20 草薙の家

『まえがき』

初の胡桃視点です。

草薙家の事情に踏み込みます。

和風を演出するために、普段だと使わない言葉を選んでいます。

 ***


『分かっているな。次の俺との試合は、適当に流して負けろ。高宮飛鳥と当たるまで温存しておきたい』

『嫌なのです。草薙の家での技比わざくらべでは、1度も伊吹くんには勝ったことがないのです。でもこの東高での2か月を見せたいのです』


『そういう意味じゃないのに……どんなに努力しようが分家が本家に勝てる訳ないだろ』


 2回戦を終えて休憩していたときに、従兄の伊吹くんがやって来た時の会話なのです。

 リズちゃんはどこかへ行ってしまったし、由佳ちゃんも芽衣ちゃんも試合中で、私が1人のときに話しかけられました。

 東高に入学してから、伊吹くんと話すのは初めてで、少しギスギスしているのが気まずかったです。


 ***


 同世代として草薙家に生まれた静流お姉様、伊吹くん、そして私について少しだけお話します。


 草薙家は古くからある陰陽師の家系で、刀に霊気を込めることで、悪霊や妖怪を調伏ちょうぶくすることを生業なりわいにしています。

 歴史も実力もニホンではトップクラスで、四元素魔法の台頭により、多くの伝統的な魔法結社が没落する中でも、繁栄を続けています。

 門戸もんこを大きく広げている草薙家ですが、その中核は血筋によってその才能を濃く受け継いだ宗家と枝分かれした分家筋が支えています。

 宗家当主は直系の長男に限らず、実力で決められるのが仕来しきたりです。


 私の生まれた分家は、十数代前に当主になれなかった宗家の方が、派生の流派として立ち上げました。

 以来、草薙の裏門を守ってきた分家の筆頭なのです。

 そして時の流れの中で、宗家とは違った発展を遂げて今の形になり、他の分家に比べるととても優遇されています。

 だから静流お姉様と伊吹くんを従姉兄と呼んでいますが、家系図ではとても遠いのです。


 門下生の多い草薙家ですが、一族の子供には英才教育を施します。

 物心つく頃には、式神や子供用の小さい竹刀をおもちゃにして遊ばせるのが慣習で、私も3つの年には、すずめの形をした式神を飛ばしていました。

 そんな折に顔を合わせたのが、宗家の長女である静流お姉様と、私よりも2か月先に生まれた伊吹くんなのです。

 他にも子供はいたけれども、影から宗家に支える我が家は特別で、幼少の頃より2人の遊び相手として、一緒に育てられました。

 陰陽術の練習をするときも、遊ぶときはもちろん、寝食を共にしていたのです。

 特に大きな草薙のお屋敷や敷地を探検することが、私たちの日常風景でした。


 そんな私たち3人ですが、すぐに別々の訓練へと進むことになりました。

 伊吹くんは宗家の長男として、着実に頭角を現していき、私も分家開闢かいびゃく以来の天才として、持てはやされていました。

 そして残念なことに、静流お姉様には陰陽術の素質がまったくありませんでした。

 静流お姉様は魔力自体を持ってはいましたが、私たちが当たり前に使っている式神を扱うことができず、異形の姿を捉える見鬼けんきがようやくで、それすらも輪郭がぼやけているそうなのです。

 そのせいで実力を重んじる草薙で、お姉様は不遇な扱いを受け、門下生や他の分家筋からも見下されていました。

 草薙家で血筋が大事にされるのは、あくまでそこに力が宿るからであり、才能のないお姉様の居場所はどんどんなくなっていったのです。


 そこで幼かった私と伊吹くんは、密かに約束を交わしました。

 将来2人で宗家と分家のトップに立って、静流お姉様を草薙の悪意から守ろうと誓ったのです。

 しかし事態は、誰もが予想しない展開へと進んでいきました。

 伊吹くんが7歳になったことをきっかけに、私たち3人に真剣を使った訓練が課せられました。

 これまでの竹刀と違い、重たいだけでなく、一歩間違えると相手を傷つける危険があります。

 びくびく、ふらふらする私と伊吹くんを余所に、静流お姉様の才能が一気に開花しました。

 初めて握った小太刀を片手で振り回して、外様の門下生たち数十人を戦闘不能に追いこみました。

 それも相手の身体に一太刀も入れずに、得物に斬撃を何度も当てることで体力と戦意を根こそぎ奪ったのです。

 この日を境に、私と伊吹くんの約束がきしみ始めました。


 剣術に秀でた静流お姉様は神童と呼ばれる一方で、陰陽術を使えないせいで嘲笑あざわらやからがおりました。

 特にその剣才に対して嫉妬するあまり、当たりはより厳しくなっていきました。

 次第に他人の前では弱みを見せないように、声と表情を押し殺した静流お姉様ですが、毎晩のように私のお布団に潜り込んではすすり泣いていたのです。

 そしてお姉様を支えるべき実弟の伊吹くんは、その剣術を比べられるせいで、遅くまでの訓練を課せられており、私たちと会うこともはばかれていたました。


 私が12歳の時に決定的なことが起こったのです。

 当時13歳の静流お姉様は、当主である実の父を初め、草薙家の実力者たちを刀一本で破ったのです。

 さらにその刀で、悪霊を断ち切る芸当まで披露しました。

 私たち草薙家は、刃に破魔はまの術を親和させることで、異形を切ります。

 しかし陰陽術を使えないお姉様は、その剣技だけで刃を届かせたのです。

 静流お姉様は、草薙家とは違う新たな力のあり方を確立してしまいました。


 それ以来みんなは、静流お姉様をいない者のように扱い始めました。

 私のお父様も、将来は伊吹くんを支えるためにお姉様とは距離をおくように、私に言い聞かせました。

 お姉様自身も自分の立場、そして私と伊吹くんのことを気づかって、訓練の場に顔を出さなくなりました。

 夜の寝床でその肌を感じるだけで、お姉様との接点はなくなってしまいました。

 私たち3人は同じ敷地に居ながらも、次第に疎遠になり、静流お姉様は草薙の家を追い出されるように東ニホン魔法高校に入学しました。


 予想できていたことですが、静流お姉様はあっという間にその実力を示しました。

 陰陽術を使えなかったお姉様ですが、水属性に目覚めて、新人戦で1位になり校内ランキングも着実に上げていきました。

 その中で草薙家において、変化がありました。

 静流お姉様を次期当主に、という声が上がるようになりました。

 魔法使い飽和の時代で、かつての権勢を失った草薙家にとって、東高で活躍するお姉様は偶像アイドル的存在になり始めたのです。

 それは外様の門下生だけでなく、分家筋からもそのような声が上がっていました。

 しかし宗家と私のいる分家筆頭は伊吹くんを押しており、その行動は迅速でした。


 休みの日に静流お姉様を呼び出すと監禁したのです。

 いくら強いお姉様でも刀を取り上げられ、札で魔法を封じられたら、なすすべもありませんでした。


 しかし私以外にも、静流お姉様の味方がいたのです。

 どうにかお姉様を救えないか手をこまねいていたときに、おどおどしたお姉ちゃんと出会ったのです。

 黒い髪を両サイドに束ねて、野暮ったい眼鏡で視線を隠し、曲がった背筋のせいで下ばかり見ている人でした。

 どう見ても頼りないお姉ちゃんでしたが、静流お姉様の現状を真摯に受け止めて、連れ出すことを約束してくれたのです。

 少し脱線してしまいましたが、これが紫苑お姉様とのファーストコンタクトでした。

 紫苑お姉様は凛花お姉様と一緒に、草薙家に殴り込みをかけると、静流お姉様を外の世界へと連れ出しました。

 それからは、こっそり草薙の家を抜け出して、3人と遊ぶ機会が何度もありましたが、徐々に静流お姉様が2人に心を開いていることを知って、とても安心しました。

 そして静流お姉様は第5公社に入ることで、第1公社に所属する草薙家とたもとを分かち、さらにその実力を引き伸ばしていきました。


 次の年の春、私と伊吹くんは東高に入学しました。

 静流お姉様の一件とは関係ありません。

 私たちの同級生の高宮飛鳥さんが、入学する情報があったからです。

 草薙家はニホンの魔法結社として、高宮家をライバル視しています。

 その次期当主よりも優れていることを証明するために、伊吹くんを送り込んだのです。

 そして彼のサポートをするために私の入学も許されました。


『伊吹様も当主として申し分ないが、静流様の剣才を惜しむ声がある。彼の地位を盤石にする必要があるのは分かっているな。おまえが静流様のことを実の姉のように慕っていることは理解しているつもりだ。しかし役目を忘れるな。我々が支えるべき次期当主は伊吹様の方だ』


 お父様には悪いけど、草薙家を離れて静流お姉様との学園生活は楽しみでした。


 入学して以来、私は静流お姉様と一緒にいることが多く、伊吹くんとは疎遠のままでしたが、いよいよ向き合う時が来たのです。

 彼にとって静流お姉様に勝つことは不可能な現実ですが、高宮の飛鳥さんに直接対決で勝利を収めることで次期当主に相応しいことを示すことで、その地位を盤石にすることはできます。

 トーナメント運のせいで、飛鳥さんとの試合の前に草薙同士で潰し合うことになりますが、手を抜くつもりはないのです。

 これまでは目を背けてきた伊吹くんとしっかり向き合わなければなりません。


 ***


『勝者、由樹!』


 ちょうど私の前の試合だった由樹さんが、勝利で終わって戻ってきました。

 リングから降りてきた彼とすれ違ったけど、いつもだと軽口を叩くはずが、今日は珍しく目を合わせただけでした。

 それでもその想いは、しっかり受け取りました。

 私も勝てば、次に由樹くんとの試合なのです。


 ここまでの新人戦で生徒会の7人のうち、私、由樹さん、由佳ちゃんそして芽衣ちゃんの4人が残っております。

 芙蓉さんはここ数日見ていなくて、蓮司さんとリズちゃんもせっかく1回戦を勝ったのに、どこかへ行ってしまいました。

 おそらく先日、紫苑お姉様が狙われたことと関係があると思います。


「胡桃、ファイト!」

「頑張って!」


 リングに上がる私に向かって由佳ちゃんと芽衣ちゃんが応援を送ってくれています。


「行ってくるのです」


 私を待ち構えていたのは、対戦相手の伊吹くんと主審の静流お姉様でした。

 伊吹くんは私よりも少し大きいですが、男性としては小柄な方です。

 静流お姉様と比べると私たちは、身長があまり伸びませんでした。

 そしておかっぱ頭に童顔な従兄ですが、その剣は決して優しくありません。


「「「伊吹くん、頑張って!」」」

「伊吹、負けるなよ!」


 伊吹くんのクラスメイトでしょうか。

 女の子の声が多い気がしますが、しっかりとクラスに馴染んでいるようで、安心しました。

 静流お姉様ばかり構っていて、彼のサポートをまったくしていなかったので、少し後ろめたさがあります。


「胡桃が分家の中で1番なのは認めるが、俺や姉さんと比べたら各段に劣る。怪我する前に下がりな」

「周りが見えていないのは、伊吹くんの方なのです。飛鳥さんだけでなく、多くの人たちが優勝を目指しているのです」


「分不相応な夢を抱くのは哀れだな」


 どうしても伊吹くんは、私を退かせたいようですが、そんなつもりはありません。

 これまで先送りにしていましたが、彼と向き合う気持ちは十分です。

 このまま彼を飛鳥さんと戦わせてしまう訳にはいきません。

 もし勝つなんてことがあってしまうと、草薙の当主としての街道を歩むことになり、向き合う機会が閉ざされてしまいます。


 私の狩衣かりぎぬが赤のズボンに白の羽織なのに対して、伊吹くんは黒と紫色です。

 刀を札にしている私と違って、彼は最初からニホン刀をいています。

 太刀と呼べる一般的に侍が持つ刀で、私の腕力では振り回せません。

 同じ和装でも、審判の静流お姉様は水色の着物に、お団子にした頭に簪を差しており、本日は刀と和傘は装備しておりません。

 危険と判断すれば試合を止める主審ですが、試合中もリングに立つので、武器を持っていると選手の気が散ることを配慮しているのでしょう。


 試合時間に達し、開始の合図のゴングが鳴りました。

 私も伊吹くんも札を取り出すと、まずは互いにセオリー通りに式神を作り出しました。

 放った札たちが宙を舞いながら、鳥の姿をかたどっていきます。

 一方伊吹くんが投げた札たちは、くっつきあって1つの体を作りだします。

 それは武士もののふの式神。


 分家が変幻自在で諜報や攪乱に長けた式神を扱うのに対して、宗家は武力を行使するために人型の戦闘向きの式神を使います。

 札による白一色の武士は身長180センチ台で、甲冑を纏い、刀を構え、術者の意思を介さずに自律して動きます。

 凛花お姉様のゴーレムと違う点は、札として持ち運びできることと、必要に応じて術者と意識を共有できることです。

 ちなみに剣の腕は、術者の技量がベースになります。

 当主なら同時に3体扱えますが、伊吹くんは1体が限界です。

 それでもこの式神を突破しないと、彼にダメージを与えられません。

 範囲攻撃が有効なのですが、私にはないので、不意を突くしかありません。


 伊吹くんが武士を作るのに集中力を割いているタイミングを狙って、先に仕掛けます。

 周囲を舞っていた鳥たちが、伊吹くんの視界から私を隠すように陣形を組みます。

 一瞬の虚を突いて、自身の気配を消して、ダミーの式神を置きました。

 見た目は私に似せてありますが、ただの張りぼてなので、伊吹くんの式神と違って耐久力はありません。

 もちろん式神と入れ替わることが、私の常套手段じょうとうしゅだんであることを彼が知っているのは、承知の上での行動です。

 偽物だと分かっていても、意識してしまうのが人間という生き物です。

 気配を消して、宙を舞う式神たちの影に潜みます。


 姿を消す術には様々な種類があります。

 光学的な手法や、相手の注意を逸らす方法、そして私が扱うのは自身の存在を希釈する技です。

 まず基本は音消しです。

 単純な動作音だけでなく、息づかいや体を動かす際の関節の軋みすら最小限にします。

 この状態で、自分の意識を薄くします。

 無意識になるのではなく、意識を空間に分散させて漂わせていきます。

 人間は社会的な動物で、相手の意思を読む力に優れています。

 それを逆手に取って、意思を薄めることで認識されにくくなります。

 これだけだと風景に溶けこむだけで、完全に姿を消すことはできません。

 しかし無音の世界で、意思を分散させると人間の脳が錯覚を起こして、相手の情報を欠落させてしまいます。

 攻撃の意思を捨てるのではなく、浮遊させたまま、伊吹くんの式神へと近づいていきます。

 刀を握ると、攻撃へと意識が収束してしまうので、直前まで鳥に化けさせています。


 伊吹くんも彼の式神も目を閉じた状態で、鞘に納められた刀を構えています。

 私を探すことは諦めて、反撃の構えのようです。

 どんなに気配を消しても、攻撃の一瞬を隠せないことを狙っているようです。


 標的である武士までギリギリの間合いを詰めました。

 これ以上近づくと斬撃に勢いが落ちてしまうし、離れると攻撃を当てる前に防がれてしまいます。

 生徒会のみんなは私の隠形おんぎょうを評価しているようですが、草薙の者として刀術に重きを置いています。

 式神も隠形も変化へんげや罠だって、刀術を活かすための手段に過ぎないのです。


 場は整いました。

 術比べでは先手を打てました。

 ここからは刀術での勝負です。

 今までの試合で、私たちは共に本気で刀を振るうことがありませんでした。

 たとえ将来を掛けた試合だとしても、相手を傷つけてしまう恐れがあるからです。

 しかし草薙同士となると話が違います。

 普段から真剣での鍛錬を積んでいる私たちは、人体で切り付けても大丈夫な部位を熟知しています。

 草薙の鍛錬で流血沙汰になることがあっても、命に関わらないし、それどころか次の日には平然と動けます。

 そんな私たちが互いに相手が刀を抜くことを、十分に理解しています。

 伊吹くんとは本気で向き合わなければならないのです。


 振り上げた右手の上に、鳥に化けた愛刀が舞い降りました。

 狙うのは、刀に手を添えている武士の利き腕です。

 腕を振り下ろす最中に変化が解けて、私の手には抜き身の小太刀が握られています。

 しかしその刃は途中で軌道を変えられてしまいました。


 武士の式神は後出しでありながら、私の太刀筋に抜刀を合わせてきたのです。

 衝突した刃は運動量を保存しながら、互いに逆方向へと吹き飛ばされます。

 しかし私は小太刀を手放すことで、次の手を狙います。

 吹き飛んだ刀は再び鳥になり、新たな鳥が今度は私の左手に収まりました。

 現れたのは真っ直ぐなニホン刀ではなく、歪曲したカトラスサーベル。

 私の様な小柄な小太刀使いにとって、二刀流は珍しくありませんが、2本目に選んだのは左右非対称な得物です。

 このような場合、利き腕が大太刀なら逆は小太刀、利き腕が小太刀ならば逆は短刀が一般的です。

 しかし今回私が利き手の反対で握ったのは、先端が太く大きいカトラス。


 全身のねじりによる溜めから、回転の力を加えたカトラスが武士の胴を狙います。

 武士は回避行動に出ますが、その動作はニホン刀の軌道しか想定できていない。

 どこまでいっても真っ直ぐな刀と違って、西洋の曲刀である変則的なカトラスを、紙一重で避けることは困難です。

 さらに完璧な重心のバランスを持つニホン刀に比べて、先端に重心があるカトラスは非力な私でも必殺の一撃を放つことができます。

 勢いの乗ったカトラスが武士の胴体を引き裂きました。


 さすがの伊吹くんも私がこんな強硬策を取ることに驚いたようですが、すぐに大技の後の隙を狙ってきました。

 カトラスの勢いに引っ張られてしまい、体重を後ろに戻すことができず、伸びきった左腕の先へと刃が差し迫ります。

 再び得物を手放すことで、左手首を切り落とされることを防ぎましたが、切っ先に軽くかすめめました。

 追撃の動作に入る伊吹くんに対して、鳥たちをむやみやたら突撃させることで、その間合いの外へと逃げます。

 左手首の辺りから血が流れ、白い狩衣へと色が移っていきます。

 痛みは我慢できますが、手を握ろうとしても握力がほとんどありません。

 式神を倒すのに、隠していた西洋刀を見せるだけでなく、左手を犠牲にしたのは割に合わないです。


 ここからが本番なのです。

 さっきの奇襲では、式神の立ち位置が邪魔で、伊吹くんの反撃が遅れましたが、同じ手は通用しません。

 より慎重に戦う必要があるのです。

 タイミングをバラかしながら、式神たちを伊吹くんへと突撃させていきます。

 鳥をかたどった子たちは、その羽を動かすたびに速さと軌道を変化させていきます。

 さらに一部の式神には、私の愛刀と同じように、クナイを化かしているものが潜んでいます。

 しかし伊吹くんは殺傷能力のない式神を無視して、クナイの子たちを的確に狩っていきます。

 彼がその力強い剣術を披露しているようにも見えますが、時間稼ぎとしては十分なのです。


 式神の一部をリングに着地させると、基本に忠実な五芒星の拘束術式の設置が完了しました。

 5枚の札によって作られた星は、敵が中央に入ると自動で発動する上に、サイズを変えることができる優れものです。

 その効力は札に込めた魔力と私の精神力に依存しており、1度描くと安定化するので、維持に必要な魔力はほとんどありません。


 五芒星の仕込みを終えたので改めて気配を隠して、伊吹くんの足止めをしていた式神たちを空中へと離脱させました。

 ゆっくりと伊吹くんの方へと進んでいきます。

 確実に決めるために、円を描くように彼の後ろへと回り込みながら、近づいていきます。


 いよいよ伊吹くんの刀の間合いへと侵入します。

 互いの得物の長さに違いがあるので、どうしても伊吹くんだけが一方的に攻撃できる距離があります。

 いきなり足を踏み込むことはなく、そっと右腕を伸ばしました。

 しかし急に伊吹くんはこちらへ振り返って、侵入した右腕に迎撃してきました。

 伸ばしていた右腕をすぐに引っ込めると、バックステップで逃げました。


 なぜばれたのでしょうか。

 周囲を確認すると、客席からも由佳ちゃんや芽衣ちゃんの視界からも消えているのに、なぜか伊吹くんのまなこはしっかりとこちらを捉えています。


「胡桃は俺と一緒に基礎を終えてから、ここ数年は外門弟子としか修行していないだろ。門下生の多い草薙家で、当主が宗家の血脈である理由を知っているか」


 今更なんのことでしょう。

 伊吹くんが小さい頃から英才教育を受けていることは、一緒に育った私は当たり前の事として知っています。

 その実力は剣技でも陰陽道でも、外門弟子を大きく上回り、今の彼より強いのは現当主とご隠居、そしてお父さまを除くと個人でライセンス登録をしている内門弟子数名だけです。


「草薙の血には見鬼の才が宿る。見鬼だけは訓練ではどうしようもない。これは陰陽道の才能が無かったお姉さんですら持っていた」


 視線を横に流すと、審判をしていた静流お姉様と目が合いました。

 伊吹くんの言う通り、隠形や変化の修行を始めてから、宗家の人相手に使うのはこれが最初です。

 お父さまは私の技が通用しない相手がいると、再三注意しておりましたが、宗家のことでしたか。

 立場上、主家のことだとは言えなかったのでしょう。


「見鬼は異形の本質を見破る力だ。いくら存在を希釈したところで、そこにあることに変わりはない。最初の隠遁術いんとんじゅつは驚いたが、さすがに刃を交えた後には、気配を消しきれていないぞ」


 これまでに気配を断つことで、ヒット&アウェイを得意としてきましたが、2回目の隠形が弱っているのは気づきませんでした。

 どうやら最初は上手く隠れられていたようですが、それが裏目に出てしまい、2度目も通じると慢心してしまったようなのです。

 意味がないと知ったので、隠形を解除して刀を右腕に着地させます。

 隠形は魔力をあまり使わない術ですが、体力と精神力を消耗します。

 姿を現したところで、まだ負けが決まった訳ではないのです。


 後退あとずさりするように、五芒星の中心へと伊吹くんを誘導していきます。

 先に私が通過しましたが、もちろん作動することはありません。

 しかし勝負を決めに来た伊吹くんが、中央に足を踏み入れると5枚の札が反応して、円の中に星型が浮かび上がりました。

 五芒星の拘束は完璧ではなく、私と伊吹くんの精神力による綱引きによって動きを抑えつけます。

 互いの気迫が拮抗すれば、相手はとてもゆっくりとしか身体を動かすことができなくなります。

 後は1度伊吹くんを転ばさせば、10カウントで立ち上がることは不可能です。

 これまでの試合も、これが必勝パターンでした。


「五芒星なんて単純な手、対策をしていない訳ないだろ」


 手足を動かせない伊吹くんは、私と同じく五芒星の外に伏せた札を介して、術を発動したのです。

 それはリングの端に大きく張った5枚の札。

 私の五芒星を覆うように、逆向きに配置された五芒星。


 対抗魔法。

 火魔法に対する水魔法や、魔弾に対する誘導デコイ、隠形に対する見鬼などのように、効率良く無効化する魔法を対抗魔法と呼びます。

 そして五芒星に対する対抗魔法として、逆五芒星はとても有名です。

 余程実力に差がなければ、2つの術式は相殺されてしまいます。


 拘束を諦めた私は小太刀を手にして、五芒星を突破してくる伊吹くんに備えます。

 剣術において彼の方が優れていることは、ここ数年手合わせをしていなくても、承知の上なのです。

 それでも他の術を使いながら戦うよりも、剣技に集中しなければ、万にひとつの勝機すら失ってしまいます。

 基本通りの青眼の構えをする伊吹くんに対して、私の方は小太刀を逆手に持って、刃を後に隠すような構えです。


 狙うのは後の先。

 得物が長く直線的な速さのある伊吹くんに対して、正面戦闘で先手を打つことはできません。

 ならば一撃目を躱してからの反撃しかありません。


 いよいよ五芒星から解き放たれた伊吹くんが踏み込んできます。

 体重をしっかりと載せた切り下ろしに対して、私は反撃を狙うために刀を持たない左へと体を逸らします。

 しかし伊吹くんは完全に振り下ろすことなく、斬撃の軌道を変えて横薙を放ってきました。

 このまま刀で受け止めてしまうと反撃が困難になり、主導権を失ってしまいます。


 上下への回避はもう1度追撃されると逃げられず、後への退避は反撃できないまま仕切り直しになります。

 ならば私は前進に活路を見出しました。

 長い得物ほど懐に入られることを嫌がるものです。

 超近距離まで接近した私は、小太刀の刃を迫りくる横薙ぎの方へと添えました。

 伊吹くんがこのまま振り抜けば、彼の腕は自ら白刃へと衝突します。

 普段から真剣で稽古している私たちだからこそ、磨かれる危機察知能力があります。

 彼は接触の前に、瞬時に手首の捻りで刀を地面にぶつけることで、回避しました。

 その隙に私は、彼の左肩目掛けて突きを繰り出しました。

 軌道は精確でしたが、後へさがる彼の方がわずかに早く、骨まで達することはありませんでした。

 それでも肉を切った感触が、彼の鮮血が、刀に残っています。


 流石にこれまで余裕を見せていた伊吹くんの表情が険しくなりました。

 互いに術を潰し合い、左を負傷しました。

 ここまではなんとか対等に食らいついています。


 伊吹くんは、型を無視して力一杯に私の刀を強撃してきました。

 得物を落とさないように、力の入らない左手を添えて必死に耐えます。

 しかし私の態勢が戻る前に2撃目が来ます。

 防御の構えをできていないのに、再び刀を狙われました。

 伊吹くんの振り下ろしに対して、足の力で踏ん張ることができません。

 勢いに負けてしまい、そのままリングに打ち付けられました。


 刀を手にしたままうつ伏せに倒れた私は、その頭をあげるとカウントダウンが始まっていました。

 審判が危険と判断しない限り追撃を禁止されていませんが、伊吹くんは少し離れたところで立っています。

 どうやら立っていない相手への攻撃を禁じている草薙家の稽古に合わせているようです。

 刀を握る手の感触を確認すると、少し震えていますが、まだ戦えます。

 ちょうど7カウントで得物に頼らず、自身の両足でしっかりと起き上がりました。


 伊吹くんは立ち上がった私に対して、休む間を与えないように攻撃を始めました。

 先ほどと同じように刀を狙って、力一杯の大振りです。

 傍目には大雑把に見えるかもしれませんが、しっかりと振り抜かれているので威力が大きく、こちらが態勢を整える前に次の攻撃がやってきます。

 まるで静流お姉様が初めて真剣を持った時に、外門弟子相手に見せた戦い方です。

 私の体力と気力を削り、力の差を叩きつけるつもりなのでしょう。

 できる限り受け流そうと軌道を逸らしますが、そう何度も続きません。

 大きな一撃を受け止めた私の足は、リングから引き剥がされ、そのまま場外へ追いやられました。

 幸いなことにコンクリートのリングとは違い、砂を敷き詰めた闘技場の地面は衝撃を受け流してくれました。

 すぐに舞台へと戻りましたが、2カウント使ってしまいました。


「大人しくやられておけばいいものを。怪我しても知らないからな」


 真剣を手にする私たちにとって、10カウントはとても甘くも厳しい世界です。

 本来ならば斬るか斬られるかでしか決着がつきません。

 一方で、真剣に晒される立ち合いを長く続けるのは、体力的にも、精神面にもとても消耗します。


 このままだとジリ貧ですが、勝負を急いだ伊吹くんは標的を変えてきました。

 突き出した彼の刃が私の肩を掠めました。

 それでも戦闘の継続が難しくなるような致命傷ではありません。

 次に繰り出された袈裟斬りは、私の二の腕を縦に斬りつけましたが、派手な出血の割にはそんなに深くありません。


 ここまで渡り合ってきた伊吹くんですが、彼は強い言葉を発していますが、昔の静流お姉さんのことを守ろうと誓った優しかった彼と変わっておりません。

 私に棄権を促し、丁寧に術を1個ずつ破りました。

 体力を削って諦めさせ、私が致命傷を追わないように慎重に切りつけているのです。

 しかしこのまま彼の気づかいに甘えてはいけないのです。

 伊吹くんは必死に強いふりをしているのです。

 きっと草薙の家がそうしてしまったのでしょう。


 ただ弱いだけの私ではダメなのです。

 伊吹くんと静流お姉様の隣に立てる自分でいたい。

 ここで勝利を諦めたら、永遠にその差は埋まらない。


 1度だけ反撃で伊吹くんの肩を斬りましたが、同じ手は通用しません。

 ならば勝つためには、刺し違えを狙うしかありません。

 伊吹くんの方は、何度も斬りつけて私の戦意を奪う作戦のようです。

 そのせいで攻撃の1回1回がコンパクトで、反撃を狙えません。

 そこであえて刃に飛び込み、彼が動揺したところを確実に斬りにいきます。

 致命傷でなければ、芽衣ちゃんに治療してもらえば、次の由樹さんとの試合に間に合うはずです。


 私のお腹を軽く斬りつけようとする伊吹くんの突きに対して、あえて刀が突き刺さるように踏み込みます。

 己の身を白刃に晒す作戦ですが、彼のことを信じているからこそ選べる戦法です。

 伊吹くんもその狙いに気づきました。

 引くことはしないものの、致命傷にならないように軌道を変えていきました。

 痛みはあると思いますが、耐えるために息を止めます。


 しかし覚悟していた痛みはやってきませんでした。

 金属のぶつかり合う音の後に、私は影の中にいました。


「流石にやりすぎだ」

「胡桃、大丈夫?」


 なんと由佳ちゃんが盾を構えて、伊吹くんの突きを阻んでいました。

 そして芽衣ちゃんが付与魔法で手当てを始めてくれました。


 しかし昂った伊吹くんは、ここで引けなかったのです。

 この場には草薙の人間が来ております。

 彼は強い自分を偽り続けるしかありません。

 低い身長で盾をすり抜けた彼は、私目掛けて再び攻撃を仕掛けます。

 そこに芽衣ちゃんが覆いかぶさりますが、いくら付与魔法で強化したローブでも、草薙の斬撃を防ぐことはできません。

 斬られることはなくても、かなり痛いはずです。

 しかしその突きは、再び止められることになりました。

 そこにあったのは由佳ちゃんの盾ではなく、1枚のボード


「芽衣に剣を向けてるんじゃねぇ! ぶっ殺すぞ!」


 いつもの彼からは考えられない激昂です。

 早く誤解を解かなければいけないのです。

 伊吹くんは草薙家後継者としての立ち居振る舞いと、私を怪我させないように気遣う板挟みで頑張っているのです。


「まっ、待ってくださいなのです。伊吹くんは、」


 しかしそれより先は、呼気が声に変わりません。

 思っていた以上に消耗していたようです。

 張り詰めていた気持ちが急に和らいだせいで、蓄積していたダメージが一気に上ってきました。

 そしてそのまま気を失ってしまいました。


 ***

『あとがき』

楽しんでいただけましたか。

主人公のことを忘れて没頭していただけたならば嬉しいです。

新人戦を通して、生徒会の4人のキャラを掘り下げればと思います。

次回「冴島由樹 VS. 草薙伊吹」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る