5 夜の校内

 食堂で行われた新入生への寮生活についての説明は、事務的なものばかりだった。

 受付で話した男性、後藤健二ごとうけんじはここの寮監であり、明日から俺らのクラスの担任でもあった。

 担当教科は魔法の基本知識についての座学だそうだ。


 食堂では無料で食事が提供されるが、朝の6時からと、夜の19時からの1時間のみ利用できる。

 寮に門限自体はないが、食堂に時間通りに行かないと、食事抜きになってしまう。

 メニューは決まっていて、毎月の献立表が貼られている。

 気に入らなければ、各自で済ませればいいだけとのことだ。


 初日ということもあって、新入生たちはルームメイト同士で固まって食事をしていた。

 ここにいる1年生は、授業を受けるクラスも同じになるのだが、自己紹介するタイミングを逃してしまい、他のグループと話すことはなかった。

 俺たちも空気を周りの察して、テキパキと食事を済ませて部屋に戻った。


 ちなみに念のために確認したが、後藤先生曰く、俺たちの部屋だけ3人らしい。

 だけど空いている机とベッドを、散らかさないように念を押された。

 こうして初日の夜が更けていった。


 ***


 2人が寝静まったのを確認した俺は、静かに寝室から脱出した。

 物音を立てないように、行動するのは慣れている。

 寮の寝室と居室が分れていたのは、とても都合が良かった。

 服や装備は事前に準備してある。

 服装は制服の上に目立たないように黒のコートをまとい、その内側にナイフとインカムを入れる。

 リボルバーや魔石は置いておくことにした。

 任務の性質に合わせて、装備を変えるのはいつものことで、欲張ってあまり多く持っていくと、いざという時に反応が遅れてしまう。

 銃弾や魔石などは、今後補充できるか分からないし、音や光で目立つので、隠密行動に向かない。


 寮の入り口には鍵が掛かっているが、学生証があればいつでも出入りできる。

 夜中でも学生が魔法の練習ができるように、いくつかの設備は24時間使えるようになっている。

 寮の外に出ると、一定間隔で並んだ外灯が目に入ってきた。


 とりあえず今日は、生徒会ハウスの周辺を軽く散策することを目標にする。

 可能であれば、建物のセキュリティレベルと、九重紫苑の居室の間取りも確認しておきたい。

 インカムの電源を入れて、周波数を合わせて回線を繋ぐ。

 機器の操作自体は簡単だが、傍受を防ぐために暗号通信が行われており、素人が受信しようとしてもノイズしか拾えない。

 通信相手は、先にニホンで活動しているチームで、今回俺の任務のバックアップをしてくれる。

 すでに現場指揮官との挨拶は済ませてある。

 とは言っても、俺の任務は護衛と調査だが、あちらは『精霊殺しの剣』の探索、強奪がメインのはずだ。


「こちらマックス。これより生徒会ハウス周辺の探索を行う」

「了解。こちらは学外にて待機中。本日作戦行動の予定はない」


 念のために連絡を入れたが、暗闇の中でかち合って、同士討ちする心配はなさそうだ。

 ステイツの隊員と連絡する場合、マックスを名乗ることになっている。

 マクスウェルのファミリーネームは隠しているので、たとえ通信を聞かれても東高の関係者に俺のことを特定される可能性は低い。


 生徒会ハウスまでの経路は、事前にいくつか把握してある。

 寮を出た後は、とりあえず1番明るいルートを不自然でないように歩いた。

 他の学生とすれ違うこともあったが、互いに気にすることはない。

 しかし生徒会ハウスに近づくと人通りが急激に減り、目立ちかねないので、外灯の明かりが届きにくい暗がりに入った。


 ここからは臨戦態勢で慎重に進むことにする。


 ゆっくり呼吸を整える。

 微量ではあるが、空気中の魔力を吸収して身体強化を発動する。

 魔法を分解したときに比べて微々たる強化だが、一流アスリートに肉薄する運動能力を得ることができる。

 1対1の近接戦ならば、十分なアドバンテージだ。

 しかし身体強化を発動した目的は他にある。

 感覚器官の増強だ。

 視覚や聴覚が研ぎ澄まされ、直感が働くようになる。

 しかも空気中と同じ量の魔力しか使っていないので、魔法使いに探知され難くく隠密行動に打ってつけだ。


 早くも強化された感覚器官が違和感を捉えた。

 物陰に紛れていて、視認できないが人の気配を感じとった。

 どうやら向こうはまだ俺のことに気づいていないようだ。

 俺達以外にも、九重紫苑を調査している勢力がいることは、事前に分かっていたことだ。


 もう1度相手の位置を確認すると、距離を保ちながら後ろをついていく。

 俺と同じように魔力の気配が一切しない。

 魔法使いでありながら、隠密行動が得意な者は少ない。

 練達した使い手でも、魔力を完全に抑えることは難しい。

 俺の場合は、魔力を保持できない体質を逆手にとって、隠密行動が多いので、そのための訓練をしている。

 単純に物音を立てないだけでなく、周りに不審感を抱かせないような、自然に溶け込む気配の見せ方を、ステイツの隠密のプロから指導を受けている。

 これ以上生徒会ハウスに近づくと、バレないように制圧するのが難しくないので、そろそろ決めることにする。


 いつもならば先に魔法を撃たせるのだが、ターゲットが魔法使いでないならば、対応を変えなければならない。

 魔法使いが相手なら、どんな攻撃も効かないが、今の身体強化の状態だと、実弾1発で致命傷になりえる。

 今回はあまり騒ぎにしたくないので、先制攻撃で一気に敵の意識を奪うことにした。

 先制攻撃の場合は魔石によって、ブーストをかけることもできるが、今回は魔力を察知されないように置いてきた。

 そもそも貴重な魔石を、おいそれと使うわけにはいかない。


 呼吸をさらにゆっくり深くする。

 空気中の魔力を取り込んで、全身に送りこむ。

 呼吸のリズムに合わせて魔力が上下することを実感する。

 微々たるものだが、魔力の波が1番大きくなるタイミングでの攻撃を狙う。

 相手が魔法使いでないならば、察知される心配はない。


 相手の真後ろについて、声を出せないように左手で敵の口を押さえる。

 そしてすぐに利き腕を伸ばす。

 狙うのは頸動脈だ。

 血管を絞めて一気に意識を落としにかかる。

 腕が上手く入れば声を絞り出せないので、口を塞いでいた手でチョークスリーパーを固める。

 男はジタバタするが、力の差がものを言う。

 数秒で男の身体の力が抜けて、ぐったりした。

 

 意識が戻らないように、静かに後ろから脇へと腕を通して、ずるずると物陰に引っ張る。

 再びインカムを取り出して、周波数を合わせ直す。


「こちらマックス。他勢力のエージェントを1名無力化した。対応できるか」

「了解。こちらで回収する。任務を続行してくれ」


 別動隊がここまで侵入して回収してくれる。

 東高のセキュリティのレベルはかなり高いが、そこはすでに数ヶ月先行して任務をしている部隊なので、信頼するしかない。

 この場でじっと回収まで待つつもりはない。

 探知防止のためにインカムの周波数をずらして、スマホで位置情報を送信したら、羽織っていた黒いコートを気絶しているエージェントに掛けて目立たなくした。


 余計な時間をかけてしまった上に、もう隠密での行動は難しい。

 コートを失ったからではない。

 攻撃したせいで身体が暖まってしまった。

 魔法使いとしては隠密行動が得意な方の俺だが、さすがに専門職では無いので、1度出してしまった気配を隠すには時間を要する。


 もう今晩の調査は諦めるしかない。

 それでもせっかくここまで来たのだから、せめて生徒会ハウスの外観だけでも、この目で確認してくことにした。

 

“この晩、俺はなぜ余計な欲をかいてしまったのだろうか。素直に帰っていれば、紫苑との関係ももっと違っていただろう。ただコートを置いて行ったことが、ファインプレーだったと後から思えた”

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