27 ご冗談でしょう、会長様

『あらすじ』

魔獣の異常発生

吸血鬼と引き分け

会長乱入

 ***


『凛花! ついでに後輩くんも、そして読者の皆さん。私が来たからには、どんな敵だってフルボッコよ!』


 さてどうしたものか。

 護衛対象がやる気満々で戦場に現れた。

 そして俺のやる気は、どんどん萎えていく。


 霊峰での実習中に起きた魔獣の異常発生は、ダニエラと名乗った吸血鬼が魔界への扉を開こうとしたことが原因だった。

 工藤先輩と共闘して、ようやく奴を無力化したところだ。

 今回のような戦闘は護衛任務とは関係なさそうだが、潜在的な脅威の排除だって重要な仕事だ。

 それでもさすがに特別手当を貰わないと割に合わない。

 そして追い打ちを掛けるように護衛対象の乱入というハプニングだ。


「さて後輩くん。凛花をこんなにしたのは、そこにいるコウモリ野郎ね」


 俺の傍でうずくまっている工藤先輩は、ダニエラに剣で肩から背中にかけて斬られている。

 彼女の仲間たちが応急手当をしたようで、すでに出血が止まっているが、安静にしていなければならない状態だ。

 それにしてもコウモリ野郎って、ダニエラは背中から翼を生やしていて、どちらかと言うと堕天使のような出で立ちで、コウモリを連想させる要素は見当たらない。

 会長は他人の話を聞かないくせに、意外と勘が鋭いところがある。

 そんな彼女を工藤先輩がたしなめた。


「紫苑。もう決着はついたから、後は高宮に任せて私たちはベースキャンプに帰ろう」


 言葉の最後に彼女は、こちらへ向けて軽く目配せをしてきた。

 どうやら俺がダニエラとの会話を聞かれたくないのを察しているようだ。

 相変わらずどんな場面でも、気配りができる先輩だ。

 ここまでの経緯についても口止めしたいところだが、彼女ならばむやみに広めないだろう。

 俺はあえて何も口にしなかったが、会長の中ではすでに結論が出ていた。


「嫌よ。私の凛花をこんなにしたのだから、数発殴らないと気が収まらないわ」


 さすが我らが会長様。

 自分本意な行動で、工藤先輩の気遣いが台無しだ。

 そして当の先輩は、すでに説得を諦めている顔だ。

 会長は俺たちに背を向けて、吸血鬼へと対峙する。

 まぁ、友人が傷つけられておいて、怒るなと言う方がどうかしているが。


 ダニエラの見た目は無傷だが、本人曰くほとんど魔力が残っていないようだ。

 一方戦闘へ向けて、会長から魔力が溢れ出す。

 周囲への影響を気にしているのか、俺と模擬戦をしたときよりは抑え気味だ。

 演習場で戦ったときは、結界の中に充満した魔力に押しつぶされたが、今は肌がピリピリとする程度だ。

 しかし力ずくで服従を強いられている、ベヒB助は恐怖でぶるぶると震えていた。

 そしてさすがのダニエラも顔が引きつっていた。


「そなたは何者だ。人間なのか?」


 ダニエラは誰もが1度は考えても、口にしなかったことに踏み込んだ。

 しかし会長様は、自身が気に入った質問以外に答えることはない。


「サンドバッグ……そう、サンドバッグって知っているかしら?」


 予想通りだがダニエラの問いは、完全に流された。

 そして一応は質問のていだが、会長の意図はこの場の全員が理解している。

 工藤先輩が諦めた時点で、俺に止められるわけがない。


 対峙する2人のうち、先に動いたのはもちろん会長だった。

 地面を蹴り上げて、ダニエラへ向かって直進する。

 言葉通り彼をサンドバックにするつもりのようで、彼女は格闘戦を選んだ。


 これまでの戦いで、ダニエラは接近を阻むために炎の槍か、強風を使っていたが、申告通り魔力が足りないようで、そのまま拳を構えた。

 たとえ魔法が使えなくても、彼には体術の心得だってある。


 会長を迎え撃つダニエラの左をフェイントにして、遅れた右で本命を狙う。

 しかし会長様にフェイントなど通用しない。

 なぜなら今の彼女の頭の中には、防御のことなど全く無いからだ。

 ただただ直進して、最強最速の拳を叩き込む。

 それこそが絶対強者の戦い方だった。


 ノーガードの上から強烈な一撃を受けたダニエラだったが、ノックアウトされることなく、なんとか耐えきった。

 しかしその表情はあからさまに疲弊している。


 単純なパワーとスピードの前では、研鑽を重ねた技術など無力だった。

 なんだか自身をダニエラと重ね合わせてしまい、彼のことが不憫に思えて仕方がない。


 会長の次の攻撃がやってくるが、彼は腕を上げることすらできない。

 左ジャブの2連撃が顔面へと繰り出される。

 最初の攻撃に比べて軽めだが、彼女はわざとダニエラが耐えられるように加減している。

 倒れてしまうとサンドバックにできないからだ。

 吸血鬼の整っていた白い顔には、ほんのりと痣が浮かび上がっている。

 これまでは瞬時に再生していたが、魔力が足りないせいで、内出血が不格好に残り続ける。


 これは殺し合いなどではない。

 ましてや騎士同士の決闘でもない。

 一方的なリンチだ。


 俺たちがあれだけ苦戦を強いられた吸血鬼が、あっという間にサンドバックへと転職していく。


(ちょっと、待て。これって……俺や工藤先輩が弱いみたいじゃないか!!)


 このままだと会長>>>>>ダニエラ≒(俺+工藤先輩)みたいな力関係になってしまう。

 せめて不等号をひとつまでに抑えて欲しい。


 ぼろぼろの吸血鬼が背筋を整えて、はったりだが気合を出して会長に殺気をぶつける。

 そして騎士としての意地を見せようとした。


「我は騎士ダニエrぐふっ」


 しかし会長様が口上を素直に聞く訳がない。

 無防備なダニエラの腹筋へとボディブローが決まる。

 そして足元から崩れ落ちて、そのまま倒れた。

 吸血鬼は腕で地を押して上半身を起こすが、足腰に力が入らず立ち上がることができない。


(吸血鬼、頑張れよ! もっと根性を見せろ! 10カウントはまだ早いぞ!)


 しかしカウントを止めたのは、会長様の方だった。

 ダニエラの襟首を掴んで、持ち上げていく。


「何を勝手に座っているのよ。ここまでは私の手を煩わせた分で、ここからが凛花の分よ。それに私ね、頑丈な男って好きよ」


 最後の台詞が、なぜか会長が俺に聞こえるように言った気がしたのは、勘違いだろうか。

 嬉しいような、悲しいような複雑な気分だ。

 しかしそろそろ彼女を止めなければならない。

 別に奴の命はどうでもいいが、まだ聞きたいことがある。


「会長、もう十分でしょ。工藤先輩も怒っていませんよ」

「なんで止めるのよ。後輩くんには関係ないでしょ」


 なんでと言われても、素直に答えるのは具合が悪い。

 母さんのことは、俺自身の正体にも繋がるので、知る者は少ない方がいい。

 ましてや会長は護衛任務の対象だ。

 東高以前の俺については、踏み込まれたくない。

 そんなことを考えていて、会長を止める言い訳に困っていたら、彼女は勝手に結論を下した。


「そっか、後輩くんも殴られたかったのね」

「そんなわけあるか! すでにこっちはボロボロなんだよ!」


 会長が突拍子もないことを言い出すので、ついため口で返してしまった。

 日本語の敬語は難しいのでとても気をつけているが、ときどきボロが出てしまう。


「でもまだ暴れたりないし、運動不足は健康に悪いわ。それに優等生な生徒会長を演じるのってストレス溜まるのよね」


(嘘つけ!)


 今度はツッコミを心の声だけに抑えることができた。

 そして完全に主旨が変わっている。

 工藤先輩の恨みじゃなかったのか。

 しかし心変わりの激しい会長様は、俺の答えを聞く前に別の物に興味を示した。


「あら、いい的があるじゃないの」


 会長が目をつけたのは、空中に浮いた魔界への扉だ。

 魔界が実在するのかは怪しいところだが、ダニエラは魔界の猛者と戦うために扉を開く儀式をしていた。

 ちなみに当の吸血鬼はいつの間にか解放されて、地面でうずくまっていた。


 会長の左腕の魔力が急上昇していく。

 絶対強者の異名を持つ九重紫苑は、常に魔力を抑えている。

 その限界を俺はまだ知らない。

 解放された魔力は、広げられた手の平の上で圧縮されていく。

 球体状の高濃度のエネルギー体が、その存在だけで空間をゆがめだす。


 それは俺が『魔法狩り』を使って撃ったファイアボールと、同等の魔力密度だ。

 しかし同じ魔力量でも、技術が違う。

 会長が使おうとしている純粋な魔力による砲撃は、熟練した魔法使いでもほとんどが使えない。

 なぜなら空間に放出された魔力は魔法にならなければ、霧散してしまうからだ。

 俺がわざわざファイアボールを使うのは、大規模な魔力を魔法に変換して圧縮するためだ。

 しかし会長は力ずくで魔力を圧縮していく。

 扉が魔力切れで崩壊するのを待つつもりだったが、会長は破壊をご所望だ。


 会長は左手を宙に浮く扉へと向けると、魔力の塊を撃ちだした。

 初速はライフル弾より早くて、着弾と同時に消滅した。

 圧縮が維持され爆散せずに全てのエネルギーが対象に伝わる。

 同じ魔力量でも、俺のファイアボールより格段に性能が上だ。

 『魔法狩り』を使えば、彼女にも劣らないと思っていたが、そう簡単ではなさそうだ。


 しかし夜空には、そこにあるのが当然の如く、扉が浮いていた。

 会長の魔弾が直撃したにもかかわらず、傷ひとつなかった。

 その惨状に俺も工藤先輩も唖然としていたが、会長の行動は迅速だった。


「これで壊れないなんてなかなかやるじゃない。少し本気・・を出そうかしら」


 何やら不穏な言葉が聞こえた気がしたが、聞き間違いだと願いたい。

 会長の正面に先ほどと同じように魔力の塊が現れる。

 ただしその数、数十発。

 そして装填が完了したら、彼女は大量破壊兵器のスイッチを押した。


「ファイア!」


 それは圧倒的な高密度魔力弾の連射だった。

 俺が『魔法狩り』で集めた魔力を凝縮して、魔法式をひとつ犠牲にしてたどり着いた境地を無尽蔵に打ち出す。


 爆散していないのに、弾幕のせいで前方が見えない。

 そして撃ち終わった頃には、会長はより不機嫌になっていた。


「どうしてまだあるのよ!」


 彼女の言葉通り、扉はただただ夜空にあった。

 いや、むしろ以前に増して大きくなっているように感じる。

 戦いの最中は気にならなかった扉だが、今ではその存在感を確実に増している。

 エージェントとしての勘があれを、ダニエラ以上の脅威として認定した。

 そこにようやく立ち上がった吸血鬼が、服の汚れを払いながら声を発した。


「言ったであろう。不用意にあの扉を刺激しない方が良いと。あれは魔力を糧として、存在を増す。世界に悪影響が出ないように慎重に魔力を足していたのだが」

「あれだけ魔獣が異常発生していたのにか?」


 工藤先輩が言葉を被せてきたが、ダニエラは嫌な顔をせずに説明を続けた。


「奴らは扉からではなく、霊峰の性質が増強されて現れたものだ。扉が消失すれば自然と魔界へ追い返される。我は目的のためならば、人が何人死のうが興味はないが、いたずらに犠牲を出すつもりはない」


 それってつまり、今回の実習とタイミングが重ならなければ、ほとんど人間社会に迷惑を掛けなかったということだ。

 奴はただのバトルジャンキーで、大して悪意はなかったようだ。

 いくつかの偶然が重なって、この事態に至ったのか。

 そしてダニエラが会長のやらかした現状を教えてくれた。


「扉が魔力を吸い過ぎて閉じなくなってしまうと、魔界からありとあらゆるものが流れ出て来てしまう。こちらの世界の魔獣と違って、向こうのは本物だ。さすがの我も故郷が滅ぶのは忍びない」


 彼のいう本物がどの程度なのかは分からないが、奴の故郷がニホンとは思えない。

 つまり洋を跨いで、世界が滅亡するということか。

 ダニエラとの激戦のせいで、会長がトラブルメーカーであることをすっかり失念していた。

 この人が林間合宿について来ていなければ、もう少しスマートに済んだのに。

 結局、入学式からの負の連鎖が未だに続いているわけだ。

 しかし文句を言っても事態は好転しない。

 工藤先輩は引き続き打開策を吸血鬼に問うた。


「何か手はないのか?」

「本来ならば魔力が自然に減るのを待つしかないが、あの量ならばいつになることやら……そやつの右腕ならば、消せるやもしれぬな」


 吸血鬼は俺の方を指差してきた。

 たしかに『魔法狩り』ならば、無条件に分解できるかもしれないが、1日に2回発動した経験はこれまでにない。

 なお、体内に抗体ができてしまうのか、同じ人間の血で発動するには、少なくとも1カ月以上経過する必要がある。

 工藤先輩は候補から外れて、吸血鬼の血を飲んで無事でいられるかなどわからない。

 以前、魔獣の血液で発動したときは、中途半端にしか発動しなかった上に反動が酷かった。

 つまり会長の血を口にするしか選択肢がない。

 ついでに身体に触れて、魔力も分けて貰わなければならない。

 しかし切り札の『魔法狩り』についてあまり知られたくない。


「会長、血を吸わせていただけますか?」


 ん、あれっ……俺は何を口にした。

 会長が珍しく驚いた様に目をぱちくりさせた後に、汚いものを見るような目をこちらに向けてくる。

 一刻も早く誤解を解かなければならない。


「いや、あの、すでに工藤先輩の血を吸ったので……」


 まずい。

 何か雲行きがどんどん悪くなっていく。

 工藤先輩に助け舟を出してもらおうとしたが、目を逸らされた。

 そうですよね。

 気絶している間に血を失敬したなんて知って、さすがの先輩も良い顔をしない。

 そんな俺に対して、会長様から辛辣なひと言が飛来した。


「きしょっ! それで後輩くんは、凛花の血を吸うだけに飽き足らず、お姉さんの血まで欲しいということかしら。とんでもない性癖ね」


 たしかに言葉にするとその通りだが、誤解がある。

 これはさすがに会長の反応が正しいが、今は時間がない。


「後で何を言われてもいいから、とにかく血を吸わせてください」


 もう酷い発言を連発していることは自覚しているが、説明をするより強行突破しかない。

 しかしなぜか会長は腰をくねらせながら、頬を赤らめた。


「まったく、後輩くん。強引なのは嫌いじゃないけど、告白はもっとロマンチックにして欲しいわ」


 さらにおかしな方向へと進んでいる気がする。

 何か別の誤解を招いている気がするが、何が起きているのか理解できない。

 袋小路なのか。

 むしろ出口の見えない暗いトンネルを歩いている気分だ。

 そして審判のために会長が俺の前にやってくる。


「もう茶化さないわ。ちゃんと血をあげるから。あまりじろじろ見ないで」


 その言葉で、ホッと胸を撫で下ろした。

 何だかんだ言っても、会長は頭の回転の早い人だ。

 血が魔法の触媒に使われるのはよくあることなので、ダニエラが俺の右腕なら扉を破壊できると言ったことから、そのために必要なのだと理解してくれたようだ。

 後は、彼女の腕に目立たないようにナイフを入れて、血を少し舐めるだけだ。

 ついでに魔力も拝借する。

 ホルスターからナイフを取り出すと、会長の腕を握り軽く引っ張る。

 しかし彼女は腕に力を入れていて、前に出さない。


「会長、痛いのは少しだけですから」


 しかし力を抜く気配がない。

 むしろ俺の手が掴んでいる会長の腕は、どんどん強張っていく。

 彼女の顔を覗き込むと、無意識なのか下唇を強く噛んで、不安そうな表情を浮かべていた。

 それが最後だった。


“当時の俺は、紫苑のことを何も分かっていなかった”


 俺の腰に彼女の腕が回ってきた。

 突然の事だったので、反応に遅れが生じた。

 その意図を聞こうと言葉を発しようとしたが、気づいたときには、彼女の顔が目の前にあった。

 しかし急接近してもぶつかることはなく、ただ少しだけ唇同士が優しく触れあった。

 虚を突かれて、ゆるんだ唇の隙間から、赤い触媒が流れ込んでくる。


 彼女は自身で噛んだ下唇の傷口を積極的に俺の唇へとあててくる。

 口内へと血の味が広がっていき、いつもなら嫌悪感を抱く吸血行為だが、なぜだが喉に熱いものを感じる。

 いつの間に握っていたナイフは地面に落ちていた。


 血の味などどれも一緒なのに、なぜか強く脳を刺激する。

 もっと欲しい。

 全身から渇きが湧き上がってくる。

 欲望を抑えきれずに、直接傷口から血を舐めとるために舌を伸ばそうとしたが、彼女の唇によって邪魔された。

 いつもの俺たちの関係と同じだった。

 あくまで主導権があるのは彼女の方だ。

 俺の考えなど無視して、彼女中心に世界が回っていく。

 ただ許されたのは、唯一自由に動く腕で彼女の背中を抱きしめることだけだった。


 互いの唇の感触を確かめ合うように何度も重ねた。

 口をキュッと閉じて、触媒が通れる少しの隙間しか空けず、それ以上先には決して進まない。

 言葉はなく、ついばむ様に相手の存在を受け入れていく。

 口の中で彼女が溶けてなくなるたびに、新たに流れてくる。

 2度3度と唇を重ねなおすたびに、相手の次の動きが伝わってきて、最初のぎこちなさが徐々に無くなっていく。

 唇からだけじゃなく、強く抱しめている彼女の身体から温もりが伝わってくる。

 全身から彼女の魔力が流れてくるが、以前対峙した時の重圧的なものではなく、優しく包み込むような魔力だ。

 俺が奪うのではなく、彼女の方から押し付けてくるわけでもない。

 ただ空気を取り込む様に、自然と彼女の体温と共に魔力が伝わってくる。


 いつの間にか彼女の唇の出血は止まっていた。

 すでに十分な血液と魔力を得たので、名残惜しいが離れなければならない。

 しかし理性とは裏腹に、抱きしめる腕の力が増していく。

 その想いに応えるように、彼女も俺の腰へ伸ばした腕に力を込めた。

 密着していて互いの間に隙間はもう残ってないのに、ひとつになろうとしがみつく。


「会長、ちょっと痛いです。力が強すぎます」


 俺の言葉を耳にして、少し力が緩むが、すぐにより強く腰を掴まれる。

 その力に身を任せて腰が徐々に浮いていき、俺の足と地面との接触が失われていく。

 彼女の右手は俺の腰のベルトをズボンごと掴んで離さない。

 正面に向き合っていた俺たちだったが、アームによって彼女の右側へと移動させられた。


「会長……もしかして……」

「凛花を助けたお礼はここまでよ。でも私の親友に手を出したお仕置きはしっかりしきゃね」


 現実から目を背けたくても、もう理性でも本能でも分かっている。

 2度あることは3度ある。

 彼女は俺をそらに浮かぶ魔界への扉へと投げつけるつもりだ。


 遠投において、身体をのけ反らして、背中より後ろから全身を込めて斜め上方向に投げることで、放物線を描くような軌道で遠くまで投げることができる。

 いつも投げられるときはそんな感じだ。

 しかし今日の彼女は正拳突きを繰り出すように、真っ直ぐと姿勢を正して、俺の腰を掴む右腕を後ろへと引いている。

 このまま投げ飛ばされると一瞬で最高速度に到達して、扉まで直線で最短距離を突き進むことになる。


「会長、お考え直しは?」


 しかしこの人が俺の言葉で考えを変えたためしはない。

 彼女の顔は見えないが、どうせ悪い笑顔を浮かべているに違いない。


「合体技・『紫苑カタパルト』、発射準備完了」


 合体技とか言っておきながら、会長様が前面に出ている。

 今まで投げられたときは不意打ちだったが、今回は溜めが長い。

 俺も覚悟を決めて右腕に魔力を集める。


『暗イ、寒イ、渇ク

 アルベキ贄が足リヌ

 ワレの飢エを満タセ

 ソナタの祈リを捧ゲヨ……』


 声が聞こえ始めているが、まだ発動はしていない。

 下手に触れたら危険なので、最後のトリガーは抑えておく。


「それじゃあ、合体技・『紫苑ストライク』発射」

「名前が変わってるうぅぅぅ~!!」


 俺のツッコミの途中で最高速に到達した。

 最後の引金を引いて、『魔法狩り』を発動して、右腕を黒く染める。

 不快な言葉が脳裏を駆け巡る。


『さぁ、供物を捧ゲヨ、早ク、早ク、早グハッ、』


 飛行速度が予想よりも速くて、姿勢を制御できずに背中から激突した。

 頭の中の声が俺の代わりにリアクションをしてくれた。


 これを最後に俺は気を失ったが、いつの間にか右腕が扉に触れていたようで、魔界への扉は無事に消失したらしい。

 その後は、そのまま地面に自由落下したが、幸い直前まで身体強化中だったので、命に別状はなかったが、この戦いで1番の負傷者になった。


“まったく、うちの会長様に付き合うのは大変だ。それにしても投げ飛ばされるのは意外と気持ちいい。蓮司、由樹そして母さん……俺は何かに目覚めたかも……”


 ***

『おまけ』


紫苑「何をキスくらいで照れているのよ」

芙蓉「会長は平気なのですか?」


紫苑「後輩くんには悪いけど、初めてじゃないの。私のファーストキスの相手は静流よ」

芙蓉「?!」


紫苑「ちなみに凛花のファーストキスは私が貰っちゃった。そして静流のファーストキスは凛花のものよ」

芙蓉「いや……あの、矛盾していますよ」


紫苑「たしかに……誰が嘘をついているのかな。ヒントを出すから読者のみなさんも考えてみてね」


『ヒント』

九重紫苑:嘘つき。人をからかうのが大好き。変化球のサインでストレートを投げる。ツンデレ疑惑あり。


工藤凛花:隠し事もするけど、基本的に正直者。白馬の王子様に憧れている。認知していない義妹がたくさんいる。


草薙静流:クールに思われているけど極度の人見知り。紫苑と凛花には素顔を見せる。お化けが見えちゃう不思議ちゃん。下僕がたくさんいるけど全員自称。


紫苑「さぁ、分かったかな?」

芙蓉「いや……情報源が会長だからキスの話は全て嘘なのでは?」


紫苑「ありゃりゃ……違うもん。別に飼い犬にチューするのと同じにゃんだからね。どさくさに紛れて、後輩くんにファーストキスを押し付けて、後で責任を取ってもらう作戦とかじゃにゃいんだから」



 ***

『あとがき』

いかがでしたか。

林間合宿の2日目もこれで終了です。

シリアス多めでしたが、最後は『チーかま』スタイルで終えられたと思っております。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る