25 魔法狩り VS. 魔法狩り

『あらすじ』

蓮司が駆けつける

カウンタースナイプ成功

アックスの姿なし

 ***


『分かった。ならばその建物の屋上に向かえ。足はこっちで準備する』


 凛花先輩のことだから、ヘリを用意していたとしても、今更驚かない。


 ***


 これからアックスと決着をつけるのに、余計な荷物はいらない。

 ショルダーホルスターにナイフと小拳銃、そしてベルトに手榴弾と通信機器を装備した俺は、階段を使って建物の屋上へと向かった。


 電話から2分も経過していないのに、すでに凛花先輩の用意した迎えが来ていた。

 それは俺の予想の斜め上というか、彼女の手札ではなく、会長様スケールの代物だった。


(本来、儂に命令できるのは、紫苑だけなのだがな)


 他人の頭の中で、おかしなアピールをする相手は、体長3メートルを超える大きなオオカミ。

 犬小屋の前にいたときの、2倍の大きさをしている。

 そして余計な遮蔽物のない屋上では、風によってなびたてがみが様々な角度で日が当たることによって、キラキラと輝いている。

 そしてその左前足の中指には、凛花先輩と同じくローマ数字が彫られた指輪がはまっている。


(指輪の騎士No.VIのリルだ。主のためにおぬしらに協力してやる。さっさと乗れ)


 リルは足を曲げて屈んだ。

 乗れと言われても、もちろんくらなどは存在しない。

 俺は助走をつけて強化した足で飛ぶと、リルの背中に手をついて、片足を回すことで馬乗りになった。

 直接触れることで、俺の身体はリルの魔力を吸収し始めた。

 魔力を奪う早さはある程度制御できるが、オフにすることができない。

 前回リルの背に乗ったときは、会長が魔力を発したおかげで、彼から吸い取ることはなかった。


 標準的な魔法使い相手に、俺が本気で魔力を奪おうとすれば、5秒あれば十分だ。

 逆に力をセーブしたとしても、30秒ほどで吸い尽くしてしまう。

 それは吸われる相手からしてみれば、脅威でしかない。

 しかしリルは、あまり気にする素振りはなく、出発を告げた。


(もっとしっかり掴まりな。いくぞ)


 リルはその巨体の重さを感じさせない足取りで、地上へと降り立った。

 俺は馬乗りを維持することができず、両手両足でしがみつく様にすることで、振り落とされることを免れた。

 これから疾走が始まるのだが、以前ショウナンまで行ったときと同じく、周りはリルや俺の行動に注意を向けない。

 これ以上に有用な移動手段はあるのだろうか。

 時速200キロオーバーでありながら、認識されないなどかなり反則じみている。


 リルはただ速いだけでなく、連日の会長様との散歩の成果なのか、前の車を器用に追い越し、時には歩道へと入り込む。

 いくら認識阻害をしたところで、その大きな体が地面を蹴る衝撃を隠しきることはできない。

 しかしリルは地面を蹴っているのではなく、その空間の魔力を蹴っている。

 由樹がエアーシューズを使って、空中でジャンプをするのに似ている。


 このまま学校に向かう判断で正しいのか。

 もしかしたらアックスよりも、先に東高に到着できるかもしれない。

 ならば第1演習場までのルートで待ち伏せをするのが得策だ。

 戦闘は余所よりも、学校の敷地が好ましいが、人目も避けたい。

 リルは凛花先輩からどこまで聞いているのだろうか。


(紫苑を狙う敵の特徴をイメージして、儂に送れ)


 リルは俺の心を読むことができるが、彼曰く、リルに対する感情に限定されているそうだ。

 指示通りにアックスの写真や、過去に訓練したときの記憶を掘り返して、それを彼に伝えるように念じた。

 これで俺がステイツの軍と関わりがあることが知られてしまうが、本当の所属や、“魔法狩り”のことは伏せることができたはずだ。

 俺からの意思を受け取ったリルは、走りながら遠吠えしだした。

 最初は大きく1回、次に小さく2回。

 すると俺の頭の中に、アックスのイメージが流れてきた。

 さらには本能が、彼を探し出して、リルに報告しなければならないと訴えだす。

 この異常な衝動は、俺だけではない。


 町が騒めきだした。

 厳密には魔法的な何かだ。

 道行く人々には変化がないのだが、大きな意思によって、何かが動いている。

 それは動物であったり、自然であったり、そして異形のモノたち。


(おぬしも異形が混ざっているがゆえに作用したか。これが儂の可能性。未来の力だ)


 その意味の全ては分からないが、前足の指輪の“VI”という文字が輝いている。

 凛花先輩がモノに意思を吹き込んだときと同じだ。

 つまりこれこそが会長の力によって、目覚めたリルの固有魔法というわけか。

 おそらく動物や異形に特化した洗脳系の能力だと思われる。

 リルの前では隠しごとなどできないし、彼は多くの動物や異形を従えることができる。

 戦闘にも諜報にも使える汎用性の高い術だ。


(そんなに良いものでもない。相手を屈服させないとその効力は半減する)


 つまり俺に対する影響が弱いのは、彼に屈していないからか。

 それでも対立する相手に、疑念を植え付けるだけでも十分有能だ。


(ふむ。カラスからの情報だと、ちょうど演習場の裏口辺りで先回りできるぞ)


 リルの言う鴉が本当のカラスの事なのか、何かの比喩なのかは分からないが、会長と接触する前にアックスと相対できるのならば上々だ。


(手助けするのは、そこまでだ。けがれは、儂にとって毒でしかない。最後はおぬしの手で決着をつけろ)


 とりあえず味方ではあるが、戦闘には不参加のようだ。

 会長サイドの切り札とも思えたリルだが、俺たちとは異なる次元の、何らかの制約があるようだ。

 逸話の通りならば、神に産み落とされておきながら、神に仇を為した獣。

 ヒトだからこそ踏み越えることができる禁忌が、背負える業があるという訳だ。


 ***


「久しぶりだな。芙蓉マックス。俺の方が先に着くと思っていたのだが、追い越されるとは」


 魔法使い相手ならば、先に撃たせる俺だが、軍人相手に待ち伏せの優位を捨てる訳がない。

 リルから聞いたアックスの通るルートに罠を張り、息を潜めていたのだが、あっさりとバレてしまった。


 リボルバーをホルスターにしまったまま、右手でサバイバルナイフを握り、その切っ先を向けたまま姿を現す。

 校内で戦う以上、発砲は1度きりだ。

 一方アックスの方はというと、背中にアサルトライフル、他にも軍服の中に何か仕込んでいるようだが、今は何も手にしていない。

 だからといって油断できる相手ではない。

 その一挙手一投足や言葉に、何を忍ばせてくるのか注意しなければならない。


「とりあえず、答え合わせといこうか。最初の狙撃失敗で、今回の任務での最大の障壁がお前だと判断した俺たちは、カウンタースナイプを誘い出して、罠にめることにした。狙撃手にはちょうど手頃なお友達がいたので、お前が観測手だと思っていたのだが、意表を突かれたぜ。結果、お友達2人を怪我させただけで、こっちは相棒を失ってしまい、俺はこうやってお前を始末するために、博打を打つはめになった。どこから読んでいたのだ」


 答え合わせとは。よく言ったものだ。

 観測手を優先して狙った理由がに落ちなかったが、アックス達が俺のことを目標にしていたとは思いもしなかった。

 そして俺が狙撃手になったのは、蓮司が銃を見た瞬間に不調になったため、変更した次点の計画に過ぎない。

 フレイさんが蓮司に狙撃を任せるように言ってきたのだから、奴らも同じく彼のことを知っていてもおかしくない。


 ハゲタカの撃った2発の弾丸で、リズは気絶し、蓮司はスコープに掠っただけだと聞いていただが、アックスの見立てと違っている。

 敵の言葉を鵜呑うのみにすることはできないが、蓮司ならば俺に心配をさせない為に、負傷を隠すことなどやり兼ねない。

 そしてハゲタカの最後の一手が、玉砕覚悟というところまでは当たっていたが、終始俺の事を狙っていたとは。


「俺なんかより強い魔法使いが、まだ後ろに控えていますよ」


 だんまりは余計な情報を与えかねないので、当たり障りのない台詞を言葉にした。


「強さなど関係ない。これまで各国は九重紫苑に対して、刺客に魔法使いを送ったが故に失敗した。いくら強いと言っても、ティーンの小娘に過ぎない。狙撃、爆弾、毒物、感電。人を殺す方法などいくらでもある。しかしお前が傍にいると邪魔でしかない」


 軍部のエリートに高く評価されたことは素直に嬉しいが、互いの見解の違いによって、偶然にこの最終局面が作りだされた訳だ。

 これまでは会長様の護衛を最重要視してきたが、今この時だけは、シンプルに目の前の敵を排除すればよい。

 これ以上の言葉は不要だ。

 これから殺し合うのに、師との再会の挨拶は交える訳にもいかない。

 俺が戦闘思考に切り替わると、アックスの方もそれ以上は何も語ろうとしなかった。


 ファーストアタックは、俺からの突き刺しだった。

 接近と同時に腕の伸ばすだけで、右手に持ったナイフをコンパクトに突き出しだ。

 しかし相対するアックスは、自身に向けられた刃に対して怖れを見せず、冷静な防御で、俺の腕を内から外へと追いやった。

 そこでナイフを一回転させて、逆手持ちに切り替えると、引く動作で敵の肩を狙う。

 俺の扱うサバイバルナイフの非対称の片刃は通常のナイフで、刀のみねに相当するもう片刃がのこぎり状になっている。

 のこぎり刃の殺傷能力は低いが、十分な攻撃力がある。

 しかしアックスは振り返ることなく、後ろから迫る刃に対して、上半身を横に傾けるだけで回避した。


 攻撃はまだ終わらない。

 回避されてしまったが、少なくとも今の攻撃で、ナイフの脅威を意識させることができた。

 今度は対角線上の左下から攻撃を繰り出す。

 左のアッパーカットだ。

 最小限の動きで扱ったナイフとは異なり、足のバネを効かせて、下から抉るように叩き上げる。

 しかしアックスの鼻先を微かに触れるだけで、バックステップで回避されてしまった。


 仕切り直しだ。

 一度もヒットは無かったものの、アックスを後ろへと引かせることができたのは、最初の挨拶として十分だ。

 ここからは長期戦になりそうだが、決着は一瞬でつく。


 ***


 俺の右ストレートに対して、アックスは防ごうとせずに体重移動だけで打点をずらして、そのまま伸びきった右腕を肘打ちで狙われた。

 それでも片腕を差し出す覚悟で、前へと踏み込む。

 しかしアックスは肘打ちをキャンセルして、強引に攻めようとした俺の顔面にカウンタージャブを叩き込んできた。


 まただ。

 また、攻めきれなかった。

 リルから拝借した魔力は、とっくに尽きているが、大気中の魔力を取り込んで、身体能力を向上させている。

 今の俺の運動能力は、一流アスリートと肩を並べるほどだ。

 しかし一向に攻めきれず、反撃を受ける始末だ。


 先程のカウンターも、生身で受けていれば、気絶してもおかしくない。

 パワーもスピードもこちらが上回っているし、技術だって劣っているとは思えない。

 なのに未だに決定打を受けていないものの、一方的にいくつもの生傷を貰っている。

 経験の差を埋めきれないていないのだ。


 アックスは自身から攻めてくることはなく、常に俺の攻撃の隙を狙ってくる。

 攻撃パターンをいくら変化させても、初見で対応されてしまう。

 手にしていたサバイバルナイフは早々に弾かれ、どこかへ飛ばされてしまった。

 そこからは無手でやり合っている。

 パンチや蹴りはもちろんのこと、関節技、投げ技、目つぶしや、投擲などを駆使したが、これまでの経験のどれもが通用しなかった。

 しかもアックスの方は、豊富な手札を簡単に切ってくる。

 ワイヤー付きナイフで即興のトラップを設置したり、瓶に入った濃硫酸を放ってきたりなど中々嫌な手ばかりだ。


 それでもまだホルスターのリボルバーと手榴弾を残しているし、今の俺の最大火力である手刀も使っていない。

 銃火器はどうしても周囲の注目を集めてしまうので、お互いに最後の止め以外で使うことは許されない。

 状況を打開する必要があるのだが、アックスがどのタイミングで勝負に出るのか分からず、今はジリ貧だとしても、格闘戦を続けるしかない。


 ここまで耐えてきたが、そろそろ頃合いだ。

 多くの戦場を経験したアックスが、俺を仕留めるつもりで姿を現したのだ。

 何の策も無しに、正面制圧をするとは考えられない。

 奴の手の内を明かすまで、こちらの少ない札を守り抜いてきた。

 疲弊した敵を目前に、俺を道連れにしようと考えていたアックスだって、色気を出して、もう1人くらい仕留めたいと考えて、決着を急ぐだろう。


 敵と対峙している俺は、わざとらしくならない程度に、呼吸に合わせて肩を上下して、両腕の構えも少しだけ下げる。

 微かな仕草だったが、アックスが見逃す訳ない。

 俺の演技を信じたのか、それとも誘いに乗っただけなのかは分からないが、ようやく戦いに変化が訪れた。


 アックスが懐から新たな武器を取り出した。

 俺が使うような刃渡り15センチを超えるゴツゴツしたナイフではなく、10センチほどの両刃のダガーで、特別な施しは無いように見える。

 柄の部分がとても小さく、アックスはカードのように指で挟んでいる。

 素人相手ならば、ナイフにのみ集中すれば良いのだが、この敵の場合はナイフをフェイクに、別の本命もあり得る。


 せっかく武器を取り出したアックスだが、相変わらず自身から攻めてこようとはしない。

 さすがの俺も安易に飛び込むことができずに、じりじりと摺り足で間合いを詰める。


 後一歩の距離まで、互いの距離が近づいたところで、アックスが動きを見せた。

 ナイフを持つ右手を真横に向けると、内側へと腕ごと戻す勢いで、しっかりとトルクを加えて投げてきた。

 回転しながら迫り来るナイフの弧を描く軌道は、はっきりしているので、屈むだけで簡単に回避できた。

 しかしまだ安心できない。

 最短距離で真っ直ぐに投げなかった時点で、次に起こり得る未来は1つしかない。

 わざわざ後ろを見なくても、その刃の風切り音で、迫ってきていることが分かる。

 上半身を横に回転させることで、ブーメランの要領で背中を狙ってきたナイフを回避した。


 1度の投げナイフによる2連撃に対処している間に、アックスは新たに次のナイフを装填していた。

 奴は戻って来た得物を回収するのと同時に、反対の腕から新たな刃を発射してきた。

 その軌道は最初のと一分もたがわない。

 それだけでも修練の深さをうかがえる。

 しかし精確な分、俺としては読みやすい。


 2発目は、最小限のステップで避けた。

 後ろから戻ってくるナイフを待たずに、アックスは最初のナイフを再び戦場に放った。

 回転する刃が2本に増えたところで、大した脅威ではないが、守りに入る必要はない。

 俺は前に飛び出すことで、後ろから迫る刃の軌道から抜け出す。

 さらに正面で回転するナイフの腹を目掛けて、拳を振り上げる。


 完璧なタイミングだと思ったのだが、俺の攻撃は空を切った。

 回転しながら飛来していたはずのナイフが突然、空中で静止したのだ。

 状況を認識したときには、十分に引き離したはずのナイフが背中を斬りつける感触が伝わってきた。

 まだ終わりではない。

 目の前で止まっていたナイフが、動き出して、最短距離で俺の腕を狙ってくる。

 すぐに腕を引き戻すが、切っ先が微かに当たった。


 タネも仕掛けもないマジック。

 つまり魔法だ。

 おそらく浮遊魔法。

 いや、念動力サイコキネシスの類。

 刃との接触の瞬間に魔法を分解することができても、その運動エネルギーまでは取り除けない。

 しかも切られたところの感覚が鈍くなってきている。

 ご丁寧なことに、刃に麻痺を引き起こす毒物が塗られているようだ。


「“魔法狩り”と呼ばれる俺が、魔法を使うとは思わなかっただろ。案外この手が上手くいく」


 確かにアックスは正規の軍人で、しかも近接格闘CQBや銃器を駆使して、対魔法使いのスペシャリストとしての前評判だ。

 単純な魔法だが、奴の戦い方ととても相性が良い。

 超能力などとして、くくられている魔法の多くが、遺伝とは無関係なのだが、先天的に現れる。

 サイコキネシスは、物質のベクトルを変換する汎用性が高い能力だが、決して万能ではない。

 たとえば銃弾だと、大きく複雑な運動エネルギーを持っているため、操作することが難しいとされている。

 彼が投げナイフと組み合わせているのはそのためだ。


 なんだアックスは魔法使いだったのか。


 魔力を隠している術者など、この世にたくさん存在する。

 こんな初歩的なことを見落としているとは、思いもしなかった。


 魔力の大小は勝敗に直結するという考えはとても甘い。

 むしろ少ないからこそやれることは多い。

 目の前の彼が魔力を隠して、不意打ちに使うのはとても有効だ。


 今回の任務では、後手に回ることが多かった。

 ステイツからの刺客を知りつつも、簡単に最初の狙撃を許してしまった。

 カウンタースナイプでは、誘い出されて観測手を狙われた。

 生徒会役員の3人を守るためにアックスを待ち伏せしたのに、彼のターゲットは俺だった。

 そして最後は正統派軍人だと思っていたアックスが、念動の力を持つ魔法使いだった。


「そういえばここ数年、ちまたを騒がす“魔法狩りにせもの”に興味があったのだが、マックスだったとはな。お前にもこんな隠し玉があるのか?」


 サイコキネシスを披露してから、珍しく饒舌じょうぜつになるアックスだが、もう付き合う必要ない。

 背中と腕に痺れを感じるが、そんなことは無視して地面を蹴り、足を走らせる。

 右腕を真っ直ぐに伸ばして、手のひらを前に出す。

 迎え撃つアックスは、空中に浮かせた2本のナイフを放つ。

 もう回避なんて気にしない。


 正面から突進する俺にナイフが突き刺さる。

 しかし触れることで、サイコキネシスは分解できるので、最初のナイフ自体が持っていた運動エネルギー以上に深く食い込むことはない。

 毒物も即効性のようだが、痺れる程度で致死性ではないようだ。


 そもそも幼少期に母さんと世界中を旅した俺は、様々な環境に適応しており、毒に対する耐性もそこそこある。

 投げナイフ程度の迎撃では、俺の進行を止めることはできない。

 さすがのアックスも、こんなクレイジーな特攻を受けた経験がないのか、判断に迷いがある。

 俺の右の手のひらが、魔法使いの頭部を掴んだ。

 すぐに何が起きているのか、気づいたアックスは雄たけびを上げながらジタバタするが、もう手遅れだ。

 次第に彼の力が抜けていく。

 きっかり10秒で、アックスは失神したのだ。


 俺自身が“魔法狩り”を、名乗ったことは1度もない。

 勝手に周りが噂を広めただけのことだ。

 そもそも俺のコードネームとして使われるのは、“ジョーカー”や“愚者The fool”そして“マックスM”。

 それでもステイツの裏部隊で、対魔法使いのエキスパートであることには違いない。

 その1番の理由は、魔法を分解する能力でも、強化した肉体でもなければ、様々な戦闘技能を駆使することでもない。

 直接触れることで、魔力を根こそぎ奪うことこそが、奴らに対する最強の切り札だ。

 魔法使いを武装解除することは困難であり、ほとんどの事案で捕縛は不可能とされている。

 そこで魔力を吸収することで、強制的に魔法を封じることができる俺の能力は、とても重宝されている。

 しかも魔法使いは急激に魔力が減少すると、そのショックで意識を失うというおまけ付き。


 もっと苦戦することを覚悟していたのだが、あっけなく勝負が決してしまった。

 アックスの敗因は、魔法使いであることを明かしたことだ。

 軍人としての戦いを続けていれば、俺も迂闊な手を打つことができなかった。

 何も考えずに、背中のアサルトライフルを使った方が、彼に勝機があったであろう。

 そもそも今回の任務で正規部隊を外されることになったのが、彼にとって破滅の始まりだったのかもしれない。


 俺は肩に刺さっていたナイフを引き抜くと、アックスの腹部を刺した。

 意識が戻ると面倒なので、とりあえず毒付きナイフで身体の動きを奪っておくことにした。

 彼の着ていた上着を剥ぎ取ると中身を漁る。

 俺と同じように拳銃や手榴弾などの装備ばかりで、通信機器が存在しないことから、他に仲間はいないと思われる。


 また液体の入った小さな小瓶が出てきた。

 おそらく解毒剤だ。

 少量を指に取ってみるが、刺激は無く、匂いもしない。

 何回かに分けて飲み干すと、徐々に痺れが取れてきた。

 残念ながら、彼に命令を下した者に繋がる証拠になるような物は、見当たらない。

 彼の胸元にある古びた認識票ドッグタグくらいで、他に身元に関わるような物証は持っていない。


 アックスの首に認識票を繋いでいる鎖に手を掛け、拾った自身のナイフで切った。

 こいつは余所に持って行かれると面倒だし、せめてステイツに送ってやりたい。

 しかし認識票を握る俺の腕が掴まれた。


 思っていたよりも回復が早い。

 魔法を使ったと言っても、アックスの魔力が並みの魔法使いに比べて少なかったせいなのだろう。

 それでも腕の力はまだ戻っていない。

 むしろ自身の毒が回ってきたのだろう。

 その腕を振り払うと、取り上げた彼の装備を手が届かない遠くへと投げた。


 魔力を失い、毒が周り、装備もないアックスだが自身の足で立ち上がり、俺に対峙した。

 その目は未だに戦意を失っていない。


 このまま身柄を確保しても、彼に待っているのは長い尋問と、秘密裏に処理される結末だけだ。

 ならば戦いの中で、戦士として幕を引かせた方が彼のためかもしれない。

 俺に戦い方を教えたのは母さんだが、ナイフや銃器、火薬の扱いの基本を叩き込んだのは目の前のアックスだ。

 恩をまったく感じていないとは、思っていない。

 この手を血で汚す覚悟はすでにできている。


 俺は使い慣れたナイフを握る手に力を込めた。


 ***


 こんなところでつまづくはずじゃなかった。

 九重紫苑に届くまでは、障害など無いと思っていた。

 まさか対戦するまで、名前すら知らなかった奴に負かされるとは。


 冴島由樹は魔力がほとんど残っておらず、満身創痍でヘロヘロだったのに、『神降ろし』まで使って多くの魔力を残していた俺から勝利を奪い取った。

 実力であいつに劣っているとは思わないが、敗北を真摯に受け止めるべきだということは理解している。

 それにその後に試合した橘由佳と、野々村芽衣の2人にだって、敵うかどうか分からない。

 橘の使った広範囲防衛魔法を、10秒という短時間で崩す自信がない。

 さらに野々村の得体の知れない強さの正体は、最後まで見破ることができなかった。


 橘由佳と同率の3位の座に収まったが、表彰式に出られる気分ではなかったので、第1演習場の裏口から抜け出して、ふらふらと歩いていた。

 考え事をしていたせいで、気づくのに遅れたが、かなり近くで激しい物音がする。

 新人戦の閉会式で、学生や多くの関係者が演習場にいる今、ここにいるのは俺くらいだと思っていた。

 どうにも嫌な予感がしたが、好奇心を抑えることができずに、誰かに知らせる前に自分の目で覗くことを選んでしまった。


 目の前では2人の人物が格闘戦を繰り広げていた。

 片方は見知った顔だ。


 高宮芙蓉。

 俺と同じ高宮の姓を持ち、富士を連想させる名。

 魔力の欠片も感じないのに、あの九重紫苑が推薦した男だ。

 あれから親父に確認したが、もしかしたら従兄かもしれない。

 俺の伯父に当たる春雨氏は、高宮歴代最強とうたわれた人物だが、15年以上前に出奔しており、俺と近い年齢の子供がいたとされている。

 一応、九重紫苑との対決の前の前哨戦として、それなりに期待していたのだが、相対することはなかった。

 新人戦を欠席して、彼は何と戦っているのだろうか。


 芙蓉が争っている相手は、親父と同年代の白人男性だ。

 色合いは作業服のような白色だが、軍服に近い構造の衣類を身にまとっている。

 学校関係者ではないし、どう見ても堅気の人間ではない。


 そんな両者の戦いは格闘戦でありながら、先ほどの橘と野々村のものとは一線を画す。

 準決勝第2試合で、俺を含め観客を圧倒させた肉弾戦は、派手な打ち合いだった。

 一方、芙蓉と謎の男の戦いに派手さはないが、その分素人目からも技量の高さが窺える。

 互いに全力で攻撃を繰り出しているのに、空を切る音ばかりだ。

 同じ位置に立ち止まることなく、攻守の切り替えが絶え間なく起きている。

 芙蓉の方は軽い身体強化を駆使しているが、相手の方は生身の状態でやり合っている。


 決定打はないが、要所で芙蓉が攻撃を貰っている。

 それでもなお、しっかりと食らいついており、先の展開が読めず目を離せない。


 決着はあっという間だった。

 軍人らしき男がナイフを取り出すと、ブーメランのように投げ飛ばした。

 初見でありながら、後ろから迫るナイフを難なく回避する芙蓉だったが、2度目のナイフは物理法則を無視する軌道を描いた。

 相手の男は超能力者サイキッカーのようだ。


 厄介な相手だ。

 念動の威力自体は大したことないが、あの速さでナイフが向かってきたら、魔法障壁を張る間がない。

 しかし芙蓉はあろうことか、白刃にその身を差し出した。

 ナイフが体に刺さりながらも、男の頭を掴んだ。

 こいつは死が恐くないのか。


 それから起きたのは、目を疑うような現実だった。

 芙蓉はものの数秒で、敵の魔力を根こそぎ奪いとったのだ。

 吸収ドレイン系の能力は珍しくないが、あまり実戦向きではない。

 他者の魔力を受け入れると、自身の魔力と干渉を引き起こしてしまうので、中和のステップを必要とする。

 そのため吸収には時間が掛かるし、量も大したことない。

 富士の霊脈にアクセスする俺たち高宮家では、自身の魔力の性質をできる限り霊脈と同じにするために、幼少期から矯正するほどだ。

 もしかしたら芙蓉自身の魔力がないからこそ、使える能力なのかもしれない。


 魔力を奪い、意識を刈り取った彼は、謎の男の荷物を漁り始めた。

 かなり慣れた手際から改めて、偶然何らかの事件に、巻き込まれた訳ではないと思わされた。

 俺は止めることも、逃げ去ることもできずに、事の推移をただ傍観することしかできなかった。


 芙蓉が一通り調査を終えた頃に、男が立ち上がった。

 その足には力がなく、ふらふらの死に体なのに、まだ戦おうとしている。

 軽く小突くだけで、今にも倒れてしまいそうだ。

 しかし彼は容赦を見せない。

 その手にはナイフが握られていた。


 俺は安易な正義感に駆り立てられて、前に出てしまった。

“止めろ!”と口に出そうとするが、声にならない。

 あっという間に、芙蓉は手にした刃物で、男の頸動脈を切りつけた。

 大量の出血と共に男は絶命した。


 返り血を浴びた芙蓉は振り返ると、未だに握り続けているナイフをこちらに向けてきた。


「なんだ飛鳥じゃないか……優勝したのか?」


 たった今、人を1人殺しておきながら、何を普通に話しているのだ。

 狂っている。

 さっきの戦いぶりを見て分かったことがある。

 こいつは死ぬことを恐れていないし、相手を殺してしまうことも恐れていない。

 魔法使いとかではなく、人間として当たり前のようにある禁忌を軽く超えている。


「いや、冴島由樹に敗れた」


 背筋が凍るような思いをしながらも、沈黙を恐れて返事をした。

 向けられた刃物で脅されている気分だ。


「そうだったのか。由樹が勝ったか……そういえば、新人戦で戦う約束を守れなかったな。今ここでやるか?」


 芙蓉が持つのは身体強化と、ドレイン。

 ならば高火力の魔力を放てば、十分に勝てるはずだ。

 なのに奴の眼には、すでに俺の死に顔が映し出されているかのように見えてしまう。

 頭の中で何度シミュレーションしても、魔法を詠唱している最中に、喉元を掻っ切られる恐怖に邪魔される。


 こちらに戦闘の意思がないことを感じとった芙蓉は、ナイフを握る手を下ろした。


「たしかお前は、九重紫苑を超えるとか言っていたな。あいつは俺の獲物だ。余計な手出しをするな」


 奴の警告に対して、俺はただ背を向け、その場を立ち去ることしかできなかった。


 ***

『あとがき』

いかがでしたか。

今回はいつもと少し違った決着でした。

次回で3章完結です。

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