなかったお前が悪いんだぞ? 絶対恨むなよ?」


 勧告する気のない言い訳をしつつ、俺は腰を上げた。

 姿勢を低くして息を殺し、素早くトリアトノースの背後に近づく。


 まじで気づかねぇ……。


 目の前にある黒い空虚な穴、通称必殺ポイントにいつでも手が届く。

 されどトリアトノースは気づかない。


「……ふぅ」


 ここまで譲歩してやったのに気づかないとはな。


 ほかの不解とは違い、ちょっと可哀想な殺し方になってしまうのはもはや避けられない。


 俺は覚悟を決めて腰を深く落とし、手を槍に切り替えた。


「……御免ッ‼︎」


 完全な姿勢から模範的貫手を打ち出す。


 ーーゴリュリュュッ‼︎


「ニュッ⁉︎ ァ、アャャニュ、ぁあ、ァァぉあッ‼︎」


 驚愕か、あるいは痛みか。

 トリアトノースは奇声を上げ、あたりの木の葉を吹き飛ばす咆哮をとどろかせる。


 けれどもうとっくに勝負はついていた。

 達人相手には、気づいた時はもう遅い。


「ふんッ‼︎」


 突き刺した黒穴の中で確かな感触を得て、なにかを掴んだ。

 そして前方に逃れようとするトリアトノースとは反対に、「剣圧」を上げた剛力で腕を引き抜く。


「じゃあな、憐れなダンゴムシ。今度はちゃんと戦おうぜ」


 木々をなぎ倒し、力なく斜面を転がっていく巨大ダンゴムシを見送る。

 トリアトノース、まこと鈍感どんかんな怪物であった。


「ふむ、これで依頼された不解は残り一匹か。存外に楽な仕事だったな」


 手に持つ黒い縫いぐるいみを放って遊ぶ。


「あ、そういや剣を奴のケツに刺す忘れてた」

「しなくて結構だ、たく」


 向こう側から歩いてくるシバケンは不機嫌そうにそう言った。

 黒い金属製人形を彼へ放る。


「うむ。やはり人形だったか」

「気味の悪い人形だ。よほどの変態じゃないじゃなきゃ欲しがらんだろうに」

「言ってろ、別に形状は何でもいいんだ」


 シバケンは握る人形に視線を落とし、かすかに口元を動かした。

 するとやはりというか、案の定というか、黒い人形は泥のように形を変え、彼の手に持つステッキに吸収されてしまった。


「そろそろその黒い奴、教えてくれる気になったか?」

「残念だがならないな。それより見ろ、世界に色が戻り始めている」


 シバケンは杖で地を指した。

 言われてみれば、たしかに随分と色鮮やかな世界だ。


 はじめの頃、灰色一色に支配されていた時とは大違いである。


 世界に何か変化があったらしい。

 俺が感じていた景色の違和感はコレだったか。


「アダム、お前がこれまでに倒してきた不解たちが世界にかえったんだ」

「土にかえったのと同じ解釈でいいのか、それ」

「だいたい合っている」


 足元で地面に染み込んでいく黒い液体を静観して、シバケンは微笑んだ。


「あと少し、あと少しだ……」

「そうだな。早めに終わらせちまおうぜ」

「あぁ……お喋りはここまでだ。俺も最後の大仕事に備えよう」


 シバケンは深くため息を吐き、背筋をグッと伸ばした。

 まさか戦う気ではないだろうから、いまいち彼の言っている言葉の意味は理解できない。

 彼にもやるべき仕事が残っているのだろうか。


「行くぞ、アダム。次の奴は手強い。俺も少し援護射撃してやる」

「お、やっぱシバケンもやるのか。でも、お前戦えるのか? なんども言ってるが……」

「甘く見るなよ。俺はその為に魔力を温存してきたんだ。一回か二回、必ず隙を作ってやる」


 シバケンはそう言い残し、ステッキをつきながら歩き出した。彼のもう片方の手には腰から抜かれた短いえだーー魔法の杖がしっかりと握られていた。



 ー



 トリアトノースをしりぞけ、山頂へ向かう参道をひたすら登った。


「これが、地獄の、三千階段だ、はぁ、はぁ」

「地獄を見てるのはお前だけだ、シバケン」


 終わりの見えない階段に、ついに終わりが見え始める。


「ほら、頑張れ。あと少しだぞ」

「えぇい、はぁ、はぁ……余計なお世話だ」


 シバケンは差し出した俺の手を払いのけ、頑なにステッキにすがりつく。

 ガリガリと杖先が石階段を削り、不快な音を立てた。


「はぁ、はぁ、ふっはは、……言ったろ? はぁはぁ……お前の手なんて借りなくても良いと」

「そうだな、お疲れさん」


 荒い息を吐くシバケンを置いて先に進む。


 シバケン曰く三千段ある階段を登った先、そこは古めかしい建物が立ち並ぶ寺だった。


 おそらく話に聞く光徳寺だろう。

 灰色世界が色好き始めたおかげで、紅葉とした木々と時代を感じさせる木造建築の、風情ある景色を楽しむことが出来る。なかなか好みの景観だ。


 木々の密集しているおかげか、乾燥した新鮮な空気が心地よく肺を満たす。外はうだるような夏だったのに、ここの秋を感じさせる季節は心地がよい。


 この世界へやってきてそれなりに時間が経過している。

 こうしてゆっくり周りを見たことはなかったが、改めて目を凝らしてみると、それなりに良い場所のように思えてきた。


 そして、あの時の灰色世界がこうも色鮮やかになったと思うと、俺は心のうちに言い知れぬ感慨深いものを感じざる負えなかった。


「ふぅー、よしもう大丈夫だ。先へ行こうか」


 追いついてきたシバケンは額の汗を拭って、俺を追い越した。


 コイツとも何だかんだで分かり合えて来ている。

 そんな気がする。

 いや……本当に気のせいなだけかもしれないが。


「ん? どうした気持ち悪い顔で見やがって」

「……やっぱ気のせいだな」

「なんだよ、脳筋。さっさと行くぞ」


 懐疑的な視線を向けてくるシバケンに構わず、彼を追い越す。


「さぁ早くしろよ、シバケン。すぐそこなんだろう?」

「そうだ、すぐそこさ」


 シバケンは首をかしげるも納得した顔で歩き出す。

 そうして俺たちは光徳寺の裏手門から続く山頂へ向かった。

 未だ色付かず、不気味なほどに殺風景なそのみねへ。

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