SS1 霊峰の秘湯
『あらすじ』
霊峰での林間合宿
みんなは下山
芙蓉だけ会長と温泉探し
***
「あっちぃー!」
際限なく湧き上がる熱湯を見上げて、歓喜をあげていた。
***
“時は少しばかり
今、俺たちがいるのは、ニホンの
つまり現在進行形で遭難中という訳だ。
東高の林間合宿で、霊峰の魔獣討伐を行っている最中に、魔獣の異常発生という事件が起きた。
元凶だった吸血鬼ダニエラの魔界への扉を開く儀式を阻止して、事態は終息したかのように思えた。
後は下山して、週末をゆっくりと過ごすだけのはずだった。
しかし突如、会長様こと九重紫苑が、あるかも分からない温泉に入りたいと言い出し、俺は強制的に連れていかれることになった。
彼女から逃げることなど不可能だし、そもそも俺がニホンにいるのは、当の彼女の護衛をするためなので、必要かどうかは別として、同行するしかなかった。
実は口で言うほど、そこまで嫌ではない。
中身は自分勝手なあの会長様だが、美人でスタイルのいい同世代の女の子とのサバイバル生活に、少なからず期待してしまっていた。
実際のところ、彼女は護衛対象なので間違いがある訳ないのだが、俺だって思春期の男子だ。
ステイツでのむさ苦しい訓練に較べたら、ピクニック程度に考えていた。
しかしそんな淡い期待を胸に秘めることができたのは、最初だけだった。
現実は無常で、ただひたすら穴を掘り続ける日々だった。
スコップでの掘削なんて、たかが知れていると思うかもしれない。
1日中仕事をしても、その作業量には限界がある。
しかし会長は、俺の魔法式の特性に目をつけてきた。
彼女は俺の肉体に魔力を吸わせて、強制的に身体能力を底上げさせた。
さらにスコップの耐久力を上げる魔力の付与まで行った。
それによって俺は、どんなに足場が悪くても、石だらけの地面でも関係無しに、全力で穴を掘り進める超人へと変貌した。
魔力が尽きるたびに彼女が補充したが、体力ばかりは消耗する一方だった。
そして疲れのせいで、毎晩いつの間にか眠っていた。
そんな生活がすでに5日経過している。
何も起きないまま週末どころか、東高では週明けの授業が始まってしまっている。
今になってみると、むしろ終わりの見えるステイツの訓練の方がマシだと思えてならない。
持ち出した食料なんて初日に使い果たしてしまい、自給自足の日々が続いている。
今では、会長の手料理だけがささやかな癒しだった。
ベースキャンプに置いてきた彼女の大量の所持品があれば、もっと快適な生活ができたかもしれないが、どうせ俺が荷物運びをさせられる展開が読めているの、置いてきて正解だったと思う。
助けを呼ぶためのスマホのバッテリーはとっくに切れており、学生証の学生同士の位置確認機能だって、霊峰には俺たち2人しかいないので頼りにならない。
そもそも2日前に1度捜索隊と出くわしたが、会長様がまだ温泉を掘り当てていないという理由で、全員ノックアウトしてしまった。
つまり俺たちは、遭難中かつ逃走中というややこしい状況の中で穴掘りを続けている。
この霊峰からの脱出条件は、温泉を掘り当てるか、会長様が飽きるかの2択しかない。
そして今も穴を掘り続けている。
俺は3メートルほどの深さの穴の中にいた。
できる限り効率を上げるために、穴の直径はぎりぎりスコップを振るための幅しかない。
「後輩くん、そろそろ交代よ」
会長の声に反応して、穴の上を見上げたら、彼女が見下ろしていた。
俺は自身で掘った穴の側面にスコップを刺すと、助走をつけて鉄棒のように腕の力で体を持ち上げる。
上る勢いをそのまま利用して外へと飛び出た。
交代を申し出た会長だが、彼女がスコップで穴を掘る訳ではない。
俺は穴の中に残した唯一の武器を回収したら、すぐさま全力で遠くへ離れる。
最初は被害を小さく見積もってしまい、とんでもない目にあった。
会長は右の人差し指を、俺の掘った穴に向けると、その先端から魔力を撃ちだした。
それは魔界への扉にぶつけた球体状の弾丸ではなく、先端が精巧なドリルになっており、回転しながら俺の掘った穴の底をさらに突き進んでいく。
指の太さほどの、極細のボーリングだ。
数メートルの深さならば大した問題ではないが、数百メートルも突き進むと排出される土砂の量はかなりのものになり、穴の周囲に飛び散っていく。
体を地面に伏せて見守る俺は、砲弾の着弾確認をしている気分だ。
下準備なしにこの方法を使うと、周囲への被害が甚大なので、俺が穴を掘った後に駄目押しで行っている。
そして俺が掘った穴は、会長の一撃で埋まっていった。
その結果を見て、また駄目かと落胆したところに、地鳴りが始まった。
「きたきた、キター! きゃっほー!」
会長のテンションが急上昇していく。
その様は、林間合宿の班が男女合同だと知らされた由樹といい勝負だ。
彼女の歓喜に遅れて、地面から水が沸き上がってきた。
間欠泉のように数メートルの高さへと、勢いよく飛び上がる。
「あっちぃー!」
たしかにこれは温泉だ。
喜びの余り、離れることなく、そのまま飛び散る飛沫を浴び続ける。
ほんのりと硫黄のような香りが漂い、湯に触れた部位がひりひりとしていく。
温泉の効能があるのかと思いながら、熱さを心地よく感じる。
いや。
触れてすぐにひりひりするわけがない。
小さい飛沫を浴びているので、気づくのに遅れたが、思いのほか熱い。
さすがに沸騰はしていないが、火傷しそうな温度だ。
俺は喜び続ける会長の手を引いて、その場を離れた。
「なんで離れるの? 早く温泉に入りたいわ」
(あんな熱湯に入って大丈夫なのは、あんたくらいだ!)
俺も大分人間の枠を超えているつもりだったが、彼女と比べたら人の子に過ぎないと安心してしまう。
***
結局、吹き出る湯が地表に溜まった頃には、人肌より少し暖かい程度になり、薄っすらと湯煙を漂わせていた。
砂や泥もほどよく落ち着いて濁りは少なく、深さは80センチほどだ。
今にして思うと、地下水にたどり着いても、汲み上げる手段を考えていなかったので、噴き出してくれて助かった。
しかし俺たちは新たな問題に直面していた。
男女が1人ずつ、つまり温泉ひとつに対して性別はふたつだ。
俺はこれでも様々な国を旅して、各地の文化に触れてきた。
ステイツは男女平等を掲げているが、レディーファーストにだって当然の如く理解がある。
しかし彼女に譲るのはなんだか癪だ。
散々振り回されてきたのに、今更、気を遣う必要があるのか。
ここで遠慮したら、これからも継続的に尻に敷かれてしまう。
そこで俺は強引な姿勢を見せることにした。
堂々と着ていた制服を、上から脱ぎ始める。
「ちょっと、後輩くん?! さすがにお姉さんだって、まだ心の準備ができていないわ」
心の準備とやらを待つことなく、会長が目を逸らした隙に、残りを脱いで掘りたてほやほやの温泉へと体を沈めていった。
少しぬるくもあるが、長く浸かれば十分に体が温まりそうだ。
腰を下ろし、足を伸ばして、全身をほぐし始める。
普段からトレーニングをしているので、サバイバル生活による肉体の疲労だって、一般男性に比べれば軽い方だが、それでもしっかりと蓄積はされている。
何よりも会長のお
そういえばステイツでエージェントを始めてからは、大きい風呂に入る機会などなかった気がする。
任務でステイツを離れることがあっても、のんびりと過ごす余裕などなかった。
後は捜索隊と合流すれば、一件落着だと思っていたが、いつだって問題を起こすのは彼女の方だ。
「なかなかの湯じゃないのよ。後輩くんに独り占めなんてさせないわ」
振り返ると、同じ湯船の中に会長がいた。
温泉を堪能するあまり、彼女の侵入に対して無防備だった。
もちろん、このサバイバル生活の環境で、
振り返った状態で、俺の頭部は固定されてしまった。
「どうして入ってきているんですか!?」
「そこに……温泉があるから?」
この状況でそのような呑気なボケは、女子高生として大丈夫なのか。
野蛮な発言を常日頃からする彼女だが、さすがに自重すると考えていた俺が甘かった。
「どうせ漫画化やアニメ化したときは、湯気とか台詞の枠で大事なところは隠れるから問題ないわ」
「俺の目からは隠れていないのですが!」
しかし
「さすがにそんなにまじまじと見られると、お姉さんだって恥ずかしいわ。後輩くんは
「俺のせいにしないでください。恥ずかしいなら、最初から入らなければいいでしょ」
しかし俺の指摘に対して、斜め上の回答をするのが彼女の標準仕様だ。
「だってだって温泉回といえば、水着で混浴が定番なのに、ベースキャンプに忘れてきちゃったんだもん。もう素っ裸で入るしかないでしょう」
いつものことながら彼女の思考についていけない。
まず山登りに水着を持ってくるのが分からないし、混浴が定番という発想は、俺たち男子高生側じゃないのか。
そして最後に裸で入るに至った経緯がまったくもって不明だ。
そんな感じで、少しご立腹な彼女が手をバタバタさせていると、強めの風が湯気を
その後は、気まずい空気だけが残された。
「見た?」
もちろん、豊かに実った双丘を、拝謁させていただいたのだが、どう返答すべきか。
素直に答えれば怒られて、あからさまに嘘をつけばやはり怒られる。
似たようなシチュエーションは、フレイさん相手に何度か経験したが、未だに正解が分からない。
これは男にとって永遠の命題だ。
しかし会長だって、このリスクを承知の上で、温泉に入ってきている。
ならば正直に答えた方がダメージは少ないだろう。
1発殴られる程度ならば、耐えられると信じたい。
「ちなみに見ていたら、後輩くんのことを今度から変態くんと呼ぶわ」
(まさかの精神攻撃?!)
基本的に暴力で解決する彼女が、そんな搦め手を使ってくるとは。
ならば見ていないと主張を貫くしか、選択肢がなくなってしまった。
「そういえばこの温泉の効能で、嘘つきは溺死するらしいわね」
退路を両方とも塞がれてしまった。
見たと答えれば不名誉な称号を賜り、見ていないと答えれば殺される。
「上手に溺れられたら、またキスしてあげるわ」
(ただの人工呼吸じゃねえか! そんなの嬉しくない)
どうせ彼女だって俺が見たことを知りながら、からかっていることは、これまでの付き合いで分かっている。
問題なのは彼女にとって冗談でも、こっちは命懸けという点だ。
俺が答えに困窮していたら、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべた会長の顏が覗き込んできた。
「これくらいで、私より先に温泉に入ったことは許してあげるわ」
お胸様と面会したことよりも、そっちの方を根に持っていたのか。
会長は俺の事をからかうくせに、不意打ちには弱いところがある。
しかしこれで解放されそうだ。
「あっ、でもでも、せっかくだから私の裸体を見た感想くらいは、言って欲しいな?」
裸体なんて言葉、普通使わないぞ。
そして状況は何ひとつとして好転していないのに、条件反射のようについ口を滑らせてしまった。
「会長って、意外と着痩せするのですね(男性目線の意訳:思ったより胸が大きいですね。女性目線の意訳:思ったより太っていますね)」
(しまった。これは罠だ。答えた時点で、見たことを認めるようなものだ)
そして会長は綺麗な笑みを浮かべながら、静かに判決を下した。
「ギルティ―」
俺は温泉から高度100メートルの世界へと、緊急発進することになった。
***
「紫苑様はナイスバディ。さぁ復唱!」
「紫苑様はナイスバディ」
「私は紫苑様の裸を見られて嬉しいです。さぁ!」
「俺は紫苑様の裸を見られて嬉しいです」
これでいいのか。
彼女のボキャブラリーの選び方は謎だが、俺の立場がますます弱くなっていることは間違いない。
しばらく会長の指導が続いてから、ようやく俺は彼女から解放された。
本来ならば、リラックスできるはずの入浴だが、どっと疲れが込み上げてきた。
会長がいる方に背を向けて、改めて温泉に浸かりなおした。
ちなみに彼女に投げ飛ばされたときに、魔力を吸ってしまい。
背中を中心に魔法式が浮かび上がってしまっている。
俺自身には感覚が無いが、黒い模様がゆらゆらとゆっくり形を変えながら肌の上を動き回っている。
これは身体強化によって魔力を自動で使い切ると消えてなくなる。
本来は隠すべきものだが、彼女には先の戦いで知られている。
工藤先輩とは互いの能力を校内で話さない約束を交えたが、おそらく会長には伝えてある。
この2人の間を、口止めできるとは思えない。
戦闘技能に関しては、ほとんど見せてしまった。
未登録の銃やナイフを使うこと、魔法の分解、吸収と身体強化による格闘戦に、切り札の『魔法狩り』とファイアボールまで明かしてしまった。
調べられれば、俺がステイツの裏社会で暗躍していたことだって、すぐに分かってしまうだろう。
一応、裏社会の『魔法狩り』の存在は噂程度なので、俺がステイツの政府側の人間という秘密にはたどり着けないはずだ。
考えを整理しながら脱力していると、不意に会長の手が俺の背中に触れてきた。
「酷い身体ね」
「気持ち悪いでしょ。人に触れると勝手に魔力を奪って、魔法式が浮かび上がってしまいます」
母さんの残してくれた力の証だが、これまでに隠してきたので、他人に見せることに対して、自然と
しかし彼女はそんなことを気にしていなかった。
「違うわ。傷跡の方よ」
そっちのことか。
これまでの人生を訓練と闘争に費やしてきた。
今回のように、最後まで治療ができることの方が少ない。
戦場では傷跡を残さないことよりも、1人でも多くの前線復帰を目指す医療を心がけるのは当然のことだ。
魔法式と同じく、服の中に隠されているが、俺の体には無数の傷跡が残っている。
斬撃や銃弾を受けて縫い合わせた跡が多いが、火傷の跡なんかもある。
背中の傷跡の上を、彼女の指が這っていく。
片方の手で肩を抑えて、もう片方の手で背中をなぞる。
痛みはないが、こそばゆく感じる。
よく分からない行動だが、下手に彼女の機嫌を損なうと嫌なので、特に言葉を発することなく、自由に触らせた。
背中の傷跡を確かめるのに飽きたのか、彼女は静かに両手を離した。
気まずさから解放されたかと思ったら、別のものが背中に接触した。
彼女は、俺の背中を背もたれのようにして、寄りかかってきた。
2人の頭の距離はかなり近いが、互いに逆を向いているので、あまり気にならない。
それよりも背中越しに伝わる、彼女の肌は柔らかく、体重はとても軽かった。
この少女のどこから、あれほどの力が湧いて出てくるのだろうか。
そして静寂を破るのは、いつだって彼女の方だ。
俺の後ろから、いつもの堂々とした自信のかけらが感じられない、静かな呟きが聞こえてきた。
「ねぇ……約束、覚えている?」
もちろん覚えている。
どんな状況でも、たとえ俺自身の立場を捨ててでも、彼女を守り抜くことだ。
しかし俺はそのことを口にしなかった。
きっと彼女だって、返事を聞きたくて発した訳ではない。
だから振り返ることなく、手探りに彼女の小さな手をゆっくりと握った。
それに気づいた彼女も、優しく握り返してきた。
「……ばか」
実は彼女の言葉は届いていたが、上手く返す自信がなかったので、聞かなかったことにした。
任務や約束のこともあるけど、破天荒で明るい彼女を失うのは嫌だ。
少なくとも、今はこんな時間が長く続けばいいと、本心から願っている。
***
『あとがき』
いかがでしたか。
筆者としては、2人きりの王道的なシチュエーションを準備したはずなのに、なぜかコミカルになってしまう芙蓉くんと紫苑ちゃんでした。
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