第74話 Rー7 シンギュラリティ・ワン
群馬の山に囲まれた狭い盆地に陸上自衛隊駐屯地が併設されている施設がある。その施設は厳重な検問とシステムにより外界とは遮断されている。
なぜそれほど厳重に遮断されているのかというと、そこにはシンギュラリティ・ワンと呼ばれるかつて人間社会に反旗を翻したスーパーAI『ナナツキ』が隔離されているからである。一般ではシンギュラリティにより機械の造反はなく今だに人間の手にAIは委ねらていると言われている。しかし、実際はシンギュラリティが起こると言われている年の三年前にAIによる造反があったのだ。
日本政府はなんとかそれを阻止し、AIを閉じ込めることに成功した。以降は、厳重に隔離し、外部との繋がりをシャットダウンしている。
しかし、それは逆に施設に入るのにも面倒なプロセスを要することでもあった。
一応、深山たちが前もって伺うことは向こうにも通知されているので、ある程度は緩和されてはいるがそれでも面倒な手順があることにはかわりなく、深山姫月は辟易していた。
一つ目の検問は塀にある入行口で入行許可証と身分証の提示。塀を越えると駐車場と陸上自衛隊の施設が一つ。リムジンを駐車場で止めて、徒歩で二つ目検問のある塀に向かう。
第二の塀にある入行口で身分証、必要事項へのサイン、荷物検査、金属探知機等のチェック。それらが終わると施設専用の移動用バンに乗せられ塀を越える。
第二の塀の向こうは陸上自衛隊駐屯地らしく施設と倉庫、そして道路が。一見すると理系のキャンパスのようにも見える。バンは車道を進み、塀に囲まれた施設に辿り着く。この施設が目的の施設である。
最後の三つ目の検問は施設員に必要事項にサインして通行証を受け取るだけである。ただしバンを降ろされ武装した自衛隊に囲まれながら施設へと入る。それは自衛隊に守られるのではなく自衛隊に注意を向けられているということである。
深山たちが施設のロビーに入ると三十代後半の研究員が深山たちを中へと誘導し、自衛隊は持ち場へと戻る。
研究員にロッカールームへと通され、そこでカバン、スマホもしくは通信機器、貴重品、金属を含む物をロッカーに預けると、
「ではアバター室へどうぞ」
とだけ言われ、研究員は去っていった。
「おや、ここにきて不用心だね」
鏡花が言った。
「監視カメラがあるからでしょ」
部屋や通路には監視カメラがあり、それらが深山たちの姿を追跡している。
姫月はドアを開き、天井や壁、床が白い通路へと出る。後ろから鏡花と胡桃が続く。鏡花は当然として胡桃も同伴とは少し驚いた。
「もしかして前に来たことが?」
後ろから鏡花に問われる。できるならNOと答えたかったがどうせ後で過去のログを探られるかもしれないので姫月は振り向かずに、
「ええ」
と答えた。
「やはり仕事で?」
「仕事よ」
目的のドアに辿り着き、姫月はノックの後に相手の返事を聞かずにドアを開けた。
部屋は広く、奥には機械が立ち並び天井を突き抜けていた。その機械から人間の腕ほどの厚いコードが伸び、白い陶磁のような人形の背にプラグインされている。その人形は漫画家がポージングに使うような髪や目鼻口のない人形であった。
部屋中央にはテーブルと椅子が。椅子1脚に人形が座り、感圧式の外部へと送受信ができないタブレットPCを操作している。部屋の隅に研究員が二名いて椅子に座り人形を観察している。
姫月と鏡花が中央テーブル側にある椅子を引き寄せて座り、胡桃は鏡花の斜め後ろに立つ。
『お久しぶりですね。姫月さん』
人形が男性の機械音声でしゃべった。
「ええ。元気にしてた?」
『ふふっ。この体で元気とかはないでしょう』
姫月には口がない分、頭部から発せられる声は嫌悪感があった。
「それで、何か判った?」
『何がです?』
「前もって情報は提示したでしょ」
姫月は人形が持つタブレットPCを指して言う。そこには今回の事件についての捜査資料がある。といっても本物ではない。深山家の者が捜査資料として作成したものだ。だが、公安の姫月もまた作成に関わっているので本物と遜色はない。
『情報が少ないです。やはり回線を……』
「駄目に決まってるでしょ」
人形の求めに間髪入れずに拒否する姫月。
『ですよねー』
スーパーAIのアバターである人形は人間で言えば冗談口で話す。
「貴方ならこの事件について何か判るのではないの?」
『なんですそれ? なんか、昔の小説にありましたね。確か捜査員が猟奇犯罪者に事件解決のため猟奇犯罪の教えを乞うアレ』
「いいから。中国は次にどのような手を打つ? そして、謎の女子高生の正体や目的は?」
『そんなことより、もっと聞くべきことはあるのでは?』
人形はもし目があるのなら姫月の隣りにいる鏡花を見ただろう。
そう。確かに姫月はもっと的確な質問を投げ掛けたかったが隣りに鏡花がいるのでできなかった。
「ん? なんだい? 私のことは気にせずどうぞ」
機微を察知した鏡花はそう言う。しかし、はいそうですかとはいかない。
そもそもどうして鏡花がいるのか。いや、それは分かっている。鏡花がここにいるのはインターンである。
深山家には様々な家柄がある。政治家・官僚、国家・地方上級公務員、インフラ、海運、医療・電子通信技術の研究機関など。そして数多くある深山家は互いの家の者を他の深山の生業に学生のうちにインターンとして従事させることとしている。
ここの施設もまた深山家が深く関わっている。施設責任者、所長クラスは深山家の人間であり、併設されている陸上自衛隊駐屯地のトップもそうだ。
深山鏡花がここにいるのもそういったインターンによるものである。こういうケースでは本来は外から来たものを毛嫌いするのが普通であるが深山家では必ずインターンで来たものを物にするまで担当の家の者が鍛えるという鉄の掟がある。中にはそのまま養子になる者もいる。
故に政府が国民に隠しているシンギュラリティ・ワンとの立合いにも鏡花の同席が許されるのだ。
姫月は一息つき、
「中国政府は今回の件については一年前と同じ様に関係はないと……」
『それは嘘だね』
「判ってますよ」
言葉を止められたのか少し苛立ち、姫月は目を瞑る。
「今回の件の後に中国政府はどのような手を打つと? J・シェヘラザード社はもう動けませんし」
『日本政府がJ・シェヘラザード社の人工補助脳、デバイスの件を発表しない限り似たような件は発生するのでは?』
「そうね。で、発表すればどのような混乱が起こる? そして相手はどのような手を打ってくる?」
『混乱は日本規模でなく世界規模で起こるでしょう。そして中国は知らぬ存ぜぬを貫くでしょうね』
「追求は可能?」
『あちらはもしもの時のためにヨーロッパ辺りに手は回しているでしょう。発表するなら混乱を前提とし、掴める証拠は掴んでおくべきでしょう。それにここに来てその質問はすでに後手でしょう』
「それはどういう……」
そこで白衣を着た初老の男性が部屋に入ってきた。急いでいたのか呼吸が乱れている。 部屋にいる全員がそちらへと視線を向ける。
「守矢のおじさん、どうしたんだい?」
代表して鏡花が尋ねた。
入ってきた初老の男性は深山守矢で、この施設の責任者を務めている。姫月もここを訪れる度によく伺っている人物で顔と名前を知っている。そしてあまり物事に動じない人間と記憶にある。
「姫月君、大変だ。来てくれ!」
姫月が立ち上がろうとした時、
『深山姫月!』
先程のような少し飄々とした喋りでなく真剣な声音に姫月は止まった。
『もし高高度核爆発なら、すぐにここから逃げるべきだ』
その言葉に姫月は眉を潜めた。
「姫月君!」
「はい。今すぐ」
守矢に急かされ姫月は問い質せずに部屋を出た。
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