11 沙耶

『あらすじ』

テトラド司祭の佐参を味方に

沙耶ちゃんは精霊と繋げられている

主任研究員を殺害

 ***


 警察による踏み込みが行われて、すでに1時間経過した。

 今のところ、テトラド本部では大きな混乱は起きていない。


 実際に建物の中に入った捜査官は数名のみ。

 警察側の想定以上にテトラドの関係者が多く、一日で全ての調査を終えることは難しそうだ。

 身元の確認が済んだ信者達は早々に解放、というかテトラドの敷地から追い出されている。

 もたもたしていたら大事な証拠を隠されてしまう可能性もあるが、今回は子供達の保護を急ぐという名目なので、準備が不完全なまま大規模な家宅捜索が始まった。


 踏み込みの少し前に連絡を受けた会長は、佐参を連れて子供達の入ったカプセルの並んだ部屋を制圧することで、安全を確保した。

 機器の基本的な操作なら佐参ができたので、カプセルを開けて子供達を解放するのに問題はなかったそうだ。

 とりあえず出すだけならば、子供達の肉体に影響がないことは、彼の方でも事前に確認してあった。


 1人殺した俺も途中から何食わぬ顔で合流して、警戒網に加わった。

 佐参の方は研究主任の男を確保できたのか、俺に聞きたそうな素振りがあったが、会長の手前質問を控えていた。


 そして後からようやく来た警察官数名へと、子供達の保護を引き継いだ。

 突入部隊の先頭2名は武装した強面だったが、婦人警官を含めた子供達のケアを考慮したチーム。


 精霊とのパスを繋がれたことによって、信者に属性を授ける代弁者へと仕立て上げられた子供達だったが、俺らや警察と接触しても何も起こらなかった。

 どうやら祈る行為、厳密には精霊を求めることをしなければ、彼らに施された術式が発動することはないようだ。

 子供達が信者らの目に入らないように気をつけなければならない。


 地下からの脱出で俺達は殿しんがりを務めたが、特に波乱はなかった。

 ローズの偽物以外の研究者達は我先に逃げ出し、地下施設はがら空きだった。

 警備に雇われた連中も警察相手に無茶な抵抗をすることなく、白旗を上げていた。


 ちなみに会長と俺の立場は第3公社の魔法使いとして、警察に説明してある。

 第5として顔が割れると今後の仕事に差し支えるので、魔法公社内で架空の肩書を用意してもらった。

 第1、第2公社と違って、第3はニホンに支部がないので、照合にも時間が掛かるし、知らない身内の証言でボロが出る可能性も少ない。


 ***


「お母さん、お父さん!」


 テトラドの施設の外へ出た沙耶ちゃんは、ここまで一緒に脱出した婦警の手を振りほどいて、菅野夫妻の下へと飛び出した。


 2人は少し迷うような顔を一瞬見せたが、正面からしっかりと娘を受け止めた。

 最初は沙耶ちゃんの勢いに押された感じだと思ったが、両親は強すぎるくらいに我が子を抱きしめていた。


「会長、ちょっと寂しいのじゃないですか」


 彼女は沙耶ちゃんの救出に骨を折ったけど、結局他人は親には勝てなかった。

 少し悔しそうにする彼女の姿を思い浮かべながら、俺は隣へと声を掛けた。


「グスッ……ひっ、ひっく」

「あれっ、会長?」


「良かった。良かったよぉー!」


 会長様の理性と涙腺が決壊した。

 普段から強気で横暴な彼女だが、こういう一面は初めて見る。


 感情の起伏が激しい人間というは、どちらの方面にも大きく振れるということなのだろう。

 とりあえず落ち着くまで放置しようと思ったが、『良かったのよね、ね、ね』と謎の同意を度々求められた。

 俺が親子の再会という感動的な場面に浸るには、隣の会長様が五月蠅すぎる。


 正直なところ、こっちは人を殺した後のたかぶりを抑えるのに必死なので、そっとしておいてほしいものだ。

 なにより俺自身が汚れていることを、突きつけられているような気分だ。

 彼女の隣はあまりにも眩しすぎる。

 後どのくらい一緒にいられるのか分からないが、全てを投げ捨てでも彼女を守るという約束は果たせそうにない。


 ここはまだテトラドの所有地だが、周囲には多くの警察車両が並んでおり安全区域。

 いくつもの列に並んだ信者達は順に簡単な聞き取りを受け、終わった者から退去を求められているが、数が多すぎて、しばらくはここで待機になりそうだ。

 ちなみに俺達はテトラドの衣装ではなく、最初に着ていた変装に戻っており、無難なセミフォーマルの男と世間を知らない令嬢というこの場にそぐわないコンビ。


 会長と俺は公社の魔法使いとして自由を許されているが、佐参は別の場所に連れて行かれて、事情聴取を受けている。

 魔法公社に属さないモグリの魔法使いとして働くこと自体は違法ではないが、魔法の使用そのものには法律による様々な制約があるので、確認しなければならないことが多くある。

 少なくともサイレンサー付きの銃を持ち込んでいるので、銃刀法には抵触する。

 俺にとっては、研究主任の話を持ち出されなくて済むので都合が良い。


 慌ただしい中、人の流れに逆らうように、警察の包囲の外からこちら側へとやって来る人物がいた。

 家族の再会で、最後の役者。

 もう1人の親であり、俺達の依頼人で孤児院職員の須藤さんだ。

 おそらく会長が事前に根回しをしたのだろう。

 彼女もまっすぐに沙耶ちゃんの傍に行き、無事を喜んだ。


 手持ち無沙汰な俺だったが、泣きじゃくる会長様が腕を離してくれないので、この場はただただ見守るしかなかった。

 今回の依頼で金銭的な報酬はなかったが、精霊に関していくつもの知見を得ることができた。

 ついでにひとつの家族を守ることもできた。


 ***


「いや! 一緒じゃなきゃ嫌!」


 親子の再会で全てが解決ではなかった。

 地下施設に囚われていた子供達はみんな入院して、専門医による精密検査を受けることになる。


 そして彼らの両親全員には警察の事情聴取が待っている。

 沙耶ちゃん以外の子供は養子ではなく、もともとテトラドの信者らの実子だということが判明した。

 今回テトラドの会には、子供達を幽閉したことで、最低でも児童虐待。

 さらには殺人の嫌疑までもが掛けられている。

 中枢の司祭幹部はもちろんのこと、子供達を差し出した親は、一般の信者同様にすぐ無罪放免にする訳にもいかない。


 孤児院の須藤さんが沙耶ちゃんに付いて病院にも同行することになったが、それでも彼女は両親と別れることを拒んでいた。

 ここで離れたら、次いつ会えるのか分からないかの騒ぎようだ。


 そもそも次はないのかもしれない。

 他の親子に比べて、彼女らの間には血縁関係はないし、養子縁組すらもテトラドが主導していたので、今回の一件で白紙になる可能性だってある。

 もしかしたら沙耶ちゃんは大人達の空気から、子供なりに察してしまったのかもしれない。


 駄々をこねる娘に対して、菅野夫妻は掛ける言葉を見つけられていない。

 最初は落ち着くのを待っていた警察だが、痺れを切らして両親の連行を始めようとした。

 そこで沙耶ちゃんが初めて声を荒げたのだ。


 大人達が可哀そうな者を見る同情の眼差しを送っていながらも、何もしようとしない。

 だけど会長と俺だけは違っていた。


 昨晩も同じことがあった。

 地下施設で会長が強引に連れ出そうとしたら、拒んだ彼女から危険な何かを感じた。

 今はあの時よりも沸騰しそうな勢いだ。


 佐参が精霊を召喚したときと同じで、沙耶ちゃんの中から急激に魔力が膨れ上がる。

 高密度のエネルギーがまるでゲル状になって、彼女の全身をおおうようにあふれてくる。

 まだ形が定まっていない魔力の一部が切り離される。


 俺は菅野夫妻を連行しようとした警官と沙耶ちゃんの間に割って入る。

 両腕を構え、膝を曲げて衝撃に備えて態勢を整える。


「危なーい!」


 会長の叫びと共に、沙耶ちゃんとほぼ同時に魔力の玉を発射する。

 準備に遅れてしまった会長の方の出力が低い。

 多少の不安要素があっても、一度飛び出した俺はその場で覚悟を決める。


 俺に着弾する前に、両者の魔力が激突した。

 会長の魔弾は消滅し、沙耶ちゃんが放った方の軌道がズレる。

 残った魔力はそのまま誰もいない方へと逸れて、無人になったテトラドの建造物へとぶつかった。

 ぶつかるという表現はあまり正しくないな。

 高出力の魔力の塊はコンクリートを溶かすように進み、徐々に小さくなった。


 あの威力では、俺の能力で受け止めきれなかったかもしれない。

 会長の機転がなければ、怪我人どころか、死者が多数出ていただろう。


 そしてこれだけのことをしておいて、沙耶ちゃんの魔力は未だに上昇が続いている。


「沙耶ちゃん! 聞こる!」


 会長が声を掛けるが、『うぅー』や『あぁー』といったうめき声のようなものが返ってくるだけで、誰がどう見ても正気とは思えない。


「俺達で対処します。警察の方々は避難誘導をお願いします」


 先ほどは咄嗟とっさの対応だったので、正面から受け止めようとしたが、周囲への被害を気にしていたらこちらの身がいくつあっても持たない。


 俺は荷物の中から精霊殺しの剣を取り出し、鞘から抜く。

 昨晩精霊と戦った経験だと、奴らの魔法や肉体に対して接触だけで分解することは厳しい。

 しかしこの短剣で斬りつけた切り口に触れれば、例外的に魔力として吸収できる。

 攻略法が分かっている一方で、ナイフのような小さな剣だけが頼みの綱。


 言葉を交わさなくても、俺が前衛で、会長が後方の隊列を組む。

 彼女はどんな距離でも戦うことができるが、避難がまだ完了していないこの状況で、迎撃能力を持つ砲台が視野を広く保つ判断は悪くない。


 すでに力を解放している会長から、俺へと魔力が供給される。

 彼女とコンビを組むと、敵の攻撃を1度受けないと身体強化のギアを上げることのできない俺の弱手を気にしなくて済む。

 これまでに長年使い続けた身体強化は、運動をサポートしてくれるだけでなく、六感全てを鋭くする。

 さらに物理攻撃に対しても抵抗力が増すので、多少の無茶もできるようになる。


 こちらが戦闘態勢を整えている間に、沙耶ちゃんを包んでいた不定形の魔力が生物を模していく。

 彼女は契約者ではないので、制御する術者のいない状態で精霊を呼び出している。


 それは獣ではなかった。

 二足歩行の人型の巨体。

 全長3メートルを超え、太い胴体からアンバランスなほど細長い四肢が伸びている。


 初見だけで精霊の属性を分析できなかった。

 土属性がメインのようだが、他の属性も雑多に混ざっている。

 佐参が召喚したような不定形のアストラル体ではなく、安定した肉体が造りあげられていく。

 見た目からパワータイプだと思われるが、魔法も扱うデュアルタイプの可能性もある。


 右手には成人男子くらいのサイズの大剣が現れ、背中にとげとげしい短い羽が生えだす。

 さらに魔力によって形成された仮面によって、表情が隠されている。

 その巨体は腰を曲げてなお、上からこちらを見下ろしている。

 めんの奥から覗いている両の目は、雑多な人間を無視して、会長と俺だけを交互に捉えている。

 ヒト型の見た目だけでなく、その青い瞳の動きから知性を感じとれる。


 意識の定まらない沙耶ちゃんとこちら側を遮る形で精霊が立ちはだかる。

 奴はしっかりとこちらを敵として認識している。

 特に俺よりも後ろに控える会長に対して、注意を多く割いているようだ。


 精霊自身の意思なのか、沙耶ちゃんの拒絶に共鳴しているのか、こちらに対して敵意が剥きだした。

 人語が通じるか分からないが、どうやら言葉を交わす気はなさそうだ。

 やはり戦いは避けることができないようだ。


 精霊は膝を曲げると、その巨体から予想できない速さで飛び上がる。

 俺としたことが、視界の外へと逃がしてしまった。


 すぐ直感を頼りに、大きくバックステップする。

 視界の上に消えたはずの精霊が真横から、さっきまで俺がいた場所へと斬り込んできた。

 回避は間に合ったが、反撃の余裕がない。


 奴は振り下ろした剣を地面すれすれで急停止して、続けて刃をこちらへ向けて払ってくる。

 左足を軸にして右のかかとを、大剣の刀身へと落とす。

 軌道をズラされた魔力の大剣は俺の手前の地面を斬りつけた。


 足にはまるで本物の金属を叩いたかのような手応えが残っている。

 いつもなら魔法で作られた武具は触れるだけで崩壊させることができる。

 しかし精霊相手では通用しなかった。

 予想はできていたが、精霊の肉体は魔力で形成されていても、分解することは難しいようだ。


 ニホンに来てからは、どうしてこうも相性の悪い相手ばかりなのだろうか。


 今度こそ反撃に出る。

 小手調べに大剣を握る精霊の手を軽く斬りつけようとする。

 走りながら脇を閉めて、コンパクトな突きを繰り出す。

 しかし精霊は大胆にも得物を手放すことで、簡単に回避した。

 それでもまだ俺の攻勢は続くはずだった。


「後輩君!」


 続きを聞かなくても、俺は追撃を止めた。


 1度注意の外へと追いやった大剣が浮遊しながら、俺の背へと迫ってきた。

 すぐに左足を外方向に伸ばして、姿勢を低くすることで回避を行う。

 推進力を得た大剣はこちらを追尾することなく、精霊の手元へと戻った。


 反撃の期を完全にくじかれてしまった。

 相手に油断やおごりはない。

 攻撃の組み方がしっかりと工夫されており、全ての動作が連動している。


 終始敵のペースだが、状況は好転しつつある。

 テトラドの関係者だけでなく、周辺住民達の避難が完了した。


 盾を構えた警官達ですら、俺らから100メートル以上離れた位置まで下がっている。

 特殊機動部隊ならいざ知らず、普通の警察では魔法が飛び交う戦場は不向きだ。

 それほど脅威が想定されていない捜査だったため、人員は多くても戦闘要員はあまりいない。

 俺達の見た目が若いからとはいえ、魔法公社のプロに任せるのはマニュアル通りの正しい判断。


 前衛の俺が精霊の注意を引いている間に、後ろに控えていた相棒が準備を終えた。

 会長の周囲に装填された複数の魔法の弾が浮いている。


 精霊の最初の攻撃を逸らしたときとは違い、今回はしっかりとチャージできている。

 目測だが集束されている熱量は、歩兵最強武器のRPG-7を超える。

 生身の人間どころか、戦闘車両だとしても木端微塵になる。

 集中砲火をすれば地形を変えるほどだ。

 防ぐことができるのは対精霊王用のシェルターくらいかもしれない。


 会長は俺が屈むのを確認すると、一斉射撃を始める。


発射フャイア!」


 何本のもの光の柱が水平方向に走る。


 シンプルな魔力による砲撃。

 並みの魔法使いならば、魔力の自然拡散に負けて成立するはずのない技。

 膨大な力と精密なコントロールを持つ彼女だからこそ実現できる。

 全ての魔弾がしっかり精霊を捉えており、その後ろの沙耶ちゃんは軌道から外れているので、たとえ貫通したとしても問題ない。


 魔力同士のぶつかり合いで生じた衝撃によって視界がかすむ。

 純粋なエネルギー同士の衝突は激しい光と音をまき散らしていく。


 精霊の本体は異世界にあるので、精霊殺しでなければ、その命を削ることはできない。

 しかしこっちの世界にある仮の肉体は魔力でしかない。


 俺は警戒を絶やさずに次第に鮮明になる視界の先を覗く。

 ヒト型の精霊はしっかりと両足で立ち、得物を握り続けていた。

“絶対強者”の攻撃を耐え抜いたのだ。


 無傷という訳ではないが、穴が開いたり欠けたりした部位は新たに魔力が供給されてすでに再生が始まっている。

 その後ろで沙耶ちゃんが胸の辺りを両手で抑えて、うめくように苦しんでいた。

 どうやら精霊は彼女を介して、別世界にある本体から魔力が送り込まれているようだ。


 自身の命を蝕む魔法というのは、訓練をしていなければ本能的にセーブしてしまうもの。

 この秘術の主導権は、すでに精霊側が掌握しているようだ。

 あまり長く続くと、彼女の体が大量の魔力の通過に耐えられない。


 俺は勘違いをしていた。


『王がいるならば、民がいるのが当然だろ』


 佐参が口にしていた言葉。

 昨晩の1回きりの戦いで、精霊王とその他の精霊の隔たりについて分かったつもりになっていた。

 魔力総量は凛花先輩やリルに及ばず、精霊殺しの剣さえあれば脅威ではないと結論づけてしまった。


 目の前の精霊の力量があまりにも大きすぎて、対峙しただけではその実力を見誤っていた。

 実際に数手やり合ってみれば、格上ではないか。

 そのパワーはベヒモスを超え、戦いの駆け引きは霊峰で対峙したダニエラ並み、さらに単純な魔力にしても会長に比肩ひけんするほど。


 精霊と一括りにしているが、こちらの世界だって人類は生命体のごく一部に過ぎない。

 想像力を働かせれば、王に対して民がいるならば、その中にも幅があり、兵や戦士といった役割があってもおかしくない。

 俺自身は精霊王を知らないが、目の前の精霊はそれに近しい存在なのだろう。

 たしかにあの科学者が沙耶ちゃんを特別扱いしたことには納得できる。

 せめてもの救いは、遠距離攻撃系の魔法を使ってこないことだ。


 会長と一緒の今回の仕事でにおいて、戦闘面での不安はまったくなかったのだが、ここからは気を引き締めなければならない。

 当の彼女の方へと視線を流すが明確な返事がない。

 物量で押し切ることができないならば、精霊殺しの一振りに頼るしかない。


 再生が完了していない精霊に向かって踏み込む。

 懐に入り込もうとする俺に対して、精霊は空いている左手を振り下ろしてくる。

 回復にエネルギーを回しているのか、技のキレが落ちており、簡単に振りきることができる。

 膂力りょりょくとリーチがある相手だが、この手の連中は総じて内側に入られるのを好まない傾向にある。


 まずは走りながらすれ違い様に、精霊の足を軽く2回斬りつける。

 斬り口に対して刃をできる限り平行に走らせたこともあって、抵抗はほとんどなかった。


 そのまま動きを止めずに、精霊の股下をくぐり抜けて、もう片方の足を狙う。

 今度はさらにダメージを与えるために、真っ直ぐに突き刺す。

 まるでタイヤを斬りつけているような手応えだが、短剣の先端はしっかり刺さった。

 さらにダメ押しで剣の柄に向かって、左の掌底しょうていを叩きこんで、より深くまでえぐる。

 精霊が軽くよろめくが、すぐに足元から俺を排除しようと両手を伸ばしてくる。


 刺すのに抵抗があった短剣だが、意外にも簡単に抜けた。

 俺は左右両方から迫り来る大きな手をギリギリで回避する。

 後ろに下がったタイミングで、俺を握りつぶそうとした太い指が、胸の辺りをかすめた。

 そのまま背を見せずに、数回バックステップを重ねることで最初の間合いまで離す。

 しかし精霊の手首から先が伸長しだして、追尾してくる。

 距離を測り間違えた俺は両腕でガードを作り受け止めようとする。


 しかし精霊の手は後方からの砲弾によって阻まれた。

 会長からの援護射撃。

 無事なもう片方の手が余っていたが、奴は冷静な判断で追撃を諦めた。


 改めて観察すると、最初の会長の砲撃による傷はこの短時間でほとんど癒えている。

 それに対して俺の手の中にある短剣で斬った場所は治りが遅い。

 遅いと言っても傷口はかさぶた代わりの魔力の膜によって塞がれている。

 そもそもこの距離だど視力を強化していなければ、どこを斬りつけたのか分からないほど小さな切り口でしかない。


 これはかなり分の悪いというか、勝ち目のない戦いだ。

 精霊殺しの剣が奴らの命を奪うことができる武器だとしても無理があり過ぎる。


 例えば針一本でも、人に対して十分な殺傷力を示す。

 それが動脈や眼球といった急所を捉えなければ殺すことができないとはいえ、しっかりと死という概念を秘めている。

 だから針が現実的に死に直結することはなくても、その先端に対して嫌悪感や恐怖を抱く人間は少なくない。


 同様に精霊殺しは、目の前の異世界からの住人を死に至らしめることが可能だとしても、実現は困難だ。

 奴が人間と同じ位置に脳や心臓といった急所があるならば別だが、魔力で構築された肉体に人の理が適用されるのか怪しい。


 こんな連中の王が4柱も、よく人類に手を貸したものだな。


「会長。いったい、どうやって土の精霊王を撃退したのですか」

「……撃退なんてしていないわ……守りに徹して、時間切れまで耐えきっただけよ」


 彼女にしては弱々しく後ろ向きな返答。


 今まで直接聞くことははばかれていたのだが、必要に追われて口にした。

 しかしまさかの情報が明らかになった。


 凛花先輩を契約者として求めた精霊王を生徒会役員の3人が撃退したことは、情報通の間では広く知れ渡っている。

 しかし実際は苦戦を強いられていたことは知らなかった。

 今回は沙耶ちゃんがいる限り魔力が供給されるので、時間切れがあるのか分からない。

 もしかしたら彼女の身体が耐えられなかったときが終わりかもしれない。


 攻め方を変えなければならない。

 精霊を直接倒すことは諦めて、沙耶ちゃんの正気を取り戻させる方が、見込みがありそうだ。


 対峙する精霊だが、仮面の奥は俺の右手を警戒している

 つまり精霊殺しが万に一つ自身の命を脅かすものだと理解しているようだ。

 俺はあえて構えを定めずに、刃をちらつかせることで相手の注意を引きつける。

 攻める気配を出しながらも、俺の方から直接は何もしない。

 すでに後衛の会長が次の術の用意を終えている。


 痺れを切らした精霊が俺に向かって、大剣を振り下ろそうとした瞬間、奴の注意の外にあった真上から魔力で作られた天井が落ちて来る。

 一斉射撃が無効だったことを認めた会長は、細い糸のような魔力を上空へと送り込み、精霊にばれないように慎重に編んでいたのだ。


 点で打ち抜く魔弾と違い、魔力で作られた分厚い壁が精霊を踏みつける。

 受けている側は、まるで自身の体重が何倍にも増したかのように地面へと縫い付けられる。

 相手の肉体を傷つけている訳ではないので、精霊の再生能力など関係ない。

 これが土属性上位の重力操作ならば、周囲にいる俺にも影響が出るのだが、会長はしっかりと精霊だけを狙って魔法を発動している。

 奴は両手を地面について這い上がろうとしているが、単純な力比べならばさすがに会長側にがあるようだ。


「沙耶ちゃん!」


 術を持続させながらも彼女は、精霊の上の天板を踏みつけて沙耶ちゃんの下へと駆けつける。

 2人で行く必要はないので、沙耶ちゃんのことは彼女に任せて、俺は地面に押し付けられている精霊へと近づく。


 いくら動けないとはいえ、警戒を解くのは早計だ。

 最初は抵抗していた精霊だが、意外といさぎよくてもう脱力している。

 いくら沙耶ちゃんを介して精霊界からエネルギーが供給されているとはいえ、瞬発力では会長に敵わないことを理解したようだ。


 奴の目からは反抗というよりも、状況を打開するために虎視眈々こしたんたんと待ち構えている意思が感じとれた。

 そんな仮面の中にある眼球へと向けて、俺は短剣を突き刺そうとする。

 しかし見えない固い壁に阻まれた。

 どうやらガラスの様な光だけを通過する魔力の障壁を埋め込んでいるようだ。

 仮の肉体だとしても、さすがに視力を奪われることは拒むのか。


 次に俺が試すのは、精霊の首元。

 人間であれば、頸動脈けいどうみゃくにあたる位置を斬りつける。

 精霊が口から痛みを訴え、苦悶くもんの表情を見せるが、削いだ肉の先に血管はなく出血も起きない。

 やはり急所は人間と同じではないようだ。


 斬り口へと手を突っ込んで内側に触れてみるが、その肉体を分解することができない。

 厳密には魔力を吸えているので分解はできているのだが、それよりも再生速度が少しだけ上回っている。

 精霊界にある本体の魔力が無くなれば倒せるかもしれないが、ゴールの見えない気が遠くなる話だ。

 それまでに会長の魔力も沙耶ちゃんの身体ももたないだろう。


 すぐの決着を諦めた俺は、会長の元へと駆け寄った。

 未だに沙耶ちゃんは正気を取り戻していない。

 彼女を抱きかかえる会長が何度も声を掛けているが、焦点が安定しない状態が続き、時折嗚咽おえつの様なうめき声を上げている。

 心拍数も呼吸も早くなっており、これだけでもかなりの負担のはずだ。

 試しに沙耶ちゃんに触れてみるが、残念ながらこちらからでも術を解除できない。


「後輩君。どうしよう」


 さすがの会長でも現状を打開する案がないようで、俺に弱音をこぼした。


 打つ手がない。

 俺の分解も、会長の膨大な魔力も、そして精霊殺しの剣すらも決定打にならない。


 これが物語ならば、俺達ではなく彼女の両親の声で意識を取り戻すのだろう。

 しかしそれは現実的ではない。

 すでに菅野夫婦は警察に連れられて避難を完了しており、この危険な戦場に飛び込むことは不可能。

 今になってみると、沙耶ちゃんに施された術式を知る研究主任の男を地下で殺してしまったことが悔やまれる。

 もし生かして捕縛しておけば、この場で何らかの糸口を得られたかもしれない。


 会長にはもう手が無いようだが、俺には試す価値のある策が2つ残っている。


 ひとつ目は触れたモノを分解する固有魔法“魔法狩り”。

 通常の分解が無力だとしても、リミッターを解除すれば精霊を倒してパスを解除できるかもしれない。

 しかしこの魔法は諸刃の刃であり、様々なリスクと隣合わせだ。

 触れた対象を無条件に分解してしまう危険だけでなく、精神汚染も発生する。

 さらに消耗が激しくて、使用後は戦闘継続不能になってしまう。

 もし通用しなければ、状況がただ悪化するだけ。

 ならばこちらは後回しにして、もうひとつの策を先に試すしかない。


 俺は紫苑にバレないように、ゆっくりと深呼吸をする。

 空気を深く吸って、細く吐き出す間に思考を切り替える。

 戦いが始まった時点で、覚悟はとっくにできている。


 これより沙耶を殺す。

 彼女がいなくなれば、精霊への魔力の供給が止まる可能性が高い。

 それが紫苑の信頼を裏切る形になるとしても、泥を被るのが俺の役割。


 別に他人の命を奪うのは初めてじゃない。

 現にさきほど人殺しをしたばかりだ。

 それがイカレタ科学者か、幼い罪なき子供かの違いに過ぎない。


 このまま沙耶の暴走に付き合えば、紫苑の身だって危ない。

 絶対強者とうたわれる彼女だが、決して無敵ではない。

 俺の様に武術の心得がある訳でもないので、魔力による防御がなければ、精霊の攻撃を受け止められない。


 もうすぐニホンでの任務から外されるかもしれない俺だが、今はまだ紫苑の護衛。

 彼女をこの場から引き離せるならばそれでも構わないのだが、俺の説得で諦めるような人物でないことは分かっている。

 

 沙耶をここに放置しても他の誰かに殺されるか、それとも精霊への魔力の通り道として憔悴しょうすいして息絶えるか。

 そもそも会長が無理だった時点で、このニホンであの精霊を相手にできる魔法使いがいるとは考えられない。

 暴走がいつまでも続くならば、いずれかの公社から契約者が派遣される結末になる。


 精霊殺しの刃を1度伏せて、紫苑の死角へと移動させる。

 俺の眼は、彼女が抱える沙耶の首元をしっかりと見据えられている。


 事が済むのは一瞬。

 一気に距離を詰めて腕の影に隠した剣を振り下ろす。


 しかし必殺の一撃は空を切る。

 紫苑が体1個分だけ身を引いたのだ。


「後輩君!?」


 表情や殺気はしっかり消せていたはずなのに勘づかれた。

 彼女の鋭さは侮れない。


「その子を離してください。後は俺が処理します」

「どうしたの。とても怖い顔をしているよ。沙耶ちゃんに何をするつもりなの」


 瞬時にいくつものシミュレーションを脳内で繰り返すが、警戒している彼女相手に一撃で沙耶を仕留めることは不可能。


「会長。俺だって沙耶のことは救いたいです。でも優先すべきはあなた。これ以上危険にさらすことはできません」

「本気で言っているの!」


 初めて出会った時以来、絶対強者が本気の敵意を発してきた。

 まだ何もされていないのに押し潰されるような圧倒的プレッシャー。

 それは戦いの中で培った殺気などではなく、遥かなる高みから弱者を俯瞰ふかんする圧力。

 以前は不意を突かれたこともあって身がすくんでしまったが、ここで退くつもりはない。

 説得に応じてもらえないならば、九重紫苑ともう1度拳を交えるしかなさそうだ。


「(どうせもう、それほど長くない私なのだから。せめて未来のあるこの子を救いたい)」


 強化された俺の聴覚は、紫苑が小さく漏らした独り言を聞き取ってしまった。

 しかし戦闘思考に入った俺は、その言葉を切り捨てる。


 ***

『あとがき』

芙蓉と紫苑のタッグはいかがでしたでしょうか。

難敵の精霊でしたが、4章の真のボスは紫苑でした。

次回『12 魔法狩り VS.絶対強者 再び』


 ***

『おまけ』これまでに公開された芙蓉と紫苑の能力


“魔法狩り”

芙蓉・マクスウェル

・魔法の分解、吸収(分解できない魔法もある)

・奪った魔力は自動で身体強化に使用される。自らの意思で配分の変更や感覚器官の増強ができる。

・様々な技能(ボクシング、カンフー、空手、柔術、レスリング、ナイフ、拳銃、ライフル、手榴弾、隠形、危機察知、運転、空挺降下、サバイバル、料理、外国語、穴堀等々)

・薬物耐性〇、ゲテモノ耐性◎

・魔法狩り:限界まで魔力を吸収して、他者の血を取り込むことで発動可能。右腕が通過した空間の物質を全て分解して吸収する。分解速度が大幅に増加し、吸収量の上限もなくなる。

・ファイアボール:左腕の魔法式に刻まれた魔法。全魔力を1発に込める。1度の発動で魔法式が破損する。霊峰で使ってしまったので現在使用不能。

・手刀による抜刀術


“絶対強者”

九重紫苑

・膨大な魔力による身体強化、物質強化、魔弾、広範囲攻撃、自己回復

・指輪の騎士達:指輪を受け取った騎士は新たな能力に目覚める。騎士は最大10人で残り2枠

・体術はフェイントなしで、力と早さ重視

・魔力を解放していないときは無防備であり、運動能力が並み以下の女子高生

・ハッキングアプリは工藤凛花の仕込み

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