よもやま話(10):文章に遊びを加えることの利点と弊害

 小説を書くとき、文章に遊びを加えると素人臭さが抜けると聞いたことがあります。要は小説っぽく見えるということだと思います。


 遊びを加えるといっても、言葉遊びのことではないですよ。言葉遊びは滑ると痛いので、よほど自信があるとき以外は使わないほうが賢明だと私は思っています。


 それはさておき、たとえば、


『朝、スマホのアラームで飛び起きた。マズい、アラームは二回目だ。眠い目をこすりながら歯を磨き、慌ただしく着替えを済ませる。鞄を手に取り、朝食も摂らずに家を飛び出した。今日遅刻したらもう言い訳できない。』


 みたいな冒頭があったとします。


 これに遊び、つまり本筋からすこし離れた心理描写を加え、


『少女の美声と聞いて、なにを思うだろうか。透き通るように清らかで、羽毛で撫でられるかのごとく柔らかに鼓膜に届く心地よい声。僕はそんな声を聴いていると心が洗われるようで、その安らぎに溺れたいとさえ思ってしまう。


「朝ですよ。さあ起きましょう」なんてことを耳元で優しくささやかれ、この惰眠をもっと貪りたいと二度寝してしまったとしても、誰に責められようか。いや、責められるべきだ。こんな音声を目覚ましアラームにセットした、僕が悪いのだから。


 僕は二度目の声を聴き、コメツキムシに勝るとも劣らない勢いで飛び起きた。眠い目を寝巻の袖でこすりながら歯を磨き、バタバタと慌ただしく着替えを済ませる。中身も確認せずに鞄を手に取り、朝食も摂らずに脱兎のごとく家を飛び出した。今日遅刻したらもう言い訳できない。』


 みたいに書き換えると、小説の冒頭っぽく見えますよね? 見えなかったらゴメンナサイ。


 ともかく、”文章に遊びを加える”とは、そんなところだろうと私は理解しました。


 しかしです、ネット小説でこれをやりすぎると、かなりの読者が逃げていくと私は思います。逆に好んで読んでくれる読者もいると思います。


 どちらが多いのかといえば前者だと思うのですが、調査したわけではないので断言はできません。


 だから私は多くの人に読んでもらいたい場合、くどくならない程度に”遊び”を加えることにしています。なるべく広い範囲の読者をターゲットにしたほうが、絶対に有利だと思うからです。


 面白い面白くないは別にして――いや、本当はそこが一番重要なのですが――、技法でカバーできるところには手を抜かない。


 そう心がけておけば、少なくとも一話切りされる可能性は下がるのではないでしょうか。いや、下がってほしいと切に願っています。


 ということで、小説っぽい描写には利点と弊害があるかも? というお話でした。


 今回はココまでです。

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