第5話 確信、夢じゃない

 

 早朝、小鳥のさえずり。

 窓辺から差し込むは、朝焼け前の青白んだひかり。

 日中より冷たくも一日の始まりを予感させるこの湿った空気は、俺にとってはお馴染みの感触だ。


「なるほど、これ夢じゃねぇな……」


 二度目となる質の悪いベッドでの起床を経て俺は確信した。

 気づいてしまったのだ、これはリアルだと。


「茶髪、エヴァンスはまだ寝てるか」


 隣のベッドを見て未だに気持ち良さそうに眠る同居人を確認。


 念のため自身の頬をつねって、これがまぎれもない現実であるのだと再確認する。


 夢の続きではない? 

 昨日からずっとおかしいとは思ってたが……。


 ベッドから降りて窓の外へ視線を飛ばす。


 外には昨日に体育を行ったグラウンドが見えた。

 さらにその向こうにはゴシック様式の貫禄あふれる大きな建物が立ち並んでいる。


 それゆえに俺の住んでいた白亜の豪邸などはありそうにない。

 街の雰囲気が違いすぎるのだ。


「そうか。なるほど、オーケー。冷静にいこうか」


 俺は窓辺から離れ一旦伸びをして頭を切り替えることにした。

 そしてベッド脇に安置されたメガネを手に取った。

 同じく置かれた小さな鏡を覗き込むように見る。


 え、誰すか、アンタ。


 硬直した。誇張抜きに固まった。


「俺……なんだよな」


 鏡に映った見知らぬ根暗そうな男。


 顔のほりが深く、陰湿そうなのに無駄に歳を食ってそうでいかつい印象もある。

 硬派の不良みたいだ。


「ここに眼鏡をかけてると……」


 手に持った黒メガネを慎重に掛けてみた。


「恐ろしく似合ってるじゃあねぇか。何だこれ」


 鏡を見て、顔と眼鏡のフィット感に感動を覚えた。


 信じられないほどにマリアージュのフレームだ。


 まるで俺の顔と眼鏡とが、元からひとつになるように設計されていたかの様な整合性。


 ずっと視界がぼやけてたのは、単純に俺の視力の問題だったようだ。


 けどまぁ、反応能力に問題はないだろう。

 昨日さくじつの講義中にチョークを投げられた時のことを思い出す。

 あれはなかなかどうして危ない一撃だった。

 あの時はエヴァンスが盾になってくれて助かったというものだ。


 学生気分を楽しんで遊び半分で、エヴァンスにちょっかいを掛けていたところ、突然起こった不幸な事故であったわけだがーーそれはまた別の機会に話すとしよう。


 にしても、これが夢じゃないとなると相当に面白い事なのではないだろうか? 


 俺は内心で現状の異常さにワクワクしていた。

 初老の大人なのに年端もなく踊り出しそうになっているのには理由わけがある。


「未だ道半ば。もっと先に行けるというのか……俺は」


 自身の拳を握りしめ、開き、見た。


 そこに、ずっと先まで行って良いという切符が俺には見えていたからだ。


 俺が武術に出会ったのはそれこそ幾十年も昔の話。


 以来、自分の五体に身につけた技のみを頼って生きてきた。

 常に高みを目指し続け、狂気の沙汰と罵られる様な荒業に身を投じ続けたこともザラにある。


 そうして気づいた時には俺の立つ境地には他の誰もいなくなっていたのだ。


 だが、別に俺はそれでも良いと思っていた。

 頂上というのはある一点に必ず収束する。


 最たる者は孤独なり。当然のことわりだ。


 これが天の用意してくれたチャンスなんだろう。

 まだ道は続いているんだろう。

 これはそこへいくための機会なんだろう。


 何に問いかけても、返事は返ってこない。

 されど己の胸の内側にある枯れた松明に再び火が灯るのを俺は感じていた。

 赤々として熱い、終わりまで向かう絶え無き原動力だ。


「ならば行こう。誰も到達していない頂きへ」


 俺は自嘲げに微笑んだ。


 また孤独になるのだろう、と俺の心にきたる苦しみを受け入れる準備ができ始めている事に。


 何が起こっているかはわからない。


 だが、どうやら俺の第二人生が知らずの内に、すでに始まっていたらしい。


 ならばやる事はただひとつ。

 武の求道者として延長された時間を無駄にしないことだ。


 ーーパッパラパッパラパッパラパ〜


「お?」


 手のひらをワキワキと開閉していた俺の聴覚がリズミカルなラッパの音を捉える。


 すると、その途端ーー、


「ドァァアーッ‼︎ 起きろアダムゥうッ‼︎」


 スヤスヤと穏やかに寝ていたはずのエヴァンスが凄まじい勢いで飛び起きだした。


「って、なんだよ、起きてたのかよ、じゃねぇ‼︎ 早く着替えろ‼︎」

「はは、騒がしい若造だ」

「なに賢者タイムでふかんしてやがる‼︎ 人ごとじゃねぇぞ⁉︎」


 颯爽と早着替えするエヴァンスに急かされて、俺は昨日と同じように灰色のジャケットを羽織った。

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