第7話 考え直せ

 

 この日騎士学校で行われる一年生最初の授業は柔術だ。

 剣を失った際に最低限戦えるようにするのが目的の補助的な科目だとか。


 どうにも騎士というのは剣を使って戦う事を主流としているようだ。

 俺としては硬い「鎧圧」で覆った肉体で戦う方がよっぽどやりやすいと思うのだが、エヴァンスにその事を言ったら鼻で笑われた。


 いわく「鎧圧」じゃ刃を防げないらしい。


「アダム、流石に考え直せよ? な?」

「もう決めた事だ。目標を定めたらあとはそこへ行くために精進するのみ」

「いや、お前、四ヶ月に『絶対騎士になってやる‼︎』つって騎士学校入ったんだよ⁉︎ それも忘れたのか⁉︎」


 教官の言われた通りに技を掛け合うメニューの最中も、俺とエヴァンスは再三繰り返した問答を続けていた。


 エヴァンスが必死に俺を説得しようとする。


 一方で、俺は騎士コースの生徒たちの稚拙ちせつな背負い投げを見て、ここにいても意味がない、と自身の考えを確固たるものにしていた。


 俺の意思は相当に固いものへ変わりつつあった。


「よーし、次は乱取り稽古だ。ペア組んで自由にやってけぇえ‼︎」


 早朝の教官とは別の教官が声を張り上げた。


 すると生徒たちは皆、それまで組んでいたペアで適当に技を掛け合いだした。


 男子たちは真剣に向き合う者、ヘラヘラしてサボる者など、同じ騎士を志す者でも授業に対する姿勢は様々なようだ。


 女子たちは比較的真面目にやっている者が多い。

 自惚れ抜きにかなり強い俺の目から見れば、お遊戯に違いないが、それでもそこに本気が宿っている事なんかはすぐにわかった。


 彼女らは本気で強くなろうとしている。


 俺はそんな乱取りする生徒たちを見て、ひとつの提案をエヴァンスにすることにした。


「そうだ、エヴァンス、そっちが俺に勝てたら自主退学は考え直すよ」


 シンプルな提案だ。

 退学したい者と、それを引き止める者。


 勝った方が選択する事ができる。

 ついでにエヴァンスがどれくらい出来るのか見てやるというのも面白い。


「このネオ柔道ガラパゴス国際大会15連覇の俺に勝てるかな?」

「ふっふっふ、何言ってるかわからねぇけど、ああ、いいぜ、やってやる‼︎」


 こちらの提案に乗り気なエヴァンス。

 ニコリと笑い、エヴァンスと数歩距離を空ける。


 するとーー、


「どらぁあー‼︎」


 エヴァンスは初期位置についた途端さっと走りだしこちらへの間合いを詰め始めたではないか。


 勢いが良いのは結構だが、あくびの出るような速度である。

 遊んでるんだろうか。


「無謀な提案だったなッ‼︎ 俺はお前に負けた事ないの忘れたかぁぁあ‼︎」

「そうなのか。初知りだ」


 エヴァンスは勢いよく俺の胸ぐらと袖口を掴み、先ほどと同じように背負い投げを実行してくる。


「てや‼︎ む、てや‼︎ むむ、てやてや‼︎ てやや? ん……あれ?」


 掛け声が困惑に変わっていく。

 それでもエヴァンスは威勢の良い掛け声とともに思いっきり重心を落として、力一杯俺の腕を引っ張り続けた。


 だが、こいつが俺を投げる事は叶わないだろう。


 マジでビクともしていない。

 俺でもびっくりするくらい全く動く気配がない。


 俺の五体は、い草の香る畳の上にどんと構えられたまま。

 武芸者でもそれなりの高みの領域にいなければ、何をしているかわからないだろう技術を用いているわけだが……まぁ、言ってしまえば直立したまま、重心を足裏まで移動させているだけだ。


 昔、知り合いの仙人に教えてもらったのだ。


 これは何も「鎧圧」や「剣圧」ーー筋力を増強させる技、「鎧圧」と対になるーーによる基礎力向上バフではない。


 高度な体重移動が可能にする人間のわざである。


「どしたぁー? 投げるんじゃないのか?」


 思ったより弱かったな、エヴァンス少年。


 俺はワザとらしく欠伸をするマネをして、汗だくのエヴァンスを挑発してみた。


「クソォッ‼︎ なんでこんなぁッ‼︎、昨日から何かおかしい‼︎」


 もはやテコでも動かせないとわかっているだろうに、エヴァンスは諦めず荒く息を吐きながら俺の袖を引っ張っている。


「まぁ、こんなもんだよな……ぽーい、俺の勝ちー」

「うわぁあー⁉︎」


 俺はエヴァンスの実力に落胆の色を表し、一呼吸のうちに彼の体を投げ飛ばした。


 うめき声をあげながら起き上がるエヴァンスが、這いずるようにして、こちらの足へ手をかけてくる。


「ぅぅ、どうして辞めるなんて言うんだよ……俺たち一緒に騎士になろうって言ったじゃねぇかよ……、あれは嘘だったんかよ、アダム……」

「……ッ」


 涙ぐみながら起き上がったエヴァンスを見て、俺は初めて自分が軽率な判断しようとしていた事に気がついた。


 そうか、この「アダム・ハムスタ」には泣いてくれる程の友達がいたんだな……。


 俺はかつての凄惨な子供時代を思い出して、瞼を閉じて深くため息をついた。


 もしかしたら世界が違えば「アダム・ハムスタ」にだって幸せになれる選択肢があったのかのかもしれない。


 何も考えてなかったな。

 この歳で未だ軽率。

 やはり愚か者はいくつになっても、か。


 はてさて、求道か友かーー。


 俺は涙目で心に訴えかけてくるエヴァンスを見下ろし、腕を組んで塾考する。


「ハムスタ、あんたに勝てば騎士学校に残るのね?」

「ん、どちら様ーーッ⁉︎」


 自身の判断を思い直していたところへ高い声が投じられた。


 俺はその声音にわずかに聞き覚えを感じていた。


 はるか昔に失われた機会。

 もう二度と聞けないと思っていた愛しい声。

 俺は触発された感情に導かれ振り返ったのちに、我が目を疑った。


「ぁ、ぇ、嘘だろ……」

「ん? 何も嘘なんてついてないよ」


 高飛車な印象を抱かせる可愛らしい声が道場に響く。


 俺は自身の瞳に映した少女の姿にかつもくし、その声音に打ちひしがれた。

 なぜなら、記憶の中にだけ存在するはずの少女がそこにいたのだからーー。


「ヘレンなのか? いや、馬鹿なそんなはずない……」


 思わず口走って、自分で自分の言葉を否定する。


「何ひとりでもにゅもにゅ言ってるのよ。気持ち悪い」

「ヘレンはこんな毒吐かない、よな……?」


 少女は尚もこちらへ訝しむ視線を向けている。


 その瞳は俺と同じ若干青みかがった緑色をしており、長い髪は灰色で、質素な髪留めが静かに映えていた。


 その姿はかつて最愛の妻と時を同じくして失ってしまった、俺の娘、ヘレン・ハムスタにそっくりだ。


 たまらずそっと手を伸ばし、そこにいる少女の白い肌の輪郭を確かめようとする。

 だが、ふと思いとどまり慌てて手を引っ込めた。


「アダム……? どうしたんだ?」


 少女に見開いた瞳を向ける俺へ、エヴァンスの心配する声が届いた。


「いや……何でもない」

「いやいやいや、何でもないじゃなくて、私と勝負しなさいよ‼︎」


 灰髪の少女は、瞑目し静かに深呼吸しているとこへ喰ってかかってくる。


「悪いね、お嬢ちゃん。君とは戦えない、さらだば」

「さらだ……ぁ、ちょ、ちょっと私はあんたに学校辞めてもらう訳にはいかないの、勝負してよ‼︎」


 俺はとにかく落ち着く事を優先して、その場を立ち去ることにした。

 だが、少女は背を向けて歩き去る俺に追いつき、手を引いて引き止めてきた。


 硬い手だ。

 長い研鑽を積まなければ、こうはならない。

 こんな幼いのにな。


 俺は身長の同じ少女の手のひらから、その人生の過酷さを鮮明に感じ取った。


「大丈夫だ、辞めない、まだな」


 背後で騒がしくする少女を肩越しに見つめ、小さくそう呟いた。


「ゴラァアッ‼︎ 勝手に歩き去るんじゃない‼︎ 真面目に授業受けんかァアッ‼︎ ハムスタァアッ‼︎」

「ぁ、すみません……戻ります」


 響く怒声。


 チッ、格好つかねぇな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る