よもやま話(12):説明的描写を、らしい描写に~心理・心情描写編~

 小説の描写がどうしても説明っぽく見えたり、感想文ぽく見えたりすることがあります。描写をしているつもりなのに、なぜそう見えてしまうのか。


 小説を書きはじめて三、四年たったころ、私はこの疑問と向き合っていました。そして今もまだ向き合っています。すこしは成長してると思うんですけどね。


 ということで、今回は説明文ぽっく見えたり、感想文っぽく見えてしまう描写を、小説っぽい描写に変えるにはどうしたらいいのか? の、心理・心情描写編です。


 まずは例文を見ていきましょう。


『僕はいま動画を見ている。芸人が野外でキャンプをするプライベート動画だ。その芸人は普段テレビで見るときと違って、心からキャンプを楽しんでいるようだった。動画に出ている姿が、彼本来のものなんだろうなと僕は思った。』


 例文は主観者の行動と心情をストレートに描写したもので、前半が説明文、後半が感想文っぽく見えますよね。わたしはそう感じます。


 普通の文章は分かりやすく単純にするのが定石ですが、小説はそこにおもむきが加わっていなければならないと聞きます。


 誰から聞いた? とは聞かないでくださいね。私は文章に趣を加えると、小説らしい描写になると理解しています。


 趣とは、味わいとか面白みです。以前紹介した文章に遊びを加えることと同義ですね。今回は心情描写についてですから、後半部分について考えます。『その芸人は』から後の部分です。


『普段テレビで見るときと違って、心からキャンプを楽しんでいるようだった。』という一文に着目します。動画で見る芸人が、テレビで見る芸人と違って見えるという心情を端的に述べています。


 この部分に自分の言葉で、見たこと、感じたこと、想像したことなどを追加し、改変します。たとえば、


『テレビで見る彼は、いつも面白いことを言い、面白いことをして皆を笑顔にする。たしかに彼は面白い。でも違うのだ。動画で見る彼は苦労して火をおこし、ゆらめく炎を前に、とても満足そうな笑みを見せる。テレビでは、あんな笑顔を見たことがない。いい笑顔だ。つられて僕も笑顔になる。』


 みたいな感じです。後はこれに続けて、違和感が出ないように最後の部分『動画に出ている姿が、彼本来のものなんだろうなと僕は思った』に手を加えます。


 たとえば、


『テレビで見る彼は、いつも面白いことを言い、面白いことをして皆を笑顔にする。たしかに彼は面白い。でも違うのだ。動画で見る彼は苦労して火をおこし、ゆらめく炎を前に、とても満足そうな笑みを見せる。テレビでは、あんな笑顔を見たことがない。いい笑顔だ。つられて僕も笑顔になる。凄く楽しそうに遊ぶあの姿が、彼本来のものなんだろうなと僕は思った。』


 みたいな感じです。


 しかし、全編通してコレをやってしまうと、くどくなります。だから私は要所要所で使うことにしています。


 小説っぽい心情描写にするには、心情だけを描写するのではなく、情景や人物描写、考察、創造や妄想などを絡めて描写したほうが、より心情が引き立てられるのではないかと、最近思うようになりました。


 今回はココまでです。

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