SS8 生徒会会計の行方

『まえがき』

久しぶりに物語を進めます。


 ***


 放課後の生徒会の事務室では、いつになく真面目な雰囲気が漂っていた。

 一番奥の席が生徒会長で、その手前の両サイドが役員2人の定位置。

 さらに5月から増えたメンバーのうち、蓮司、リズそして俺の3人が召集されていた。

 昨晩凛花先輩より一斉メールがあり、この6人が集まることになった。

 この|顔ぶれは、前月の狙撃騒ぎの関係者たちだ。

 議題については何も聞かされていないが、第5公社に関わる案件だと予想している。


 ステイツの狙撃チームを排除する際に、市街地で戦闘する正当な理由が必要だった。

 そのために第5公社からの依頼という体裁を凛花先輩に要望したのだが、その条件として提示されたのが俺たちのサブライセンス契約。

 これは事前予約のようなもので、契約状態だと年に1度ある他の魔法公社のライセンス試験を受けることができない。

 代わりに学生の身では参加できない難易度の高い専門的な依頼を受注することができるようになる。

 さらに次回の第5公社のライセンス試験は、合格が保証されたようなものなので、お互いに利がある。


「急を要したので第5公社のサブライセンスを発行したが、改めて説明と意思を確認する機会を設けるべきだと思ってお前たちを集めた」


 もちろん司会進行から始まり、解説や質疑応答も凛花先輩の仕事。

 自分勝手に話を進める会長様だと説明不足な上に、質問が真っ直ぐ返って来ない。

 そしてまともに話したことのない静流先輩は論外だ。


「まず私たち役員3人は第5公社の正規メンバーだ。紫苑は結成当初からの構成員で今では副長の立場であり、私と静流は昨年ライセンスを取得した。そして第5の具体的な活動内容は公社や魔法使いの不正の取り締まりだ」

「後輩君、つまり私達は魔法使いのための魔法使いであり、堕ちた魔法使いを取り締まる魔法使いでもあるわ」


 途中で会長様が言葉を奪ったが、おおよその話の流れは読めた。

 第5公社は魔法公社の内偵機関という訳だ。

 それにしても公社を名乗るかどうかの違いだけで、枠から外れた魔法使いを粛清しゅくせいするという点では、ステイツで俺がしていた仕事大してと変わらないな。


「一般向けとして公開されていない組織だが、創設には4つの公社全ての上層部の信任を得ており、必要であれば公社内に架空の身分を用意できるくらいの政治力はある」


 俺にとっては初耳な情報ばかりで、どうにか驚きを隠しているのだが、蓮司とリズの反応も似たようなもので、黙って話を聞いている。

 確かに取り締まることが仕事ならば、依頼を受け付ける窓口は必要ないし、公に知られることもない。

 フレイさんでも第5の全容を把握できなかったのは、公社内部の秘密組織という性質だからなのだろう。

 そもそもステイツに対して害になる存在でなければ、うちが動く案件ではない。


 自らの不正を暴く組織など公社にとって邪魔でしかないが、そもそも内側から作られたのならば話は別だ。

 おそらく単純な正義感ではないはずだ。

 魔法業界を牛耳る公社のお偉方は何か企みがあって、第5の活動を認めているのだろう。

 この辺りはフレイさんに報告すれば、新たな事実が浮かび上がるかもしれない。

 糸口があればうちの優秀な上司は、様々なネタを引っ張ってくる。

 ただし俺に教えてくれるかどうかはまた別の話だが……


 第5公社の活動内容を知らされたら、とある違和感に気づいてしまった。

 話の本筋から外れてしまうが、このタイミングを逃したらもう抗議できない案件だ。


「ちょっと待ってください。会長が俺のことを散々こき使った依頼は、不正の摘発とは無関係じゃないですか!」


 狙撃の件以外にも、第5公社からの指名依頼ということで、会長様に仕事を強制されたことが何度かあった。

 不正の調査なんかと関係なく、面倒な肉体労働ばかりで、特に土木工事など土魔法を使えない俺に任せるような仕事ではない。

 職権乱用どころか、会長様の意図がまったく理解できない。

 今更ながら護衛任務もあるので面倒な仕事ではなく、学生向けの楽な依頼を受けたかったものだ。

 そんな俺の主張クレームに対して、会長様ではなく凛花先輩が紳士的に答えた。


「あの件はもともと私の担当だった。公社事務スタッフが無免許モグリの魔法使いへと仕事を斡旋していたのを摘発したのだが、想定よりも多くの依頼を横流ししていてな。すぐに正規の募集を掛けても間に合わない状態だった。私の方で全てを補填するつもりだったが、紫苑の提案で半数を芙蓉に任せることになった」


 不正を暴いてそれで終わりではないのか。

 どうやら事後処理も含めての仕事のようだ。

 ステイツでの俺は専ら戦闘がメインで、バックアップは上司のフレイさんが他の人員へと割り振っていたので、あまり気にしてこなかった。

 そうなると仮契約の段階では、実際の摘発よりも裏方の仕事が多いのかもしれない。

 護衛任務以外での戦闘行為は避けたいので、都合が良い。

 それに今回蓮司たちが新たに加わったことによって、相性の悪い仕事は他に任せられる。


「他に注意事項としては、第5公社の正規メンバーになるとその性質上、他の公社への移籍が難しい。ここまでの話を聞いた上で、サブライセンス契約の撤回を希望するなら対応する」


 ライセンス取得して正規メンバーになった後の魔法公社の移籍はそれほど珍しくない。

 有名なのだと、各属性の契約者候補はそれぞれの公社がヘッドハンティングをしている。

 歴史的に第1公社から順に、火、水、土、風の精霊王の契約者を輩出している。

 明確なルールがある訳ではないが、ひとつの結社が複数の契約者を確保するとパワーバランスが崩れてしまうので、公社同士が暗黙の内に取り決めているのだろう。


 他にも異なる公社所属の魔法使い同士で臨時のチームを組み、正式に結成したいときはひとつの公社に揃える。

 魔法結社の所属を変更する場合も、公社の所属も一緒に変更することがある。

 もちろん移籍をするには条件や制約が存在するが、実績のある者ならばそれほど難しくない。

 それに比べて第5公社の場合は、移籍はせずに終身働くか、魔法使いを引退する道しかない。

 これは相当なリスクだ。

 もちろん俺のようにアンダーグラウンドで仕事するならば、無理して魔法公社に身を置く必要はない。

 とは言え、サブライセンスの段階では引き返す道が用意されているようなので、俺だけでなく他2人もあまり動揺していない。

 どうやら当分はこのメンバーで固定になるのだろう。


 しかしこれで終わりではなく、まだ話の先があった。

 俺たちの意思を確認した凛花先輩は、次の議題の導入を話し始めた。


「察しているかもしれないが、私たちが生徒会役員をしているのは第5公社の新人発掘も兼ねている。生徒会に誘った面々はサブライセンス候補であり、冴島由樹、橘由佳、野々村芽衣の3人には個別に今と同じ話をしてある。もともとお前たちをひとつの班に集めて、林間合宿の担当を私にしたのは紫苑の企てだ」


 彼女の言う通り生徒会運営の目的が、会長様の単なる楽しみではないと思っていたが、俺たちが同じ班になったところまでも仕込まれていたのか。

 そうなると入学式の晩に、初めて彼女と接触したときよりも前に、目をつけられていたことになる。

 あの日、会長様が俺のことをからかったり、色々と言い当てたりしたときから、すでに品定めは始まっていたのかもしれない。

 そして林間合宿では凛花先輩が別の角度から査定をしていたようだ。


 このメンバーでの内密な話だと思っていたのだが、どうやら由樹たちもすでにサブライセンスの勧誘を受けていたようだ。

 しかしそれだと1人足りていない。

 俺たちの疑問に先回りして、珍しく口を開いたのは静流先輩だった。


「胡桃はまだ実力不足……それに伊吹おとうとのためにも、こっちに来るべきじゃない」


 静流先輩は草薙本家の長女であり、後継者候補の弟が俺たちと同じ学年にいる。

 草薙の家の事情は知らないが、あそこは第1公社傘下の魔法結社だ。

 家の役目を継ぐならば第5に入る訳にはいかない。


「私と紫苑としては勧誘したいのだが、静流が反対している。それに由佳とは昨日サブライセンス契約を結んだが、由樹と芽衣からは断りを受けた。進路に関わることだし、無理強いはしない」


 つまりこのメンバーに追加されるのは、由佳だけということだ。

 凛花先輩の言う通り、サブライセンス契約にはリスクもあるので、誰もが受け入れる訳ではない。

 表の世界だとしても魔法使いの仕事は命に関わるので、考えの甘い人間は学生でなくプロでも簡単に再起不能になり得る。

 むしろ由樹達が断ったことで、なぁなぁで始まらずに第5公社として働く覚悟が引き締まると思う。


 この先の道が違えたとしても、由樹達との関係が今すぐ崩れることでもない。

 当面はこれまでに会長と行っていた仕事が、蓮司やリズ、由佳と組む機会があるかもしれないという程度の変化だ。


 そもそもフレイさんから任務終了の指令が下れば、東高を去る身の上なので、いつ終わるのか分からない生活なのは承知している。

 誰がサブライセンス契約しようが、依然として俺がステイツの裏部隊の人間で、九重紫苑の護衛であることに変わりはない。


「ようやく本題なのだが、生徒会の運営上、来期に向けて役員の1人は1年生から選出したい。次の生徒会長が誰であれ、経験のある役員を残しておきたい。そして私達と密接に活動するならばサブライセンス組みの4人から選びたい」


 東高の生徒会は、10月の生徒会戦拳にて会長を選出し、その人物が役員を任命する。

 そして前期の生徒会メンバーから何人かを引き継ぐのが通例だ。

 俺が入学したときは3人だった現生徒会だが、結成当初は前生徒会から当時3年生の先輩を副会長に起用している。

 次の新たな生徒会長の判断にもよるが、この場で役員を引き受ければ、来期も生徒会を続ける可能性がぐっと増すことになる。

 しかし現生徒会長の九重紫苑は2年生なので、再選も十分にあり得る。

 そもそも絶対強者に立ち向かうだなんて、俺なら御免だ。

 だとしても体裁を整えることは重要だ。


 空いている残り1つの役員の席は、昨年まで凛花先輩が担当していた会計の職だ。

 実質今でも彼女が兼任している状態で、俺たちの誰かに託す話は以前にも聞いている。


「後輩君。というわけで役員になってよ」

「いえ、嫌です」


 この場合の返答は以前から決めていたので、反射的に口から出てきた。


「どうしてよ! お姉さん3人が生徒会をしていたら、そこに加わるのが、男の子の憧れでしょ! 王道でしょ! 宿命でしょ!」

(何を言っているのか、よく分かりません)


 声を荒らげた会長様は、しばらく「うー」とうなっているが、俺は絶対に視線を合わせない。

 意味不明なハーレム展開の主人公になった覚えはない。

 そもそも誰もやりたくないから、前生徒会のメンバーは1人を除いて逃げていったのだし、その後も希望者が現れていない。


 俺は彼女の護衛であって、雑用係りではない。

 同じ空間にいるために生徒会に入り、第5の精霊王の手掛かりを求めてサブライセンス契約を交わした。

 しかし今度の役員の申し出は、仕事が増すだけで、あまり旨味がない。

 それでなくとも会長様の傍にいることが多すぎて、こちらの心労が溜まるだけでなく、各国諜報員から警戒されてしまっている。

 他の人物が役員になって目立つことで、俺に対する警戒が和らぐならばそれに越したことない。

 ステイツが用意した会長の護衛の中で俺だけが接触を許されているが、必要以上に近づくことはない。

 そもそも蓮司や由佳のような適任がいる現状で、俺を最初に選ぶのは完全に会長様の独断じゃないか。


「俺も部活があるので、さすがに役員は遠慮したいです」

「……無理」


 俺だけでなくこの場にいる2人も拒否を表明した。

 蓮司なんかは性格的に向いていると思うが、週3日のペースで部活がある。

 新しく挑戦している身体強化は、未だ完成にはほど遠く、俺も鍛錬に付き合っている。

 凛花先輩のような何でもできる超人ならいざ知らず、部活と生徒会の両立は大変だ。


 リズの方はこれまでの事務業務の仕事振りから、単純な会計の役目だけなら問題なくこなすだろう。

 しかし役員になれば、生徒会メンバー以外への対応の機会も増す。

 すでに無口な役員が1人いる現状で、彼女まで抱え込むのは、今の生徒会の為にならない。

 そもそも彼女は俺と同じく、九重紫苑の護衛任務でここにいる。

 ならば余計な雑用を増やしたり、名前を売ったりする意味がない。


 俺たち3人の返答に憤る会長様と違って、副会長の凛花先輩はいたって冷静だった。


「紫苑が先走ったが、すでに私達3人で話し合って、由佳に任せたいと決めてある。少し前のめりなところもあるが、明るい性格だし、新人戦で力を示せたことも大きい。しかし1年生で役員入りすれば、彼女の負担が増すことになる。今期だけでなく来期だって続く。お前たち3人もだが、6人みんなで彼女を支えてやって欲しい」


 やはり会長様の独断先行だったか。

 人間関係での調停能力ならば、由佳よりも蓮司の方が上だが、彼にはもろい一面がある。

 カウンタースナイプの際は土壇場で活躍したが、TAC-50を改造した魔法実弾併用狙撃銃を目にしたときは、肉体に影響を及ぼすほどの動揺を見せた。


 一方、由佳は新人戦で芽衣に敗北したものの、実力だけでなく心の強さを見せつけた。

 実力主義の東高では、生徒会といっても下っ端の俺たちだと、反発する生徒も多い。

 候補者の4人の中で、新人戦で活躍できたのは由佳1人だけだ。


 そして由佳を除いた3人を先に集めた凛花先輩の意図は、第5公社の説明だけではなかった。

 凛花先輩を慕っている由佳ならば、自ら役員の席に立候補しかねない。

 そんな彼女の立場を固めるためにも、俺たちに念を押すことが1番の目的だったのだ。

 1学年上でしかないのに、こういうところに気が回る凛花先輩はさすがだと思うしかない。

 おそらく後日、残りの3人にも根回しをするのだろう。


 別に言われなくてもサポートすることになるのが、いつまで付き合うのか分からない。

 しかしわざわざそのことを口にする必要はない。

 俺を含めて3人が同意を示した。

 反対などあり得ない場面であり、同意したという事実があれば今は十分だ。

 守る必要のない口約束だが、俺達の姿勢を正し、行動を変容させるだけの効果は十分にある。


 3人の意思を確認した凛花先輩がとんでもない余談を口にした。


「ちなみに生徒会長が強権を発動して役員に指名した場合、断るにはランキング戦形式で打ち負かす必要がある」

(凛花先輩、Good Job!!)


 会長様との試合だなんて絶望しか待っていない。

 絶対強者の異名を持つこの学園の女王は、暴力的な量の魔力を振るう。


 そんな彼女だが決して無敵ではない。

 日常生活の魔力を解放していない状態では、女子高生相応、むしろ少し劣る身体能力しか持たない。

 不意を突いたり、切り札の『魔法狩り』を使ったりすれば、俺にだって勝機はある。

 しかし互いに正面を向いて戦うランキング戦形式ではどちらも使えない。

 戦闘モードに入り魔力をまとった彼女に対して、どこを狙ってもまともにダメージを与えられない。

 とっておきの『魔法狩り』だって、発動条件を知られてしまっているので、簡単に封じられてしまう。

 タコ殴りにされるか、投げ飛ばされるか、押し潰されるかのいずれかだ。


 ***


 実習のない放課後、本日は料理研究部も休みで、生徒会の方で抱えている案件も特にない。

 これから何をするのか考えながら、放課後の教室にいた。

 最近の空いている時間はメイに引っ張られて、聖属性の訓練をすることが多いが、『今日は由樹君と魔法開発部の活動があるの』と断られてしまった。


 今までは同じ部活なのに別々に移動していた2人だけど、メイの公開告白以来は教室から一緒に部室まで行くことが習慣になりつつある。

 メイが由樹君へと声を掛けるけど、いつも彼の傍にいるお馴染みのトリオの2人がいない。

 蓮司君と芙蓉君がいない光景は別に珍しくないけど、今日だけは何か違和感がある。


「由樹君。蓮司君達はどうしたの?」

「えーっと、何も聞いていないな。生徒会ハウスじゃないか」


 たしかに候補として生徒会ハウスは考えられるが、あそこは私たちの溜まり場ではない。

 芙蓉君は生徒会の仕事がなくても、頻繁に出入りしているみたいだけど、蓮司君は用件がなければ立ち入らない。


 そういえば同じ料理研究部のリズの姿もない。

 彼女が放課後の教室にたむろすることはないし、行き先を告げずにいなくなることも度々ある。

 日常的な放課後のはずなのに、女の勘がざわつきだす。

 いない3人は狙撃事件の関係者であり、私より先に第5公社のサブライセンス契約を済ませたメンバーだ。

 ちなみに残りの生徒会メンバーの胡桃は、魔法少女事件の火消しで忙しいので除外してある。


 もしかしたら会計の任命をしているのかもしれない。

 東高に入学する前から、凛花お姉様の隣で生徒会として働くことに憧れていた。

 とりあえずの目標は達成したけど、空いている1つの役員の席は未だ保留のままだ。

 新人戦の準備から始まり、多くの時間を生徒会に費やし、しっかりアピールできている。

 だけど九重会長のお気に入りは芙蓉君だし、戦闘面ならリズが、1年生のリーダーとしてなら蓮司君の方がまさっている。

 役員の決定に異議を唱えるつもりはないけど、私の知らないところで決まるのは耐えられない。

 せめて最後のアピールタイムが欲しい。


 確証の無いまま、私は教室を駆け出た。


 ***

 生徒会ハウスの玄関。

 私の予想通り、リズたち3人の靴があった。


 狙撃騒ぎの際は一時的に電子錠が掛かっていたけれど、基本的に放課後は解放されている。

 生徒会の一員である私は自由に出入りしもいいのだが、何故だか足音を殺して奥へと進む。

 人の気配があるのは事務室だけだ。


 そっとドアを引いて、まずは声を探る。

 もし予想が間違っていたら恥ずかしいけど、そもそも私は招かれざる客だ。


『ちなみに……役員に……場合……打ち負かす……ある』


 中から凛花お姉様の声が聞こえるけど、その内容までは分からない。

 さらに情報を得るために、ドアの隙間を広げて中の様子を探る。

 役員全員にリズたち3人が揃っていた。

 姿は見えたがやはり音が拾えない。


「……嬢ちゃん。盗み聞きとはいただけないな」

(誰だ?!)


 咄嗟とっさに後ろへと振り返ったけど人影はない。

 辛うじて半開きにしていたドアを急に閉めることはなかった。

 とりあえず音を立てないように、そっとドアノブから手を離す。


 先程の声は男性のものだったけど、その声色も口調も聞き覚えがない。

 この建物では以前にも狙撃騒ぎがあった。

 教室に盾を置いてきてしまった私は、徒手空拳としゅくうけんの構えを選んだ。

 中学に入るまでは、こっちの方が基本スタイルだった。

 だけど肝心の敵の姿が見えない。

 メイの眷属みたく、不可視の存在かもしれない。


「違う違う。こっちだ。下だよ」


 声に従い視線を降ろすと、そこには壁に立てかけられていた金属バット。

 おそらく凛花お姉様がいつもケースに入れて肩に掛けている相棒。

 はっきりとした自信はないけど、何度か野球の試合を見学にしに行ったときに見たものと同じだと思う。

 そんなバッドの先端がくねくねと動いている。

 目や口がある訳でないのに、なぜかそこに表情が見えてしまう。


 魔法高校なのだし、喋るバットがあってもおかしくない。

 魔法の存在が公にならなかったIfを描いた小説、ハリー・ポ〇ターでだって喋る帽子や、逃げるカエルチョコが出現する。


 目の前の不思議な物体を掴むと、とりあえず軽く振ってみた。

 使い込まれているけどその重心に歪みがない。

 生徒会ハウスのエントランスは広く、余計なものが無いのでフルスイングしても問題ない。

 振るたびにバッドの軸がしっかりと腕に馴染む。


「いいスイングやんけ!」


 しっかりと振り抜けると、バッドがめてくれる。

 これは結構快感かもしれない。


「由佳か。ちょうど呼ぼうとしていたところだった」


 半開きのドアから、凛花お姉様が顔を見せていた。

 さすがに騒ぎすぎてしまったようだ。


「凛花の嬢ちゃん。ワイのことは無視かい?」

「人目に付くから勝手に出歩くなと、いつも言っているだろ! しかも堂々と私の後輩に浮気か?」


 凛花お姉様が伸ばした手に、私は何も言わずにバッドを差し出した。

 準備運動を一切せずに、“ぶん”と一振り。

 さっきまで私が振っていたバッドと同じなのに、叩きつける空気の音がとても重く、低音が響き渡る。


「やっぱ。ご主人が最高や!!」


 喋るバッドは凛花お姉様に対してツンデレなのかもしれない。


 副会長は盗み聞きをしていた私をとがめることなく、話し合いをしていた事務室へと招き入れた。

 覗いたときに見えた通りで、2年生3人とリズ達がいた。

 生徒会全員が集まると机が足りない部屋だけど、椅子の方は人数分揃ってある。

 様子からして業務をしていた訳ではなさそうだ。

 みんなからの視線が集まるのに、誰も言葉を発しない。

 私の登場で異様な緊張感があるけど、非難とは少し違う。


 先導していた凛花お姉様が私を置いて、机の上に腕を付けて手を組む九重会長の後ろに立つ。

 私を含めてみんなが自然とこの館の女主人へと目を向ける。

 いつもより低めで、ゆっくりとした口調で彼女の演説が始まった。


「橘由佳よ。そなたは望まれたのだ。選ばれたのだ。さぁ、魂を捧げて、馬車馬の如く働く覚悟はあるか!」

「回りくどいはわ!!」


 凛花お姉様のツッコミの後に、入学式の再現のように金属の棒が会長の後頭部を直撃する。

 もちろん絶対強者にダメージなどなく、喋るバッドの方がへこんでしまった。


「痛いわ! だからワイで打っていいのはボールだけやんけ」


 喋るだけでなく、痛覚もあるのか。


 言葉と共にくねくねと曲がるバッドだが、徐々にへこみが無くなり原型へと戻っていく。

 目の前の光景にリズや蓮司君は驚きの色を見せているのに、芙蓉君だけは呆れている。

 彼は大分この環境に順応しているようだ。


 凛花お姉様はバッドの事を無視して、九重会長の言葉を引き継いだ。


「由佳。第5公社での活動も始まり多忙になるが、生徒会の会計の職を引き受けてくれないか」


 選ばれた!?

 お姉様の言葉を頭の中で反芻はんすうしてみたけど、聞き間違いではない。

 生徒会役員の最後の枠に指名されたのだ。

 何が決め手になったのか分からない。

 九重会長は芙蓉君を選ぶと思っていたけど彼が断わったのか、それとも凛花お姉様が私のことを推薦してくれたのか。

 このメンバーが集まって、さすがにドッキリとは考えられない。


「ぜひ、こちらこそよろしくお願いします。橘由佳、会計の任を引き受けます。凛花お姉様」


 普段、本人の前では“凛花先輩”と口にしているのに、感極まってお姉様と呼んでしまった。


「役員の仕事は大変かもしれないが、1人で抱え込まずに同じ1年生たちと力を合わせて上手くやってくれ」


 1年生と言ってもこの場に集まったのは半分だけだ。

 私より先に第5公社のサブライセンス契約をした3人。

 この流れからして、すでに凛花お姉様が根回しをしていたようだ。

 全員は揃ってないけど所信表明は重要だ。

 言葉を選ぶ時間はなく、思ったことを口にするしかない。


「いきなりのことで動転しているけど、入学前から生徒会を希望していたし、役員に憧れておりました。ここ1カ月の仕事で、自分が未熟なことは理解しています。至らない点も多く、みんなにも迷惑を掛けるかもしれませんが、次に繋ぐためにも頑張ります」


 私の言葉に対して、みんなが拍手と笑顔で受け入れてくれた。

 級友たちから祝福の声が上がる中、それも混ざっていた。


「良かったな。嬢ちゃん」


 今更ながら、この不思議なバットはなんだろう。

 知恵ある剣インテリジェンスソードの亜種だろうか。

 凛花お姉様が補足した。


「有名になれば研究される。だから他人の目がある公式戦では本気を出せない。こいつを使うくらいなら敗北を受け入れる。だけどこれから第5公社として、生徒会として一緒に活動するうちに見せる機会があるだろう」


 凛花お姉様はそれ以上何も言わなかったけど、スクリプトによって行動パターンが制御されたゴーレムなんかではない。

 ゴーレム創成以外にも土魔法を多用するお姉様だけど、隠している切り札については初めて知った。

 彼女だけでなく、校内ランキングの上位ランカーならば本当の実力を見せないのは当然のことだ。


 私だって奥の手を持って東高に入学したけど、先の新人戦でメイ相手に本気で立ち向かうために、希少な聖属性と完全防衛魔法の疑似アイギスを使ってしまった。

 この先、第5公社で、生徒会の一員として活動する上でも、新たな手札を用意しなければならない。


 ***


 生徒会会計に任命されて数日後、東高で一番大きな掲示板に1枚の紙が張り出されていた。


“新規生徒会役員”

 会計:橘由佳

 庶務:高宮芙蓉

 以上2名


 なんでもありの九重会長だけど、まさか役員の枠を増やしてしまうとは。

 庶務の仕事は調整係という名目だけど、実質雑用係。

 つまり会長のパシリだ。


 芙蓉君はダメもとで任命拒否の試合を挑んだけど、第9演習場において一瞬で九重会長にタコ殴りにされて、投げ飛ばされて、押し潰された。

 さらに迷惑料として生徒会全員にケーキをみつがされていた。

 凛花お姉様とお揃いのチョコレートケーキはとても甘かった。


 ***

『おまけ』

紫苑「ケーキが食べたい! 今度は生クリームたっぷりのやつ」

芙蓉「またですか。前の材料が残っているので、2時間くらいでできますよ」


紫苑「あれって手作りだったの?!」


 ***

『あとがき』

芙蓉君は期待通りに生徒会役員へと就任です。

会長様が再選するかどうかは、もうしばらく先のお話です。


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