美人、ではないけれども、放つオーラがなぜか魅力手に人っていますよね。コーヒー飲んでても、絵になる人。
魅力、が「引き込まれてしまう」事とするなら、なぜその人に注意が向かってしまうのかを先に知るのも良いのかも知れません。
性格が良いのは絶対ですが、性格が良いだけではお近づきになりたいとは思わない。
自分でも答えがわからないので考えてみたいと思います。
初めまして。面白いことを書いていらっしゃって、思わずコメントです。
>嘘です。
笑。
>ちょいブスくらいの偶然隣にいてもちっとも意識しないような女性をヒロインに
これは面白いですね。読んでみたいな、と思いました。
>どうしてこんなことに拘るのかというと、容姿とか性格とか話し方とか全ての要素を総合的に見て魅力的な女性が書けたら、それは大きな武器になると思うんです。
なるほどです。考えましたね。
編集済
わたしはラノベ……ひいてはライト文芸って美醜の格差がない世界だと思っていて……いや、もちろん美人とか美少女とか言われるキャラはいるんですけど、絵になったら他のキャラと変わんないじゃないですか。
精々、「日本人離れした色素の薄さ」とか逆に「大和撫子然とした黒髪ストレートロング」とかそういう記号的な「美人」表現になる。あとはもう「美人とされていること」による社会的なステータスを付与するくらいしかない。
言ってしまえば判子絵……あるいは着せ替え人形なんだと。アニメ・漫画、ひいてはラノベにおけるキャラクターの個性なんてものは服装と髪型に依存するんだと居直ってしまってもそれはそれでいい気がします。
つまるところ、美醜の基準は顔にはないということです。美人っぽい記号性と「モテる」という設定だけが美しさの表現たりうるのだと。逆に「醜」の記号的表現は長い前髪とか、ダサい眼鏡とかになるでしょうね。だからイメチェンも簡単なんです。それらの要素を是正すれば、「こんなにかわいい子がクラスにいたなんて」となる。つまり、全キャラが潜在的な不細工であり潜在的な美人でもある。
容姿の格差だけではなく、美容の概念もラノベにはおそらく存在しなくて……そういう描写が存在したとしても「何もしてないのにこんなにきれいなの」みたいな台詞ひとつで「身なりに無頓着だけどモテる」というキャラクターが成立させられてしまう。現実にはいねえよ、ってなりますけど、ラノベではいいんです。
これはおそらく、単に、美形の方が売れるからというレベルの話ではなく……登場人物を恋愛に参加させやすいからという事情もあるような気がします。
フィクションの都合として、やっぱり惚れた腫れたの話は欠かせない。けれど容姿の格差や美容の概念が存在する世界では絶対にそこで落ちこぼれる存在が出てくるわけです。ラノベにおける容姿の均質性はそれを救う。誰が誰に惚れようと納得できる。
長々と書きましたが、これがわたしの自論です。
作中で不美人と明言されるキャラを魅力的に書ける、というのはたしかに武器になるのでしょうけど、あんまりラノベ的ではない気がします。もちろん、だからやめておけって話では全然ないです。今回は受賞を本気で狙うわけではないとのことですし。ただまあ、こういう考え方もあるんだと思っていただければ。
作者からの返信
貴重なご意見ありがとうございます。
たしかにラノベのキャラは着せ替え人形の記号だと言われると納得できますね。
そんな風潮が変わるといいなぁと思います。