SS10 珍獣&珍味ハンター部活動日誌その1

“我思う、ゆえに我あり”


 デカルトの残した有名な命題だ。


 自我というものがどこに存在するのか分からないが、人は何を拠り所にして、己が自分自身であることを保っているのだろうか。

 その答えの1つが意識の連続性だと考えられている。

 たとえば目の前にもう1人の自分が現れて、片方は科学的に作られたクローンだと明かされたとする。

 おそらく誰もが気が動転しながらも、自分こそがオリジナルだと主張するに違いない。

 産まれてからこれまでの記憶と経験は全て繋がっており、オリジナルだと信じたいはずだ。


 では設定を少しだけ変えてみよう。

 もし朝、目が覚めてベッドの上に自分が2人いたとする。

 この場合は自分の肉体がオリジナルだと主張できるだろうか。

 寝る前の自分と今の自分が同一だと信じるきることができるだろうか。

 実は人間は連続的な世界に生きているようだが、寝ることで意識は時間を飛び越えている。

 そもそも量子力学の概念ではこの世の全てが不連続であり、連続性など錯覚なのかもしれない。


 さて本題に入ろうか。

 朝目が覚めた人間は、意識的でも無意識だとしても周辺の状況を確認することで、寝る前のあやふやな記憶の自分と、今の起きたばかりの自分を一致させる。

 体を動かしてみたり、ベッドの周辺を探ったり、スマートフォンを覗いたりすることだって確認行動の1つだ。

 例えば寝ている最中に何らかの理由で救急搬送されたとする。

 周りの状況は寝る前と大きく変わっているし、肉体の不調を自覚するかもしれない。

 おそらく変わってしまった自分に戸惑うだろう。

 そして俺も似たような状況にある。

 つまり寝た場所と目覚めた場所が違うのだ。


 見知らぬ土地。

 というか一面砂だらけの熱帯地帯。

 なぜだか知らないが砂漠に寝そべっていたのだ。


 まず持ち物を確認するが何もない。

 服装はトレーニングや寮でくつろぐときに着ている運動着だ。

 ということは東高で任務中だった芙蓉・マクスウェルと、今の俺は同一人物だと信じたいが確証がない。

 最後の記憶を辿ると、金曜の夜辺りから曖昧になる。

 無理に思いだそうとすると頭の奥がずきずきと痛む。

 明らかに作為的な異常事態だ。


 これが九重紫苑を狙う敵勢力の妨害工作ならばあまりにも回りくどい。

 俺が邪魔ならば意識を失っている間に殺してしまえばいい。

 ここまで連れて来られるならば、死体の処理に困ることはないだろう。

 何らかの理由で生かしておきたいならば、どこかに閉じ込めておけばいい。


 そもそもローズかあさんと世界中を旅しながら教育を受けた俺は、たとえ睡眠中でも害意に反応できる。

 寝ている間に砂漠に放り込むことなどできないはずだ。

 だとすると今の俺は、何か不調を抱えているのだろうか。


 夢の中という仮説も思い浮かんだが、すぐに否定する。

 明晰夢めいせきむだとしたら、あまりにも意識がはっきりとしすぎているし、思考が論理的にまとまっている。

 そもそも夢ならば考えるだけ無駄だ。

 起るのを待てば、全てが現実に戻るのだから。


 幻覚の類なのかもしれない。

 触れた魔法を分解できる俺にとって、精神感応の術を含めて魔法による状態異常はほとんど効かない。

 しかし世の中には例外というものがいくつかある。

 会長のような膨大な魔力だと分解が間に合わずに影響を受けてしまう。

 吸血鬼のダニエラのような分解耐性の魔法を使われたりした場合は、無効化できなくもないが、とても効率が悪く被害を避けられない。

 どちらの場合でも、魔力を吸収するので無意識に身体強化が発動するのだが、服の中の魔法式は浮かび上がっていないので、この仮説を棄却した。

 魔法を使われていないなら、薬物による幻覚症状かもしれないが、六感全てに違和感がないことから盛られた訳でもなさそうだ。


 他に有力な可能性としては、指輪の騎士による超常現象。

 凛花先輩の無生物の意思を増幅する能力、リルの異形を隷属する能力、そして静流先輩がゲーム画面のキャラを切り捨てたのも騎士の能力なのだろう。

 連中の関与があるとしたら、どんなことが起きてもおかしくない。

 俺の中で結論が出つつある。


 目が覚めて変化の無かった砂漠の先から、砂煙の様なものが立ち上がった。

 砂漠と一言で口にしても、360°どこまでも砂の平地ではなく、高低差があって地平線は見えない。

 そんな砂の山の先から何かが近づいてくる。

 他に動く物がないせいで、速さが分かりにくい。

 初めは車かと思ったが徐々に接近すると、大きな何かを背負った人影のようだ。

 目測では時速40キロを超え、その背の荷物は本体の倍以上の大きさだ。

 人間でも限界に近づけば瞬間的に出せる速さだが、リュックを背負い、砂漠という環境で爆走できる人物の心当たりは1人しかいない。


「おーい。後輩く~ん」


 遠くから微かに聞こえる声だが、何を口にしているのかは察しがつく。

 体力を消耗するので、俺の側から近づくことはなく、彼女の到着を待つ。


 ***


「後輩君も起きたのね。目が覚めたら私達2人だけで、トルクメニスタンのダルヴァザ村近くのカラクム砂漠にいたのだけど、どうしてかしら?」


 良く状況をご存知なことで。

 そして俺が適当な服装なのに対して、目の前の会長様はしっかりと白色のレンジャー装備で見を固めている。

 背負っている巨大リュックは、林間合宿で見た物と同一だ。

 今回の騒動は、どうやら会長様による拉致のようだ。

 聞きたいことはたくさんあるが、まず優先すべきことはひとつ。


「とりあえず水をください」


 砂漠に放り出され、目が覚めてから、まだ1度も水を口にできていない。

 日の出から間もないようだが、これからどんどん気温が上昇していく。

 俺の要求に対して、会長様は巨大リュックを降ろして、頑丈そうなクーラーボックスを取り出した。

 不自然な光景なのだが、彼女は物質に魔力を流すことで、その硬度を高められる。


「ここで水はとても貴重なのよ」


 クーラーボックスの中から出てきたのは、ガラス瓶に入った怪しげな黒い液体。

 彼女は人差し指で瓶の王冠を開けると、プシュッとガスが漏れ出る音がした。

 手渡された容器はキンキンに冷えている。

 本来ならば、まず指に少し載せて中身を確認すべきなのだが、彼女の目があるので諦めるしかない。

 仕方がないので、少しだけ口に含み味を確かめる。

 雑味はあるが……うん、コークだな。

 体は水分を欲しているが、ゆっくりと数回に分けて流し込む。


 喉がうるおったからなのか、彼女の顔を見たからなのかは分からないが、徐々に昨晩の記憶が戻ってきた。

 たしか金曜日の男子寮の自室で、いつも通り蓮司、由樹らと過ごしていた。

 そして毎度同じく会長様が乱入してきて、4人で夜食を食べたりゲームをしたりして騒いだ後、就寝の時間になった。

 まず俺が彼女に気絶させられた2人をベッドへと運び、その後俺も気絶させられるのも馴染みの流れだった。

 違うのは目が覚めたら寮の寝室ではなく、砂漠にいたことだ。

 状況証拠は全て会長様が黒だということを示している。


 さて次は何に着手すべきだろうか。

 尋問したところで、犯人が目の前の彼女であることは明らかなので時間の無駄だ。

 動機にしたって、俺に理解できる言葉で話してくれるとは思えない。

 さっきトルクメニスタンと言っていたが、たしか旧ソビエト領だな。

 イラン、アフガニスタン、ウズベキスタンに囲まれたニホンから6千キロ以上離れた中央アジア。

 この国に訪れたことはなく、情勢についてもあまり詳しくないが、ダルヴァザ村という名には心当たりがある。


 会長様が新たにリュックの中から取り出したのは、昨今のニホンでは見かけないアンテナ付きの大きめな携帯電話。

 おそらく衛星電話だ。

 地球上のほとんどの場所で現在地を確認できる優れ物だ。

 彼女が意図的に嘘を口にしていなければ、位置に関する情報は正しいことになる。


 他にもリュックの中を確認するが、半分がキャンプグッズで、残りは食料ばかりだった。

 林間合宿の際は余計な娯楽品が大半を占めていたが、今回は無駄が少ない。

 さすがの会長様も旅行気分ではなく、しっかりと準備しているようだ。


 精確な座標が分かり、食料だけでなくサバイバル道具までもが揃っているならば、生命の危険は早々にない。

 砂漠越えの経験は何度かあるし、治安が悪い地域だって慣れている。

 そもそも会長様が一緒にいれば、戦闘面での不安がまったくない。

 むしろ彼女がトラブルを巻き起こさないか心配なくらいだ。


「さぁ、後輩君。いえ、部長! 目的地は目の前よ!」

(部長? あぁ、あれか)


 東高では部活動が単位認定されており、ほとんどの学生がいずれかの部に所属している。

 俺は護衛として、九重紫苑と同じ部活に入ることを望んだのだが、彼女の受け皿になる団体はなく、結局新たに立ち上げることになった。

 こっちの意見など聞かずに、設立されたのが珍獣&珍味ハンター部。

 そしてなぜか俺が部長に強制就任させられてしまった。

 書類上の活動内容は珍獣や珍味を求めて探検をすることで、会長様の気分次第で不定期に行っている。

 唐突に行動を起こす彼女だが、さすがに寝ている間に国外へと連れ出されるのは今回が初めてだ。


 砂漠といえば、人類の手が行き届かない未知の秘境があるかもしれないが、カラクム砂漠となれば有名なスポットがすでにある。

 彼女の言う目的地の心当たりはひとつしかない。

 俺も1度は行ってみたいと思っていたところだ。

 帰りの手段も気がかりだが、今は先に進みたい気持ちでいっぱいだ。


「凛花の部屋から衛星電話を盗ってかりてきたから、道案内は任せてね。砂嵐がなければ1時間で到着するわ」


 そう言うと電話を片手に彼女は行き先を指差した。

 そして振り返ることなしに歩き出す。


「会長、待ってください。荷物は?」


 彼女は衛星電話以外何も持っていない。

 大量の荷物が入った数百キロ相当のリュックが地面にそのまま置きっぱなしだ。


「何言っているのよ。男の子でしょ」

「こんなのあんた以外持てるわけねぇだろ!」


 ***


「ぜ、はぁ……ぜ、はぁ」


 結局、巨大リュックは俺が運ぶことになった。

 もちろん彼女から魔力の供給を受けて、身体能力を向上させてある。

 最初の頃は大量のエネルギーを扱うことができずに押し潰されそうになったが、今では頻繁に彼女のハイパワーの一部を供与されている。

 重たい荷物を背負っているにもかかわらず、少しだけ前屈みのだけでとてもいい姿勢で歩いている。

 それでも疲労の蓄積は否めない。


 そして彼女の予告通り、約1時間で目的地に到着した。

 ここまでの道程で、誰とも出会うことはなく、見かけたのはトカゲやサソリくらいだ。

 しかしどこを見ても同じばかりだった砂漠の光景が、唐突に一変した。


 燃え続ける大地。

 ダルヴァザ・ガスクレーター。

 通称、地獄の門。


 アイススケートリンクの倍ほどの広さで、約30メートルの深さがある巨大クレーター。

 50年ほど前の陥没かんぼつがきっかけで出来上がったこのクレーターでは、天然ガスの噴出が止まない。

 ガスによる事故を防ぐために、人工的に火が放たれて以来、休むことなく燃え続けている。


 魔術的なスポットを除けば、世界で唯一の場所だ。

 珍しい光景なのだが、訪れるには砂漠越えが必要なので、観光にはとても敷居が高い。

 会長にしては、なかなか渋いチョイスだ。

 今は太陽が昇っているが、日が暮れたらより幻想的な光景になるらしい。


「会長、夕方までここで待ちますか? それとも1度人里に移動しますか」

「何を言っているの。目的を忘れたの?」


 俺はてっきり、この燃え続けるクレーターを観光しに来たつもりだったが、彼女は違うようだ。

 改めて考えてみたら、まだ珍獣にも珍味にだって遭遇していない。


「たっのもー!」


 会長様はクレーターに向かって、大声を放った。

 地の底から彼女の叫び声が何度も反響している。

 こんな高熱、ガス地帯に知的生命体がいるのだろうか。

 もちろん高温でも生きられる生物はこの世に存在するが、細菌とかがメインで言葉が通じる相手とは限らない。

 クレーターの原住民はいないはずなので、この50年で何かが住み着いたのだろうか。


「グラ_ドンとかリOレウスじゃないから安心して」


 何のことか良く分からない。

 漫画かゲームのネタだろうか。


 巨大な魔獣が飛び出てくる光景を想像したのだが、地下から現れたのは小さな人影だった。

 見た目もサイズも人間なのだが、炎の中を平然と浮かび上がってきた。

 色彩のない白い衣を着た少女が浮遊している。

 胡桃やリズよりも背が低く、見た目は10歳手前だ。

 もちろんこの業界では、俺よりも年下で高位の魔法使いだっていることは承知している。

 しかしこれまでの戦いの中で培われてきた俺の直感が、目の前の娘が魔法使いといった次元ではなく、異形の存在だと訴えている。

 吸血鬼の真祖であるローズ・マクスウェルかあさんや、会長のペットであるリルに近い印象だ。

 一方で会長様と同様に、強者としての覇気はきを発していないことがとても不気味だ。

 力量だけでなく、表情までもまったく読むことができない。

 目を合わせると、こちらの心を見透かすような眼光をしている。

 その幼い顔つきが、なぜか壮年のものに見えてしまう。


『ワタsを訊ねてくる者なnて、こk数百年ダレもいなかったo否、面白i客人だな。混じり物の2人組か』


 辛うじて聞き取ったのは、古ノルド語だ。

 今の人類では使われていない言語で、耳にするのは母さんに習って以来だ。


 厳密には耳で聞いていない。

 口元は動いてないのに、念話テレパシーのような彼女の声が脳内に響いてきたのだ。

“混じり物”という言葉の意味は分からないが、2人というのは会長と俺のことで間違いないだろう。

 少なくとも話の分かる相手ならば、いきなり戦闘ということはなさそうだ。

 しかし恐いもの知らずの会長様が失礼を言い放つ。


「私の子分になりなさい!」


 会長様の力の底は未だに見えないが、それでも人間の枠に収まっている。

 一方、目の前の異形は子供をかたどっているが、あからさまに仮の姿だ。

 俺の能力は対人戦向けなので、怒りを買って戦闘になれば逃げの一手しかない。


「なるほど。自分が何を口にしているのか理解した上で、言っているのだな」


 今度はニホン語でしっかりとした音が聞き取れた。

 会長の不遜ふそんな物言いに対してとても大人の対応だ。

 どうやら彼女と俺が理解できる共通の言葉に合わせてくれたようだ。


「リルの妹の、ヘルちゃんでしょ」


 会長様は軽く口にするが、とんでもない大物の名前が出てきた。

 北欧神話のトリックスターとして知られるロキと、女巨人アングルボザの間に生まれた兄弟妹。

 狼のフェンリル、大蛇ヨルムンガンド、そして死者の国を支配する女神ヘル。

 ヘルは地獄という意味で知られているが、本来は古ノルド語で“隠す”を示す。

 彼女は主神オーディンに追放され、下層世界の冷たい氷の国ニブルヘイムで死者を支配する役割を与えられた。


 神と人類の接触は意外に珍しくなく、その多くが異世界の住人だと解釈されている。

 しかし北欧神話の神々なんて人間が調伏ちょうぶくできるような相手ではない。

 あのマゾ狼は例外だと信じたい。


「なぜワタシの力を求める? すでにそなたらは2人は共にこの世界のヒトとして身に余る力を有している」


 好き放題に暴れて日々を過ごす絶対強者が、更なる力を求める必要があるのか。

 俺の目的は母さんとの再会であり、そのために第5の精霊王の真相探求、精霊殺しの剣の調査、そして九重紫苑の護衛をしている。

 しかし俺は、彼女がどのような経緯で第5公社の副長になり、なぜ指輪の騎士なんて超人を生み出しているのか、何も知らない。


「……」

「……なるほどそういうことか。ならばワタシの協力を欲する訳だ。確かに我々も勝手に王を名乗るあの連中が目障りだ」


 しばらく間を置いて、一転ヘルが態度を変えた。

 どうやら会長は、俺に事情を伏せるために念話で理由を答えたようだ。

 いい加減なようで、実は核心を明かさない彼女は一筋縄ではいかない曲者だ。

 それでも地獄の女神の口振りから、彼女らにとって共通の敵の存在を察することはできる。


「しかしワタシも女神の端くれだ、無条件で力を貸す訳にはいかない」

「実力を示せばいいの? リルのときは一発殴ったら、尻尾を振ったわよ」


「長兄と一緒にしないで欲しい。先に産まれた方が偉いのは命を紡ぐ生命体での話だ。獣の姿で産み落とされた兄たちと違い、ロキちちはワタシを神の末席として創った。ヒト相手に競うつもりはない」

「じゃあ条件って何?」


「もう何年も退屈でな。こっそりとニブルヘイムを抜け出してヒトの地にバカンスで訪れていたが、ちと物足りない。ワタシのしとねにそこの坊やを一晩置いて行け」


 まさかの女神様からのご指名だ。

 火遊びにしてはあまりにもリスクが高すぎる。

 神とまぐわえば、間違いなく今の自分でいられなくなる。

 まぁもちろん相手が神じゃなくても、経験すれば男は変わるのだろうが。

 見た目が少女のヘルは、法律に触れないが、完全にコンプライアンス違反だ。

 すっぱ抜かれたら、社会的な信用を失う。

 それに俺にだって男としてのプライドもあれば、憧れもある。


「いいよ。後輩君を貸してあげるわ。ちゃんと返してよね」

「勝手に決めるな!」


 さすがの俺も、話を進める会長様に反抗した。

 いつまでも彼女の言いなりではない。

 そして思春期の男子を舐めるな!


「えへへ。後輩君は私に懐いているから無理だって。ヘルちゃん、ごめんねぇ」

「試しに言ってみたのだが、やはり駄目か。雄は別で探すとするか」

(この女狐共め!)


 完全に2人のペースに巻き込まれている。

 女性同士の話に男が混ざると厄介になるのは、人でも神でも同じなのかもしれない。

 真剣な話をしているようで、じゃれ合っているようにも見て取れるが、男には分からない言外の攻防がある。


「それじゃあ、最初から力を貸すつもりはないってこと?」

「神というのは気まぐれな存在だ。ここで約束しても動かないかもしれないし、断っておいて事を起こすかもしれない。それでもせっかく来てくれたのだから、助言くらいはしてやるさ。そなたはすでに、残り2つの枠の候補者に出会っている。1人目は運命を変える力。2人目は未来を切り開く力」


 神にとって、人間との約束をまっとうする義務などない。

 そもそも契約というものは対等な立場、もしくは上の立場から下に押し付けるものだ。

 対峙するヘルは、人間のような感情を持ち合わせているように見えるので誤解してしまいそうだが、表面だけで推し量るのは危険すぎる。

 約束を保証しないだけでも良心的な部類の神様だ。


 そして会長への助言の内容に心当たりがある。

 彼女唯一の固有魔法“指輪の騎士達”は任命した騎士に強力な固有魔法を目覚めさせる。

 騎士の全容は不明だが、どうやら残り2人しか増やせないようだ。

 いや、あまり先入観にとらわれない方が良い。

 会長から騎士の解任が可能ならば、いくらでも見知らぬ騎士が現れるかもしれない。

 そもそも指輪の騎士が死んだら、その枠に新たな人物が収まるのか。

 そしてヘルが口にした彼女がすでに出会っている人物とは、俺の知り合いなのだろうか。


 とりあえず会長様は、ヘルの勧誘をこれ以上無理強いするつもりはなさそうだ。

 自由気ままのような彼女だが、意外と深く物事を考えている節がある。

 俺としてみれば、ヘルとの戦闘に発展しなくて良かったと思う。


 ***


 せっかくなので夕暮れまで待ち、暗闇の中で煌々こうこうと燃え続けるクレーターを眺めていた。


 ヘルの差し入れでニブルヘイムの氷で作ったかき氷をご馳走になった。

 砂漠でかき氷なんて、なんとも贅沢なことだ。

 ちなみに会長様の巨大リュックの中には、イチゴ、メロン、ブルーハワイのシロップが入っていた。

 俺はイチゴだけにしたが、女性2人は3杯食べて制覇した。

 ちなみにブルーハワイとは本来カクテルの名前だが、ニホンでは謎の青い液体の総称みたいなもののようだ。

 そして帰宅の時間がやってきた。


「そろそろ帰ろっか。ヘルちゃん、今度はこっちに遊びに来てね。後輩君が料理でもてなしてくれるわ」

「作りますけど、せめて会長も手伝ってくださいよ」


 この程度の軽いやりとりはもう日常茶飯事だ。

 しかしヘルが東高に来たら大問題になるな。

 東高の女帝は1人で十分だ。

 それに兄のリルを飼い犬として学校側に認めさせた時も、ひと悶着もんちゃくあったそうだ。


「ここも地上の別荘として気に入っていたが、そろそろ新しい拠点も悪くない。ニホンなら温泉に入り、ニホン酒に寿司や天ぷらを楽しみたいな」


 こんな辺鄙へんぴなところにいるが、かなり俗っぽい神様だことだ。

 魚を捌くことはできるが、さすがに寿司はプロに任せるべきだ。

 天ぷらなら得意料理だ。

 しかし神の時間に対する間隔は、人間とは異なる。

 来訪は数十年先かもしれない。


 ところでヘルとの遭遇のせいで、帰りのことを保留にしてしまっていた。

 会長様のことなので、何か反則技を使ってここまで来たのだろう。

 帰りの当てもあるのだろうとあまり心配していなかった。

 最悪俺1人置いて行かれても大丈夫だ。

 財布もパスポートもないが、裏社会には昔の伝手があるし、ステイツ軍基地まで辿り着けば支援を受けられる。


「後輩君、お手!」


 唐突にどうした。

 それで俺が尻尾を振って手を差し出すとでも思ったのか。

 左の手の平を上にして前に出す彼女に対して、俺は何もしない。


「まったく、手を繋がないと帰れないでしょ」


 いったいどういう原理なのか理解できない。

 またからかわれているのかもしれない。


 躊躇ためらっていたら、彼女の方から俺の手を握ってきた。

 相変わらず、その強さを感じさせない小さな手だ。

 互いの手が繋がったことで距離が縮んだせいなのか、それとも魔力を吸って感覚が研ぎ澄まされたせいなのか、彼女の息づかいや心臓の音がはっきりと聞こえてくる。


 俺に刻まれた魔法式は、触れた相手から魔力を奪うことを抑えることができない。

 もし相手が魔法使いならば、急激な魔力の損失は生命活動に支障をきたす。

 そのため普段から、肌の接触はとても気をつけるようにしている。

 そんな体質の俺にとって、数少ない触れ合える相手が隣の彼女だ。


「ほら、目を閉じて」


 今更、なぜとは口にしない。

 彼女にささやかれてしまうと、理由は説明できないが、簡単に従ってしまう。

 手を握られ目を閉じても無防備ではない。

 たとえ視界を捧げても、気配だけで相手の動きを読める。


 ほら、華奢きゃしゃな会長様がさらに近くなる。

 繋いでいないもう片方の彼女の手が、俺の顔へと向かってくる。

 あまり彼女の思い通りにさせないために、少しだけ離れようとするが掴まれた方の腕が全く動かない。

 次の瞬間、側頭部に衝撃が走り、俺は気を失った。


 攻撃を察知できたとしても、絶対強者の本気の拳は回避不能だ。


 ***


“ブーブー、ブーブッ”


 スマートフォンの振動音で目が覚めた。

 布団の中でバキバキに固まった体をほぐしていく。

 もう慣れ親しんだ寮のベッドの上だ。


 夢オチか。

『明日は土曜日だから』と意味不明な理由で、部屋に泊まりに来た会長様に気絶させられたせいで、奇妙な夢を見てしまったようだ。

 とりあえず再び鳴り響くアラームを止めるためにスマホへと手を伸ばす。


 5時半、食事前の軽いトレーニングにはちょうど良い時間だ。

 休みの日の朝にしっかり起きられると少しだけ得した気分になる。

 ベッドから起き上がり改めて、スマホの通知をチェックしようとしたら、あることに気づいた。


「……げつよう!?」


 2日経過していたのだ。


 ちなみにLINeの通知があったので開いたら、見慣れぬIDからのメッセージだった。


しとねを共にできなかったのはやはり名残惜しい。そなたを名も無き王にも、真なる王にも差し出すのはもったいない。加護を与えるから精々励みなさい』


 加護が何かは分からないが、地獄の女神ヘルのLINeIDを手に入れた。

 ところで俺のスマホに古ノルド語のフォントなんて入っていたか。


 ***

『おまけ』

ヘルの加護:しぶとくなる。女難が増す。


 ***

『あとがき』

3章のSSはここまでです。

会長による登場人物紹介を挟んで4章に入りたいと思います。

予告して投稿できなかったSSは4章で公開したいです。

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