23 新人王

『あらすじ』

芙蓉、蓮司、リズ不在の新人戦

由樹は飛鳥に勝利

次は由佳と芽衣の番

 ***


「由佳。春から東高に入学するお前に、『盾』の称号を与えることが、昨日の御膳ごぜん会議で決まった」

「謹んで拝命いたします」


 1カ月後に東ニホン魔法高校への入学を控えていた私が、近所の道場での稽古の後に、師範から受け取った言葉だ。

 どこにでもある町の道場だが、扱っているのは柔道や剣道ではなく、帝国式魔法戦技マジックアーツである。

 その門戸は広く開放されているので、私の住んでいた町では魔法に憧れる少年少女の多くが1度は、入会すると言っても過言ではない。

 私も例にもれず、その1人だった。


 しかしこの道場は魔法教室などではなく、対人戦、対兵装を想定した歩兵のための訓練を行っている

 そのため学年が上がるたびに訓練が厳しくなっていく。

 中学になる頃には同学年の女子はいなくなり、男子も2人しかいなかった。

 彼らだって部活とか理由を並べて、道場に来る頻度は大分減っていた。

 それに比べて私は、放課後の時間だけでなく、休日も道場通いを続けていた。


 同年代の門下生は少ないけど、練習相手には不自由しなかった。

 免許皆伝になり、魔法公社の魔法使いとして働くプロの兄弟子たちが、代わる代わる訪れては稽古を付けてくれた。

 もちろん中学生らしく遊びたいという思いもあったけど、道場を優先する理由が私にはあった。


 土属性の適性があった私は、小学校に入る前から道場に入っていた。

 自分で言うのも恥ずかしいが、頭1つ抜けるほど、魔法戦技に自信があった。

 小学校の高学年辺りから、同学年相手に組手で負けることはなくなっていた。

 当時の私は、将来は当然のように、魔法使いになれると自惚うぬぼれていた。


 中学に進学するときは、もちろん魔法科を選んだ。

 しかし私自身の魔力は思うように伸びず、特に攻撃魔法に関するセンスは壊滅的だった。

 魔力自体は未だに成長しているものの、中級魔法を1発放てば、動けなくなってしまう。

 中学での実習は、安全面を考慮したカリキュラムで、的に対して魔法をぶつけることで、威力や精度を競うものが多い。

 そこで結果を出せなかった私は、先生や学友たちから高校は、普通科進学組だとみなされていた。

 別に珍しいことではなく、むしろ大半がそうなるのだから、侮蔑や嘲笑などはなかった。


 しかし道場の師範や兄弟子たちは、私のことを見限らなかった。

 実戦を知る彼らからすれば、授業での評価はゲーム程度の感覚で、才能なしの烙印を押すのはナンセンスだと断じた。

 その上で彼らは、東ニホン魔法高校への進学を強く薦めてくれた。

 あそこならば対人戦に特化した学校で、道場で鍛えた帝国式魔法戦技を活かせると。


 小学生の頃は、剣術や柔術、空手などの武術を満遍なく稽古したけど、中学で1度腐ってからは、盾に特化することに絞った。

 攻撃のイロハよりも、守ることに集中して、最後には体当たりで押しつぶす戦闘スタイルは、土魔法との相性がとても良い。

 全ての攻撃から、魔法使いを守る魔法使い。

 それが私の目指すべき姿だ。

 そのために道場でひたすら自分を磨き続けた。

 全寮制の東ニホン魔法高校に入学すれば、道場に行く機会は減ることになる。

 そして残り数回のカウントダウンの最中、稽古の後に師範に呼び出されて、『盾』の襲名についての話が持ち上がったのだ。


 帝国式魔法戦技は、かつてのニホンの軍で採用されていただけあって、国家権力の魔法戦力の放棄が行われた後でも、市中に強く根付いている。

 様々な流派へと枝分かれしたが、未だにとある風習にこだわっている。

 戦時中は帝国議会が採決し、天皇陛下の名の元に授与した二つ名が複数ある。

 数十の称号の共通点は、漢字一文字であること、そして各分野のニホンの頂点であること。

 帝国議会が解散した今でも、かつての称号拝命者たちが、次世代を担う使い手へと継承していた。


 私が多くを教わったこの師範も、前進することにおいて横に並ぶ者がいない、最強の歩兵を示す2代目『』の称号を持っている。

 彼は旧ニホン帝国軍歩兵部隊の流れを汲んでおり、戦争に出てはいないが、少年だった大戦の末期に予備戦力として控えていた。

 そんな彼は他の称号保持者たちと共に、天皇陛下の御前で、議論を重ねて私への『盾』の授与を決定した。


「なぜ他の兄弟子たちを差し置いて、お前に『盾』が与えられるのか、その意味は分かるか」

「『疑似アイギス』の事でしょうか」


 この道場出身者で盾をメインに扱うのは私1人だが、帝国式魔法戦技の使い手はこの国に多く、広義での兄弟子という意味ならば、珍しい盾だとしても十数の使い手たちが、私の上に座っている。

『盾』は初代以降、長く空席の続いた称号だ。

 それは特別な意味があるのではなく、単に競技人口が少ないため、相応しい人物がいないと断じられ、保留にされていたからだ。

 中学の3年間だけで、第一線で活躍している先輩たちに勝るなどと、私は楽観的ではない。

 その理由として、思い当たったのが、この3年間で編み出したオリジナルの魔法『疑似アイギス』だ。


「確かに土属性最上級魔法を、異なるアプローチで再現したことは評価に値するが、あれは不完全な術だ」


 土属性の頂点に位置する完全防衛魔法アイギスは、4属性の最上級魔法の中でも最も難易度が高いとされており、土の精霊王以外が発動した事例は記録にない。

 その効力を模倣したのが、『疑似アイギス』なのだが、師範のおっしゃる通りで、まだ不完全な魔法だ。


「それよりもお前が、わずかながら聖属性を宿していることが大きい」

「お言葉ですが、それこそ実戦向きではありません。持っていると言っても、私の聖属性はおまけ程度の力です」


 4元素の属性のくくりは古くから存在していたが、19世紀の精霊王の到来から、より顕著に注目されてきた。

 しかし魔法の世界には様々な属性の分類がある。


 聖属性もその1つだ。

 ゲームや漫画にある通り、邪を払い、傷を癒す特性なのだが、私の適正のメインは土属性であって、聖は魔力の変換効率がとても悪い。

 師範が私の聖属性を見出した時は喜んで、様々な魔法に挑戦させたが、どれも発現できなかった。

 せいぜい状態異常の自然回復が早く、魔法耐性が少しあるだけだ。

 それでもファイアボールならば、防御しなくても、軽いやけど程度で済む。


「多少腐っているお前でも、『盾』の称号で泊を付ければ、嫁の貰い手が現れるかもしれない。少なくとも帝国式の使い手ならば、縁談を強制できる」


 そういうことか。

 つまりさっさと結婚して、子供を作れということか。

 私の場合は覚醒遺伝として聖属性が発現したが、それが次の世代に現れる可能性は十分にある。

 古臭い考えかもしれないが、血統の交配は、魔法使いの一門ならば当然のように行われている。


 そして長年の付き合いである師範は、私のこじらせた趣味のことを知っている。

 訓練で疲れすさんだ私の心を癒してくれる創作物。


「嫌ですよ。兄弟子たちを見てください。全員脳筋ばかりで、好みじゃないです」


 そもそも男ばかりの道場で暮らしていたせいで、恋愛観が少し余所と違ってしまっただけだ。

 私だって普通に頼りがいのあるイケメンが好きだ、それが異性でも、お姉様でも。


 そんなこんなで『盾』の称号だけもらって、縁談の方は保留になった。


 ***


 衝撃的な幕引きで準決勝の第1試合が終わり、今は破損したリングの修復作業が行われている。

 コロシアムの中央に配置されたコンクリートの舞台は、教員による土魔法で、みるみるうちに復元されていく。


 優勝候補の高宮飛鳥に勝利した由樹君だったが、自ら生み出した□ーションによって転倒し、医務スタッフによって救護室へと運ばれていった。

 敗者が自分の足で退場し、勝者は意識不明という不自然な結末だ。


 彼のことも心配であるが、自分のことに集中しなければならない。

 次は私と芽衣の試合が控えている。


『冴島選手の容態が気になりますが、この場合の決勝戦はどうなりますか』

『新人戦の規定だと、試合開始に間に合わなければ不戦敗になる。由樹が意識を取り戻しても、どのみちドクターストップは免れないな。次の試合の勝者が新人王になる』


『つまりこの準決勝第2試合が事実上の決勝戦というわけですね。それでは登場していただきましょう。1人目は『装甲車』の異名を持つ突撃娘、橘由佳選手だ!』


 いよいよ出番がやって来た。

 私はバックラーを左腕に取り付けて、カイトシールドを右手で持ち上げた。

 リングまでは静かに歩いて入場し、最後に客席に向けて両手の盾を持ち上げた。

 すると多くの歓声で闘技場の熱気が高まっていく。


 同じ1年生からは、やっかみもあるが、私の戦い方にはファンが多い。

 たとえ魔法学園でも、インファイトには見ているも者の血を熱くする何かがあるのだろう。


 しかし装甲車の二つ名には不満がある。

 1対1の戦いだから、相手に接近する必要があるものの、本来の私が目指すスタイルは後衛を守る不動の盾だ。

 それでも中学までの落ちこぼれ扱いと違い、東高では私の実力が認められ、いよいよ新人王へと手を伸ばしている。

 ここで勝ったとしても、前の由樹と飛鳥の試合の方が凄かったと言うやからが現れることは、目に見えている。

 だからといって遠慮するつもりはない。


『2人目は様々なエンチャントを駆使して、戦場をいろどる野々村芽衣選手だ!』


 実況の先輩に紹介されて、見知った少女がリングへと入場した。

 4月からルームメイトの野々村芽衣。

 彼女は制服の上からフード付きの白いローブを羽織り、片手で木製の杖を持っている。


『ブロッカーとサポーターの対決となりましたが、少し華やかさに欠けると思いませんか?』

『そうでもないな。ポジションはあくまでチームでの課題のための割り振りで、ソロでの試合はまた別だ。ここまで勝ち上がってきた2人だ。十分に期待しても大丈夫だ』


 落として持ち上げる実況コンビなのだが、芽衣がここまで勝ち続けた理由に、いまいち納得できていない。

 サポーターとしては、個人技もしっかりとしている彼女だが、東高のレベルでは並でしかない。

 付与を施した杖の振り方など、完全に素人だ。

 下手に突撃してしまったら、怪我をさせてしまうかもしれない。

 できれば攻撃を受けきって、体力切れに追い込みたい。


 そんな芽衣だが、同じクラスの冴島由樹に恋心を抱いている。

 先週、私の余計なお世話がきっかけで、彼女は告白に踏み込み、そして失恋した。

 クラスや生徒会では普通に接しているものの、寮では一切会話がない。


 どうせなら恨み言の1つでも、言ってくれれば楽なのだが、彼女は私を責めることはしなかった。

 蓮司君は人の恋愛事情に首を突っ込むのに反対していたが、確かにその通りだったと思う。

 そのまま喧嘩するわけでもなく、仲直りするわけでもなく、ずるずると今の状態を引きずったまま、新人戦で彼女と相対することになってしまった。

 協力した芙蓉君の方も由樹君と気まずくなっていたが、コスプレ騒動で仲直りしたようだ。

 男子は単純で羨ましいものだ。


「お互いに頑張ろう」


 試合前に言葉を交わすのはマナー違反だが、試合開始までまだ少しの時間があるので、居た堪れなくて当たり障りのない挨拶をした。

 クラスメイト同士だし、審判の先生も多めに見てくれるだろう。


「なに、綺麗ごとを言っているの。由佳のそういうところが嫌いなのよ」


 芽衣はそのレンズを介して、私の目を覗きながら静かに言葉を発した。

 いくら仲が良い女友達でも、本音と建て前はしっかりとある。

 それなのにあまり自分を、押し通さない彼女が辛辣なことを口にした。


「応援しているようで、由佳は私のことを見下しでいるのよ。恋愛だけでなくこれからの試合でも、どうやって私を傷つけずに済むのか、とか考えているでのしょ」

「(そんなことないわ!)」


 すんでのところで、声になることを堪えた。

 彼女に限らず、今までそんなことを言われた経験はない。

 純粋に由樹君相手に頑張る芽衣のことを応援したかったし、試合で怪我をさせてはいけないことだってルームメイトなのだから、当然のことだ。

 それを見下していると思ったことなど1度だってない。

 しかし芽衣の言葉を、頭から否定することができない。


「私と向き合うつもりがあるなら、本気で来て」


 彼女の目はいたって真剣だった。

 私だって魔法使いであり、武道家でもある。

 真剣な相手には、それ相応の応え方というものがある。

 試合開始直後に強く当たって、その出鼻をくじく。

 向き合う覚悟が必要なのは、私ではなく芽衣の方だと分からせてやる。


『何か言い合っているようですが、音声を拾えていませんね』

『さっきの試合で破損した舞台上のカメラとマイクの、再配置が間に合わなかったみたいだな』


『ならばその分、実況席が盛り上げなければなりませんね』

『クラスメイトであり、生徒会でもある2人だが、それだけにこの試合に対して思うところがあるのだろう。少なくとも両者共に、気合十分といったところだな』


 凛花お姉様は、私たちの事情を知っているのかもしれないが、好意的な解釈で話してくれた。

 そのおかげで、少し落ち着きを取り戻すことができた。

 それでも作戦に変更はなく、開始と同時に仕掛ける。


 これ以上の言葉はなく、会場のざわつきが1度落ち着いたところで、決戦のゴングが鳴らされた。


 盾を持つ両手を力強く振りながら、芽衣の方へ向かって直線で走った。

 彼女に遠距離攻撃がないことは分かっているので、距離を詰めるための工夫はせずに最短距離で目指す。

 そんな私に対して芽衣は杖を前に出すだけで、真っ向勝負の構えを見せた。

 確かに背を向けるよりは勇敢だが、その判断は間違いだ。


 互いに魔力を付与した得物をぶつけあえば、その威力は専業の芽衣が上かもしれないが、帝国式魔法戦技はそのような状況を弾き飛ばす手段をいくつも考案している。

 体当たりの最後の一歩を蹴った私は、右半身を前に出し、カイトシールドを正面に向けた。

 インパクトの瞬間に土属性による付与を掛けることで、足りない硬度と重さを補強する。

 続けて着地した足を軸にして、少し手前に傾けた盾を下から持ち上げた。

 シールドアタックからの押し潰しが私の常套手段だが、今回は変則的にアッパーを放った。

 ダウンではなく、リングアウト狙いだ。


 対人戦において間合いを制することは、勝敗に大きく影響する。

 前衛の私でも、遠距離攻撃はいくつか持っているし、迎撃をくぐって接近する方法もあれば、突進してきた敵に対するカウンターなんかも得意だ。

 一方、芽衣は杖による打撃しか攻撃手段がなく、靴に風魔法を付与してからの移動はいくら速さがあっても、それを活かすだけの身体能力がない。

 ならばヒット&アウェイが有効なのだが、盾を持ってのバックステップはとても疲れるので、ヒット&ノックバックを狙う。

 何回もリングアウトさせることで、地力の差を芽衣に、そして観客に見せつける算段だ。


 しかし私の思惑とは裏腹に、大盾を上へと振り切ることができなかった。

 効率良く吹き飛ばせる角度を選んで、体重を載せたはずなのに、芽衣の杖によって阻まれたのだ。

 すぐに盾の強化を解除すると、予定になかったバックステップで、1度距離を離した。

 初撃を跳ね除けた芽衣だが、反撃をすることはなく、遠ざかる私のことを見逃した。


 芽衣の防御はいつも通りで、特段魔力が多いなどはなかった。

 むしろ問題は私の方だ。

 足の踏み込みが甘くて、盾に魔力を付与するタイミングと噛み合わなかった。

 それに距離も半歩多く詰めなければ、しっかりと衝撃を載せられなかった。


 あまり自覚はないのだが、初めての大舞台で緊張しているのかもしれない。

 試合中だが軽く関節を動かして、自身の肉体の状態を確認する。

 確かにいつもよりも固まっていて、盾が少し重く感じる。

 午前の試合ではそんなことがなかったのだが、間が空いてしまったせいで、コンディションの変化に気がつけなかった。


 仕切り直しからは、芽衣が主導権を握ろう行動を起こした。

 靴に風属性を付与した彼女は、私の目の前から消えた。

 左右に首を振って見渡すと、小盾である球体状のバックラーを装備している左に彼女はいた。

 左右非対称の双盾そうじゅんを見ると、小さい方を弱点と認識する相手が多いのだが、それは間違いだ。

 むしろ成長に合わせて大きさを変えたカイトシールドに比べて、中学に入ってから使い続けたバックラーの方が扱いに自信がある。


 芽衣が両手で振り上げた杖に対して、力の方向を変えることで軽くいなそうとした。

 しかし予想に反して、接触の衝撃が左腕に走った。

 狙ったポイントで受け止めることができずに、後退を余儀なくされた。

 さすがに膝をつくことはなかったが、盾使いとしては、この上ない羞恥しゅうちだ。


「由佳、そんなざまで“互いに頑張ろう”なんて、口にしたの?」


 この子は私の不調を察している。

 大してダメージは無いはずなのだが、先ほどよりも盾が重く感じる。

 身体がほぐれるどころか、むしろ1度ズレた歯車がきしんでいき、ほころびがどんどん広がっている。


 今度は芽衣が杖を横に薙ぎ払ってきた。

 バックラーが当てにならないので、カイトシールドの方を前に出す。

 こちらならば技術に関係なく、高い防御力を誇る。

 接触の瞬間に土属性を付与するが、杖を介して、風属性を流し込まれた。

 相反する元素によって強化は相殺され、ただの軽くて大きな盾に戻ってしまった。

 そして強打された盾を片手だけでは、支えることができず、手放してしまった。

 ガタンという大盾が地面に落ちる音が会場中に響いた。


 私は地面に落ちた得物の回収よりも、芽衣と距離を取ることを優先した。

 完全に想定外の展開だ。

 彼女はこれまでと同じ戦い方をしているのに、私の方が全くついていけていない。

 しかし自分の不調を棚に上げて、何かに落ちないものがある。

 ランキング戦では消費魔力が少ない方が高評価で、新人戦のトーナメントでも魔力を温存した方が、後々有利に試合を進められる。

 私だけでなく多くの選手が、相手に合わせてギアを入れ替えて戦っている。

 なのに芽衣だけは、いつもと同じ戦い方で着実に勝ち進んできた。

 それが格上と目される相手との試合でも変わらなかった。

 これまではその理由が分からなかったが、実際に相対してみて、とある可能性に辿り着いた。


“デバフ”


 ゲームなどではお馴染みの能力だが、強化と違って弱体化の術の多くが発動条件の難しさから、あまり実践向きではない。

 呪いなんかもデバフの一種で、相手の名前や、身体の一部、高価な魔道具や長時間にわたる儀式を必要とする。

 そして私自身に魔法をかけられた自覚がない。

 疑いを抱いた今でも、本当にデバフを受けているのか半信半疑だ。

 しかしながら魔法使い相手に弱体化の術を使っても、その魔力のせいでバレると本末転倒なので、隠蔽工作を併用するのが常套手段だ。


 確証のないままだが、東高に入学してから、初めて聖属性の魔力を練り上げた。

 使える聖魔法は何もないが、身を清めるくらいのことならばできる。

 全身を白色の魔力が優しく包み込んでいく、それと同時に身体が軽くなっていく。

 やはり何らかのデバフを受けていたようだ。

 しかし解除に聖属性を使わずに、そのまま負けた方が幸せだったかもしれない。


「見えなきゃよかった」


 そう聖属性の光によって、このリングにうごめいていた影を暴いてしまった。

 それは大きな目玉であり、恐怖そのものだった。

 胴体はなく、口や鼻といった顔のパーツすらない。

 直径1メートルほどの目そのものが本体の怪物が、芽衣の隣を浮遊していた。

 体からは、複数の触手が伸びており、その先端には小さな目が付いている。

 その出で立ちは、いわゆるゲイザーとかいう想像上の生き物に近い。

 そして周りの反応を見る限り、審判や観客からは見えていないようだ。

 どうやら不可視のこいつがデバフを扱っていたようだ。


「ようやく本気を出してくれたね。由佳」


 そう口にした芽衣は、あからさまに目の前のおぞましい怪物の触手を撫でた。

 少なくとも目玉の化け物は、彼女の制御下にあるようだ。

 そしてこれまでに聖属性を見せたことはないはずなのに、芽衣は知っていたかのような口ぶりだ。

 目の前にいるのは、東高で多く接してきた友達の1人なのだが、ここに至って彼女が格上であると、私の本能が訴えている。


「一体、そいつは何なのだ」


 わざわざ答えるはずがないのに、その疑問を飲み込むことができなかった。

 知らないというほど、恐ろしいものはない。

 それが魔獣であれ、悪魔であれ、知ることができれば、それだけで多少は安心できるものだ。


「闇の眷属といったところかしら。でもこの子では、由佳に勝てないみたいだから、別の子を呼ぶわ」


 恐ろしいことを口にした芽衣だが、詠唱がなければ、魔力の放出すらない。

 しかし彼女の隣の空間が裂けて、漆黒が現れた。

 その大きさから目の化け物よりも巨大であることが十分に予想できる。


 闇から現れたのは巨大な頭部だった。

 厳密には口しかない頭だ。

 成人男性を丸飲みできるほどの口を持つ、真っ黒で大きな頭部が地面を這いながら現れた。

 首から下の胴体と四肢があるものの、そこだけはヒトと同じサイズで、四つん這いになっている。

 なんともアンバランスな生き物で、どんな進化を遂げたらこんな生物に辿りつくのか理解できない。


 そして頭の怪物は、四肢で地面を蹴り上げ、巨大な頭ごと突撃してきた。

 その質量でリングをえぐりながら、接近してくる。

 速さはそれほどでもないが、その大きさのせいで、横方向に逃げ切ることはできそうにない。

 私は落としたカイトシールドを拾い上げ、下の三角形に尖った部分を地面に突き刺した。

 姿勢を低く保ちながらも、正面から受け止める構えで、ありったけの魔力を込める。

 あれだけの大きさならば、衝撃を流すことは不可能だと判断した。

 これまでのデバフによる不調とは打って変わって、身体が一連の動作をスムーズに実行してくれる。


 巨大な頭は、間近で見ると余計に大きく感じる。

 激突の衝撃により、少し後退させられたが、足が地面を離れることはない。

 土属性による『より重く』の性質によって、リングアウトすることなる、踏みとどまることができた。

 しかし互いの押し合いは、まだ続いている。

 両手両足で地面を蹴る頭の怪物に対して、私はひたすらり足で押し返す。

 片足でも地面から離れれば、一気に押し負けてしまう。


 膠着こうちゃく状態は長くは続かなかった。

 化け物の方の力がみるみる落ちていき、私の方がじりじりと押し返したのだ。

 どうやらあの巨体を動かすために瞬発力に特化しすぎて、持久力はなかったようだ。

 最後にカイトシールドを振り切ることで、頭を弾き飛ばした。

 しかしここで限界に達した。

 大盾が砕け散ったのだ。

 振り抜いたことによって、粉々になったその破片は舞台の上に散らばっていった。

 もともと強度のある盾ではないので、定期的に新しいのに取り換えなければならない代物だ。


 まだ終わりではない。

 競り勝っただけで、状況は何1つ好転していない。

 私は空いた右腕に聖属性の魔力を込めて、顔の化け物を殴った。

 その表皮は想像していたよりも柔らかく弾力性があった。

 聖属性によるダメージが多少入ったかもしれないが、打撃による影響はあまりなさそうだ。


『解説の工藤副会長。私には何が起きているのか分からないのですが、橘選手は幻術の類を受けているのでしょうか』

『いや、我々に見えていないだけで、確かにそこにある。その証拠に不可視の物体がリングを荒らしている』


 それにしても気持ち悪い化け物たちだ。

 魔界の住人とされる魔獣は、一応生物としての形に縛られている。

 一方、芽衣が召喚した化け物たちは、ただただ恐怖をあおるためだけの姿形だ。

 悪魔という表現も似合わなく、強いて言うならば、クトゥルフ神話に出てくる怪物たちに酷似している。

 精霊や魔獣のいるこの世界には、神や悪魔が存在することだって、今では常識。

 地球の創成期に関わるものもいれば、異界の住人によって伝えられたものもある。


 そもそも近代になってクトゥルフ神話なんて代物が現れたのは、それを記したハワード氏自身が異世界からの旅人だったからという説があるほどだ。

 ならば今まで見たことも、聞いたこともない未知の神や悪魔がいてもおかしくない。

 この手の化け物を扱うには、大規模な魔法結社で過酷な修行を必要とするはずだ。

 しかし芽衣は、ニホンの一般家庭に生まれた15歳の高校生でしかない。

 2体の化け物を飼う機会があるとは考えられない。


「転生者」


 小さく漏らした私の言葉に、彼女は反応を示して、口角を上げた。


「由佳なら、私の事を見つけてくれると思っていたよ。由樹君に続いて2人目。厳密には異世界転生者。メイ・エルハーベン、闇の眷属を従える女王。それが私の前世」


 口調はいつも通りの芽衣なのだが、少しだけ嬉しそうに饒舌じょうぜつになっていた。

 彼女の言葉が正しければ、これまでの知識はまったく役に立たない。

 確証はないが、彼女の申告通りならば、目の前の異世界産の化け物まで連れて、この世界に転生したようだ。


 それにしても学内の行事でここまでするのか。

 こんなとてつもない力を持っていて、これまでに隠していたならば、たとえ新人王の掛かった試合だとしても、伏せるべきだ。

 そもそも霊峰でベヒモスやオーガの群れと遭遇して、命の危機にさらされたときですら、使わなかった奥の手だ。

 なぜここまでするのか。


 思い返してみれば、この試合が始まってから、いや、始まる前から芽衣は少しいつもと違っていた。

 私に本気を出すように辛辣な言葉を選ぶのは、彼女のやり方に似つかない。

 多少強引なところはあったとしても、芽衣は私に対して本気で相対しようとしている。

 ならば私も全てを出し尽くすのが礼儀ではないのか。

 彼女は本気で向き合っているのに、私はこのままでいいのか。

 そこまでするならば、私も本気を出さなければ。


「大盾が壊れたけど、終わりじゃないよね。まだまだ別の子を呼び出せるよ」

「いや。カイトシールドが砕けちまったから、もう終わりだ」


 棄権するつもりはない。

 そしてこれはブラフでもない。

 本心からこの試合を、私の勝利で終わらせるつもりだ。


 カイトシールドの本来の目的は魔法の触媒だ。

 そもそも左右非対称の双盾というスタイルすら、とある魔法を発動するために考案したものに過ぎない。

 大盾の方は、元から一定の攻撃を受けると壊れることが仕様になっている。

 こいつは軽くて、脆くて、そして魔力を付与しやすい材質で作られている。

 リングの上に散らばっている大盾の破片には、これまでの戦いで、私の付与の記憶が蓄積されており、同じ魔力と呼応する性質を持っている。

 そしてこの魔法を制御する核になるのが、もう1つの盾であるバックラーだ。

 半球を模っているのは、相手の攻撃をいなすためだけではなく、3次元方向に指令を出すのに効率の良い形を追求した結果に過ぎない。


 カイトシールドの破片たちが宙に浮きあがり、それぞれが魔力の糸で結ばれていく。

 そして全ての糸は、左腕に固定されたバックラーへと収束する。

 砕け散った第1の盾を触媒にして、第2の盾をコントローラーにすることで、発動する第3の盾であり、私のオリジナル魔法。


 完全防衛魔法『疑似アイギス』。


 魔法の完成と同時に、芽衣と彼女のしもべたちは、リングの外へと弾き飛ばした。


『おーっと! 芽衣選手リングアウトです』

『盾を基点にした結界のようだな。陰陽師が呪符を配置して、五芒星を張るのに似ているが、範囲も威力も桁違いだ』


 初見なのに凛花お姉様の解説に、ほとんど間違いがない。

 本来の最上級魔法のアイギスならば、規定した範囲に結界を張り、術者が敵と見なした対象を強制排除する。

 さらにその後、領域に侵入しようとした相手に対して、攻撃を跳ね返すことで迎撃を行う。

 しかしそのためには膨大な魔力と演算を必要とする。


 一方、この疑似アイギスは展開する方向と迎撃排除のタイミングを、私がマニュアルで制御する魔法だ。

 疑似アイギスはカイトシールドの破片を結んだ複数の線を使って、結界を作り出すことによって、必要な魔力を大分減らすことができる。

 さらにバックラーを介して操作することによって、全方位はカバーできないものの、無駄な魔力の消費を抑えることができる。

 基本的には目視した相手のみを排除、迎撃するのだが、魔力を解放すれば全方位にも発動できる。

 ここまで工夫をした魔法なのだが、発動可能なのは最大20秒で、敵の攻撃や数によっては、さらに短くなってしまう。


 主審によるカウントが始まる中、リングの外で立ち上がった芽衣は、まず頭の化け物をけしかけてきた。

 舞台に上るのではなく、コンクリートのリングに向かってそのまま突撃してきた。

 大きな口を開けて、ギザギザの鋭い歯で噛みつこうしてくる。

 それに対して、大盾の破片の半数を集中して、線を束ねることで防御力を高める。

 接触の衝撃は一方的に相手にだけ跳ね返る。

 たとえ私の攻撃で倒せない化け物でも、自身の攻撃には耐えきれずに崩壊していく。

 頭の怪物はドロドロに溶けて、芽衣の影に隠れるように消えた。


 次に行動したのは、デバフを引き起こしていた目の怪物だ。

 奴は十数本の触手を伸ばすと、複数カ所からこちらの領域への侵入を試みる。

 しかし私の盾の破片は数百に及ぶ。

 点を結んだ線は、万を超える。

 手数が圧倒的に異なるのだ。

 触手たちは線に阻まれると、ぐちゃりと粘土のように崩れた。

 本体に攻撃はしていないものの、多くの触手を失った目の化け物も、その形態を維持できずに、頭の怪物の後を追うことになった。


 口にした通り、もう終わりだ。

 しかし結界の外で、こちらを見据える芽衣の目は、まだ勝負を諦めていない。

 どこかへ吹き飛んだ杖のことなどお構いなしに、ただがむしゃらに突撃してきた。

 策の無い攻撃など、疑似アイギスに通用する訳がない。

 華奢きゃしゃな体が派手に弾き飛ばされたが、彼女自身の力を返しただけなので、大してダメージはないはずだ。


 新人王まで残り4カウント。

 化け物たちの攻撃のせいで、想定外に魔力を消耗したが、カウントいっぱいまでは、疑似アイギスを維持することができる。

 結界の向こう側では、飛ばされた芽衣が立ち上がろうとしていた。


 もう決まった戦いなのに、彼女は最後の一瞬まで諦めようとしない。

 あなたは私に対して、真剣に向き合おうとした。

 だから秘密にしていた疑似アイギスを使うことに踏み切った。


 杖を失い、ローブはズタボロだ。

 顔を上げた芽衣は、いつも掛けていた眼鏡をどこかに落としていたが、その双眸そうぼうはしっかりとこちらを見つめている。

 その目は私の中に、とある感情を芽生えさせた。


 恐い。

 あれっ、何が。


 いつの間にか疑似アイギスが解除されていた。

 どうやら10カウント守り切ったようだ。

 しかし観客の反応は鈍い。

 なぜか主審から私の勝利宣言が下されない。

 振り返ると、彼の指はまだ2本畳んだ状態で止まっている。


 何が起こっている。

 再び芽衣の方を向くと、彼女はリングの上に両足で立っていた。

 移動の気配を、まったく感じとることができなかった。

 見た目は芽衣なのに、私の直感が何かが違うと訴えている。

 杖を持たず、ローブを脱ぎ捨て、靴も失い裸足だ。

 さらにクラスメイトたちから、委員長と呼ばれるようになったきっかけであるメガネを失い、三つ編みもほどけてしまっている。


「初めまして。由佳」

「おまえは誰だ。芽衣なのか!?」


「そうよ。私が野々村芽衣よ」


 当たり前のやり取りなのだが、文学や、哲学などではない。

 私はその言葉の意味に気がついてしまった。


「メイ・エルハーベンがお留守になったから、私がこっちの世界に戻れたわ」


 転生モノにお馴染みのある者ならば、すぐに辿り着く疑問だ。

 そこにはいくつかセオリーがあり、生まれた時点から前世の記憶がある場合もあれば、ある程度成長してから、前世の記憶が目覚めるパターンもある。

 後者では、それまでの記憶が統合される場合と、記憶を損失する場合がある。

 変則的だが、転生前と後の中身が入れ替わるなんて作品もある。

 彼女たちが抱える問題は、私たち9班の面々が持つしがらみのどれよりも根深いのかもしれない。


「芽衣。あなたはボロボロなのよ。もう止めて」

「何を言っている。試合はまだ2カウント残っているんだろ。久しぶりに自分の体なんだし。運動相手になってくれよ」


 やはり目の前にいるのは、私がこれまでに接してきた芽衣じゃない。

 言葉が荒く、好戦的な印象だ。

 たとえ装備を失っても。戦意があるならば油断できない。

 ブラフでなければ、彼女にはまだ他にも召喚できる手札が残っているはずだ。


「そんなに警戒すんなって。私に召喚士としての適性はない。代わりにこれがあるけどな」

「あつっ」


 不意に胸元から熱を感じる。

 心象の問題などではない。

 首に巻いていた制服のリボンに火が点いていたのだ。


 解く余裕などなく、力任せに引きちぎった。

 何をされたのか認識できなかったが、芽衣の浮かべる笑みから、彼女が仕掛けたことであることは確かだ。

 着火能力者パイロキネシスト

 そんな言葉が私の頭をよぎった。


 しかしそんなありがちで、凡庸ぼんような能力ではなかった。

 彼女は人差し指を立てて、自身のこめかみを指した。


「この目は本来私のものだから、メイには使いこなせなかったようね。こいつは『神写しの瞳』よ。映し出した対象に、強制的にパスを繋ぐことができる」


 わざわざ口にする必要もないのに、芽衣は自身の力の秘密を説明した。

 千里眼や催眠眼など、瞳を介する魔法はいくつか知っているが、『神写し』とは、初めて聞く言葉だ。

 その瞳の見た目は特に異常はなく、大多数のニホン人と同じで、黒に近いブラウンの虹彩こうさいだ。


 魔力的なパスとは、自身と魔法の起点を繋ぐ糸だ。

 全ての魔法は、このパスを繋ぐことで始まる。

 私のアーススパイクは地面とパスを繋ぐし、蓮司君の魔法銃は銃弾とパスを繋いでいる。

 他にも胡桃なら呪符と、高宮君なら自身の肉体と。

 そしてこれまでに芽衣は付与魔法を行うために、直接触れることでパスを成立させる必要があった。

 しかし彼女の言葉通りならば、見るだけで強制的に魔法を押し付けることができる。

 1度パスを繋がれてしまうと、魔術的な障壁でも阻止できない。

 魔法使いならば誰であっても欲しい夢のような能力だ。


 そんな芽衣だが間合いを保つ考えなどなく、真っ直ぐこちらへと向かってきた。

 差し迫る攻撃に対して、左腕に固定しているバックラーで防ごうとする。

 しかし急に盾が重くなり、前方向に転びそうになる。

 両足を並べて、腰を下ろすことで、必死に堪えた。

 小盾は重くなると扱い難いので、あまり土属性の付与をしないのだが、芽衣から無理矢理押し付けられたのだ。

 土魔力をキャンセルしようとするが、付与魔法を解除できない。

 それでも腕力で強引に、彼女の拳と盾を合わせた。


 しかしその一撃はあまりにも軽かった。

 芽衣が弱っているからではない。

 これはフェイクだ。

 気づいたときには、盾の死角から足払いが飛んできた。

 更には同時にバックラーの重量が元に戻されてしまい、バランスを崩してしまった。


 尻餅しりもちをつくような形で、リングに倒れた私だが、ここまで来て負けるわけにはいかない。

 迫りくる芽衣の踵落かかとおとしを、横に転がることで緊急回避する。

 すぐさま腹筋に力を込めて、起き上がる。

 ダウンによるカウントとしては1つだけなのだが、こんなにも単純な方法で転ばされるとは思いもしなかった。


 目の前にいる芽衣は、私の知る彼女とは異なり、果敢にも近接戦を挑んできた。

 強力な魔眼を持つが、どうやらそれを決め手にするつもりはないようだ。

 すっかり忘れていたが、魔法使い同士でダウンを取るまでは力の押し合いで制する必要があるが、武闘の世界では技を通せば一瞬で済む。

 私の帝国式魔法戦技は、元々歩兵のための流派だ。

 格闘技だと断ずれば、私にも自信がある。


 煩わしい左腕の盾を外した。

 芽衣の魔法は盾では防げないし、格闘戦に切り替えるならば邪魔でしかない。

 中学から盾を持った私だが、道場での基礎訓練で組手はしっかりと続けてきた。


 私は右腕を曲げて溜めを作ると、右足から踏み込むのと同時に右ストレートを繰り出した。

 メジャーな格闘技だと、前に出した足と逆の拳を突き出すことにより、重心を安定させる。

 一方、東洋の古い技法では、足と同じ側の拳を使うことで、ワンテンポ早く攻撃が届く上に、体重を載せることで威力を強化できる。

 後者の方が、聞こえが良いが、難易度が高くギャンブル要素を孕んでいるので、あまり実戦で使われることはなく、帝国式魔法戦技でも戦闘の終盤で勝負に出るときにのみ使う。


 しかし芽衣の方も、全く同じ型を繰り出してきた。

 互いの体重を載せた拳が、中心でピンポイントにぶつかり合った。

 手の甲の皮がズル剥けになるが、アドレナリンが出ているせいなのか、痛みを感じない。

 同じ技を繰り出すだけでも珍しいのに、相殺することなど偶然とは思えない。

 芽衣が意図的に当ててきたのだ。


 拳の次に選んだのは蹴りだ。

 スカートを履いていることなど気にせず、上段を狙った回し蹴りを繰り出すために溜めを作った。

 そしたら芽衣も鏡写しのように、全く同じ型で予備動作をしている。

 先程と同じ未来が見えているが、ここで技を止めることができない。

 互いの足が弧を描くと、すねがぶつかりあった。

 しかしここからは予想とは異なる現実が迫ってきた。

 完全に競り負けたのだ。

 芽衣の足は最後まで回りきり、綺麗に着地したのに対して、私の蹴りは弾き返され、転ばないまでも態勢を崩された。

 いくら中身が変わったと言っても、筋力は普段から鍛えている私の方が上のはずだ。

 しかし芽衣の技の方が静と動のキレがあり、狙いも精確だ。

 帝国式魔法戦技は、ニホンではメジャーなのだが、まさか芽衣が私と同じ流派の技を使うとは思わなかった。

 私よりも組手が上手い同世代はいるが、目の前の彼女のセンスは、較べようのないくらいずば抜けている。


 私が態勢を整えて基本の構えに戻る間に、今度は芽衣の方から仕掛けてきた。

 軽く握った左拳と曲げた両ひざから、この流派では左の弱、強の2連撃以外の技は存在しない。

 読み通り左のジャブが飛んでくる。

 両腕を正面でしっかり畳むことで、ブロックを作りジャブを受け止める。

 早く鋭いが、その分重さはない。

 あえて反撃を捨てて、大振りになる2発目を回避してから、その隙を狙う算段だ。

 この技は1回目のジャブと同じモーションだけど、当たる寸前に腰を回転させることでストレートへと変貌させる。

 セオリー通り、芽衣が録画映像のように正確な繰り返しをしたところで、私は背中を曲げて、上半身を低く下げて、パンチの下へと潜り込む。

 しかし拳が空を切る音はしなかった。

 芽衣の懐に入ろうとした私を待っていたのは、膝蹴りだった。

 飛び込んでいった私の頭に、芽衣の膝が打ち込まれたのだ。


 一瞬目を閉じてしまったが、すぐに持ち直した。

 しかしダメージが抜けきらず、後退することができない。

 今の膝は、帝国式に無い選択肢だ。

 どこかで読み間違えた。


「初めて使うけど、なかなかいい技じゃねぇか。帝国式ってやつだろ。古臭いと思っていたけど、理に適っているな」


 盗まれたのか。

 今の芽衣は、よくものを言う。

 隠しておけばいいことをわざわざ口にしてくれる。

 それは驕りなどではなく、戦いを楽しんでいるからのように感じる。


 どうやら最初の2回は、私の技をリアルタイムで真似たようだ。

 そしてさっきの攻撃は、帝国式の使い手だと偽ってからの、別の技への移行だ。

 しかもたった数回で、帝国式魔法戦技の本質にも気づいたようだ。

 全ての型が身体強化して使っても、体に負担が少ないように考案されている。


 格闘センスがあまりにも違いすぎる。


 疑似アイギスを使ったせいで魔力は空だ。

 数回の近接攻防で、足はふらつき、腕を上げるのも辛い。

 だけどまだ負けていない。


 ようやく野々村芽衣の顔が見えてきた。

 彼女だって消耗していない訳ではない。

 その証拠に魔眼を使ったのは最初の2回だけだ。

 あれだけの能力で代償を伴わないはずがないし、そもそも魔力が残っていないのだ。

 勝利のために最後の博打を選んだ。


 左足を前に出し、重心を整えた私は、両腕を大きく広げることで、ノーガードをアピールした。

 それを目にした芽衣は、軽く笑みを浮かべて、同じく左足を前に出した。

 射程圏を目指して、互いに摺り足で前進する。

 ひと時だが、リングの上の時間が止まった。

 お互いに左足の先が、相手の胴体の真下にまで潜り込んだ。

 この距離ならば、どんなパンチでも当たる。

 そして芽衣は再開のゴングを私に譲ってくれた。


 背中から大振りのフックを繰り出す。

 芽衣は防ぐことも避けることもせずに、その側頭部で受け止めた。

 軽く揺れるが、崩れることはない。


 今度は彼女の番だ。

 腰の回転を載せた右ストレート。

 先程の行いに応えるために、怖れを殺し、腹筋で受け止める。

 たしかに痛いが、ダウンにはまだ遠い。


 ここからは技術ではなく、意地の戦いだ。


『ちょっと校長先生、勝手に実況のマイクを取らないでください』

『これが魔法使いの戦いだと言うのか!? 両者魔力が尽きてもなお決着せず。ならば気力でねじ伏せるのみ。これこそが東高だ!!』


『工藤副会長も校長を止めてくださいよ』

『ステゴロだな。由佳も芽衣も2人ともぶちかませ!!』


 最初は交互に行っていた攻撃だが、徐々に拳の回転率が上がり、いつしか順番などなくなった。

 そこにあるルールは防がないこと、避けないこと、足を動かさないこと、そして倒れないこと。

 体に拳を受けながらでも、次の拳を強引に放つ。

 倒れれば楽になれるのに、会場の熱気は増すばかりだ。

 もう新人王なんてどうでもよい。

 今はとにかく目の前の芽衣に勝ちたい。

 こんなに痛い思いをしているのに、なぜだが楽しい。

 彼女との戦いは、私を高揚させてくれる。


 芽衣の強さは、4属性の付与魔法でも、闇の眷属でも、魔眼でも、ましてやその格闘センスでもない。

 彼女は単純に、戦い慣れしている。

 他者を傷つけることも、自身が傷つくことも恐れていない。

 そのすべてを受け入れた上で、戦いを楽しんでいるのだ。

 だから清々しい気持ちで、私も殴り合える。

 だからこそもっと戦っていたかった。


 徐々に会場の声が私の耳から遠くなっていく。

 そしていつの間にか背は地面に付き、空を仰いでいた。


『橘選手、10カウントダウンだ! 激闘を制したのは、野々村選手!』

『芽衣も由佳もどちらも頑張った。そして事実上、新たな新人王の誕生だな』


 まだ立つことできない私へと差し込む傾いた日の光が、影によって遮られた。

 芽衣が覗き込んできたのだ。


「由佳、楽しかったわ。またやろうよ」


 笑顔でそんなことを言ってくるが、当分はやりたくないな。

 こんなに痛くて楽しいのは、たまにだからこそ刺激的だ。

 やばい。

 芽衣に惚れてしまいそうだ。


 そういえば、由樹君は彼女のことを知っているのかな。

 もしかして告白を断った理由って、


「由樹には言うなよ。私のことを知ったら、あいつはヘタレになっちまうからな」


 やはり知っているのか。

 ならばこっちの芽衣も由樹君のことが好きなのかな。


「あいつは……ただの舎弟よ」


 少しだけ頬を膨らませて、そっぽを向いてしまった。

 ようやく初めて野々村芽衣から、一本を取ったのかもしれない。


 ***


「どうして医務室って、こんなに遠いのよ」


 闘技場を出てから、この肉体に刻まれている記憶を頼りに、医務室を目指し、ようやくたどり着いた。

 久しぶりに戻ってきた自分の体のはずなのに、思い通りに動かずとても疲れる。

 メイの生活様式は、以前の私とは異なり、筋力が落ち脂肪が増している。

 たった4年で、重たいと感じるほど胸が膨らんでいるとは、想像もしなかった。

 異世界での私の器は、もっとスレンダーで、彼の好みに近い。


 白で統一されたいくつものベッドが並ぶ中、1つだけが使用中で、カーテンによって隔離されている。

 どうやら教員は席を外しているようで、都合がいい。

 私は住人の許可を得ずに、カーテンの中へと入っていった。

 そこには4年ぶりに、直接目にする幼馴染の男の子が眠っていた。


「だいぶ大人になったみたいだけど、相変わらずカッコイイブサイクね」


 冴島由樹。

 昔から当たり前のように、ずっと一緒にいた幼馴染であり、私の第一の舎弟。

 愚かだった私のせいで、その未来を奪ってしまった少年。

 私を助けるために、彼は自身の可能性を差し出してしまった。

 本来なら後数年もすれば、『絶対強者』や『導師』、『軍神』、そして『魔法狩り』にだって引け劣らない大魔導士になるはずだった。


 あんたは今でも私を救えなかったと悔いているのよね。

 でもあんたのおかげで、私はこうして生きているわ。

 復讐など止めて自分のために生きて欲しい。

 王の一角に喧嘩を売るなど、あまりにも馬鹿げている。

 そのために私を喰おうとした怪物を自身の体に住まわせるなど、正気の沙汰じゃない。

 確かに王に対抗しうる手段だけど、あれはメイのために生み出された存在。

 制御できるのはあんたじゃなく、彼女だ。


 別に私のことを忘れて、他の女の子と結ばれても構わない。

 でもどうせなら、メイのことを選んで欲しい。

 だってこの体は元々私の物なのだから。

 それだけでも十分私に報いたことになる。


「そろそろメイが目覚める時間だ。あっちの世界を救いに戻らなければ。そのまま置いてきた体も心配だしな。S級冒険者にもなったことだし、そろそろ魔王を倒して次の世界に飛び立つとするか。調子に乗って、神写しを2回も使ってしまったし、やっぱり刑期が延びるのかな」


 ***

『おまけ1 野々村芽衣について』

メイ・エルハーベン

・現在の野々村芽衣の主人格

・委員長

・異世界転生者

・由樹に片思い

・闇の眷属を従える:異世界産の不可視の怪物。召喚に魔力を必要としない。


野々村芽衣

・野々村芽衣のオリジナルの人格

・戦闘狂

・異世界から召喚された勇者

・由樹の幼馴染で、舎弟扱い。

・神写しの瞳:対象を目視すると、時間、空間を無視して魔法をかけられる。直接でなくとも写真や絵でも可能。

・付与魔法(四元素)


 ***

『あとがき』

秘密を抱えた由樹と芽衣とメイですが、ひとまず今回はここまでです。

それぞれの過去は本編と関係ありませんが、その結末は“芙蓉と紫苑の物語”に深く関わります。

筆者としては、十分すぎるヒントを開示したつもりです。


これにて3章完結ではなく、次回から芙蓉のターンです。

華やかな魔法の祭典の裏側で、銃弾が飛び交います。


 ***

『おまけ2 異世界について』

“異世界”

地球とはいくつもの階層の異なる世界。

数十次元先になると、自然現象で干渉し合うことはない。

特別な儀式や、神々の采配がないと移動できない。


“魔界”

地球の裏側であり、ひとつ階層が異なる世界。

もっとも近い異世界であり、ゲートが自然発生する。

しかし人間が魔界に行って、帰ってきた報告はない。

また魔物に性別はあるが、地球上では繁殖能力を持たない。

ローズがとある計画のために、ゲートを作り出し往復した。


“精霊界”

精霊王がいる世界。

魔界以上に謎が多い。

精霊王の顕現には、契約者が自身の魔力の源を捧げる必要がある。


 ***

『おまけ3 現時点における主な登場人物の戦闘ヒエラルキー』

総合力と筆者の偏見で順位を付けました。

単純な力比べならば、精霊王そして会長様が群を抜いております。

実際は相性や状況によって左右されますし、物語の進行と共に順位は変動します。


☆☆☆☆☆

1. 野々村芽衣

2. ガウェイン

3. ローズ・マクスウェル

4. 一ノ瀬・ノエル(西高生徒会長)

5. 九重紫苑


☆☆☆☆

6. 草薙静流

7. ダニエラ

8. リル

9. 芙蓉・マクスウェル

10. フレイ

11. 工藤凛花

12. 高宮時雨(芙蓉の叔父、飛鳥の父)

13. 校長先生(本名未定)

14. 張(殺し屋)

15. 歩(橘由佳の師匠。本名未定。登場予定なし)

15. リゼット・ガロ

16. メイ・エルハーベン

17. 高宮飛鳥

18. ベヒA娘

19. ベヒB助


☆☆☆

20. 奈瀬深雪(副担任)

21. 橘由佳

22. 冴島由樹

23. 草薙伊吹

24. 草薙胡桃

25. 的場蓮司


瀬尾百恵(ランキング初戦の相手)

クレア(ステイツの科学者)

後藤健二(担任)


アックスとハゲタカに関しては、次回から戦う相手なので、割愛させていただきました。

なお現時点の蓮司ですら、東高OBではないプロの下の方と同格で、デイリーガチャには3%以下の確率でしか入っておりません。


 ***

『おまけ4 イラスト』

ゴールデン☆ガチゴリラ様より、九重紫苑のイラストをいただきました。

https://30777.mitemin.net/i503758/

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る