第177話 Tー6 兄妹

 アリスがクルエールの世界から出た後、空は群青色だった。


「あれ? もう夜だ」


 時刻は21時だった。


 このゲーム世界には暗闇はなく、夜は深い青色で、一切の光がなくてもプレイヤーは行動ができる。


 それでも──。


「……不気味すぎ」


 自然豊かな緑溢れる森は夜になると心を不安にさせる不気味さが漂っている。

 風が枝葉を揺らすと、かすれた音がありもしない気配を想起させる。


「いない、いない」


 ──ここは首都圏内。モンスターはいない。うん。いない。


 アリスは自分を鼓舞するように言い聞かせる。


 視界のコンパスで方角を確かめつつ、森を突き進んでいると、視界の端末アイコンに丸い点が灯っているのに気付いた。


 ──なんだろう?


 端末を虚空から生み出して、手にする。そして端末を操作するとメッセージが十何通も来ていた。そのほとんどが兄からであった。


『今どこにいる?』

『何してる』

『討伐中か?』

おわったら連絡を』

『まだ討伐中か?』

『どこにいる?』

『なぜ連絡しない?』


 それが十何通も。時折、他のプレイヤーにもアリスのことを聞いたのか、その他のプレイヤーもまた心配してかメッセージが送られていた。


「怖っ! 浮気を疑う彼氏か!?」


 とりあへずアリスは『今、帰宅中』と兄に返事をしておいた。他のプレイヤーにもご迷惑の旨をとメッセージを送る。


 すると兄から通信がきた。


「びっくりした!」


 急な着信でアリスは驚いた。


 通話をタップし、

「もしもし?」

『今、どこだ?』

「森」

『どこの?』

「自然公園の森」

『何でこんな遅くにそんなとこにいるんだ?』

「森でハイキングしてたら寝ちゃって遅れた」


 嘘はついていない。実際に夕方まで寝てたのは事実である。


『……』

 向こうから溜め息が聞こえた。


「もういい?」

『ああ。ただ、帰ったら俺の部屋に来い』

「嫌」

『リーダー命令だ。来なかったら人を寄越す』

「……分かった」


  ◯ ◯ ◯


 宿舎に着き、アリスは兄の部屋へと向かった。

 そして扉をノックする。


「…………」


 返事がないので、もう一度ノックする。


「おーい。兄貴! 来たぞー!」


 声を上げるも中からの返事はない。


 ──ん〜? 飯でも行ってんのか? もしくは風呂?


 アリスは『部屋の前にいるんだが?』とメッセージを兄に送った。


 すぐに兄から返事が来た。


『自室か? 俺が指示したのはリーダーの部屋だ』


 ──なんだ。そっちか。


  ◯ ◯ ◯


「で、何用?」

 アリスはリーダー室に入って、開口一番に実の兄であるレオに聞く。


「これだ」


 レオはアリスにプリントを向ける。


「何よ」と言い、アリスはプリントを受け取る。そのプリント上部には大きく始末書と書かれている。


「は?」

「始末書だ」

「何で?」


 意味が分からないという顔をするアリス。


「連絡なし、かつ帰宅が遅いからだ」

「? 何言ってんの? あんた私の妻か! そもそもそんなに遅くないでしょ? それにメンバーの中には泊まりの人もいるんだし」

「そういう奴はちゃんと連絡をしている。無断外泊はない。遅くなら時も連絡はある。いいか? 報連相だ。報・連・相! 分かるか?」

「知ってるわよ。報告、連絡、相談でしょ。高校生でもそれくらい知ってるわよ」

「分かってても、お前はそれが出来ていない」

「あっそ」

「とりあへず書くことだ。分かったな」

「はーい」


  ◯


 自室に戻り、アリスはベッドにダイブした。


「疲れたー。しんどーい」


 枕に顔を沈めてアリスはじたばたする。


 ゲーム世界において肉体的疲労は存在しないが精神的疲労は存在している。だから長期戦闘や張り詰めた出来事などがあると精神的疲労は蓄積し、プレイヤーを澱ませる。


「飯と風呂どうしよ?」

 アリスは寝返りを打ち、独りごちた。


 ゲーム世界では空腹はないため食事を摂取する必要はないし、汚れも自動洗浄のため入浴の必要ない。


 けれど人の生活習慣は大事で食事や入浴は極力取るよに努めている。

 されどそれはロザリーにゲーム世界に囚われるまでの話で、ここ最近は人として生活習慣を疎かにするプレイヤーが多い。

 そのため食事や入浴の注意喚起が掲示板などで行われている。


「明日でいっか」


 食堂や浴場に行けばパーティーメンバーに会う。それはむしろアリスにとってストレスとなる。

 疲れるならやめようとアリスは決めた。

 外のレストランや公衆浴場を利用するのもありだが、外に出ようとする意志はなかった。

 それにベッドにダイブすると眠気がきた。


「今日は寝よう」


 アリスは室内灯を消し、寝ようとした──だが、それを邪魔するように着信音が鳴った。


「ああ、もう、誰よ」


 先に着信音消しておけばよかったなと後悔した。

 端末画面を確かめると着信の相手は兄のレオだった。


「もしもし、何?」

 不機嫌声でアリスは聞いた。


「お前、始末書は?」

 向こうも不機嫌であった。


「まだだけど」

 それが何という声色をするアリス。


「すぐ書けよ。そしてさっさと提出しろよ」

「え? 今から寝るとこなんだけど?」

「なんで寝るんだよ? 出せよ!」

「明日でいいでしょ?」

「あのな!」

「今日はしんどいのー。疲れたのー。もう寝るのー」

 アリスは駄々をこねた。


「分かった。お前は初心者だもんな。ルールを知らないもんな。ああ、そうだ。仕方ない。今回だけは見逃してやる。けどな、次からはきちんと当日中に始末書を書け」

「分かった。もう切るよ」


 アリスは通話を切りたくてしかたなかった。


「本当に分かってるのか?」

「うん。分かってる。ワタシ、ショシンシャ。アニ、ヤサシー」

 アリスはカタコトで答えた。


 それにレオは溜め息を吐いた。多分通話の向こうでは額に手を当てているのだろう。


「明日には提出だからな」

「あいあーい」


 と言い、アリスは通話を切った。そして着信音を消して、就寝することにした。


  ◯


 アリスは丘の上にいた。地面は芝で一本の大木が丘の中心に聳え立つ。その大木の下で根を枕にして横になっていた。

 木漏れ日がアリスの体をまだら模様にさせる。

 これは明晰夢だとアリスはすぐに感じ取った。

 しかしだ。ゲームの中で夢の中で夢を見るとはこれいかに。

 アリスは立ち上がり、木漏れ日から出る。

 けれど明晰夢にしては感覚がはっきりしている。


「夢では……ない?」

「正確!」


 アリスは驚き、声の方に振り向いた。

 右方向にハイペリオンがいた。


「びっくりした? あんたか。で、ここは?」

「私の空間。個人的に少し話があってね。これはロザリー達やクルエールが感知することができないから安心して」


 何が安心だとアリスは思った。


「話って何?」

「君はどうしてクルエールを取り込めることに決めたの? あんな得体の知れないものを。それに解放されるんだよ。現実に戻りたいでしょ?」

「そりゃあ戻りたいわよ。でも……」

「ユウのため? それとも愛?」

「ち、違うわよ。あいつが今、ピンチ……だからよ」

 アリスはそっぽを向いて答える。


「あいつ今、兄貴や他のプレイヤーから目のかたきにされているでしょ」

「君は彼を恨まないのかい?」

「ムカつくことはあるよ。でも、それはあいつの責任ではないような気がするし。あいつだって、必死なんだもん」

「優しいね君は」

「違うわ。私はもう会いたくないだけよ。きっと。あいつと会ったら私、どうすればいいのか分からなくなる」


 アリスは俯き、胸の前で拳を握る。


「それに兄貴がいるし。私がいなくなったら多分壊れる」

「そう。ありがとう。君と話せて良かった」


 ハイペリオンは切なさと優しさを混ぜた笑みをアリスに向ける。


「それは──」

 続く言葉は世界が白く塗り潰されると同時に消えた。

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