8 生徒会の日常『お月様』

『あらすじ』

月末は新人戦

飛鳥からの宣戦布告

9班は生徒会へ加入

 ***


 相も変わらず、放課後は生徒会ハウスで事務仕事をしていた。

 珍しいことと言えば、他のメンバーたちは部活や用事で、来なかったり早引きしたりで、役員以外は俺しか残っていないくらいだった。

 人数が多いときは会議室で仕事をするのだが、今日の1年生は俺だけなので、事務室の共有デスクを使わせてもらっている。


 新人戦の準備は一通り終えて、今は生徒会の通常業務を行っている。

 本日、俺に任されたのは、部活動の物品発注確認願の書面の確認だ。

 東高では、生徒会がそれぞれの部活に予算を割り振っているが、自由に使える訳ではない。

 たとえば5万エン以上の高額な物品を購入する場合は、事前に生徒会の承認を必要とする。

 実際に認めないことはないのだが、お役所仕事として事務手続きをしている。

 部費の不正利用を防ぐ目的の大切な仕事だ。

 それだけでなく、これは生徒会側がその気になれば、1度決まった予算でも運用に文句を言える立場であることを示している。

 形式や建前というのは面倒だが、それが組織を回すために重要なことなのは理解している。

 その最もたるのが生徒会の実質のリーダーは凛花先輩だとしても、物事を決めるには会長様の承認印が必要なことだ。


 普段は遊んでばかりの会長様だが、本日は溜まった書類にひたすら印鑑を押す作業に没頭している。

 中身の確認はすでに凛花先輩等が終えているので、本当に形式的な行為だ。

 ちなみに俺も確認を終えた書類を順次、凛花先輩の机に回して、会長の元へと追加されている。


 そんな仕事をしていたら、草薙先輩がお茶くみをしてくれた。

 先輩にお茶を入れさせるのは失礼かもしれないが、彼女が入れたものが生徒会のメンバーの誰が入れたものよりも美味しい。

 緑茶よりも紅茶の方が好きと言う彼女だが、実家で和の作法をしっかり仕込まれており、茶葉の状態や、その日の天気から、毎回入れ方を微調整するくらい詳しい。


「草薙先輩、ありがとうございます」


 机の上に湯呑を置いていただいたタイミングでお礼を口にしたが、当然の如く返事はない。

 すでに慣れた通常仕様なので、特に気にすることはなかった。

 しかしいつもと違ったのは、湯呑の隣に付箋ふせんが張られていた。


『あなたに紫苑ちゃんは渡しません。それと草薙ではなく、静流でいいです』


 何故だが宣戦布告をされたようだが、会長と凛花先輩や草薙先輩たちの仲に割り込めるとは思えない。

 なにはともあれ、名前で呼ぶことを許可されたようだ。

 俺が知るだけでも東高には草薙が3人もいるので、ファーストネームを使えるのはありがたい。

 それにしても未だに彼女とまともに会話したことがない。


 ***


「終わったー!」


 ようやく会長様が溜めていた書類の処理を完了した。

 俺は自身の仕事を終えて先に寮に帰ろうとしたのだが、会長が駄々をこねるので、その場に残って待つしかなかった。

 こんな日に限って凛花先輩は部活で遅くなり、宣戦布告してきたはずの静流先輩はどこかへ行ってしまった。

 そしてようやくこの宣言で解放された。


 時刻はすで夜の10時を過ぎており、それまでに特にすることもなかったので、生徒会ハウスのキッチンを借りて簡単な料理をした。

 東高では午後7時から8時の間に寮の食堂に行けば、夕食が支給される。

 そのため生徒会役員の3人は、食事のタイミングで自身の寮に行く必要があるのだが、彼女たちは自炊をすることが多い。

 家庭用冷蔵庫だけでなく、少し大きめの冷凍庫に豊富な食材が保存されており、自由に使っていいとのことだった。


 さすがに自分の分だけ作るなど薄情なことはせずに、会長が仕事しながらでも口にできるように、おにぎりを握った。

 具材として、シンプルに梅干しと焼き鮭をたっぷりと入れた。

 さらに足りない野菜を補うために、手っ取り早く飲み物にすることにした。

 ケールを中心に青野菜をミキサーにかけることでグリーンスムージーを作った。

 かなり高品質なミキサーがあったので、ほとんど水を加えることなく粉砕することができた。

 今度からトレーニングの後の栄養補給に、ここで使わせてもらいたいほどだ。


 それ以外の時間はスマホでゲームをしたり、事務室のパソコンでニュースを読んだりして、時間を潰していたが、まさか10時まで掛かるとは思いもしなかった。

 ようやく会長様と同じ空間から解放されるはずだったが、まだ終わりではなかった。

 俺が鞄を手に持ち、生徒会ハウスを出て行こうとしたら彼女が引き留めた。


「後輩君。寮まで送っていくわ」

(いや、普通逆だろ)


 例えば俺が怪我をしていたり、体調が悪かったりすれば、そういうシチュエーションもあり得るが、そうでなければこういう言葉を口にするのは男の側だと思う。

 男女平等な社会理念に反しているかもしれないが、俺としてはレディーファーストを重んじたい。

 とは言っても、護衛として失格かもしれないが、会長の方が強いことに今更、異論を唱えるつもりはない。

 今回の提案は特別な意味があるものではなく、彼女自身が体を動かしたいだけだと思う。

 一緒に歩く程度で波乱はないと判断して、素直に同行を許した。

 まぁ、俺の許しが無くても、彼女は付いてきただろう。


 ***


 5月末の夜、春が終わろうとしているが、それでもまだ夜間は冷える。

 澄んだ空気とひんやりした気温が体に溜まった熱気を程よく取り除いてくれる。

 この程度の寒さならば、ちょうど心地よい。

 そんな涼しさを感じていたなか、左手だけは熱を持っていた。


 会長の方から手を繋いできたのだ。

 別に不快じゃないので、彼女の好きにさせることにした。

 肌に触れたことで魔力の吸収が始まっているが、できる限り抑えるように意識している。


 俺の身体に刻まれた魔法式は、強弱の調整はできても完全にオフにすることができない。

 一般人は魔力を吸われても、多少ふらつく程度だが、魔法使いは急激に魔力を失うと意識を落としかねない。

 そもそも自身の能力を隠すという意味もあって、人と触れ合うことを極力避けてきた。

 そのため吸い尽くせないくらい膨大な魔力を持ち、俺の能力を知る彼女は、母さん以外に唯一触れることができる相手だ。

 しかし母さんに抱きしめられたときはその温もりで安心を覚えたのだが、会長に触れられると鼓動が上がってしまう。

 それでも平静を装って、真っ直ぐに足を進めていく。


 横を向くのが気恥ずかしくて、遠くの夜空を見上げたら、ちょうどそこには月があった。

 そう言えば、母さんは月光浴を好んでいた。

 吸血鬼にとって太陽の光は強すぎるが、月によって反射された光はちょうど心地良いらしい。

 人間が日の光を肌で感じるのと、同じくらいの感覚なのだろうか。

 母さんが月光浴する晩は、俺も一生懸命に起きて一緒に月を眺めたものだ。


 今宵の月は十三夜月じゅうさんやづき

 満月には二晩ほど足りないいびつな月だ。

 世間では満月や三日月におもむきを感じるようだが、俺はこの不完全な月が一番好きだ。

 正円を描くよりも、この非対称で完成を目前にした姿に、最も美しさを感じる。

 ちょうど会長との話題に困っていたので、自然と言葉がこぼれ落ちた。


「会長、月が綺麗ですね」


 何気ない一言のつもりだったのだが、握られていた手が急に放された。

 突然のことだったので隣に目を向けたら、彼女はうつむいており、夜の暗がりの中ではその表情を確認できない。

 しかしその顔を上げるときには、すぐにいつもの彼女に戻っていた。


「後輩君、意味分かって言っているの? 満月にはまだ早いのよ」

「はい。それでも俺は今日の月が好きです」


 そんな俺の言葉に対して会長様は珍しく、もじもじするように小さな声を絞り出した。


「それは私と一緒だから?」


 どういう意味だ。

 誰と見ようが月は、月だ。

 しかし言われてみると、母さんと別れてから、ゆっくりと月を見上げる機会はなかったかもしれない。

 そういう意味では、彼女と一緒で話題に困ったおかげとも言えなくともない。


「そうですね。会長と一緒だからかもしれまんね」


 そう言うと、彼女は急に俺の腕を引き、抱き着いてきた。


「あのね、あのね。私も後輩君と眺める月……綺麗だと思うわ」


 なぜだろう。

 何かが噛み合っていない気がする。

 両方の腕を使って体全体で、俺の腕を抱きしめている会長様はとても機嫌が良さそうだ。

 しかしその理由が分からない。

 そんなに今宵の月を気に入ったのだろうか。

 彼女の機嫌はころころ変わるので、今の上機嫌の反動が恐ろしい。


「後輩君は、いつから月を綺麗に思うようになったの?」


 そう言えばいつからだろうか。

 母さんとの記憶が始まるのは5歳辺りだけど、その時から十三夜月に魅かれたのだろうか。


「あまり覚えていないですね。7,8歳くらいの頃からですか」


 俺の言葉の途中で、会長はピタリと足を止めて、痛いと感じるくらい腕を握る力が強くなった。

 何故だか彼女の方を向くのが恐ろしい。


「後輩く~ん。今なんの話をしているのかな~?」


 ゆっくりと明るい声色なのに、そこに不満を秘めていることはすでに学習済みだ。

 しかし現状を打破する手立てについては、まったく持ち合わせていない。

 なにが原因なのか分からないまま、素直に答えを返してしまった。


「十三夜月の素晴らしさについてですよね」


 彼女の中で何かが、弾ける音が聞こえた気がする。

 投げ飛ばされると感じとった俺は、腕を引くが彼女の力の方が強くて、抜け出すことができない。

 お胸様によって抑えつけられているが、その感触の楽しむ余裕などまったくない。

 すると彼女は俺の手を引っ張り、その綺麗な顔を俺の耳元まで近づけると、小さく囁いた。


「明日の月は綺麗でしょう」


 理由は分からないが、その言葉を最後に解放された。

 物理的なお仕置きが無い方が、むしろ恐く感じる。


“寮に帰って蓮司に相談したら、なぜか残念なものを見る目を向けられた。そして幸いなことに次の日は曇りだった。”


 ***

『おまけ』

雑学

・月が綺麗ですね:愛の告白

・明日の月は綺麗でしょう:①(警察関係者が使うと)事件解決への兆し。(一般人が使うと)殺害予告。

②(“月が綺麗ですね”の応用として)告白の了承。告白の応援。


 ***

『あとがき』

珍しく残念な芙蓉くんでした。

一般教養は完璧な彼ですが、文学やニホン特有の言い回しは苦手でした。

月に関する表現は諸説ありますが、最後の会長様の意図については、筆者にも把握しかねます。


他にも『以前から月は綺麗です』『月はいつでも綺麗です』などの応用もあります。

ご存知でなかった方は、もう1度今回の話をどうぞ。

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