4章 精霊殺し 

0 とある研究者の手記

『きっ、きゃぁぁぁ!!』


 少女の悲鳴が研究室の中に響き渡る。

 ここでは日常的な光景なので、誰一人として眉をひそめたりしない。

 実験体の声に耳を傾けていたら限りがない。


 極東の島国に秘密裏に作られたこの実験室にあるのは、ひとつの処置台といくつもの機材。

 半数は医療用だが、残りは彼女らに苦痛を与えるためのもの。

 コンクリートの壁が綺麗な白色で塗り固められているのは、建物にこもりがちな研究員たちの気分を害さないためだ。

 実験体達の多くはこの白に嫌悪を示し、薄暗く閉鎖的な飼育室ケージを好むようだ

  

 現在処置台に固定されているのは、よわい8の少女。

 両手両足をベルトで拘束してあるけど、今の彼女に逃げ出す力など残っていない。

 それでも、もしこの実験に成功したら、突然振り払う可能性がある。


 バイタルの管理を任されている僕だが、実験の進行を左右するような権限は持っていない。

 彼女の周囲で機材を扱ったり、医療行為を行ったりするのは僕のような下っ端達だ。

 この実験系を立ち上げて主導している上級研究員たちは、高硬度のガラス板の向こう側のモニタールームで指示を出している。

 あっちの連中は全員魔法使いであり、この研究のスポンサーと交渉できる立場にある。

 一方、僕の専門分野は医学と工学なので、いくら成果を上げてもあちら側に行く資格もなければ、出世にも興味がない。

 この研究のやり方に疑問をていすることはあっても、しっかりと賛同している。

 白衣を着ている僕らも、スーツで身を固めている奴らも地位が違うだけで、結局は同じ穴のむじなに過ぎない。

 この場に苦しむ少女の味方など誰もいない。

 研究が成功すれば、魔法公社中心の社会をひっくり返すことができる。

 大きな利益の前では、人の道など簡単に消え去る。


 実験個体の反応を観察することも僕の仕事の内だが、その心に寄り添うつもりなどない。

 最近の実験では、痛みによる自我の低下を目的にしている。

 麻酔で痛覚遮断をしていたら意味がない。

 それでも人体というものは、痛みに対してフィードバック回路が稼働し、脳内麻薬が分泌され軽減を行う。

 だから次第に痛みが鈍化して叫び声が消えたら、より強い刺激を加える。 


『……うわあぁぁぁ!!』

  

 身体の奥から捻り出すような悲鳴が耳に入ってくる。

 ここに連れて来られた時点で彼女に人権などなく、実験に使える限り呼吸することが許されている。

 これでも僕は彼女のことは嫌いじゃないし、死んでほしくない。

 思い入れだってある。

 もちろん特別な実験体だからだ。

 この研究施設に集められた個体は、身寄りのない子供達であり、この5年間でシリアルナンバーは30を超える。

 この数を少ないと捉える者もいるかもしれないが、治安の良いニホンで人間を仕入れることはとても困難だ。

 しかも途中で四元素の適正を持つ個体だとスコアが悪いことが判明してからは、無属性に限定して検体を集めている。

 そして貴重な実験体の中で30より手前の通し番号で、現在生き残っているのは2人だけだ。

 多くが未熟な精神が溶けてしまい戻ってくることができなかった。

 だからといって成人を使っては、自我が強すぎて失敗してしまうシミュレーション結果が出ている。

 唯一の成功例がスリーであり、目の前で叫ぶ娘の耳には14フォーティーンと印字されたピアスがめられてある。

 彼女は拒絶反応を示すものの、未だに肉体も精神も崩壊していない。

 連れて来てからこの3年間で何も成果を出せていないが、他にないとても頑丈な個体なので処分するには勿体ない。

 どうにか親和性を増やすことをできないか、様々な実験を試しているが抵抗があまりにも強すぎる。

 もともと倫理など無視した研究なのだが、さらに残虐な手段を試す以外の使い道がなくなっていっている。  


 ***  


 本日の実験も何も成果を得られないまま、危険領域に入ってから間もなくモニタールームの終了指示で安定剤を投与することになった。

 拘束具を解かれた少女は、次の実験の邪魔なので飼育室に戻しておく。  


 この施設に連れて来られてきたばかりの個体は、手錠や首輪で逃げないように管理する必要がある。

 だけど3年もここにいる彼女は、逃げることが不可能だと分かっているので、部屋まで自由に歩かせている。

 そもそも白い布切れを着させられた少女から、逃げる意思どころか、生気すら感じられない。

 数回程度の実験ではこんなにならないし、先ほど使った薬の影響でもない。

 焦点が安定しないその虚ろな目には、生きる意志が宿らず、ただ呼吸をしているだけだ。  


 これで僕たちの仕事は終わりではない。

 彼女と入れ替わりで、警備スタッフに連れて来られたのはシリアルナンバースリー

 満10歳の少年だが、最低限の栄養しか与えていないのでその体格は、2歳年下で女の子の14フォーティーンと大して変わらず、手足もとても細い。

 だけどフォーティーンとは違い四肢を1本の鎖で束ね、さらにのぞき穴を閉じた鉄仮面で目隠しまでしてある。

 このプロジェクトが始まって間もなく、彼で実験に成功したときは、僕はまだ配属されていなかった。

 好調なスタートを切った本研究だったけど、それに続く成功例はひとつもない。

 唯一の研究成果の彼は、ここにいる誰よりも危険で、取り扱いに気をつける必要がある。

 運動不足な研究員だけでなく、警備スタッフですら、拘束具を外したスリーが暴れたら取り押さえることができない。

 彼が従順なのは、時間を掛けて調教してきた賜物だ。  


 実験台にはフォーティーンに使っていた拘束具が残っているけど、スリーはすでに専用を付けているので、繋ぐだけで十分だ。

 しかしスリーはいつも通り実験台に載ることなく、警備スタッフに向かって拘束された両腕を向けた。

 実験の手順も、スリーの危険性も理解していない彼は、あろうことか鍵を鍵穴へと差し込んだ。

  

『そこっ、何をしている!!』


 僕が声を上げるよりも先にモニタールームから音声が送られてきた。

 しかしすでに遅かった。

 鉄仮面を取ったスリーの口元が少しだけ吊り上がっていたように見えた。  


 自由になった彼は僕達に目もくれず、ガラス板を睨んだ。

 その視線だけで攻撃が成立する。

 一撃目では突破できずにひびが入り、遅れて衝撃音が残る。

 その音だけでも、身がすくんでしまいそうだ。

  

 触れることもなければ、詠唱も必要としない。

 彼自身が魔法そのもののような存在だ。

 そして彼の中にある存在に言葉など通用しない。

 攻撃の意思があればそれだけで十分。

 ただ肉体面に不安があったので、拘束具が解かれる瞬間を待っていたのだ。

  

 スリーは執拗しつようなまでにガラス板をなぶる。

 モニタールームに行くなら、ドアを破壊して通路を進む方が早いのだが、彼にそんな知性は存在しない。

 ただ本能に任せて行動しているようだ。

 周囲の僕達よりも、モニタールームにいる上級研究員達に敵意を向けている。

 それは元凶の彼らの方が脅威だと判断したのか、それとも実験初期にいたから、より恨みがつのっているのかは分からない。  


 警報が鳴り響き、赤色のランプが点灯する中、スリーはついに強化ガラスを突破した。

 もちろんその先にいた上司たちはすでに避難している。

 スリーは透明な壁を壊すことに夢中で、その先の獲物のことを意識の外に追いやっていたようだ。

 彼は空洞になったガラス板を通り抜けることなく足を止めて、駄々をこねるように周りの物を壊し始めた。

 見失った相手を追いかけるという選択をできないほど、知性というか想像力が欠けているようだ  


 幸いなことに僕たちを狙っていないようで、下手に動いてスリーの注意を引くよりも、ジッとしていた方が安全だ。  


 力を使えば使うほどスリー自身の意思なのか、彼に宿るもうひとつの意思によるものなのか分からなくなっていく。

 唯一の成功例と言っても毎日の調整で、何とか安定していたに過ぎない。

 本能に任せれば、浸食が早く進む。

 そうなれば制御できない剥き出しの力を召喚するようなものだ。  


 スリーの身体が徐々に青色の衣でおおわれていく。

 素人の私の目でも見えるほど魔力の濃度が増しているのだ。

 状態は想定以上に早く進行しているようだ。

 後十数分もすれば、彼はもう戻って来られなくなる。

 それでもその前にこの研究施設は破棄するしかないだろう。

 僕達の研究の支援者は多いので、また新たに施設を作ることは容易だ。

 むしろスリーとフォーティーンを失うことが一番の痛手だ。

 そしてこのままだと末端の僕のような人間は再雇用されないかもしれない。

  

 スリーがまとう青い魔力の膜は、徐々に本来の姿を形成していく。

 やつらの影を目視できた者は、人類に何人いるだろうか。

 モニタールームへと繋いでいたカメラがまだ稼働しているのか気がかりだ。

 もしその画像データを手に入れることができれば、大きな成果であり再就職の手土産になる。

 ならばスリーの息が途絶え、暴走が収まるのを待つしかない。

 依代よりしろを失えば、やつらは自身の存在を確立できない。

 恐怖に駆られて動いてしまう同僚達を尻目に、僕は息を潜めて観察を続ける。  


 しかし外的要因によって、状況がさらに乱れていく。

 実験室の内部だけでなく、外からも警報音が聞こえてきた。

 上級研究員が逃げる際に作動させたとは考えにくい。

 またこの研究所は人里から離れた場所に秘匿ひとくされているので、警察や消防が踏み込んで来るにはまだ早い。

 通路側から実験室の扉が開かれた。

 1度逃げ出した上級研究員が駆けつけて来た訳ではない。  


『踏み込むのが遅かったか』


 現れたのは2人の男と、飼育室に入れてあったはずの実験個体たちだ。

 独特なイントネーションの英語を発した正面の人物は50代の西洋系の男性で、鍛え上げられた筋肉が漆黒のライダースーツから浮かび上がっており、身の丈以上の大剣を片手で持ち上げている。

 片刃だが、その刃の幅はニホン刀では考えられないほど大きい。

 一撃必殺を真髄しんずいとする大陸刀とかいうやつだろうか。

 正面に立てば、防御しようがしなかろうが押し潰される未来しか見えない。  


 しかしより特筆すべきはその顔だ。

 よく目にする写真に比べて多少老けてはいるが、見間違うはずがない。

  

 導師ガウェイン。

 カムリの地が産んだ英雄。

 7年前に水の精霊王の顕現に成功した人物。

 契約者になる前には、多くの優秀な魔法使いを育て上げた教育者でもある。

 しかし全ての魔力を失い、第2公社を退役してからは表舞台に出ていない。  


 彼の後ろにいるもう一人の男には見覚えがない。

 20代ほどのアジア系の男性で、フォーマルスーツをピシッと着こなしており、僕たち研究員に近い屋内で仕事する人種に見える。

 そんな彼は実験で疲弊したフォーティーンを抱きかかえ、足元には30以降の個体達を引き連れており、なだめるのにニホン語を用いている。

 どうやらスリーの暴走が無くても、彼らはこの施設を襲撃するつもりだったようだ。  


『事態を終息させるのが先決じゃな』  


 スリーに立ち向かったガウェインは、大剣を右手だけで軽々しく構えた。

 かつての契約者とはいえ、魔力を失った彼が太刀打ちできるような相手ではない。

 そもそも今のスリーは、どんな魔法使いでも止められない上位存在だ。

 スリーの周りで動き回る青色の魔力がガウェインを敵として認識した。

 奴を刺激するのは得策ではない。

 しかし老兵は退こうとしない。


 先に仕掛けたのは青い姿の方だった。

 それに対してガウェインがとった行動はシンプルな振り下ろし。

 ただ斬るのではなく、大剣が魔力をからっていく。

 それだけでいとも簡単に収まった。

  

 奴を消滅させることは不可能だが、消耗によってスリーを介して元の世界へと戻っていった。

 暴走が停止すると、憔悴しょうすいしたスリーは足元から崩れた。


「導師、いかがいたしますか。肉体、精神の両方で衰弱すいじゃくが激しくて、我々ではケアできません」

「ローズが言っていた咲夜さくやの後継者を見つけたものの、これでは使い物にならないな。とりあえず他の子も含めて、九重ここのえに預けるとしよう。それに数字なんかではなく、名前を考えてやらないとな」


「そうですね。彼女に戦う意思が芽生えなければ、新たな公社を用意して騎士候補を集めたところで無駄になります」

「最悪、儂らを騎士に任命させ、彼女抜きで他の王と対決するしかない。さすがに殺して力を転移させるのは勝手すぎる。それに咲夜と同等の使い手になることを期待するのはあまりにも酷だ。彼女は真の王と交友を深めたほどだ」  


 2人が何の話をしているのかは分からないが、下手に立ち回るのは危険だ。

 助けられる形になったが、僕らが人道を外れた研究に加担していたことには変わりない。

 実験体を連れて行かれるのは痛手だが、目の前の男相手に奪還できるとは思えない。

 ならばスリーの暴走を映した映像記録を回収することを優先したい。


 彼らは僕らに目もくれず、現存する実験体たちを連れて去って行った。


“4章 精霊殺し 始動”


 ***

『あとがき』

いよいよ4章開幕です。

今回のプロローグは本筋より約8年前です。

次回より芙蓉視点の本編です。

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