第10話 探していた、ずっと。
エヴァンスから今日が華の金曜日であることを聞いていなかったら、今頃俺は自室で黄昏ていたことだろう。
「親父、同じのくれ。ロックだ」
「おいおい、ガキが飲み過ぎんなよ」
気の良いハゲジジイは
「どうも」
「にいちゃん、ロドニエスの学生さんだろう? なんだ、斬り納め大会で負けたのかい?」
ーーカランッ
店主はもう一本開けながら、ロックグラスの口を傾ける俺に聞いてきた。
「いや、それは関係ないんだ……ちょっと娘の事でいろいろ悩んでてな」
「げっ、にいちゃん子供いんのかよ。育児放り出してこんなところで飲んでちゃダメだろうが」
勘違いの加速する店主に自嘲げな笑みがついこぼれてしまう。
「その言葉、是非とも十年前の俺に言ってくれや」
「……? そりゃどういうーー」
ーーガチャッ
店主の言葉を遮る音。
扉の開閉が静かな店内に響く。
「あ、アダム‼︎ お前こんなところにいたのか」
「エヴァンスか。いいのか? 彼女とお楽しみするんだろ」
「ッ、馬鹿野郎、出来るわけないだろうが。こんなお前を置いてなんて」
エヴァンスは足早によってくると、どかっと隣のカウンター席に腰を下ろした。
「俺といると悪い噂が立つぜ」
「もう散々色々やらかしただろうが。今更なにしたって一緒だっつーの」
「はは、具体的に俺たち何したのか教えてくれねぇか? ちょっと頭ぼぅーとしちまって思い出せねぇや」
手に持った空のグラスを振って見せる。
エヴァンスはそれに気づくと脱力した笑みを浮かべ、俺と同じモノを注文した。
「うわッ⁉︎ なんだこれ、クソまず、苦ッ⁉︎」
「飲めないなら無理すんなって、はは」
舌を出してえづき出したエヴァンスをみて、ついつい笑みがこぼれる。
「お前良い奴だな、ほらもっと飲めよ」
「やめ、馬鹿、殺す気か⁉︎」
俺は自身の中でエヴァンスへの好感度が上がるのを感じながら、上質なウィスキーを波波とグラスへ注いだ。
本当悪い大人だよなぁ、俺って。
ーーガチャ
俺が自分の性の悪さを自覚していると再び、扉の開閉音が店内に響いた。
咳き込むエヴァンスからそちらへ首を向ければ細い影が視界の中に入ってきた。
「あ、あんた……」
「エヴァンスだ‼︎ こんなところで飲んでたのね」
キャピキャピした声を発するのは金髪の可愛い女の子だ。
そちらへ気分悪そうな顔をして振り返るエヴァンス。
「チェスカか……うぇ……」
「ちょっとー‼︎ 私の顔見てえづくとか失礼すぎなんですけどー‼︎」
「いや、これはごめん、今構ってやれない」
「え、エヴァンス、ちょ、大丈夫?」
イチャつき出したエヴァンスとその彼女チェスカ。
俺は何となく居心地が悪くなり席を立った。
「アダム、気にしなくていいぞ」
「いや、いいさ。おふたりで楽しんでてくれ。すこし風に当たってくる」
それだけ言い残し俺はカウンター席を立った。
そしてチェスカと同時に入って来たもうひとりの人物へと向き直る。
「……なんだ?」
「いや、別に大したことじゃないんだけど、ちょっと付き合ってくれない?」
チェスカと共に入ってきた灰色髪の少女は、その緑色の瞳でまっすぐこちらを見つめて言った。
俺は少女ミクル・アゴンバースの背を追った。
店の入り口とは逆側に設置された吹き抜けの出口をくぐると、夜風の感じられる気持ち良いテラスへと出た。
凡百なバーの雰囲気には似合わない展開に、気づいた時には苦笑いを浮かべていた。
なぜなら、テラスでは谷あいに建設された都市ゲオニエスを、一望できる絶景が待っていたからだ。
「凄く綺麗だ。酔いも覚めそうな程に」
「そう」
心の底から湧き出た言葉。
山の向こう側から微かにのぞく、夕日の残り香に照らされる街は、その通りや家々に明かりを灯し初めている。
その光景はかつて見た近代都市を思わせるものがあった。
「ゲオニエス帝国。人間の業の誇り高きこと」
ミクルは手すりに肘をついて谷底に身を乗り出すようにして寄りかかった。
俺はなんとなくその姿に近寄りがたいものを感じ、距離を保った。
「別大陸からやってきた魔人族の軍勢。屈辱的支配から逃れ3000年……ついに人はここまで発展したわ」
ミクルは渓谷に架かる無数の橋を右から左へ、流れるように手で指し示す。
たしかにこのゲオニエスと呼ばれる都市は凄い。
高低差がどれほどあるかもわからないほど深い谷に、たくさんの橋を架け、ゴシック様式の高層建築物が谷の傾斜に、そして谷底からつき上がるように建っている。
高層建築物どうしにはこれまたたくさんの橋が架かり、計画的な建築がされているにも関わらず難解さを感じざる負えない複雑性がそこにあるのだ。
だが、そんな都市ゲオニエスの素晴らしさを理解できる一方で、俺はミクルの言う言葉の意味は半分もわかっていなかった。
「けれどね……もうダメかもしれないの」
ミクルは小さな声で呟いた。
その震える小さな背中に眉をひそめる。
「もうじきこの世界は終わってしまう」
わずかな震えを含むその声音は、待ち受ける運命を拒み、何かにすがりたがっているようだった。
俺にはその恐怖する声に聞き覚えがあり、どことなく懐かしくもあった。
だが、依然として話が見えない。
一体何が言いたいのだろうか。
魔人族?
世界が終わる?
うちの娘に似てるこのミクルとかいう嬢ちゃんはそういう年頃なのかな?
俺は半眼になってミクルを見つめる。
「うちの子はおかしくなっちゃったのか……? いや、だからこの子は俺の娘じゃ……」
どうしてもミクルを亡き娘と考えてしまう、自分への苛立ちや、目の前の事実と葛藤する。
だが、そんなこと俺以外にはどうでもいい事なわけでーー、
「ねぇ、ちょっと話聞いてるの? 今すごく、すっごぉーく大事な話してるんだけど?」
悩ましいジレンマから逃れ微かに瞳を開ける。
すると俺の目の前では、大きな緑瞳で険しくこちらを睨みつける少女が立っていた。
腕を組んで薄い胸を押し出すように強調している。
「はぁー、こんなんで本当に大丈夫なのかなぁ……」
「悪いな、少し考え事してて」
眉間を押さえ疲れた顔をするミクルはつかつかと歩き、勢いよくテラスの手すりに腰かけた。
「ッ‼︎ こらヘレン‼︎ 降りなさい‼︎ 危ないだろ‼︎」
口走り、すかさず駆け寄ろうとする。
だが、その直前になって自分がやらかしてしまったことに気づき意気消沈。
「い、いになり、何? 怖いんだけど……」
「あぁ、その、ごめん、ちょっと酔っててさ」
ガチでドン引きするミクルに、ゴミを見るような眼差しを向けられ、ショックのあまり後ずさる。
親としてはーーではなく、俺としては谷底に落ちるんじゃないかと危険に思った次第だが、相手にとっちゃそんな事は関係ない。
酔っていなければミクルは俺のことを狂人か何かだと勘違いしたかもしれない所だったな。
危ない危ない、ふぅ。
「頭イカれてそうだけど、まぁいいわよ。どうせ
ぁ、ごまかせてなくね?
「アダム・ハムスタ」
やっちまった事実に打ちひしがれる俺の耳へ厳格な声音が侵入した。
幼くも覚悟を決めた者の声だ。
首をもたげミクルの瞳を正面から見据える。
「まず確認したい事がある。あなたは転生者ね?」
「ッ、なんでそれを?」
いきなり心臓を突かれたような感覚を覚え、とっさに聞き返す。
冗談じゃなく酔いが覚めた。
「なんで、ね。まぁあなたを呼んだのは私の仲間たちだからってところかな」
ミクルは視線を外さずに淡々と言葉を紡いでいく。
俺もまたそんな少女に目線を合わせ続けた。
なぜならばミクル・アゴンバースは全てを知っているーーそんな確信に近い予感を覚えたからだ。
「そうか、呼び出したか。噂に聞く怪しい魔法ならもしかしたら可能なのかもな」
「あら、あなたの世界には魔法はあったのね。話が早くて助かるわ」
ミクルは嬉しそうに微笑むと足をパタパタと動かし始めた。可愛い。
「もしかしたら察してるかもしれないけど、ここはあなたの生まれた世界とは違う世界なの」
ぇ、そうなの?
内心で驚愕の事実に困惑が止まらない。
「ふっ、だろうな」
だけど、外側くらいは格好つけておく。
「あなたを見つけられて本当に良かった」
「俺のことを探してたのか?」
「えぇ、探していたわ、ずっとずっと、それはもう気が遠くなるくらいの長い時間」
吹き抜ける渓谷の夜風。
ミクルは目を細め、薄っすらと現れだした星空を見上げて語り出した。
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