13 精霊狩り
『あらすじ』
子供達を救出
沙耶が暴走して精霊を召喚
芙蓉が紫苑を
***
俺は残りの力を全て振り絞って彼女に
理性も、感情も俺の身を差し出してでも彼女を守ることを選んだのだ。
方針で対立していたとはいえ、俺にとって最も大事なのは紫苑の身の安全。
俺の背中へと大剣が振り下ろされる。
体格差でも、魔力の差でも防ぐことはできないと理解している。
それでも条件反射によって右腕でブロックを作る。
迫りくる大剣によって押しつぶされるその瞬間まで、はっきりと認識していた。
視界が暗転したはずなのに、大剣と接触した手応えがなかった。
精霊が手にしていた得物は、奴が狙った軌道通りに地面までしっかりと振り切れていたが、俺達2人は無事だった。
見上げると俺と紫苑がいる場所だけ、大剣の刃が酸で溶かしたよう空洞になっていた。
最初は紫苑が何かをしたのかと思ったが、すぐにそれが違うことを知ることになる。
『
頭の中で不快な声が響き渡る。
そしてジャケットの右袖が消失しており、
状況からして、“魔法狩り”が発動しているようだ。
しかし本来ならば、この固有魔法の発動条件はとても厳しい。
必要な魔力量は紫苑との戦いで満たしていたが、もうひとつ、他人の血液を摂取する必要があった。
両者を満たしたとしても、かなり集中しないと解放できない力。
『さぁ、生贄を喰ラウぞ』
腕の変化だけでなく、脳内でノイズがはっきりと鳴っている。
右腕が空気中の原子を完全に分解して、魔力へと還元し続けている。
試しに足元の石を拾おうとするが、指が触れた場所が欠けた。
この術は魔法だろうが物質だろうが、何もかもを分解してエネルギーとして取り込む。
俺自身には触れた感覚はまったくなく、右腕が通過した場所の質量体を無条件にE=MC^2に相当する変換を行う。
魔法狩りを発動している間は、分解速度と吸収できる魔力の上限が無くなるので、物質に対してだけでなく、対魔法性能も増大している。
精霊と対峙するために、体を起こして立ち上がると、少し
魔法狩りのおかげでブーストされた魔力で傷口は塞がっているが、血を流し過ぎたようだ。
これまでとは違う格闘スタイルへと切り替える。
右腕を正面に伸ばしたサウスポーの構え。
魔法狩り専用のフォーム。
この状態に達したら、自身の肉体に触れないように気を付ける必要がある。
以前自分の髪や、爪の端で試してみたことがあるが、見事に分解された。
それ以上の検証はしていないが、この右腕は俺自身も分解する危険な力。
精霊側もターゲットを紫苑から俺へと切り替えて、得物を構え直す。
その刃は魔法狩りによって、削られた穴がそのまま残されており、回復する気配がない。
まるで“精霊殺しの剣”で傷つけられたときと似た現象だ。
魔力を補充して修復するつもりがないのか、それとも直すことができないのか。
もしかしたら俺に余計な魔力を与えない作戦なのかもしれない。
いづれにしても、この能力が最後の頼みの綱。
なぜ魔法狩りが発動したのか分からないままだが、これが通じなければ、いよいよ尻尾を撒いて逃げ出すしかない。
精霊は大剣を一度引き下げると、大きく外側から横薙ぎのモーションに入る。
こちらの右腕を警戒しているのか、左側から迫り来る。
あえて足を止め、腰を低くして衝撃に備える。
倍以上の背丈がある精霊が繰り出す全力の水平切りに対して、左腕だけで対処する。
衝撃の大半は下半身から地面へと流し、刃先を強化した左手で握る。
魔法狩りの恩恵を受けているのは右腕だけじゃない。
他の部分の分解能力は変わらないが、吸収した魔力は全身へと供給され、身体強化がフルブーストになっている。
左半身を狙うのは悪くないが、それは能力が発動した直後でなければあまり意味がない。
いくら筋力や運動能力を高めても、体重ばかりは変えられない。
奴が剣を上下に揺さぶるのに対して、俺は膝を上下させて地面に足を貼り付かせる。
綱引きに応じながらも、次はこちらから主導権を握りにいく。
互いが握る大剣を介して何度かの小手調べを繰り広げながら、奴の重心が低くなったタイミングを狙って、剣を急激に後ろへと引っ張る。
変化の対応に遅れた精霊は前に倒れ込みそうになるが、すぐに態勢を整える。
そのごく僅かな間に、右腕を突き出したまま飛び込む。
対する精霊も俺のことを頭上から押し潰そうと、腕を出して今度は自らの意思で前へと倒れ始める。
しかし競り合いは起きない。
これは戦いではなく、一方的な狩り。
奴の腕をごっそりと削りとる。
実際に分解したのは右腕が通過した場所だけだが、風穴の空いた腕では、俺を押し潰すことはできなかった。
正面衝突の結果を目の当たりにして、距離を取ろうとする精霊に対して、俺は迷わず飛び跳ねて奴の左肩を落とす。
魔力で作られた奴の肉体だが、実体とさして変わらないほどの強度があった。
だけど俺の右腕には触れた感触すら残らない。
もう目の前の精霊に脅威を感じない。
俺に奪われた肉体を補充するために精霊は魔力を呼び込む。
沙耶をゲートにして、異世界からエネルギーが供給される。
しかし魔力が増しても、奴の失った腕や肩、そして大剣が再生されることはなかった。
理由は分からないが、畳みかけるチャンス。
さらにものの数秒で精霊の足を
拍子抜けするほど簡単なことだったが、こちら側にも決して余裕はない。
魔法狩りの持続時間が分からないのだ。
いつもならば吸った血の量にある程度依存する。
ちなみに同じ人間の血だと抗体ができてしまうのか、3カ月ほど間隔を空けないとすぐに術が解けてしまう。
そして解除は予兆がなく唐突に訪れる。
今回は発動したきっかけが分からないので、いつ終わりが来るのか気が気でない。
足を失い倒れた奴の身体を力尽くで抑え込む。
精霊の胸元を、強化した左腕と地面で挟む。
そして異界の住人の素顔を隠していた仮面を溶かす。
その先にある表情を確認することなく、頭部を全て蒸発させる。
「俺に分解できない
精霊の残った体の断片は意思を失ったただの肉塊になり、もう動くことはなかった。
これも貴重なサンプルなのだが、回収するのは手間だし、後から再生されては困る。
歩き回って、塵一つ残らないように周辺の地面も含め、完全に分解する。
時間としては1分も要さなかった。
これでこちら側の世界に顕れた精霊は完全に消えた。
後は沙耶を落ち着かせるだけ。
そちらはもう紫苑が対処していた。
精霊がいない以上、俺達が争う必要はもうない。
沙耶を抱えたまま、戦いを終えた俺へと近づいて来る。
力の残っていなかった彼女だが、小さな女の子を抱えるくらいのことはできる。
そして俺に告げた。
「……死んでいる」
そうか。
救えなかったのか。
もちろん死んで欲しいとは思っていなかった。
ただ優先順位として、紫苑、そして俺自身を上へと置いただけのことだ。
あまりのことに感情が麻痺しているのか、紫苑の口調はとても平淡だった。
彼女にとっては初めてのことなのだろう。
しかし魔法使いとして仕事をしていれば、関わった人の死は避けて通れない。
一段落した今なら感傷に浸ってもいいが、これで戻って来られなければ絶対強者はその程度の存在に過ぎない。
しかし呆然としている彼女に涙はなく、その腕の中にいる少女はゆっくりとだが胸元を上下させている。
勝手な先入観のせいで、彼女の言葉を間違って解釈してしまった。
「精霊が死んでいる。沙耶ちゃんの中には、まだパスが残っているけど、その先に何もいないのよ」
紫苑がでたらめを言っているとは思えない。
てっきりこちらの世界に顕れた仮の肉体を分解しただけだと思っていた。
対峙した精霊からは命懸けのような必死さを感じられなかったのだが、
それより問題なのは、本当に魔法狩りで奴に死を与えたのならば、精霊殺しの剣なんていらない。
俺の右腕は精霊王を殺すことができるのだろうか。
そしてこの魔法式を俺に刻んだ張本人の
世界を変革させる知を持つ彼女は、今どこで何をしているのだろうか。
紫苑の見立てについて真偽は残っているものの、沙耶の危険性はひとまずなくなった。
後は俺の右腕。
浮かび上がった黒い魔法式が未だに巻き付いたままだ。
戦いの最中はいつ解除されるのか気が気でなかった。
しかしいざ済んでみると、解き方が分からない。
普段は時間経過で魔法式が見えなくなるのと同時に効果もなくなるので、自分の意思で止めたことがない。
通常の魔法であれば魔力切れで強制解除されるのだが、魔法狩りは発動に必要な分だけを支払えば、周囲の原子を分解してエネルギーを補充してしまう。
とりあえず万が一の事故が起きないように紫苑らとの距離を保とう。
『足リぬ。前菜程度では、満タサレぬ。早ク、ハヤク! メインディッシュが目の前にあるジャナイか』
頭の中から俺の意思とは異なる声が響く。
精神汚染はこの魔法の大きな欠点。
危ないものだと感じてはいるものの、切り札として頼るしかなかったし、これまで実害はひとつもなかった。
『メインディッシュ』などと何かを欲しているようだが、脅威だった精霊はすでに排除してある。
しかし嫌な予感が収まらない。
『もう待テぬ。ワレがヤる』
異変はすぐに自覚できた
右の肩から先が動かない。
腕の向きも、指先も俺の意思を受け付けない。
そして勝手に、沙耶を抱える紫苑へと向きだす。
これは
少し想像力を働かせれば、何が起こるのか推察できる。
磁力のような力で腕だけが彼女へと引き寄せられる。
すぐに下半身の踏ん張りを効かせて、腕に加わる引力に逆らう。
「紫苑! ……逃げろ」
しかし紫苑はその場を動かない。
感情的な彼女の判断が甘いことは知っていたが、護衛の心配をする必要などないのに。
両足だけで耐え続けられるのは時間の問題だと判断した俺は、前に倒れて左手を地面に突いた。
柱が一本増えたことで、馬力が増す。
魔法狩りにより身体強化の恩恵はまだ続いており、体力が持つ限りつり合いを続けられる。
『ワレに逆ラウか』
急に魔力の供給が増した。
空気以外には触れていないはずの右腕が何かを吸っている。
「……ぅぁぁぁ!!」
紫苑が捻り出すような声を上げた。
20メートルは離れているのに、吸収が発動している。
彼女から剥ぎとられた魔力を右腕があっという間に吸い出す。
それでも紫苑から次々とエネルギーが溢れ出る。
彼女に膨大な力があったとしても、このままでは危険だ。
「紫苑! 転移して離れるか。俺の動きを縛ってください」
「無理よ。さっきから魔法を発動しようとしても、すぐに分解されて魔力を吸収されちゃっているわ」
今まで彼女の能力には俺の分解が通用しなかったが、残念なことに、暴走している現状ではこちらの出力の方が上回っているようだ。
「後輩君! 今度、ケーキバイキングに連れて行かないと許さないんだから!」
それくらいで済むならば、いくらでも連れて行ってやる。
いまの紫苑には本当に余裕が見えない。
彼女は魔力を差し出すことに必死でまともに動けていない。
普段の明るい彼女とは違い、隠そうとしている表情の奥に苦痛が浮かび上がっている。
結論を先延ばしにしていたが、よく考えてみれば紫苑の魔力量はあまりにも異常だ。
身の丈に合わない力。
何らかの代償を支払っていたとしてもおかしくない。
『モットだ。まだ喰イ足リぬ』
魔法狩りの暴走が止まらず、離れた位置にいる紫苑の魔力を吸い続けている。
もし彼女の魔力が切れたらどうなるのか考えるのが怖い。
ただ吸収が終わるだけなのか、それとも次は肉を喰らうのか。
未だに左手を突いたままの俺の目に入ったのは、手を伸ばせば届く位置に落ちている精霊殺しの剣。
この右腕を斬り落とせば、暴走は収まるのだろうか。
それとも腕だけになっても、紫苑を襲い続けるのだろうか。
紫苑に甘いと言っておきながら、俺が
彼女は精霊殺しの剣が通常の魔道具とは違い、
試す価値はあるかもしれない。
短剣を逆手に持った俺は、魔法式がざわついている右腕を見据える。
どうせならひと思いに刺してしまいたいが、貴重な武具が完全に分解されるのは、今後のために避けたい。
肘よりも少し上の辺りへと、ゆっくり刃先を当てる。
神器は分解されることなく、魔法式の奥にある俺の肌を傷つける。
つーっと赤い命が流れ出て、その匂いが
魔法狩りに触れているはずなのに、神器どころか俺自身の血液すら分解されていない。
確証はないが、このまま進めば何かが変わる。
短剣をぐりぐりと少しずつ腕の中へと侵入させる。
もちろん痛覚は残っているが、声を上げることはしない。
刃が進むたびに、紫苑から奪う魔力が減弱していることが実感できる。
俺の体力が急激に低下しているからなのか、それとも術を妨害しているのかは分からない。
「止まりや、が、れ」
刃がこれ以上進まない。
どうやら骨まで到達したようだ。
一度引き抜いた短剣を今度は別の場所へと差し込む。
分解されることなく流れ続けている血液が地面を赤く染める。
何度も吐き気が襲い掛かるが、気力で無理矢理ねじ伏せる。
頭が沸騰しそうだが、激痛のせいなのか、不快な声のせいなのか分からない。
今ここで意識を手放す訳にはいかない。
皮肉にも痛みと比例して、魔法狩りの効力が落ちている。
我慢比べがいつまで続くのか見通しが立たなかったが、勝手に動いていた右腕の力が急に抜けた。
『ワレを拒ムか。まだ満タサレぬが、真なる王も未ダに目覚メテいない。本日は終演にスル。しかし忘レルな。ワレは、ソナタ自身の、飢エ』
吸収が止まった。
それと呼応して、紫苑の動きも自由になり、その場で倒れ込んだ。
俺もまともに動くことができず、控えていた警察の保護に甘んじることになった。
こうして1時間にも満たない長い戦いが終わった。
***
『あとがき』
4章長編も残り1話になりました。
忘れられている読者もいるかもしれませんが、芙蓉の能力は、ローズ、春雨、咲夜らが紫苑を完全に葬るために残したものです。
しかしそれは彼の未来を引き換えにする力。
芙蓉のことを息子として愛してしまったローズは計画を変更します。
決着は『終章 裏切りの騎士』にて。
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