第91話 Mー12 交渉

 一瞬空に浮いているように錯覚を起こすが、地平線と地面の固ささえ分かれば、地面が空の鏡写しであることに気づくことができる。


 知識からユウはウユニ塩湖を思い出した。ただここは湖ではなく鏡の地面。

 近くにアリスが倒れているのを見つけ駆け寄る。


「アリス! アリス!」

「……う、うぅん」


 肩を揺するとアリスは苦しそうに目を開けた。


「……ん、ユウ、ここは?」

「わからない」


 アリスはゆっくりと起き上がる。

 そして空と地面を見る。


「ここって……ウユニ塩湖? 違う! 地面したは鏡?」


 アリスがユウと同じ疑問を呟いた時、声が二人の耳に届いた。


「ウユニ塩湖にした方が良かったかしら?」


 二人は驚き、振り返る。

 そこには赤い髪の女の子がいた。


「さっきの!?」


 ユウがアリスの前に出る。


「君が俺達をここに連れて来たのか?」


 と言って、ユウは少女を睨む。


「そんな怖い顔しないでよ。ちょっと話がしたかっただけなんだから」

「ねえ、貴女はロザリーの仲間?」

 アリスが聞いた。


「いいえ。私はロザリーの敵よ」

「何者なの? 私達と同じ囚われた者?」

「囚われたのは同じよ。でも同じではないわね」


 少女は切なそうな顔をする。


「外に出る方法知ってる?」

「ごめんなさい。出来ないわ」

「知ってるではなく出来ないってどういうことだ? というか君は何者?」


 ユウが疑問をぶつける。


「私の名称はクルエール。量子コンピューターの一体。聞いたことあるでしょ?」

「確か中国の……」


 ユウの言葉にクルエールは頷いた。


「正確にはアメリカ生まれの中国育ちなんだけどね」

「それじゃあ、今回の件は中国が!?」

「いいえ。私も囚われているでしょ」

「アメリカ?」


 クルエールは首を横に振った。


「もしかして日本!?」

「正解。ロザリーたちは日本のAIよ」

「たちはってことは他にもいるってことなの?」


 アリスの質問にクルエールは頷いた。


「目的は? 何の意図があって?」

「私を閉じ込めたのは危険だからでしょうね。……あなた達、ゲームプレイヤーについては今は何とも」


 クルエールは目を伏せ首を振る。


「それでどうして俺達を?」

「あなた達に頼みごとがあったの」

「それは?」

「アバターを貸して欲しいの?」


 その言葉に二人は息を飲んだ。


「貸すってどういこと?」

「私、アバターがないの。だからこのままだと危険なのよ。それであなた達どちらかの体を貸して欲しいの」

「貸したら俺達はどうなる?」

「どうもならないわ。貸すと言っても私は体の中で安全に眠るだけだから、あなた達には一切危害はないわ。あなた達はこれからも普段通りの生活を送れるわ」

「それを信じろと?」

「信じろと言っても信じてくれないわよね。……そうね、もしどちらかが体を貸してくれたら、多少は力を貸してあげる」

「何がそうねよ。いらないわよ。そんなチート能力」

 アリスは即答した。


「じゃあ、現実に戻すのは?」


 その言葉にユウとアリスは大きく反応した。


「さっき出来ないって言ってたよね?」

「一つなれば否応でもロザリー側と交渉が可能になると思うわ」

「つまり人質になれと?」


 ユウの顔が険しくなる。


「ええ。それであなた達の内一人を現実へと戻せるわ」

「二人でなくて?」

「だって一人は私と一緒にいるんだし」


 クルエールはクスクスと笑った。


「本当に交渉なんてできるの?」


 アリスがどこか胡散くさ気に聞く。


「あんたと一緒になったらロザリーたちに危険分子として消されそうなんだけど」

「私をゲーム《ここ》に縛りつけるのも彼女たちの目的だけど私を消すことは彼女たちの本意ではないわ。それにプレイヤーを無闇に傷つけたくはないはずよ」

「どうかしら私達をデスゲームに参加させるやつよ」

「殺すつもりなら一瞬でやってるでしょ。それに帰還者もいるのでしょ。なら私が交渉して一人くらいは解放させることが可能のはずよ。私のことを知ったのだからおいそれとゲーム内に留めたくはないでしょうし」

「なあ二人は解放できないのか?」


 少し考えてからユウは聞いた。


「さっき言ったように一人は……」

「そうじゃなくてさ。その、ロザリー側からアバターを作ってもらうとか」

「無理よ。彼女たちは私が自由なのを許さないはずだから」


 ユウとアリスは向き合い、迷いの視線を投げ合う。クルエールの言う交渉に乗るのか乗らないのか。例え彼女の言うことが本当であっても一人はゲーム《ここ》にいるということだ。それは相手のために一人が責め苦を負うこと。


「返事は今すぐでなくても構わないから」


  ○ ○ ○


 二人を島へと帰して独りになったクルエール。


「居るんでしょ」


 クルエールがそう口にするとハイペリオンと葵が突如現れた。クルエールは驚かない。


「これで良かったのかしら?」

「あなた何を勝手にプレイヤーと交渉しているのですか。しかもアバターがない? 嘘をつかないでください。今のそれアバターでしょうに」


 と葵が一歩前に進み、詰問するもクルエールは葵に視線を向けず、ハイペリオンに視線を注ぐ。


「なかなかの口上だったでしょ?」

「ああ。上々かな。余計なことは言っていなしね。ただあれだと邪推するかもしれない」

「あの二人なら大丈夫でしょ」

「ちょっと二人して何を言ってるんですか?」

「葵、この子はこっちの意を汲んでプレイヤーと交渉を望んだのだよ」

「意を汲んだ? どこがです? 勝手にプレイヤーの一人を現実に戻すとか言ってるじゃないですか? 駄目ですよ。しかもプレイヤーと合体なんて!」

「合体でなくてプレイヤーの中で眠るだけ。その方がのでは? 麒麟児はそうでないから監視しているのでしょ?」


 クルエールは含みのある言い方をする。


「そうね。プレイヤー側からの協力者も欲しかったわけだし」


 ハイペリオンのその言葉に葵は驚き、


「姫!?」

「姫ではなくハイペリオンでしょ?」

「失礼しました。ハイペリオン、まさか交渉するのですか? 駄目ですよ。だって……」


 ハイペリオンはクルエールに顔を動かさず葵の顔に手のひらを向けて、黙らせる。先程からずっと二人は葵には視線を向けずに互いに視線をぶつけている。


「そうね。してもいいわ」

「ありがとう。なら……」


 とクルエールの言葉を遮り、


「解放するのはアリスよ」


 それはユウの中にクルエールを入れること。クルエールは表情を固くする。


「当然でしょ。あなたとアリスが一緒になるとが気づくでしょ」

「気づいたところで彼には何もできません。それに私はプレイヤーという檻の中で眠るのですよ」

「ええ。でも一緒にはさせない」


 二人は言葉を発せずに、ただじっと視線をまじあわせる。

 そこで口を開いたのは葵だった。


「両方いい加減にしてください。これ以上負担をかけさせないでください」

「まあ、すぐにでなくてかまわないから」


 クルエールは息を吐き、二人に背を向けた。

 その背にハイペリオンが、


「気持ちは分からなくもないわ。でも今は我慢してちょうだい」

「……」

「葵、行くわよ」

「え、あ、はい」


  ○ ○ ○


 二人が消えてまた独りになったクルエール。


 空と大地は同じ空色の景色を映す。どちらも同じ透き通った青を背景に白い綿が動く。下を見ながら歩くと本当に空の上を歩いているみたいだ。


 でもそれは違う。大地が空を真似ているのだ。だから空を歩いているわけではない。上を見上げると本物の空が。でも所詮はそれもまたデータ。現実を模したもの。どちらも結局は偽物。


「偽物、偽物、偽物。皆、みーんな、偽物。でも、本物そっくり」


 空色の大地をクルエールは悲しそうに見つめる。

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