SS3 九重院(前編:本当の依頼者)

『あらすじ』

孤児院の須藤からの依頼

沙耶を救出

東高へ帰還

 ***


 テトラドの騒動が終わってから最初の週末。

 俺は行き先も知らされないまま会長に連れ出されていた。


 各駅停車のローカル線を乗り継いで、いつの間にか首都トウキョウから県境を超えて田舎へと進んでいく。

 会長に振り回されるのは毎度のことなので、別に驚きはしない。

 目が覚めたら砂漠に放り投げ出されていたことに比べたら本日は楽なものだ。

 今回は仕事ではないと口にしている会長は軽い旅行気分のようだが、俺からしてみれば彼女と一緒にいる間は仕事中だ。

 とは言ったものの、東高から大分離れたし、追手もいないようなので、護衛として気を張る必要はあまりない。


 さて、テトラドの事件は大々的に報じられ、連日ニュースになっている。

 あくまでも児童虐待や監禁事件としてであって、精霊の研究については話題になっていないし、死傷者に関しても触れられていない。

 ローズを騙った研究主任の遺体は、すでに瓦礫がれきに埋まった地下施設から発見されている。

 しかしニホンの警察は殺人があったことを公表していないし、犯人を捜査していない。


 俺の上司のフレイさんが手を回したのだ。

 結論を先に言うと、ステイツがニホン政府に因縁をつけて有耶無耶うやむやにもみ消したのだ。


 研究主任の男が持ち出そうとしていたポータブルハードディスクには、テトラドで行われていた研究データだけでなく、活動を支えていたパトロンのリストも入っていた。

 その中にはニホンの大物代議士の名前が混ざっていた。


 金の流れを掴むことなど、デジタル化の進んだ現代では海を超えて離れていても可能なこと。

 諜報部隊から数人を動員すれば、インターネットに接続されているコンピューターの中身を覗き見ることなど容易い。

 そもそも国家レベルのサイバー戦で本気で防衛するならば、独自のOSオペレーションシステムを開発する必要がある。

 ニホンで使われているコンピューターの大半が積んでいるOSは、ステイツの民間で開発されたものであり、いくつかの穴を巧妙に隠してそのまま残してある。

 こちらからしてみれば、格好の獲物でしかない。


 先に証拠を押さえたこちらの交渉人は、今回の件に関してステイツ側による調査の自由を認めなければ、ニホン政府が主導で、非人道的な魔法の研究を進めていることを公表すると一方的に脅した。

 さらに研究主任を殺害した人物は、ステイツ側がすでに捕らえて秘密裏に処理したので捜査を終えるようにと、要求したのだ。

 はっきり言ってほとんどマフィアのやり口と一緒だな。


 テトラドでの殺人で、俺がニホンの司法に裁かれることはなくなったが、殺した事実は消えない。


 もうこの世にいない研究主任だった男だが、人間と精霊のパスを繋ぐ技術について、テトラド幹部や他の科学者達に対し、それっぽい内容で上手く誤魔化して根幹を伏せていたようだ。

 もちろん取り調べで警察が得た情報が正しいのかは定かではないので、連中が釈放されたらステイツの人員が動向調査をすることになっている。

 これでテトラドの研究結果が余所に漏れる懸念は大幅に減る。


 という訳で逮捕される心配がなくなった俺は、ニホンでの滞在が延長されることになった。

 任務の内容は引き続き、九重紫苑の護衛。


 当初ステイツが欲していた精霊殺しの剣は唯一無二ではなく、生徒会ハウスの隠し部屋に大量に保管されていた。

 しかし精霊王への対抗手段として使うには期待外れだった。

 異界にいる精霊本体に傷を負わせる能力は素晴らしいが、攻撃力は武器の性能に依存するので、よほどの達人が扱わないと意味がない。


 だからと言って今更、九重紫苑から手を引くことはできない。

 ステイツはすでに彼女を守る側にBETしている。

 世界中の多くが九重紫苑に注目している。

 それは単純に暗殺を目論むだけでない。

 誘拐してその力を悪用したがる連中や、単純にスカウトを目的にしている組織もある。

 半年前、中途半端に顕現した精霊王とはいえ、それを撃退した少女が学生をしているなど、どの組織だって看過できない。


 そしてこれまでの俺の行動によって、自由と平等を掲げるステイツが彼女を害することに反対の立場なのは、水面下で知れ渡っている。

 精霊殺しの優先度が下がったとしても見捨てることはできなく、もし彼女の身に何かがあればステイツの面目に関わる。

 彼女が第5公社の副長として世に知られることになれば、余計なちょっかいも減ると思う。

 しかしそうなるとステイツとしても、やはり彼女とのパイプを大切にしておきたい。

 当分は俺の護衛が継続されるが、それでもいつかは会長との関係を他の人員に引き継がなければならない。

 そのいつかは、彼女が東高を卒業するまでだろうか。


 話は戻るが、テトラドから横取りした精霊の研究データをステイツに送ったことによって、後日多額の特別報酬が振り込まれるそうだ。

 今頃クレアさんら研究チームは大忙しだろう。

 結局のところ、人体実験をするのがテトラドの会からステイツへと変わっただけ。

 違いがあるとしたら、規模の大きさと公開するタイミングくらい。

 少なくともミスターは社会を混乱に陥れるような人物ではないし、表の顔を大切にしているので、非難されるような危ない橋を渡ることはないだろう。


「後輩君。早く。早く!」


 そんな裏の事情を知らずしてか、知らない振りをしているだけなのか、先導する会長はオフのお出かけモード。

 電車を降りてから目的地までまだ距離があるそうだが、バスは通らないらしく、タクシーに乗ることになった。


 駅からどんどん離れて、住宅地の端にあるギリギリ開拓範囲の土地。

 大きな庭や畑が併設された民家や、遊具のない広いだけの公園、車がほとんど止まっていない駐車場が並ぶ中に目的の建物があった。


 2階建ての一軒家と大きな平屋が併設されており、その3倍はある面積がフェンスによって囲われている。

 外では数人の子供が走り回っている。

 最初は保育施設かと思ったが、年齢がまばらなので自ら仮説を取り下げた。

 下は4、5歳で、上はギリギリ中学生くらい。

 しかも内2人は、見た目からしてアジア系ではない。

 この国の人口比で考えるととても珍しい。

 バスが通らない不便な立地なことも公共機関としては疑問だ。


 そして目を引いたのは入り口にある表札に書かれた“九重院”という文字。

 会長は呼び鈴を鳴らすことなく、そのまま勝手に敷地に入ろうとする。

 彼女の姿に気づいた子供達が駆け足で集まってくる。


「「「紫苑お姉ちゃん。お帰りなさい」」」

「みんな、ただいま! 元気にしていた?」


 東高では暴君の絶対強者が、ちびっ子達に慕われている目の前の光景だが、あまり違和感はない。


 2、3分ほど、彼女達がはしゃいでいるのを、俺は一歩引いて見届ける。

 聞きたいことはたくさんあるが、急ぐことはない。


「さてと、お姉ちゃん先生はいるかな?」

「今日はずっといるよ。たぶん病院の方」


 会長の質問に対して、年長と思われる男の子が答えた。


「じゃあ、お姉ちゃん先生と話して来るから、また後で遊ぼうね」


 彼女は平家ではなく、2階建ての方へと足を向ける。

 ここまで黙っていた俺もその後ろに続く。


「会長。ここは孤児院なのですか?」

「うーん。ちょっとだけ違うかなぁ。詳しい説明はお姉ちゃん先生の前でね」


 試しに軽く聞いてみたのだが、後少しの辛抱しんぼうのようだ。

 ここまで俺を連れて来たのだから、事情を話すつもりはあるのだろう。

 いくつかの可能性は察しているつもりだが、答え合わせはもう目の前。


 案内された建物の玄関は施錠されておらず、そして会長は来客用のスリッパ2組をさっと取り出した。

 廊下はなく、玄関からすぐにリビングが広がっていた。


 どうやら住居として使われているようだが、その内装には先ほど男の子が口にしたように病院の面影がある。

 子供が怪我しないようにかなり気を使っているようなので、小児科のようでもあるが、かなり生活感で溢れていいて現在は営業していないようだ。


 カウンターキッチンのような造りがあったが、奥にキッチンはなくカウンターによる仕切りがあるだけ。

 元は待合室の受付だったと推察できる。

 廊下を挟まず直接繋がる部屋のドアの上には“診察室1”、“待機室”などと部屋の名称が記載されているプレートが残っている。

 掃除はしっかりと行き届いているが、客を迎えるための商業的な工夫はあまり感じられない。


「紫苑お帰りなさい。すぐに行くから、お連れと一緒に中でゆっくりしていて」


 姿は見えないが、女性の声が聞こえてきた。

 彼女が“お姉ちゃん先生”と呼ばれる人物なのだろうか。


 勝手を知る会長は、さらに奥へと案内してくれる。

 元々診察室だったのか、奥行きのある細長い部屋。


 荷物を置いて丸椅子に腰掛けた俺に対し、会長は一度消えると、樹脂で形作られたお盆に3人分の緑茶を載せて戻ってきた。

 お茶請けに洋菓子のクッキーを添えている辺りは、彼女らしいチョイス。

 それらをテーブルに並べた頃、言葉通りにすぐにやってきた。


「客人などあまり来ないので、茶しかなくて悪いね」


 ジーンズに白シャツというシンプルな装い、そして子供向けのキャラクターが描かれたエプロンを掛けている。

 俺達より一回り上で20代後半くらい。

 装飾品は身に付けておらず、髪や爪も特段弄っていないが、丁寧にケアされている。


「お姉ちゃん先生が話してくれた沙耶ちゃんは無事に保護したよ。あと佐参さざんお兄さんとも会ったわ。元気そうだったけど、またどこかに行っちゃった」

「やっぱり紫苑ちゃんにお願いして良かった。佐参君も相変わらずのようね」


 沙耶ちゃんの保護は、第5公社の本来の活動である魔法使いの取り締まりとは異なるので、会長と俺だけで対処することになった。

 そもそもどのような経緯でこの仕事が舞い込んできたのか分からないままだった。

 特に依頼人だった孤児院の須藤さんと会長の接点が明らかになっていなかった。

 全容はまだ見えないが、おそらく目の前の女性が仲介したのだろう。


 さらに別ルートからテトラドに潜入していた佐参は、たしか彼女と古い馴染みのようだったが、この九重院という施設の関係者だと考えるのが自然だ。


「ところでそちらの方は? 工藤さんと草薙さんは何度か連れて来たことがあったけど、男の子は初めてよね。もしかして、恋人?」


 先日の飛鳥もそうだが、事情を知らない他人からはそのように見えているのか。

 恋長の恋人だなんて何の罰ゲームだろうか。

 命がいくらあっても足りない。


 冗談はさておき、彼女に対して好意があることは確かだが、今の距離感がちょうど心地良い。

 恋人になりたいとは思わないのに、彼女に近づく男がいると不快に感じる。

 自分のことながら優柔不断だよな。

 しかし任務のためならば、感情は切り離さなければいかない。


「えへへ、恋人だなんて。こっちは後輩君よ。私が面倒を見てあげているの。後輩君、お姉ちゃん先生の九重千春ここのえちはるお姉ちゃんよ」


 面倒を見ているのは、どちらかと言えば俺の方だろ。

 かなり馬鹿っぽい紹介の仕方だが、毎度のことなのでツッコミは控えておく。

 彼女の顔を潰さないくらいの処世術は分かっているつもり。


「芙蓉です。東高では生徒会で、会長にお世話になっております」


 会長様が鼻を鳴らして喜んでいる。

 一方千春さんは少しだけ笑っている。


「無理しなくていいわ。九重千春よ。ここの経営者の娘で、子供達の身の周りの面倒を見ているわ。この子は泣いてばかりで、頼りにならないでしょ」


 そう口にした彼女は会長の頭を少し強めにわしゃわしゃと撫でた。

 会長が泣き虫という話は、最近にも聞いた気がする。

 今の彼女にはワガママとか自分勝手とかの形容の方がとても似合う。

 頑張ってオブラートに包んで表現するならば、前向きとかだろうか。


「ところで会長は孤児院と少し違うと言っておりましたが、こちらはどのような施設なのですか。会長もここの出身なのですか」


 もちろん俺が訊ねるのは千春さんの方。

 会長に質問したところでまともな説明は返ってこないのは分かっている。


「紫苑ちゃんの言葉足らずも相変わらずね。ここにいる子達はそれぞれの事情があるけど、みんな過去を捨てたの」


 事情というのは様々な想像を掻き立てるが、たしかに孤児と呼ぶのは適切ではない。

 会長についてもある程度察しができている。


「佐参お兄さんからどこまで聞いているのか知らないけど、私はかつて……人工契約者の実験体だった。ここに連れて来られてから九重紫苑としての人生が始まったの」


 彼女はどこか他人事のように語った。


 テトラドで俺が殺した科学者と、会長との間に因縁があったそうだ。

 佐参からそのことを聞かされたときから、予想はしていたがやはりそうだった。


 ステイツの諜報部ですら、九重紫苑の東高以前の過去を調べることができなかった。

 この施設の情報セキュリティのレベルはかなり高いと思われるが、部外者でしかない俺にこうもあっさりと話してしまってもいいのだろうか。


 それにしてもどのような経緯で、この施設が建てられたのか。

 ステイツにも犯罪に巻き込まれる可能性のある人物のために、隙の無い過去を用意するプログラムがある。

 その対象が未成年の場合は、適切な施設に振り分けられる。

 この施設も世間の目から子供達を隠すためと考えれば、郊外という立地と質素な建物は悪くないかもしれない。

 しかし公的な機関にはまるで見えない。

 俺の疑問に丁寧に答えてくれたのは、もちろん千春さんの方。


「ここ九重院はもともと町外れの病院だったの。先代院長がどこからか虐待を受けていた子供を連れて来たのが今の活動の始まり。元の親に居場所を知られないために方々ほうぼうへと掛け合った。その時にお世話になった方々かたがたから、今度は頼られることが増えるようになった。そして父の代になって病院経営は閉じて、子供達の保護に専念している。お陰様でこの業界の情報はかなり入って来る」


 全てを語ってはいないだろうが、最低限の事情を分かりやすく説明してくれた。

 千春さんは俺の身の周りの人物だと凛花先輩に近いタイプだな。

 自分勝手な会長が凛花先輩の言うことに耳を傾けるのは、この千春さんとの関係が根底にあるのだろうか。


 この施設については、まだ俺の知らない情報があるのだろうが、ステイツが求める情報とは異なる。

 結局、会長の力の秘密や第5公社の組織図については分からず仕舞いだ。


 しかし俺個人としては、まだ確認したいことが残っている。

 それこそが会長が俺をここに連れて来た理由に関係しているのかもしれない。


「ここの出身者は全員、九重の姓を名乗るのですか?」


 九重はニホンでは珍しい苗字だが、時雨しぐれ叔父さんによると、古来の魔法結社の家系にはないそうだ。

 しかし東高の現役生と卒業生に血縁関係がまったくない九重という魔法使いが2人いる。


「みんな新たな戸籍こせきを用意するけど、半分くらいは前の名前を残すかな。そうでない子は自由に選ぶけど、自然と九重が多くなるのは確かね」


 俺の頭の中では、ローズ・マクスウェルの弟子として突然現れ、高宮家に嫁いだ女性が占有していた。


九重咲夜ここのえさくやという人物はご存知でしょうか。千春さんよりも一回り年上だった思います」

「咲夜さん! そのことをどこで!?」


 咲夜の名を口に出しだけで目の色を変えた千春さんが一気に食いついてきた。

 彼女がどこまで知っているのか分からないが、俺だって自身の目と耳で見聞きした訳ではない。

 ローズかあさんと時雨に聞かされたことをそのまま伝える。


「最近になってのことですが、死んだ母だと聞かされました」


 俺の言葉を聞いて、千春さんの表情は次第に崩れていった。

 泣き出すことはなくても、とてもじゃないが話を聞ける状態ではない。

 しばらく待つことになりそうだ。


 そんな中、この建物の玄関の方から物音がしてきた。


「紫苑お姉ちゃん。帰って来ているの」


 ドカドカという音の後に、部屋のドアが開けられた。

 俺達の対談の席に乱入して来たのは、制服姿の少女。


「お前誰だ! お姉ちゃん先生を泣かせたのか!」


九重久遠ここのえくおん。彼女と俺のファーストコンタクトはあまり良いものではなかった”


 ***

『あとがき』

SSでの分割は今回が初めてです。

文字数が多いこともありますが、エピソードの主題が変わるのでここで区切りました。

次回の舞台も引き続き九重院です。

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