SS1 英雄の凱旋!?

『まえがき』

4章長編直後のエピソードです。


『あらすじ』

芙蓉の右腕の魔法式が消えない

東高に帰還

精霊殺しの武器各種が発覚

 ***


 病院で沙耶ちゃんと別れて東高に帰って来た次の日の朝。

 久しぶりの登校。

 1年2組の教室前。

 しかし現状を正しく理解するためには、昨日の夜まで振り返る必要がある。


 昨晩、会長様から今回の仕事の報酬を聞かれたので、試しに“精霊殺しの剣”を口にしてみた。

 一応、俺が能力を暴走させたときに止めるためという名目での要望だ。

 彼女に案内された生徒会ハウスの隠し部屋には、驚くべきことに幾つもの精霊殺しの武具が保管されていた。


 武器庫の中身は、会長の私物ではなく第5公社の備品とのことだが、レンタルという体裁で持ち出しの許可を得ることができた。

 厄介だったのはその後。


 俺はテトラドの会でもお世話になった短剣をそのまま所望した。

 しかし会長様が『ロングソードはどう?』だの、『槍の方がカッコいいよ』だの、『ヌンチャク使うとこ見せてよ。アチョーって』だのと様々な精霊殺しシリーズの素振りを要求してきた。


 終いには精霊殺しの酒の味見へと辿り着いた。

 室温、湿度が管理された小型ワインセラーの中にボトルの状態で入っていた貴重品だが、どこからか出てきたショットグラスで一杯だけいただいた。

 中身はワインではなく蒸留酒の類で、おそらくウォッカだと思うがあまり自信はない。

 かなりの辛口でアルコール度数も高く、喉と脳をガンっと強く刺激する一品だった。

 それでも薬物耐性を持つ俺はせいぜいほろ酔い程度で済むし、10分程度でほとんど正常に戻ることができる。


 一方会長様は口に含んですぐに吐き出してしまった。

 むしろ酔っ払った彼女は想像するだけで恐ろしいので、後から振り返ると幸いだったと思う。


 ちなみに東高の校則では、飲酒や喫煙を禁じていない。

 受験資格が中学卒業相当なので高校と銘打っているが、在学生には成人も数十名いる。

 そもそも酒や煙草は魔法の触媒として、あらゆる文化の固有魔法で使われている。

 それでも制約がまったくないのは、寮監の先生達が数少ない娯楽を譲らなかったというのが実体。

 まぁ、校則で許可されていたとしても、ニホンの法律に抵触することには変わりないのだが、それは言わぬが花。


 結局、精霊殺しを色々試したものの、俺が好んで使うナイフの刃渡りに近い短剣へと戻った。

 ちなみに拳銃タイプの精霊殺しにもかれたが、再び魔法狩りが暴走したときに、右腕を打ち抜くのはさすがに躊躇ためらいがある。

 いずれにしても、あからさまな武器は場面によっては装備できない。

 しかも専用の銃弾とセットという制約も扱い難い。


 短剣を借りた頃には、大分遅い時間になってしまい寮での夕食を逃したのだが、その元凶の会長様の申し出で生徒会ハウスのキッチンを使わせてもらうことになった。

 洋館の他の住人である工藤凛花くどうりんか先輩と草薙静流くさなぎしずる先輩は不在だったため、会長と2人で冷蔵庫の余りものを使って、具材たっぷりチャーハンと、温野菜のスープを仕上げた。


 食事まで済ませたら夜がさらに更けてしまい、寮に帰って蓮司と由樹を起こしてしまうよりは、そのまま生徒会ハウスの談話室のベッドで一泊することを選んだ。


 朝になり、まだ寝ているであろう会長のことは、番犬のリルに任せて俺は1度自分の寮へと帰った。

 あえて朝食の時間を狙ったこともあって、ルームメイトの2人は不在だった。


 始業前にシャワーを浴びて汗を流した。

 体温が一気に上昇し、少し寝不足気味の身体を活動モードへと強制的に切り替えさせた。

 そして洗面台の鏡に写る俺の右腕には、相変わらず魔法式が浮かび上がったままだった。


 今までは魔力を吸収したときだけ、服で隠れた部分に現れる俺の能力の源。

 しかし沙耶ちゃんが呼び出した精霊との戦いで、魔法狩りが暴走して以来、能力を発動していなくても魔法式が右腕にそのまま残ってしまった。

 会長には知られてしまっているが、対外的にはここ数日包帯を巻いて誤魔化してきた。

 包帯は魔法式を隠すためでもあるが、突然能力が暴走した際に分かりやすい目印でもある。


 もちろんこれからも右腕の魔法式を隠し続けるつもり。

 俺の能力の根幹に関わる秘密でもあり、魔法式を書き写されるリスクがある。

 もしかしたら世界のどこかに魔法式を無効化する術式があるかもしれない。


 それに東高では魔力の吸収と身体強化しか使っていない。

 魔法に直接触れて分解能力を見せたのは、会長、凛花先輩そして従弟の高宮飛鳥たかみやあすかだけ。


 本来はそこまで力を隠すつもりはなかった。

 しかし会長が新人戦でのトトカルチョで一発儲けるために、俺に実力を伏せるように計画をした。

 そこに便乗して俺自身も能力の隠蔽いんぺいに努めた。

 せっかくここまで隠し通したので、どうせなら効果的なタイミングで使いたい。

 そのためにも魔法式なんて分かりやすいものを引っ提げたくない。


 魔法式を隠すのは俺の中で確定だが、周りの注目を浴びることも避けたい。

 ステイツにいた頃、怪我をしてからの出勤初日は、同僚達からもてはやされたものだ。

 それはニホンの高校でも変わらないはず。

 エージェントとして好ましくないことだし、そもそも周りから気づかわれるのは苦手だ。


 しかも包帯を長く続けると、周りから不自然に思われてしまう。

 由樹から借りた漫画にあった中二病とか呼ばれる痛い奴だな。


 勉強机の引き出しを開けて、以前買っておいた肌色のテーピングテープを取り出した。

 1人で利き腕にテーピングするのは慣れないと大変。

 しかしこれまでにも訓練時に腕を痛めない目的や、捻挫ねんざをした際に補強のために何度も使ったことがある。

 久しぶりの作業でも数分で手早く済ませた。

 右腕の肘より先は一通りテープでおおった。


 さすがに二の腕に巻くのには無理がある。

 夏ではあるが、手首まである袖のシャツの上からさらに学校指定のジャケットを羽織ってできる限り腕を隠した。

 教室や寮はクーラーで良く冷えているので、長袖は珍しくない。

 屋外ではジャケットを右腕で持てば、自然な演出になる。


 いつまでも隠し続けることは難しいので、接点の多い生徒会のメンバーにはいずれ説明する必要があるかもしれないな。


 そのまま部屋で、朝食代わりにブロック状の栄養補助スナックを食してから登校した。

 特に誰かに呼び止められることもなく、慣れた教室までの道のり進んだ。


 そして今に至る。

 俺が教室のある廊下に着いたのはホームルームの10分前。


 一週間ぶりの教室は、いつもよりも賑わっているように感じる。

 できる限り目立たないよう後ろ側の入り口から静かに入り、自分の座席へと進む。


「おっ、芙蓉。久しぶりだな」


 入学してから使い続けている机に鞄を置いたタイミングで、真後ろの席が割り振られている的場蓮司まとばれんじが声を掛けてきた。

 適当に話を繋ごうと振り向いた俺だったが、言葉が何も出なかった。


 自身の机の上に座る彼の頭には鉢巻を何重にもしたような包帯が巻かれており、さらには左腕が添え木に固定されていた。


「あぁ、これか。周りを見てみ」


 蓮司は怪我をしているであろう左手を無造作に振り上げて、俺の視線を教室全体へと誘導させた。

 彼に促されて室内を見渡したら、1週間空けただけなのにとてつもない変貌を遂げていた。


 クラス全員が包帯まみれ。

 みんな体のどこかに包帯が巻かれている。

 はっきり言って、俺がテーピングをしているかどうかなど些細なことでしかない。


 自分のことばかりで、視野が狭くなってしまっていたようだ。

 変化はあっても、誰1人として害意を放っていないので、俺の警戒網に引っかからなかった。


 それにしても蓮司を含め、全員怪我をしているのにとても胡散臭く見えてしまう。

 クラスメイト達の表情は明るく、動きも活発。

 負傷をしている連中なんて、前線でこれまでに何度も見てきたが、記憶のどれとも一致しない。


 俺が疑問を口にしなくても、蓮司が説明を始めてくれた。


「今週は2年生の課外実習で先生達の大半が空けていて、変則的なカリキュラムになっている。そこで昨日は校長から直接指導を受けることになった。午後の実技では全員参加で筋トレやら組手やら体力作りを延々とさせられた。そのせいでほぼ全員が生傷を負った」


 東高では各クラスに基本の時間割が決まっているが、実習のスケジュール等で変更になることが頻繁ひんぱんにある。


 校長といえば、入学式で軍事教官のような口調で熱く語っていた男だな。

 教育熱心で、時間さえあればランキング戦を覗きに来るし、今でも直接学生に指導することもある。

 一方で趣味丸出しの学園紹介のポスターを作ろうとした変わった一面もある。

 会長様と共通する暴走属性という点でも危険人物だ。


 私見だが、彼の今回の指導の方針は悪くない。

 世間的に魔法使いは、フィジカルが弱いと思われているが、実際は異なる。

 競争の激しい業界なので、肉体面に不安があると、それだけで廃業になりかねない。


 さらに東高では魔法使い同士の決闘や対魔獣戦を想定することが多いので、遠距離タイプだとしても最低限の身のこなしが求められている。

 それにしても組手程度では教室に怪我人が多すぎる。


 骨折以上は無理だとしても、打撲や捻挫、切り傷程度ならば魔法で癒すことができる。

 一般的に水と風属性は身体の状態を整え、火と土属性は自然治癒力を高める。

 特に付与魔法を得意とするクラスメイトの野々村芽衣ののむらめいならば、十数分で傷跡が分からないくらいまで回復させられる。

 ちなみに会長が俺の右腕の骨まで達した刺し傷を癒した瞬間回復はとても珍しい魔法で、おそらくいずれかの指輪の騎士の能力なのだろう。


「校長の指示で魔法での回復を禁止されている。どうも時間経過と共に自然治癒させた方がトレーニングの効果が増すそうだ」


 聞いたことのある話だな。

 ひと昔前には、魔力による回復は肉体に負担を強いるという説があった。

 その根拠として、スポーツ選手のケアに魔法を用いた場合とそうでない場合で、統計学的な検定によって後者の方が、有意に筋肉量が増大していたという報告がいくつもあったからだ。

 そもそも筋肉を肥大化させるためには、運動によって高負荷を加えて損傷を引き起こし、その反動を利用する。

 しかし魔法的に回復させてしまうと、せっかくの損傷まで取り除いてしまうので、筋肥大を引き起こすことができない。


 ステイツの軍の訓練に合流したときも、生傷は救急キットで処置するのが当然のことだった。

 まぁ、あれは苦痛耐性を鍛えるという側面もある。

 それに痛みをすぐに取り除いてしまうと、危険に対して鈍感になってしまう。


 校長の方針は理解できたが、それでも目の前の現状を説明しきれていない。

 蓮司の額と左腕の包帯が本物ならば、自然治癒に任せるようなレベルではないし、そもそも俺の見立てでは彼は怪我をしていない。


「昨日の実技演習後の教室で、医務室でもらってきた絆創膏や包帯を使ってクラスメイト同士で治療をしていたら、なぜか生傷自慢が始まって、いつの間にか他のクラスにも波及した。さらに今日は包帯を使った仮装をして登校しようという催しが1年生の間で決まった」


 蓮司は丁寧に説明してくれているはずなのに、経緯がまったく理解できない。

 怪我に浮かれて、仮装大会って、謎すぎる。

 東高はエリート校のはずなのに、魔法以外に関してはポンコツなのか。

 それともたった3カ月やりたい放題の会長様に毒されてしまったか。


 蓮司は馬鹿馬鹿しいと口にしながらも、律儀に級友達に合わせている。

 そうなると2か所の怪我は、彼らしい無難な仕上げだと思える。


 改めてクラスメイト達へと目を向けてみると、ただの怪我人の仮装ではなく、どことなく遊び心がある。

 もう包帯を使って何かをしているだけで、怪我ですらない人物だっている。


 俺と同じ生徒会役員の橘由佳たちばなゆかは、なぜか自分自身ではななく、2枚の盾を包帯でぐるぐる巻きにしている。

 鞘のない武具を布で隠すような演出は見たことがあるが、盾を隠す必要はあるのだろうか。

 保護すべき刃はないし、シルエットが完全に見えてしまっている。


 小柄な陰陽師の草薙胡桃くさなぎくるみは制服ではなければ、陰陽寮の狩衣かりぎぬでもない。

 従姉の静流先輩の普段着に近い和服を着付けている。

 どこに包帯があるのかと言うと、襷掛たすきがけの腰紐代わりに使われている。

 何もしなければ垂れ下がっているはずの着物の袖に対して、包帯を脇に通して背中で交差させ肩の前で結んである。

 袖口の中は絶対に見えないのだが、ついついその奥へと視線が誘われてしまう。

 肌を少し出しただけなのに、とても魅力的。

 俺はこういう清楚系がワンポイントだけ着飾っているのに弱いので、身を引き締めなければならないな。


 眼鏡と三つ編みのせいから委員長と呼ばれている芽衣は、見ただけではどこにも包帯をしていない。

 しかし会長に匹敵するはずの胸部がいつもより大人しい。

 サラシか。

 軍の女性隊員の中にも、運動の邪魔になるという理由で、きつく締めつけている者がいた。

 芽衣の場合は、想い人の彼の好みに寄せているのだろう。


 イタリーからの留学生であり、同業者でもあるリゼット・ガロリズは左目に白色の眼帯を付けていた。

 包帯は巻いていないが、全てが白で統一されている。

 もともと色白の肌と、光の具合によっては銀色にも見える白髪があるのに、シャツとスカートすらも白色。

 一言に白と口にしてもそれぞれの質感は異なり、コントラストはしっかり残っている。

 シンプルな服装なだけにとても不気味であり、寡黙な性格も重なって、まるで生気の抜けた幽霊のようだ。


 会長の突拍子もない行動が目立つ東高だが、クラスメイト達だって負けていない。

 他にもおかしな格好をした同級生がいるが、大体俺の周辺の人物達はこんなところだろうか。


 そういえばもう1人のルームメイト、冴島由樹さえじまよしきの姿がない。

 寮の部屋にはいなかった彼だが、本日は欠席だろうか。

 俺の場合は会長に絡まれて席を外すことが多いが、東高では既定のカリキュラム以外でも単位を得ることができるので、クラス全員が揃うことの方が稀だ。


 さて、ホームルームを知らせる合図は特にないがもう時間を過ぎている。

 しかし教室のお祭り騒ぎは収まらない。


 魔法使いの卵と言っても、大半が15歳なので、気を引き締める者が必要。

 だけどうちの担任の後藤健二ごとうけんじ先生も副担任の名瀬深雪なせみゆきちゃんも現れない。


 蓮司の話によると、2年生の実習で教員不足だそうだが、どうやらまだ続いているようだ。

 ならば本日は昨日に引き続き、校長が指導する筋トレや組手に参加させられるのだろうか。

 体を動かすことは得意だが、せっかく久しぶりの登校なので、勉学に時間を割きたかった。


 喧騒の中、教室に入って来たのは白い奴。


 白色の根源は大量の包帯。

 全身が包帯巻きの人間大の物体が床にいた。


 まるで蝶の幼虫のように、それは腹部を曲げて伸ばしてを繰り返しながら前進している。

 事情を知らない者が目の当たりにしたならば、中身が人なのかどうかすら疑うだろう。

 だけどクラス全員がすぐに理解した。


 できれば知らないフリをしたいのだが、仕方なしに蓮司と俺が迎えに行く。

 蓮司はいち早く地面をう彼を尋問した。


「由樹、何がしたかったんだ?」

「ハぅ、ハゥ、Sg〇&ポ>×@Kの#!」


 包帯が口の動きを邪魔しているし、音も中でこもっており、何を言っているのか聞き取ることができない。

 少なくとも声色から中身が由樹なのは確定した。

 今回の仮装選手権は、シンプルなアプローチでありながらインパクトを残した由樹の優勝で決まりかな。

 登場したタイミングも狙ってのことだろう。


 ところでどうやって自分で全身に包帯を巻いたのだろうか。


『ド、ミ、ソ、ド』


 Cのメジャーコードが教室に鳴り響く。

 珍しく校内放送だ。


『えー、てすてす。私がいない間に面白そうなことになっているじゃないの』


 放送室から流れるのは会長様の声。

 そういえば2年生や先生達の大半が不在だったな。

 しかし彼女は先日まで、俺と共に沙耶ちゃんの保護のために奔走していた。

 1人だけ課外実習に置いてきぼりにされたのか。

 会長ならばリルの背中に乗るなり、転移魔法を使うなりして合流できると思うが、そのつもりはないようだ。


 会長が東高にいること自体は在学生なのだから当たり前の事。

 しかし問題なのは、凛花先輩や2年生の風紀委員長、後藤先生がいないと彼女に苦言を呈する人物が誰もいない。

 残る希望として思い浮かぶのは、校長くらいだろうか。

 まぁ、止めたところで、止まらないのが彼女の魅力でもあるのだが。


 それにしても寝坊癖のある会長が、この朝のホームルームのタイミングで仕掛けてくるとは。

 イベントごとに対する嗅覚は、さすがと言うしかない。


 全校生が興味と不安を抱く中で、会長様が宣言した。


『という訳で“ミイラ取りがミイラになるゲーム”を始めるよ!』


『ド、ソ、ミ、ド』


 放送終了の合図。

 唐突にルール不明の謎なゲームが始まった。


 嵐が過ぎ去った後のクラスはとても静かだった。


『ド、ミ、ソ、ド』


 再び校内放送。

 いつもだと凛花先輩の訂正が入るのがお馴染みなのだが、本日はブレーキ役の副会長は不在。


 再び話し出すのはもちろん会長様。


『今日は凛花がいないから、司会も運営も私がやらなきゃね。みんなはニンゲンの状態からスタートよ。ニンゲンはミイラによって、体のどこかに包帯を巻かれた時点でミイラになる。制限時間は正午までの約3時間。校内にいる1年生は全員強制参加で、3年生は自由参加ね。攻撃魔法と武器の使用は禁止。移動補助や探知、捕縛系の魔法は使ってもいいよ。戦場は学校の敷地全てで、3年の教室は除外ね』


 どうやら嵐の中に突入するのはこれからのようだ。

 簡単に整理すると、itがどんどん増えていく鬼ごっこtagという感じだな。

 しかし足の速さだけで勝負が決まるような単純なゲームではない。

 ミイラは時間と共に増殖するし、障害物の多い校内で、しかもタッチではなく包帯を巻くというルールは戦略の余地を生み出す。


『終了時にニンゲンの状態で生き延びた学生全員に報酬があるよ。単位1つ、もしくは部費の大幅アップ、それとも学食10回分の無料券の好きなものをどれでも用意するわ」


 かなりの大盤振る舞いだが、浪費癖のある会長にそんな余裕があるのだろうか。


『今回の協賛スポンサーは校長よ』

『生徒達。競え! 遊べ! 勝利を掴み取れー!』


 今の東高で唯一会長を止められる人物かと期待していた校長だが、そちら側の人間だったか。


『校長の協力のおかげで、ニンゲンかミイラかの判定は学生証に表示されるよ。あとニンゲンの残り人数も確認できるわ。参加希望の3年生は今すぐに学生証を起動させてね』


 校内のサーバーに接続されている携帯端末の学生証を立ち上げると、ホーム画面に“ニンゲン”と表示された。

 さらに現時点では参加人数が反映される残りのニンゲンは400を超え、まだ増えており500に届きそうだ。

 1年生は300人程度なので、3年の半分以上が参戦するようだ。

 会長や凛花先輩に限らず、この学園の生徒は血の気が多い。


『今現在見えるところに包帯を巻いている人はすぐに外してね。他にも、ミイラになったのに包帯を巻かずに、ニンゲンの振りをするゾンビ行為は駄目よ。もちろん逆も禁止ね』


 ミイラによるゾンビ行為って意味不明だな。

 サバイバル演習などでよく使うゾンビ行為だと、戦死判定されたのに戦い続けること。

 会長が言いたいのは、役割の偽造行為禁止ということだな。


『残り時間が30分になったら私もミイラ役として参戦するからね。ちなみにニンゲン側が1人でも残った場合は、私以外のミイラは全員校内10周のペナルティよ』


 校内10周って。

 全寮制であり、9つの演習場を有する東高の敷地面積は尋常じゃない。

 一応住所はトウキョウ都になっているが、かなり端の方。


 俺は朝の運動で外周を走ることもあるが、調子が良い時でどうにか20分を切れる

 概算だが10周だと、フルマラソンに届きそうな距離だな。

 その辺の連中よりは鍛えている俺でも、コンディションを整えてから挑まなければ、踏破できない。


 それにしても褒美をちらつかせて参加者をつのった後に、罰を発表するのは悪質な手口だな。

 もちろん今更になって、参加取り消しができるとは思えない。


『そろそろ始めよっか。1体目のミイラは1年2組の教室に放ったわ!』


 1体目のミイラって……


 俺の足元にいた幼虫が羽化を始める。

 ぐるぐる巻きになっていた包帯が一気に緩んで、中身が飛び出した。


「お前ら全員フルマラソンの道連れだぁ!」


 包帯の中にいた由樹は、さらに全身包帯のミイラ男の姿。

 おそらくこちらが彼自身による仮装で、先ほどまでのイモムシ状態は会長様の作品か。


 それにしてもゲーム開始時点でミイラ状態の彼は、すでに校内10周が決まっている。

 なんとも不運なことだろうか。

 教室に辿り着く前に会長と出会ってしまった彼の不幸には、少し同情したくなる。


 だからと言って、道連れになるつもりはない。


 ***


 ゲーム開始から2時間半。

 そろそろ会長が参戦する時間が近づいている。


 最初にミイラが発生した1年2組は最も被害が大きく、おそらく俺以外は誰も生き残っていない。


 由樹は真っ先に近くにいたルームメイトの俺達を道連れにしようとした。

 しかし俺はもちろんのこと、ここ2カ月格闘技に磨きを掛けている蓮司も回避に成功した。


 全員が教室からの脱出を試みようとしたが、敵は由樹だけではなかった。

 彼に猛プッシュしている芽衣が、自ら2体目のミイラになったのだ。


 今年の新人王になった彼女だが、4元素全ての付与魔法を扱うサポートタイプ。

 しかしそれだけにとどまらない。

 能力の正体は未だに分からないが、不可視の攻撃と、敵を弱体化させるデバフ系の魔法を持っている。


 彼女の参戦によって、ミイラ以外の同級生全員の動きが一気に鈍った。

 さらに不可視の物体によって、2つある教室の出入り口を塞がれた。


 俺はちょうど先週、会長と共に飛び降りた窓ガラスから、再び脱出することに成功した。

 そのすぐ後に生徒会メンバーの蓮司、由佳、胡桃そしてリズが飛び出したが、他に続く者は誰もいなかった。


 しかし屋外に出ても安全は保障されていなかった。

 むしろ由樹相手に障害物の少ない空間でスピード戦など馬鹿げている。

 スカイボードに乗って追いかけてきた彼の姿を視認した俺はすぐに校舎の中へと戻った。


 速さを武器にする由樹だが、特筆すべきは最高速度ではない。

 加速と減速を瞬時に切り替える敏捷性びんしょうせいこそが、彼の持ち味。


 最後を目届けてはいないが、他の連中は無事では済まなかったはず。

 全員の手札を把握している訳ではないが、由樹と芽衣のコンビの方に分がある。


 2組最強のリズもいたが、彼女が得意とするのは1対1での正面突破。

 しかし武器を封じられた状態で囲まれてはミイラの仲間入りは避けられない。


 1年2組の教室から始まったこのゲームだが、多くの生徒が爆心地からいち早く逃げ出し、戦場は東高の敷地のいたる所へと拡散した。

 校舎に戻った俺はとりあえず、屋上に出て状況を静観することにした。


 正午まで生き延びた場合の報酬はとても魅力的だし、フルマラソンは回避したいが、目立つことは避けなければならない。

 10人程度の生き残りの中に入るくらいならば、ミイラ側になって罰を受けるつもり。


 魔力を溜め込むことのできない俺の体質だが、魔力に対する探知に引っ掛からないという利点がある。

 この屋上にもミイラ役が何度かやって来たが、気配を消すだけでやり過ごしている。


 学生証には残りのニンゲンの数がリアルタイムで更新されている。

 最初は急激に増えていったミイラだが、さすがは東高というべきか、終盤のこの局面で57人も生き残っている。

 おそらくほとんどが実力に自信のある3年生なのだろう。

 このまま終わるならばニンゲンのままいたいが、20人のラインを切った辺りで、ミイラとの接触を試みる予定。

 逃げ場のない屋上というのは、捕まる口実としても悪くない。


 見極めるべきは会長がどこまで本気を見せるのかだ。

 探知や瞬間移動といった、このゲームで有利な能力を持つ彼女が実力を発揮すれば、ニンゲン側の全滅は必至。

 しかし催しの発案者が、そんな興醒めなことをするとも思えない。

 せいぜい身体強化程度だと予想しているのだが、我慢が苦手で気が変わることの多い彼女のことはあまり信用できない。

 自分で決めた行動開始までの待ち時間の間に、飽きてしまって一気に勝負を決めにくるパターンだって十分に考えられる。


 スマートフォンの時計を確認すると、11時29分。

 ここからはニンゲンがミイラになる推移と残り時間をこまめに確認する必要がある。


 11時30分。

 刻みはなく、いきなり残りが49人になった。

 偶然8人同時にミイラになった可能性もあるが、会長が何かを仕掛けたと考えた方がもっともらしい。

 ここまで生き延びた猛者が急に減るような変化は彼女の参戦以外ありえない。

 本気のパターンだったか。


 さてこのままニンゲンの数が順調に減るならば、早めにミイラにならなければ。

 報酬の権利を手放すのは残念でもあるが、そろそろ適当に誰かに見つかるとしようか。

 ミイラならば捕まればいいし、ニンゲンだとしても行動を共にすればすぐに他のミイラが寄って来るだろう。


 移動するために立ち上がるが、その先の一歩を踏み出すことはなかった。

 こちらから動く前に、ちょうど向こう側からやって来た。


 風と共に、見知った顔が屋上に着地する。


従兄ふようも無事だったか」


 俺と似た顔のパーツなのに、なぜかイケメンともてはやされている男。

 銀縁メガネにキリっとした顔立ちは知的な印象だけど、中身は強さに貪欲でとても真っ直ぐ。


 高宮飛鳥。

 俺の従弟。

 包帯は巻いておらず、まだニンゲンとして生き残っていたようだ。


 飛鳥は4元素魔法全てを高いレベルで修得しており、上級魔法すらも軽々と発動できる。

 さらに平時でも凛花先輩やリズを上回る魔力を持つ彼だが、高宮の秘術“神降ろし”によって富士の霊脈にアクセスすることで、いくらでも魔力を汲み上げることができる

 そんな彼だが、新人戦以降あまり目立った活躍をしていない。

 ランキング戦では、ただ勝って順位を上げることよりも、様々な戦闘スタイルを試しているようだ。

 以前と違って実戦をとても意識するようになり、苦手としていた近接戦や心理戦にもしっかりと向き合っている。

 今の彼はどんな場面でも、安定して結果を出せる万能な魔法使いになりつつある。


 高宮の聖域で初めて直接対決したときは、新人戦からの変貌ぶりに驚かされた。

 ちなみにあの時の勝敗は、互いに勝ちを主張しており平行線のままだ。

 それでも飛鳥は“神降ろし”を使っていなければ、俺も“魔法狩り”を発動していない。


 魔力の多い飛鳥えものを目指して、ミイラの大群が接近してきている。

 俺は適当に捕まって、ゲームから降りるだけだな。

 どうせなら飛鳥も道連れにして、ミイラ側の勝利に貢献したい。


「ここも駄目か。ほら、逃げるぞ」


 俺の体質を知る飛鳥は、こちらのジャケットの襟掴んできた。

 そして勝手に風魔法を発動して屋上から飛び降りる。

 身体に触れていなくても、彼の魔法を徐々に分解しているのだが、それに合わせて出力が高められている。


 俺の魔法分解能力は常時発動しており、完全に解除することはできないが、感情を落ち着かせることで効力を抑えられる。

 飛行中に落下されると面倒なので、暴れることなく彼の好きなようにさせる。


 飛鳥は、俺がミイラになるつもりだったことなど、まったく考えもしていないのだろう。

 戦いの本質に向き合うようになった彼だが、自分中心なところだけは治らなかった。


 会長と関わるようになってから、俺はその場に流されやすい人間に変わった気がする。

 エージェントとして角が取れたのは悪くないが、戦士としてはどうなのだろうか。


 俺のことを掴んだまま滑空した飛鳥は、広い芝生の上へと着地した。

 視界が広く、遮蔽物は少ない。


 残り20分のこの場面で、飛鳥はもう隠れることを止めて勝負に出るつもりのようだ。

 たとえミイラに見つかったとしても、まだゲームオーバーではない。

 体のどこかに包帯を巻かれることがなければ良いのだ。


 攻撃魔法を使えなくても、対処の方法などいくらでもある。


「お前ならついてこられるだろ」


 挑発にも似た飛鳥の言葉で、俺の中でカチっと方針が変わるスイッチが押された。

 何が何でも彼を道連れにする。

 俺がわざとミイラになって、飛鳥だけがニンゲンとして生き残る結末は納得がいかない。


 地上にいたミイラが、空から舞い降りた俺達へと群がってくる。

 フルマラソン回避のために、奴らは必至の形相。


 飛鳥の実力は東高でもよく知られていることもあって、最初に接敵した名も知らぬミイラは迷わず俺を選んで飛び込んで来た。

 タックルに対して、低い姿勢からボディアッパーをお見舞いする。

 飛行の際に飛鳥から魔力を補充できたので、軽く打ってもヘビー級プロボクサー並みの威力。

 宙に吹き飛んだミイラは地面に落ちて、そのままKO。


 攻撃魔法は禁止と言われているが、殴っていけないとは言われていない。

 暴力反対だって?

 まずはうちの会長様に言ってくれ。


 その後も次から次へとミイラがやって来る。

 完全に1対多数の組手状態。

 しかも校長による集中訓練の影響なのか、ミイラの中に武道の基礎がしっかりとできている連中が多く混ざっている。


 本来ならば多勢に無勢ですぐにこちらが折れるのだが、身体強化が徐々に増して、どんどんエンジンが掛かっている。

 どうやら何人かが束縛系の魔法を試しているようだが、俺にとっては魔力を補充させてもらっているようなもの。

 常識的には1度通用しなかった戦略は諦めるのものだが、乱戦のこの状況で敵に俯瞰的ふかんてきな視点を持つ指揮官はいない。

 何よりも残りの制限時間でニンゲンを狩り尽くすことに必死で、誰もが冷静ではない。


 飛鳥の方も土の壁を創造したり、煙幕を放ったりして、上手くミイラ達を捌いている。

 どうにか彼の足を引っ張ってやりたいが、次から次とミイラが邪魔してくるので、なかなか対処できない。


 倒しても倒しても、騒ぎを聞きつけて次々にミイラの増援がやって来る。

 そんな中、ちらりと確認した学生証には2という絶望的な数字が表示されていた。

 それが意味するのは、残る生存者が飛鳥と俺だけ。


 フルマラソン回避と単位という報酬に目が眩んで、両方にBETしたことが間違いだった。

 こんな状況になるならば、さっさとミイラになっておけば、悪目立ちをせずに済んだのに。


「芙蓉! このまま生き残って、高宮2人で栄光を掴もう」


 飛鳥は相変わらず熱いなぁ。

 すでに目立ってしまっているならばいっその事、彼の提案に乗るのも悪くないかもしれない。

 飛鳥のおかげで生き延びることができたと喧伝けんでんするか。

 しかしそれはこれから訪れるであろう厄災を乗り越えられたらの話だ。


 ミイラ達の群れの一角を押しのけて、猛烈な勢いで、彼女と一匹がやって来た。

 せっかくの毛並みが包帯でぺちゃんこになってしまっているのは、会長のペットのリル。

 そして愛犬というか、愛狼あいろうまたがる彼女は、顔以外全てを包帯で包んだミイラ女。

 服を着ているのか疑いたくなるほど、はっきりとした凹凸が見える。

 彼女らは仲間のミイラ達を吹き飛ばしたり、踏みつけたりして、こちらへと接近して来る。


「さぁ、最後のニンゲンを狩るのは、もちろんチャーミングな会長ミイラよ」


 自分でチャーミングとか言ってしまうところが、彼女らしく自意識過剰を通り越して惚れ惚れする。

 女帝が登場してしまったからには、ただ包帯を巻かれて終わりなどという、緩い結末などは考えられない。


「おい芙蓉! あれはお前の彼女だろ。どうにかしろ!」

「ちげーよ!」


「そうなのか!?」

「まさか陽菜ひなに言っていないだろうなぁ」


 飛鳥にそんな風に見られていたとは思わなかった。

 彼の心証はどうでも構わないが、従妹いもうとに余計なことは吹き込んで欲しくない。

 どうすれば空気を読めない飛鳥の口を塞ぐことができるだろうか。


「ちょっと後輩君くーん。私のことを無視するな!」


 会長の一撃必殺を警戒した俺だったが、彼女は先に邪魔者を退場させる。

 飛鳥の腕を掴むと、一度跳んでから地面へと叩きつける。

 技術云々ではなく、単純なパワーとスピードに圧倒された彼は受け身すら満足にできない。

 行動不能になった飛鳥へとミイラ達がたかっていく。


 南無。

 飛鳥は散ったか。

 これでミイラになった際の、フルマラソン回避への大きな障害が取り除かれた。

 後は適当に会長様のガス抜きに付き合って終わりだな。


 もう他のミイラ達は近寄ってこない。

 会長の戦いに巻き込まれないように、避難している。

 ちなみにリルは綺麗なお座りの姿勢で、彼女の後ろで控えている。


 パンチでも投げでも受ける覚悟で、俺はリラックスした構えをとる。

 ただのゲームにも関わらず、周囲は静まり、緊迫感が漂っている。


 会長はニンゲンに対して包帯を巻くルールなど無視して、右ストレートを繰り出す。

 最初から負けるつもりの俺はガードを作るだけで、捌きや反撃の用意をしない。

 すると衝突の直前で拳は寸止めされた。


「どうして、やられっぱなしでいられるの? 後輩君が本当は凄いことも、あえて実力を隠していることも知っているわ」


 そりゃあそうだ。

 成り行きの上で、会長には手の内をいくつも見せている。

 しかしわざわざ人前で意味もなく本気を振るう必要はない。

 会長に対してだって、同じ技を何度も披露するつもりはない。


「後輩君だって、自分が周りからどんな言われようなのか分かっているでしょ? 私には我慢できないわ!」


 今の俺の校内ランキングは最下位。

 新人戦前に少し頑張ってみたものの、それ以降は不戦敗が続いている。

 しかも魔力が乏しく、格闘頼りなのは一目瞭然いちもくりょうぜん


 一方で生徒会庶務として奔走しており、会長と一緒にいることが多く、どうしても注目を避けられない。

 さらに霊峰でオーガの大群に勝利し、半数が新人戦でも活躍した1年9班の一員。

 他にも同世代トップクラスの飛鳥が一目置いていることだって知れ渡っている。


 人とは自身よりも劣等な相手を決めつけて攻撃する生き物。

 特に実力以上に目立ってしまった人物は対象になりやすい。

 会長や蓮司達に直接言えないひがみでも、俺に対しては平気でさらけ出す。

 さすがに直接的な被害はないが、本当にエリート校なのか品格を疑いたくなる言葉をたびたび耳にする。


 もし俺が魔法使いを志す真っ当な学生ならば潰れていたかもしれないが、愚鈍を演じていられているならば、エージェントとして有利に働くので、言いたい奴には言わせている。

 しかしこの現状が会長様にはお気に召さないようだ。


「私だって生徒会長になるまではランキング戦に出ていなかったけど、わざわざ自らをおとしめることはしていないわ。だから私の後輩君の凄さを、今ここでみんなに見せつけてやるのよ」


 それは、ありがた迷惑としか言いようがない。

 もしかしたら新人戦前に、俺に能力を隠させたことについて、彼女なりに思うところがあるのかもしれない。

 しかし俺自身もそのことを利用して、周りからの評価を下げるようにわざと情報操作をしている。


 衆人環視の下で会長と対等に戦う訳にはいかない。

 どうすれば彼女の気が収まるのだろうか。


 再び会長の右ストレート。

 こちらは先程と同じように見た目だけのガードを作る。

 今後は寸止めではないが、衝突の瞬間に彼女は軌道を修正する。

 ガードの端を掠めるだけで、拳は空を切る。

 これではまるで俺が捌いているように見えてしまう。


 今度は会長が足を曲げて蹴りの溜めを作る。

 同じことをされないように、俺はガードすらしない。

 前脚蹴りが耳の真横を通過する。

 遠目には俺が首を振って回避したような光景。


 まだ会長の攻撃が続く。

 左フックに対して、俺はあえてぶつかりに行く。

 ダミーで用意したガードはわざと前へと逸らして、側頭部で拳を受け止めようとする。

 狙い通り攻撃を受けた俺は、やや大袈裟に横へと飛ぶ。

 しかし会長も逆方向へと吹き飛んだ。

 こちらは何もしていないのに、まるでカウンターを放って相打ちになったような結果。


 はっきり言って茶番だ。

 一見派手に演出しているが、今の会長に戦う気などない。

 こんなことに付き合うつもりはない。

 俺は会長の尻に敷かれる後輩君である方が、何かと動きやすい。


 どうギブアップをすれば良いのか考えを巡らせる。

 他のミイラに捕まるのが楽なのだが、周りは委縮いしゅくしてしまって、戦意を失っている。


 そんな中、会長様は俺にだけ聞こえるように呪文を紡いだ。


「えっと、たしかこんな感じだっけ。『紫苑どけ! 死ぬ覚悟も殺す覚悟も、俺はとっくにできている』だって。もう、後輩君たら~」


 彼女はクスクス笑いながら、聞き覚えのある台詞を口にした。

 あの時は戦闘思考になっていたし、ひっ迫した状況だったので成立した言葉だが、後になって聞かされると完全に失言。

 学園での俺のキャラと合っていない。


「あの、恥ずかしいので止めていただけないでしょうか?」

「拒否する覚悟も言い続ける覚悟も、私はとっくにできているわ!」


 彼女は相変わらず、いい性格をしているな。

 つまり俺が真面目に戦わなければ、先ほどの台詞を言いふらすと、暗におどしてきている。


 てっきり病院での和解で全てが丸く収まったと楽観視していた。

 俺をからかうだけならまだしも、交渉材料として今後も使い続けるならばかなり厄介。


 覚悟を決めるしかないな。


 左腕を斜め上、右手を斜め下へと大きく広げる柔術の構え。

 長期戦は考えていない。

 打撃は捨て、次で勝負に出る。

 会長の方も、俺がギアを入れ替えたのを見て、気を引き締める。


 この戦いで初めて俺の方から仕掛ける。

 組み伏せるための構えを維持したまま、地面擦れ擦れの低いステップで前進する。

 先に出した俺の左腕に対して、会長は掌底で迎撃する。

 しかし本命は下からの右腕。


 会長の腰辺りに巻かれた包帯を握り締めると、一度押すことで足元を崩してから、すぐに手前へと引く。

 俺は自分の体重を真後ろへと倒して背中から地面にダイブする。

 もちろん組んだままの会長も一緒に倒れ込む。

 仰向けになった俺の上に、彼女が馬乗りになる形。


「ちょっと後輩君!? みんなの目があるのよ。もちろん嬉しくないこともないけど。初めてはベッドの上で……」


 一体何を勘違いしているのだろうか。

 俺の上であたふたする会長の背中を、両腕で抱きしめて引き寄せる。

 間髪入れずに、彼女の耳元へと口を近づける。


「みんなに実力を見せる必要はありませんよ。会長だけが知っていてくれれば、それだけで十分です……あなたと一緒の毎日はとても刺激的で、雑音に耳を傾ける余裕なんて、俺にはありません」


 たまにはこのくらいのリップサービスをしても悪くないだろう。

 柄でもない台詞だが、決して本心を偽ってはいない。


 耳元を赤くしている会長のことは置いておいて、彼女の手に巻かれた包帯の一部を掴んで、自身の手首へと巻きつける。


 このゲームの敗北条件は、殴られることではなければ、気絶することでもない。

 ミイラになること。

 まぁ俺が最後の生き残りだったから、褒美もなければ、ペナルティのフルマラソンも回避だな。


「後輩君のくせに、お姉さんに楯突たてつくなんて、生意気よ!」


 言葉のわりに、あまり怒っているようには見えない。


 会長がまだ何か口にしているが、聞く耳を持たない。

 久しぶりの登校だと言うのに、どっと疲れた。


「そこまで!」


 校長の声が鳴り響く。

 彼はわざわざ最後の戦いの場に立ち合っていた。


 何はともあれ、ミイラ側での勝利で終わったか。


「よっしゃー!」


 少し離れた位置から、会長が現れるまで健闘していた飛鳥の歓喜。

 俺の視界に入った学生証には、1の数字が表示されていた。

 もちろん俺は制限時間内に捕まった。

 そういえば飛鳥が会長によって地面に叩きつけられるのを確認したが、ミイラになるまで見届けていない。

 つまり数字が意味することは……


 会長の暴力を受けた彼だったが、どうやら孤軍奮闘してニンゲンのまま生き延びたようだ。

 謀略を張り巡らせるよりも、彼のように真っ直ぐな人間の方が、意外と最後には棚から牡丹餅を引き寄せるのかもしれない。


 そしてゲーム終了の合図だけで、校長の台詞は終わらなかった。


「ミイラ役の生徒達は1時間後に校庭に集合せよ!」


 彼は有言実行の人物だった。


 午前中にあれだけ激しく動いたのに、昼食後には校内10周のフルマラソンを走らされた。

 ちなみに周回遅れの最後尾の学生はリルに追い回されていた。

 それでも夕暮れまでに全員完走したのは、さすが東高だと評価せずにはいられない。


 1人生き残ったニンゲンの飛鳥は褒美の代わりに、ミイラ役でありながらペナルティから除外されている会長へと試合を申し込んだ。

 しかし間の悪いことに、自ら決めたルールで遊び相手を失った彼女は不機嫌だった。

 飛鳥は自分が負けた記憶すら残らない早さで、気絶させられた。


 ちなみに今回のイベントで使われた大量の包帯は生徒会予算で執行されており、課外実習から帰ってきた凛花先輩によって、会長様はこってりと絞られた。


 結局このゲームで得をした人物はいたのだろうか。


 ***

『あとがき』

4章SS初回はコメディでした。


未だに出番のない風紀委員長ですが、3章長編では3年生で、SSでは2年生の設定になっておりました。

指摘される前に2年生に統一しました。


次回は少し遡って、蓮司視点で校長の授業を描きます。

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