第4話 夢の中のファン

 

「ぜはぁッ‼︎ ぜはぁ‼︎ 待ってくれアダムッ、俺たち友達だろ⁉︎」


 後方から死人のような顔の男が息も絶え絶えに訴えかけてくる。

 俺は自身の認識よりもいく段も早く、肉体に疲れが訪れた事に違和感を抱きながら、背後を顧みる。

 案の定、あの茶髪の若者が追ってきていた。


「よくわからんけど、これ下位は不味いんだろう?」

「ぜはぁッ、だから、って、別に先頭集団について、行かなくても、いい、だろ⁉︎」

「まぁ、付いていけるなら付いていくべきだ」

「アダムが意識高くなってる⁉︎ ひぃ、ひぃ、ぜはぁ、お前、なんで、そんな速くなってん、のッ⁉︎」


 俺は必死な友人らしき人物を尻目に、現状を理解し始めていた。


 十中八九、これは夢でも見てるのかと思い始めた俺と、夢だと信じたいと顔に出ている茶髪の男。


 名前も知らない夢の住人たる彼には悪いが、俺には運動というものにおいてプライドがある。

 ましてや俺は足に受けた呪いのせいで長年の間、長距離のランニングなどしていなかったのだ。


 現在いま、俺の中に走る楽しさが蘇りつつあった。


 ゆえに、俺は妥協しない。

 これが非現実だとわかっていても、せめて夢の中でくらいかつての若かった頃と同じように、爽やかな汗をかいて駆け回ってもいいではないか。


 青春を取り戻せ、てな。


「はは、走るの楽しい」

「お前、マジで今日イかれてるぜ⁉︎」


 ー


 早朝のグランドへ続々と帰ってくる若者たち。


 灰色の軍服に身を包んだ彼らは皆じっとりとシャツを濡らし汗だくだ。

 皆が皆、地面に尻餅をついて、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んでいる。


 中にはストレッチをする者もいたりと、長距離を走破した後のケアは人それぞれで性格が出ている。


「信じられん……ハムスタとエヴァンスが先頭集団に付いてくるとはな」


 多くの灰色青年たちが苦しそうにあえぐ中、ヒゲを立派に生やしたオヤジは感嘆の声を上げて、こちらを見つめてきていた。


 それはすっかり息を整えてグランド脇のベンチに座ってる茶髪の青年が理由だろう。


 こいつの名前がエヴァンスなのか、それともハムスタなのか……。

 俺のセカンドネームがハムスタだから、消去法でこの若造はエヴァンスだと思うのだがな。


 やりきった表情のエヴァンス(仮)へ視線を向ける。


「アダム、お前本当に……朝から頑張りすぎだっての‼︎ どうした⁉︎ 何が目的なんだ、こんなに俺を苦しやがって‼︎」

「勝手について来たんじゃねぇか。怒られる言われはないな」


 言いがかりもいいところだ。


 俺はグッと伸びをして、火照った体へ新鮮な空気を充填した。

 夢とわかってしまえば、案外大抵のことは受け入れられるというものだ。


 目の前でギャンギャンと怒っているこの知らない若者も、きっとどこかで会ったことのある人間なんだ。


 潜在意識だったかな?

 特に気にしないようにしたほうがいいだろう。

 きっと記憶のどこかにいたんだ。


 だが、まぁ、まさかこんな解放的な気分にもう一度なれるなんてなぁ……。


 若いっていいな。

 昔を思い出す。


 かつて師匠に拾われて秘境で修行を積んだ日々。

 あの頃は俺も若かった。


 どうしてこんな夢を見ているのか、理由はわからないが、肉体の充実した気力には満足している。


 基礎体力こそ本来の体には遠く及ばないが、それでも若く成長性を感じさせる肉体というのは良いものだ。


 体を動かす感覚、技術的なものには問題はなさそうなので、それなりに動かせるのもまた良い。


 弱い肉体をどれだけ扱えるかのゲームをしている気分になる。

 俺はそんな事を思い、自分でも何を言っているのだと薄くほくそ笑んだ。


「よぉ、小動物ハムハムにエヴァンス君〜?」

「げっ‼︎ ダリオットだ」

「ん?」


 ハムハムだと? 


 およそ俺の名前を呼ぶ声に反応する。


 嫌そうな声を出して怖気付く茶髪の男を視界に収めつつ、俺は呑気に背後へと振り返った。


「ほほう、これはこれは」


 するとそこにいたのは、逞しい青年たちが揃う中でも一際背の高い大きな若者だった。

 これは鍛えれば強くなる。

 将来性の感じられる恵まれた肉体に「うん、悪くない」と賞賛を送りニコリと微笑む。


「お前ら陰キャのくせに生意気だろ。何こんなランニングで本気出しちゃってんだよ」

「う、うるせぇよ、別にいいだろが」


 挑発的に肩を押される茶髪の青年。


 彼は声を震わせながらも、チラッと背後の俺を見て、続いて遠くの方で傍観している生徒たちを一瞥いちべつすると、大きな体躯の青年の肩を押し返した。


「おおっと〜‼︎ そういう事しちゃいますかエヴァンス君〜‼︎」


 やっぱりエヴァンスだったらしい。

 となると俺はハムスタ、アダム・ハムスタか。


 まぁ当然か、普通に本名だしな。


 俺は今にもチビりそうなエヴァンスを見て顔と名前を一致させ一応記憶に保存しておいた。


 その間にも、背の高く声の低い青年は声の調子を高めていき、ニヤニヤしてエヴァンスに近づいていた。


「な、なんだよ?」

「はは、なんでも?」


 大きな男は震えるエヴァンスの肩に手を置いて笑みを深める。

 俺はそんな男の嫌らしい表情に暴力の香りを瞬時に感じ取った。 


 おやおや、若いっていいねぇ。喧嘩かな?

 ちょっと、おっさんも混ぜっていいかな?


「女の前だからって格好つけてんじゃねぇよ‼︎」


 エヴァンスの肩をグッと掴み、逃げられないよにホールドした男は振りかぶった拳を振り抜く。

 エヴァンスの茶髪を携えた頭がピンポン玉のように弾かれる。


「ぐはぁッ‼︎ こ、この、てめッ‼︎」

「どうしたやり返して見ろよ⁉︎」

「おい、ダリオット不味いってッ、クソ教官走って来てんぞ⁉︎」


 ダリオットと呼ばれた大きな青年の肩を揺さぶって、後方から迫る鬼の形相を報告する下っ端。


 俺は典型的すぎる組み合わせに苦笑いしながら、続くダリオットの二撃目が止まらない事を察知した。


 子分に止められてすぐ拳を収められるタイプじゃあないよな、ダリオット少年。


 俺としては若者の喧嘩なんてやらせておけばいい、という暴力慣れした自論を持っているわけなのだが、さすがに弱者が一方的に殴られ続けるのは美しくない。


 それは当事者同士の合意の上での決闘ではなく、ただのいじめだからだ。

 よってちょっと止めてやろうと思う。


「おら、エヴァンス‼︎ どうしたぁよ‼︎」


 ふらふらして血を流すエヴァンスへ叩き込まれる太い腕。

 俺はその拳が彼へ到達するギリギリのところで、ダリオット少年の膝裏へ下段蹴りを打ち込んだ。


「ぐがっ⁉︎」


 ブサイクな声を出して強制的に膝まづかされたダリオット。


 俺は先ほど走った感覚から、肉体のレベルが落ちている事を知っている。

 そのため無理のない、十二分に余分を取った攻撃を繰り出すことにした。


 よって選択したのは左ジャブからの右強打。

 俺の人生で呼吸の次に多く繰り返した動作だろう。


 膝から崩れて頭が下がって来た位置へ、神速の強打撃を綺麗に打ち込む。


 ーースパンッ


「終幕、ちゃんちゃん、と」

「ぁ、が、ぁーー」


 流れるステップを踏む俺とは対照的に、ダリオット少年は糸の切れた人形が如く倒れ伏す。


 これでエヴァンスも喜んでくれることだろう。

 俺は気持ち良い笑顔でエヴァンスへ向き直った。


「えーと、エヴァンスだったか? 仇は打ったぜ‼︎」


 そう言って和かに笑い、こり固まった表情のエヴァンスの下へ歩み寄る。


「ぁ、アダム、お前、ぇ、やば……」


 こちらの顔をまじまじと見つめるエヴァンス。

 彼はそのままの俺の体をペタペタと触り出し、最後にほっぺを叩くように挟んだ。


「やっべぇ……やばい、やべぇ、やべぇだろ、やべぇわ、やばいやばいって……スゴースゴスゴー‼︎」


 エヴァンスは語彙力を失った。


「はは、まぁまぁ、それほどでも」


 うなじをかいて露骨に照れる。

 良い気分だな、素直に喜んでくれるギャラリーなら気が楽ってもんだ。


 俺はそんな事を思いながら、あたりを見渡す。


 周りでは傍観していた半袖シャツの若者たちが、徐々に動き始め、あたかも世紀の大事件を目撃してしまった、とでもいいたげに口元を両手で抑えていた。


 なかなか衝撃的なモノを見せてしまったらしい。


「夢の中でもファンを作ってしまうなんて、罪な男だ」


 俺の事を好機の視線で、はたまた羨望の眼差しで、見つめる者たちが一斉に騒ぎ始めるのは、時間の問題であった。

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