第154話 Pー1 解放
彼女の意識はゆっくりと上昇し、現実世界に引き上げられた。
目を覚ました彼女はまず枕元の目覚まし時計で時間を確かめた。そして、あと数分で鳴る目覚ましアラームをオフにする。
彼女はゆっくりと起き上がり、いつも通り自室を出て、リビングに向かう。
キッチンでは母親が焼いた食パンにバター塗っている。母親は人の気配を察して振り向く。
「あら、早いのね」
「うん」
彼女は棚からコップを取り出して、テーブルに置く。冷蔵庫から麦茶のボトルを取り、テーブルのコップに注ぐ。
そして母親から食パンの乗った皿を受け取り、席に着く。
朝食の後、洗面所に向かうと父親が髭を剃っていた。
仕方ないので自室に戻り、着替えを先に済ませることにする。
着替えの後、姿見で確認。
おかしいところはない。
いつも通り。──でも。
何か引っかかるものを感じて、彼女は立ち止まる。
頭に靄がかかったみたいで、心がざわつく。
服は今日から衣替えして長袖。
何もおかしくない。
リビングに戻ると母親が彼女の服装を見て止まった。
「……それで行くの?」
「おかしい? もう寒いし」
母親は眉を八の字にさせ、首を傾げる。
「あなたがそれでいいなら別に問題はないわよ」
今度は彼女が首を傾げる番だった。
◯ ◯ ◯
外は薄寒かった。吐く息は白くはないが、膝をさするほどの寒さ。昨日の気温とは逆だ。
冬の到来はまだまだだが、ほんの微かな気配が風に乗って訪れている。
空色も気温のようにうっすらと青かった。
気温のせいで体が縮まり、彼女には世界が少し広く感じるようだった。
そのせいかどこか初めての通学路のように感じられた。
心拍は変わりない。
呼吸のリズムも問題はない。
違和感は通学路の落ち葉が片付けられたせいか、はたまた長袖に腕を通したせいか。
いや、違和感は脚であった。
彼女は立ち止まり、脚を見下ろす。
ストッキングは履き忘れていない。新品のストッキング。
スカートも履いている。履いていなかったらそうとうやばい。
ローファーも履いている。
やはりどこもおかしいところはない。
──ないはず。
だが、体が合わないような違和感が肌に巻きつく。
気を取り直して彼女は再び歩く。
◯ ◯ ◯
学校が近づいてきたのか徐々に学生が往来に増える。
なぜか学生が増えるたび、彼女はどこか疎外感を感じ始める。
丁字路で曲がったところでクラスメートの背を見つけた。
彼女は駆け、クラスメートに挨拶する。
「おはよ!」
「おは…………よ」
クラスメートは彼女を見て、戸惑い、驚いた。
どうしたのだろうか?
もしかして人違い? そんなわけない。彼女はクラスメート。記憶通りの。
「どうしたの?」
「その……服がさ」
「ああ! 今日から冬服にしたの」
「寒い?」
「えー寒いじゃん」
「まあ、今日は肌寒いけど……」
そういえば周りを窺うと長袖は彼女だけだった。疎外感はそのせいだろうか。
でも、それももうすぐだろう。今日から衣替えだし。今朝は肌寒かった。
◯ ◯ ◯
「次の授業、あんた、403でしょ?」
「あっ、そうだ!」
ボブヘアーのクラスメートに言われて彼女は教室を出て、403に移動した。
先程いた教室は203で、廊下を出て階段を上がる。その時、茶髪のクラスメートに呼び止められた。
「どうしたの?」
「あっ、いや、その、ちゃんとスカート押さえている……ね」
「? そりゃあ、そうだけど?」
男子もいるのだ。女子は階段を上がる時はスカートを押さえるのは普通のこと。
「いや、ほら、あんた、隙が多いからさ」
「ひどいなー」
◯ ◯ ◯
夕刻、彼女は今日の授業が全て終わったので帰宅しようとした時、明日の政治経済の授業が次のコマに前倒しになった。
もともと次のコマは自由選択科目で彼女はそのコマには何も入れていなかった。
「教科書持ってきてなーい」
「聞かなかったことにして、ずらかりたい」
「自由選択科目入れて奴はどうすんのさ?」
クラスメートの男子生徒達が愚痴る。
「プリント配布だから、教科書はいらないんだってさ。それと自由選択科目ってウチのクラスは誰も入れてないでしょ」
不満を言う男子生徒達に一人の女子生徒が告げる。
「でもさー、今どきプリントって」
「それを言ったら今時、教科書でしょ」
すぐに言い返されて男子生徒は黙った。
少し剣幕が怪しくなったので彼女が間に入った。
「でも、どうして明日の授業が前倒しになったのかな?」
「聖北の件らしいよ」
と女子生徒が答える。
「ああ! ニュースになってたね」
聖北とは目黒の聖北斗女子大学附属高等学校のこと。
校長がジェンダーについて差別的な発言をしたとかで話題になり、目下SNSでは大炎上中。
「ウチの学校、関係あったか?」
男子生徒が聞く。
「準グループでしょう」
「準グループ? なんだそりゃあ? なんかグループ入ってか?」
男子生徒は首を傾げる。
「進学先よ。ウチの学校からたくさん進学してるでしょ?」
彼女の通っている学校は明確に受験先が決まっていない女子生徒に対して聖北斗女子大学を受験させている。名目としては外部生受験だが、準グループということもあり、多少手心が加えられている。
「まあまあ、仕方ないよ。男子は知らないから」
と彼女がフォローを入れる。
「へえー、それじゃあ、お前はどうすんだ?」
と男子生徒がなんともなしに彼女に聞く。
「まだ先のことだし決めてないよ」
◯ ◯ ◯
帰宅するとまたしても変な違和感があった。
場違いな所に着いたような。
勝手に入って申し訳ないような。
「あら? アンタだったの?」
母親が廊下に出て、玄関にいる彼女に向けて言う。
「ドアが開いてから何もないから何かと思ったじゃないの」
「あっ、うん、ちょっと考え事をね」
「そう。で、学校はどうだった?」
「普通だよ。特に何もないよ」
彼女はローファーを脱ぎながら答える。
「あっ、でも」
「? 何?」
母親が心配しつつ聞く。
「今日、放課後に授業があったよ。明日の政治経済の授業が前倒しになったの」
「へえ、どうして?」
「分かんない」
と言い、彼女は自室に向かう。
そして自室で部屋着に着替えているとスマホからメッセージ着信音が鳴る。
スマホは先程履いていたスカートのポケットの中。
彼女は誰からだろうと脱いだスカートのポケットからスマホを取り出す。
スマホを操作してメッセージをアプリを起動。
『今日一日、どうだったアリス? いや、井上風花』
そのメッセージを読んだ瞬間、電流が彼女の体を駆け抜けた。
覚醒、驚愕、納得、後悔、自我、意識、現状、判然、そして怒りという感情、そういったものが現在の体の記憶に濁流のようにぶつかり、混ざり合い、魂がざわついた。
しばらくすると彼女は落ち着き始め、メッセージに返信を送る。
『あなたは誰?』
すぐに返信が来た。
『私はキョウカ。深山鏡花だ』
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