よもやま話(8)説明っぽく見える描写の正体?
私が書く文章には、描写しているつもりなのに、どうしても説明文に見えてしまうということが、昔は多くありました。今も油断すると説明っぽくなってしまうことがあります。
ということで、今回は表題の通りです。
私なりに自作品を分析してみた結果、説明文っぽく見えてしまう描写には、とあるパターンがあることが分かりました。
それは、文と文を繋げる接続助詞とかの、接続に関する品詞の選び方が悪かったみたいなんです。たとえば、
”赤い花が咲き誇っていたので、思わず走り寄った。”とか、”赤い花が咲き誇っていたため、思わず走り寄った。”
みたいな感じです。なんか説明っぽく感じませんか? これを、
”赤い花が咲き誇っている。思わず走り寄った。”
みたいに、接続に関るる品詞を省くだけで、説明っぽさが消えたような気がするんです。
そんなのお前だけだ。なんてこと言わないでくださいね。私はそう感じるんです。
接続詞とか接続助詞ってかなり種類がありますよね。だから最近はその使い方を気にするようになりました。たったそれだけで、昔よりも描写がマシになった気がするのですから不思議なものです。
以下に、私がなるべく描写に使わないようにしている、接続に関する品詞をいくつか挙げておきます。
・~ため、←使わない
・~ので、←使わない
・~から、←なるべく使わない、注意して使う
・、また、←使わない
・、そして、←使用を減らす、注意して使う
今回はココまでです。
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