第9話 人は変わらない
間合いを詰めてくる巨体。
正面から迫る肉弾を左足軸の半円運動によって、右足を引き避ける。
「どぅお⁉︎」
視界から一瞬でフェードアウトした俺を追いきれていないのか、間抜けな声が聞こえてきた。
「ほら、どうしたヒーロー、悪をやっつけるんだろう? 平地でつまづいてる場合じゃあないぜ」
「ッ‼︎ 舐めやがって‼︎」
指先をクイクイッと動かし誘いを掛ける。
そういえばネオプロレスごっこだったな。
攻撃は全部受けてやってもいいか。
「予想以上に情けないヒーロー君にハンデをやろう。俺はお前の攻撃を一切避けない事を約束しよう」
「何ッ⁉︎」
動揺の走る会場。
よほど俺の宣言が衝撃的だったらしい。
「一度のラッキーのおかげで攻撃をしのげたくらいで、随分と大口を叩くんだな‼︎」
「エンターテイナーなもんで」
足を揃えつま先45度、気取ったお辞儀で紳士ぶる。
「ほざけ‼︎」
激昂したトリオットの乱れ突きが炸裂する。
怒りのせいか剣筋に無駄な箇所が多々見受けられるその攻撃を、ノーガードで受けまくる。
ーーギィィ
トリオット木剣と俺の「鎧圧」によって、生身と木を打ち合わせているにしては異様な金属音が辺りに響いた。
強度的に俺の「鎧圧」が
「ッ、アダムは生身で攻撃受け切ってるのか?」
「いや、あれは『鎧圧』だろうが、トリオットの打撃を受けて平然としてるなんてな」
「あそこまでするか」
「うわぁ、ひでぇな……」
「いいぞぉー‼︎ インチキ野郎を成敗してやれ‼︎」
「トリオット行けぇー‼︎」
「童貞を叩きのめせぇー‼︎」
またしても聞き捨てならない罵倒が投げられる。
そんな中、舞台上ではノーガードの下級生を先輩が木剣で突きまくり、ぶっ叩きまくるーーという字面だけなら凄惨な殺人現場を思わせる状況が展開され続ける。
生徒たちの中には目元を覆って悲鳴をあげる者がちらほら現れ始めていた。
見るに耐えない、とはまさにこの事だと言わんばかりだ。
ただ、殴られながらも辺りを見渡してみると、哀れな下級生に同情するものは僅かばかりで、そのほとんどがニヤニヤと笑い楽しそうにトリオットを応援していた。
どんだけ俺嫌われてんだよ。
嫌になっちゃうぜ。
これ以上やっても仕方がない事を悟り、首をふって木剣を握る手に力を込める。
「ひひ、死ねや、死ねや、死んじまえぇえー‼︎」
眼前で嬉々として腕を振りまくる青年。
トリオットは興奮して木剣を振るのが楽しくて仕方ないと見えるな。
「はは、盛り上がってるところ悪いが、そろそろ終いにしよう。誰も俺のファンがいないんじゃ飽きてきたぜ」
「へへ、何を言ってんだこのーー」
律儀に俺へ言葉を返すべく口を開くトリオット。
俺はその一瞬を見逃さず、すぐさま手に持った木剣を目の前の大口の中に突っ込んだ。
「あがッ⁉︎」
「若い君にひとつだけアドバイスだ。格上を相手にする時はおごりにつけ込みたまえよ。格下がおごるなどは言語道断、力差を知らない馬鹿のする事だ」
それだけ伝え、俺はトリオットの顎を膝蹴りでカチあげる。
トリオットの頭は弓のように弾かれ、彼の口は木剣をくわえたまま天を仰ぎみた。
すかさず跳躍し、トリオットがくわえたままの木剣の柄尻に、上方からの掌底を加え喉奥に突っ込む。
「うげぇえッ⁉︎」
「さぁフィニッシュだ」
食道まで侵入した木剣によって、恐怖に支配された若者は、ジタバタと舞台上を馬鹿踊りしだした。
このまま自滅するのを待ってやってもいいが、それだと運悪くマジで死んでしまいそうだ。
俺は二、三個予想できる亡き者ルートの分岐を懸念して、こちらからトドメを刺してやることにした。
目を白黒させ、天を見上げながら暴れるトリオットへ駆け寄る。
「とう‼︎」
「ぐぼへぇ‼︎」
ドロップキックをお見舞いし舞台から即刻排除。
同時に食道にぶっ刺さっていた木剣の柄を握り、ぶっ飛ぶ勢いを使って引き抜いてあげる。
トリオットは喉に木を生やすという人生初の経験を迎えた後に、場外まで吹き飛んでいった。
やがて彼はグラウンドの上でビクビクと痙攣した後に、すぐに動かなくなってしまった。
仕上げとばかりに木剣に付着したトリオット汁を斬り払い、石の舞台に突き立てておく。
「な、なんていう……」
「こんなのって」
「や、やへぇだろ」
呆然として静けさを堪能する観客たちは、僅かに
男子たちは喉仏を抑え、女子たちは口元を押さえて、目の前の不幸が自分に降り懸からなかった事に感謝しているようだ。
「ん、どうした? ほら勝ったぜ? 拍手拍手〜」
場の空気的に絶対賞賛されないことはわかっているので、あえてここは敵を作りまくって遊んでいく。
「悪魔、悪魔よ、アダム・ハムスタは悪魔に違いないわ‼︎」
「どうしてこんな酷いことが出来るの⁉︎」
「恥を知れ‼︎ トリオットにまで毒を盛ってたのか⁉︎」
「あいつは本当に酷いやつだ」
「もし仮にお前が強かったとしても、ここまでしなくていいだろうに‼︎」
むむ、言われてみると最もな意見のように聞こえるのだから、困ったものだ。
けど、まぁ、実際のところ別になんでもいいんだ。
学校には残るが、学生ごっこをしたい訳ではないし。
俺は気配の種類から灰髪の少女ミクル・アゴンバース を探し、少女がこの場にはいないことを知った。
ただ、かといってほかに何がしたいって訳でもない、が……。
俺は心のうちに何か暗いものが湧き上がるのを感じて、すぐさま彼女の気配を探るのをやめた。
それを続けていたのなら、きっと俺は自分の負債を肯定してしまっただろう。
やめよう、あの子はヘレンじゃない。
俺の娘、じゃないんだ……。
ぐるぐると嫌な考えが頭から離れてくれない。
失われた時間が、羨望してやまなかった機会が、乾いてカピカピになった俺の心を掴んで離さない。
「消えろー‼︎」
「どっか行け、人間のゴミー‼︎」
心の声ばかりが全てではない。
外の世界へ耳を傾ける。
罵倒、暴言。
そうだな、結局なにを装っても本質は変わらない。
俺は結局自分のことしか考えられない人間なんだ。
半世紀近くもそうやって生きてきたんだ。
大事なものを失った時、初めてそれがどれだけ俺を支えていたのかを知った。
だが、それでも俺は止まれなかった。
だから、だから、この与えられた不思議なチャンスでなら俺はーー。
試合とは直接関係ない、悪意ある
それが肌身に感じてわかった。
そんな時、ふと視線を動かすと見覚えのある明るい茶髪が視界に入ってきた。
エヴァンスだ。
金髪の彼女、チェスカも一緒にいる。
「ふふ、まったく幸せな奴め」
こちらを見つめ今にも走り寄ってきそうな友人へ手を向けて首を振る。
すると言いたい事を悟ってくれたのか、エヴァンスはその場で立ち止まり、ぎゅっと拳を握ってくれた。
俺はエヴァンスのその姿を目に焼き付け、背を向けて早歩きで歩き出した。
そして俺は侮蔑と人格否定にさらされながら、逃げるように斬り納め会場を立ち去るのであった。
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