17 銃に魅入られた男

 しばしの間、俺の話に付き合ってくれるか。

 的場蓮司という、どうしようもない男の救いのない物語。


 ***


 俺は公務員の父を持つ家庭の男三兄弟の末っ子として生まれた。

 これだけ聞くと、ありがちなことだと思うかもしれないが、親父おやじの仕事は特殊だった。

 しかしそのことを知ったのは、物心ついてからかなり先のことだ。


 親父である的場悠司ゆうじには射撃の趣味があり、かつてはライフル射撃で五輪のニホン代表候補にまで登り詰めたほどの腕前だ。

 おやじの影響を受けた俺は、小さい頃のおもちゃの射的セットから始まり、射撃にどっぷりとはまっていった。

 2つと3つ離れた2人の兄たちはあまり長続きせず、親父は俺の射撃の英才教育に心血を注いでいた。


 小学生高学年の頃には、毎日放課後は早く帰宅して、自宅にある親父の改造部屋で、実弾を使わないビームライフルばかりで遊んでいた。

 親父の休みの日には射撃場に連れて行ってもらい、ピストル射撃にライフル射撃、クレー射撃など、なんでも挑戦した。

 初めて火薬式の銃を手にしたときは、中々的に当てることができなかったが、何度も撃つたびに徐々に体に馴染んでいった。

 発射された弾が自身の手足のように感じるのに、そう長く掛からなかった。

 俺にとって、遠くの的に弾を当てるのは、遠くの物を取るために手を伸ばすのと大して変わらない。

 経験を重ねると、初めて扱うモデルだとしても、数発で感覚の修正を可能にしていた。

 射撃はニホンでは、マイナースポーツということもあるが、どの種目でも同世代でライバルになるような人物はいなかった。

 子供ながらに、将来は当たり前のように、オリンピックでの金メダルを夢見ていた。


 しかし中学生になる頃には、少し興味が変わっていた。

 親父は俺に競技で使われる300メートルよりも、さらに遠くに設置した的を狙わせた。

 銃の製造社が公開しているスペックを最大限に引き出し、理論上命中できるギリギリの距離での射撃に挑戦した。

 安定して的に当てられるようになるたびに、新たな銃に持ち替えていった。

 最初は何日もかかったが、切り替えのペースも徐々に早くなっていった。

 親父も俺のために様々な銃を準備したが、何時いつしか1日に数種類の銃を試すくらいハイペースになった


 ただの的当てに飽き始めていた俺に対して、親父が用意した新たな試練は、障害物の存在下での動く的へのアプローチだった。

 猟銃を持って人気ひとけのない山に入ることを初め、不安定な足場や、悪天候など、あらゆる条件下での射撃に挑戦した。

 この頃には親父がいなくても1人で、自主的にミッションを決めて挑戦していた。

 もちろん1人での銃の扱いは禁じられていたので、スリングショットに、ボウガンやニードルガンなんてものを使っていた時期もあった。


 銃技に磨きを掛けることに余念のなかった俺だったが、高校に進学するときに大きな転機があった。

 まずはこの少し前にあった、中学での特殊健康診断について説明しなければならない。

 魔力が一般人の基準値を超えており、特に火属性への適正が明らかになったのだ。

 担任の教師からは、魔法科への転向を強く勧められたけど、あまり関心が無く、とてもわずらわしかった。


 兄貴たちからも、とても羨ましがられたが、2人はできた人物で嫉妬などは無かった。

 銃への興味も魔法への適正もなかった彼らだが、この頃にはそれぞれの道を歩んでいた。

 上の兄は車の設計・開発を目指して工業高校へと進み、より専門的な知識を得るために大学への進学を決めていた。

 2番目の兄は読書好きが高じて、いつしか自身で書き始めて、親父たちには内緒だが何度も出版社に原稿を持ち込んでいた。


 中坊ちゅうぼうの俺からしてみれば、むしろそんな兄貴たちの背中が羨ましかった。

 俺は自身の目標を見失っていたのだ。

 銃技を磨くことは楽しいが、それを将来の仕事にできるのか不安があった。

 現実を知らない無垢な幼少期は、がむしゃらにメダルを目指していた。

 しかしそこに何の意味があるのか。

 磨き上げた銃技は、すでにそれぞれの銃の限界に肉薄することで十分に証明してきた。

 傲慢ごうまんなことは理解しているつもりなのだが、すでに競技の物差しでは、俺の実力を測れないと考えていた。

 これ以上、何をする必要があるのか。

 そもそも銃技を極めて行き着く先に未来があるのだろうか。


 俺は次第に、狙撃の腕を社会の役に立てたいと、中途半端な正義感と承認欲求が入り乱れながら膨らんでいたった。

 警察か自衛隊かいう選択肢に辿り着くのに、そう長く掛からなかった。

“先制攻撃せず”を掲げているニホンにおいて、自衛隊よりも治安維持のために働く警察の方が活躍の機会が多いと、中学生としては、それなりに将来について真剣に考えたつもりだ。

 その思いを素直に親父に打ち明けた。

 そして親父は、初めて自身の仕事のことを語ったのだ。


 親父おやじはこれまでに、公務員で事務仕事をしていると言っていたが、本来の所属は警察組織の特殊機動部隊で、敏腕狙撃手だった。

 特に警察の狙撃手というのは、ライフルという殺しの武器を扱うにも関わらず、殺さずを心掛けなければならないとても難しい仕事だ。

 単純に人道的な問題ではなく、犯人確保が警察の理念であり、相手側の主張も聞くのが、法治国家のあり方だからだ。

 人の体は競技の的よりも大きいが、殺してはいけないという条件が付くと、難易度は急激に上昇する。

 親父は多くの凶悪犯罪で解決に尽力したことから、警察の切り札と称賛される一方で、犯罪組織だけでなく、国外からもマークされていた。


 そんな親父は普段は窓際職に扮しており、彼を必要とする事案が発生するまで、オフィスで待機することが仕事になっていた。

 仕事柄どうしても家族に秘密にしなければならなく、ただ1人で命と向き合ってきた親父の胸中は、俺には受け止めきれなかった。

 そして彼は俺に覚悟があるならば、同じ道を示した。

 親父が自身の後継者を育てようとしていたのか、それとも俺に現実の厳しさを実感させようとしていたのか、今となっては確かめることができない。


 普通科の高校に進学してからは、まず体づくりに専念した。

 これまでの趣味の射撃とは異なり、長時間の張り込みや、プレッシャーの中でも安定して結果を残すためには、体力も筋力も必要だった。

 そして月に数回だが親父が出動するときは、俺のことを民間協力員として、現場へと同行させた。

 こんな特例がまかり通ることなど信じられないかもしれないが、特殊機動部隊は縦割りの警察組織の中では、異質な実力主義だった。

 この背景には、国家権力が魔法戦力を保持できないように、国際的に条約で縛られていることに起因する。

 度重なる魔法犯罪に対して、警察は魔法公社に協力を要請するのが当たり前となり、警官の武装不要論なんかを叫ぶやからがいる。


 そんな中で最後の砦として、残されているのが特殊機動部隊だ。

 社会の流れに逆行しているが、彼らは隊員個々人の高い質を維持していた。

 ライセンス持ちのプロの魔法使い1人に対して、特殊機動部隊の隊員が2人いれば十分に制圧可能だ。

 これはひたすら対人戦や対兵装に特化した訓練をして、戦略を練り続けた結果だ。

 親父だって、その立役者の1人であるので、俺を潜り込ませるくらい訳ないし、他の隊員だって有望な人材には若いうちに根回しをして経験を積ませていた。


 親父は基本的に観測手とバディを組むことなく、1人で仕事をしていた。

 任務中に彼が耳を傾けるのは、作戦本部からの指示のみだ。

 しかし俺に観測手としての役割を与えてくれた。

 もちろん高校生の俺に銃を持たせることは、さすがの父親もしなかったが、現場の空気を肌で感じるのは良い経験だったし、これまで1人で戦ってきた親父の手助けをできるのは嬉しかった。


 1年が過ぎるころには、俺が観測手を務めることで、親父の仕事の幅は広がり、俺自身も高校もしくは大学卒業後に、警察への就職の内々定を受け取っていた。

 しかし俺の順風満帆じゅんぷうまんぱんに進んでいた人生は、初めて暗礁あんしょうに乗り上げることになった。


 ***


「さっそくだが、イーグルとホークは配置に着いてくれ」


 現場への出動は月に1、2回程度だが、10を超えた辺りからこの呼び名にも慣れてきた。

 本名や肩書を隠すために、コードネームを使っている。

 特殊機動部隊同士では、名前や階級を知っていても、外で口にするのは職務規定に抵触する。

 今回の任務は、海外から麻薬を輸入している組織の取引現場へ麻薬捜査官が踏み込むので、その後方支援だ。


 現場の空気と言っても、ひっぱく度合いによって大分異なる。

 特に人質を捕られていたり、犯人が銃火器で武装していたりすると、一刻一秒を争う焦り目に見える。

 一方、今回のような踏み込みの場合だと、作戦開始までに徐々に空気が張り詰めていく。

 取引の場所は、ドラマに出てくるような港の倉庫で、高い位置にある窓ガラスから内部を狙うことができる。

 俺たちはできる限り広い範囲をカバーできるように選んだのは、道路を2つ挟んだビルの屋上だった。

 幸い前日から晴天が続いているので、屋外で濡れる心配はなかった。

 雨の中での狙撃は、難易度がかなり上がるのでとても助かる。

 屋根のある階下から狙うこともできるが、親父おやじは風の変化を肌で感じることができる屋外を好んでいた。


 観測手である俺の仕事は、狙撃手の視覚を補うことだ。

 スコープ越しでは見えない広範囲を俯瞰ふかんして、妙な動きがあれば、狙撃手と本部の両方に報告する。

 もし乱戦になれば、狙う相手の優先順位を決めるのも観測手の仕事だ。

 他にも狙撃手の負担を軽減するために、荷物持ちのような雑用なんかもする。

 さらに今回の布陣ではありえないが、敵に接近された場合には観測手が対処することになっている。

 そのため護身用にスタンガンと警棒を携帯している。


 踏み込むまでの時間が近づく中、親父がライフルの状態を再三確認している。

 俺は定期的に屋上を見て回り、周囲の警戒を行っていた。

 遠くを観察するときは双眼鏡ではなく、片眼で見る単眼鏡を用いている。

 その理由は、単純にライフルのスコープに似ているというだけではない。

 倍率の操作が簡易なことに加えて、空いているもう片方の目で接近してくる対象を見ることができるからだ。

 今使っている単眼鏡は、漫画とかで海賊が使っているような回転させることで倍率を調整する旧式ではなく、ズームインとズームアウトのボタンを押すだけで操作できる。

 しかもボタンを押す力の強弱で、倍率変化の速さが変わる。

 趣味ではなく、特殊部隊の備品なのでかなり良い品を使っている。

 そんな中、俺は何か違和感を抱いた。


「ホーク、そろそろ位置につけ」


 親父からの指示を無視して、周囲の建物をじっくりと観察した。

 1つの階を端から端まで確認すると次の階へ進み、次々に建物を移っていった。


「作戦本部、こちらイーグル。突入の前に周囲の確認を頼む」


 俺の行動から親父の方も独自に判断を下した。


 人間の脳は、眼下に結ぶ全ての像を処理しきれない。

 そのため興味のあるものにしか、焦点が合わない。

 しかし稀に、枠の外にある何かを直感が補足することがある。


 何度も周囲を見渡すことで、俺に違和感をもたらした正体の実像を明らかにした。

 ターゲットの倉庫と俺たちの狙撃ポイントの両方を狙える位置に、つやを消した黒い影があった。


「こちらホーク。敵狙撃手を発見。待ち伏せの可能性あり」


 親父の意見を聞かずに、全体回線に通達した。

 しかしこの判断が裏目に出てしまった。

 ゴトリと鉄の塊がコンクリートに落ちる音に遅れて、親父の身体は後ろへと倒れた。

 距離があるので、発砲音は聞こえなかった。

 カウンタースナイプを許してしまったのだ。


 遮蔽しゃへい物の無い屋上では、狙撃を防ぐことはできない。

 すぐに親父の下に駆け付けると、幸いなことにまだ息があった。

 俺は彼の持っていた銃を取ると、敵狙撃手を狙った。

 得物はステイツ生のTAC-50で、何度も練習した銃だ。

 弾はすでに装填してある。

 スコープ越しに相手を捉えると、向こうも銃を構えてこちらを狙っていた。


 先に発砲したのは俺だった。

 しかし敵影を掠めるだけで、当たらなかった。

 親父が撃たれたことに動揺したのか、それとも初めて人を狙っての発砲に緊張したのか。

 もしかしたらグリップについた親父の血で、繊細な感覚の狂いだけなのかもしれない。

 しかし敵スナイパーは自身の近くを銃弾が走ったのにも関わらず、一切動きを変えずに銃口をこちらへと向け続けた。

 次弾装填のためのボルトアクションの時間がとても長く感じる。

 どう考えても、こっちが撃つ前に向こうは、もう1発撃つ時間がある。

 たった1発の弾丸で敵を委縮いしゅくさせる。

 これが本物のスナイパーなのか。


 離れているのになぜだが、相手がトリガーを引いた瞬間が分かり、死を実感した。

 しかし俺の前には親父がいた。

 親父が自らの身体を盾にして、俺を守ったのだ。

 もう立つ力がなく、体を俺に預けた親父の息遣いは今にも消えてしまいそうなほど、とても弱々しい。

 そしてもう1発、衝撃が走った。

 その銃弾も親父の身体によって防がれ、減弱したインパクトだけが俺に伝わった。


 駄目だ。

 このままだと親父が死んでしまう。


 俺は覆いかぶさっている親父を地面に寝かせると、改めてライフルのスコープを覗いた。

 すると敵狙撃手は銃を片付け始め、撤退の準備をしていた。

 奴にとって狙いは親父だけで、俺のことなど眼中になかったのだ。


「なに、逃げてやがるんだよ!」


 我慢できず発砲するが、再び奴の近くを走るだけで命中しない。

 空薬莢からやっきょうが落ちる音に続いて、すぐに次弾を装填して撃つが、狙いが定まらない。

 全身の血管がどんどん閉まっていくことを自覚する。

 犯人確保の理念など忘れて、ただ相手を殺すために引金を引き続ける。

 これだけ撃てば1発くらい当たってもおかしくない。

 しかしその後も同じことの繰り返しだった。


 応援が駆けつけたとき、俺は弾の入っていない銃をリロードしては、撃鉄を鳴らすことを繰り返していた。


 ***


 あの日の取引は罠だったのだ。

 倉庫には大量の爆薬が仕掛けられていた。

 そもそもカウンタースナイプをされたということは、親父の出動を知っていた人物が敵と内通していたとしか考えられない。

 俺の全体回線への報告によって、他の隊員たちは皆無事だったが、肝心の親父は俺を守るために命を落とした。

 いや、俺が足手まといになり、親父が死んだのだ。


 あの時、冷静になって先に親父に報告していれば、違う結果になったかもしれない。

 最初の弾丸では、まだ親父の息があったので、銃を拾い上げることなく、その場から逃げていれば、親父を死なせずに済んだのかもしれない。

 狙撃を人のために役立てたいなどと願ったことが、そもそもの間違いだったのかもしれない。


 もしかしたら親父は、最後に何か言葉を残していたかもしれなかったが、敵を撃ち殺すことに夢中だった俺は耳を傾けることができなかった。

 親父の死はその日の内に家族に知らされたが、その死因を話すことはできなかった。

 彼の職務上仕方がないこともあるが、俺の未来を守るためという無神経な配慮のせいで、警察組織で緘口令かんこうれいが敷かれたのだ。

 そしてあの日の狙撃手も内通者も未だに捕まっていない。


 この一件をきっかけに、俺は銃を握れなくなってしまった。

 あの時の銃声、焦げる匂い、のしかかる重み、そして全身の血管が締め付けられるような感覚を、しっかりと覚えている。

 何度も挑戦したが、銃を撃つことができず、あのとき腕の中にあったTAC-50なら目にするだけで、身体が動かなくなってしまう。


 全てを諦めて自暴自棄になっていたとき、2番目の兄が試しに握らせたのが魔法銃だった。

 これまで手に馴染ませた全ての銃を握れなくなってしまった俺だったが、なぜか魔法弾を撃ち出すことができた。


 そこで魔法使いへの転向を考えた。

 これまでの狙撃手としての経験は強いアドバンテージだ。

 今から魔法の勉強をしても、中学まで鍛えてきた連中に後れを取らない自信があった。


 魔法銃を使い続ければ、いつかまたライフルを扱える日が来ると思っていた。

 それに戦いに身を置けば、親父をおとしいれた連中に辿り着けるかもしれない。

 俺は自分の意思を特殊機動部隊の隊長に伝えて、ホークのコードネームを返上した。

 それでも彼は俺への評価を落とすことなく、東高へ推薦状を用意してくれた。


 これが前向きな決断ではなく、他に選択肢がなくて、消極的で場当たり的な一歩なのだと自覚している。


“こうして俺は狙撃手の道から逃げるように東高への入学を決めたが、それは更なる激闘に身を投げるきっかけになるとはこのとき思いもしなかった”


 ***

『あとがき』

いかがでしたか。

2章の工藤凛花に続き、的場蓮司の過去編でした。

彼の不安定なキャラの起源をご理解いただけましたか。

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