第25話 Aー12 スゥイーリア
ユウがジョブチェンをした日に遡る。
不思議なことに街の中に明るい林があり、馬車は少し傾斜のある林道をゴトゴト音を立てながら突き進んでいる。
その揺れる馬車の中、アルクはぼんやりと壁に肘を当て、変わった体勢での頬杖をつき、窓から見える景色を眺めている。
アルクはゲーム内で馬車に乗ったのは初めてだと思い知った。現実世界で一度、子供の頃にイギリス旅行で馬車に乗ったことがある。その時、馬がパカパカ歩きながら糞を垂れ、御者が棒の先に布袋を付けたものを使い、それを肛門に向け、糞をキャッチしていたのを見た。それがアルクの心にトラウマとはいかないが馬車というものに嫌悪を抱かせた。
以降アルクはゲーム内においても馬車というものを無意識的に避けていたのだ。もしヴァイスが馬車を勧めなかったら馬車に乗るのはもっと先か、もしくはこの先もなかったのかもしれない。
御者の方をちらりと窺ったが小さな戸は閉まっていて御者側の方はどうなっているのか窺い知れない。ゲーム内でも馬は糞をするのだろうか。いや、人も動物、モンスターも糞尿は垂れないはず。
また窓に目を向けると背の高い木々の間から湖が見え始める。湖は太陽の光を浴び、水面を白く煌めかせている。
「もうすぐ着きます。湖の近くにお屋敷があるのです 」
アルクの正面に座っているヴァイスが窓の向こうを見て答える。
「街にこんなところがあるんだね」
「ええ。私たちも驚きましたよ。こんなに広いと街というかもう国ですね」
ヴァイスは笑って答えた。
「どうしてこんなところに?」
アルクの質問にヴァイスは肩を上げ、
「それがここぐらいしか残ってなかったのですよ」
アルクは内心でいやいや、宿や施設は多いはずだと疑った。ならば屋敷が残っていなかったということか? イベントが始まってまだ三日目だというのに。そういえば廃ゲーマーや攻略班等はまず拠点を作るとこから始めるというのをアルクは思い出した。
馬車は林を抜け、草原に入り、屋敷の前に止まった。
NPCの行者がドアを開け、二人は外に出る。三十分ほど馬車の中にいたので少し体が固まっていた。ユウは体をほぐそうと体を伸ばし、そして深呼吸をした。
屋敷は街を見渡せる高地に建っていた。
「さあ、こちらに」
門扉が開き、ヴァイスは敷地へと進み、アルクはその後ろに続く。
敷地には庭園があり、門から続く道の左右には薔薇の園がありアーチを描いている。
屋敷の前でヴァイスが力なく手で大きな観音扉を押すと自動で左右に開き始めた。
玄関から入ってすぐに吹き抜けのロビーとなり、赤い絨毯に、シャンゼリア、カーブを描いた階段が2階へと伸びる。
玄関口に台があり、その上に赤、青のシールの貼られたボタンつきのベルが二つ。張り紙には呼び出しは赤のシールの貼られたベルを叩いてくださいと書かれている。だが、ヴァイスは青のベルを叩いた。
「こちらへ」
ヴァイスはそう言って歩き始める。
「今のベルは? 赤のベルを叩くように書いてあったけど」
「青のベルは帰ってきたという合図です」
「合図?」
「帰宅のメッセがでるんですよ」
と、言い自身の目を指す。
なるほど時刻と同じように視界にメッセージが表示されるということか。
「屋敷を出るときは?」
「出るときはベルは鳴らしません。ただ帰ってきた時だけ鳴らすんですよ」
廊下を進み、突き当たりを曲がり、ドアの前でヴァイスは立ち止まった。そして後ろのアルクに振り返る。
「ここです」
そしてヴァイスはノックをして、返事の後、ドアを開けた。
部屋は応接室らしく木製の四角いテーブルと上品な背もたれつきの椅子。入って右側に本棚、左側奥に偽物であろう観賞植物が。
部屋の中に二人の女性がいた。白いドレスの金髪の女性と黒いドレスの黒髪の女性。どちらも髪は長い。ただ金髪の方はウェーブがあり、黒髪はストーレトである。
白いドレスの女性は長身で大人らしい雰囲気を持つ大人の女性。黒いドレスの女性は白いドレスの女性より頭を一つ分低く、顔にはまだ幼さの残る女性。
黒いドレスの女性はアルクに頭を下げて部屋を出た。
ドアが閉まり、白いドレスの女性がアルクに近づき、
「ようこそ。ホワイトローズへ。わたくしは団長のスゥイーリアです。本日はわざわざお越しいただき申し訳ありませんでした」
スゥイーリアはありがとうではなく申し訳ないと丁重に頭を下げた。
「別に大丈夫ですから。それで私になんの用で?」
有名人のスゥイーリアに謝られ、アルクは両手を振って大丈夫と表現する。
「どうぞ、お掛けください」
スゥイーリアに勧められアルクは椅子に座る。そしてテーブルを挟んでアルクの前にスゥイーリアが。ヴァイスは一礼して部屋を出る。代わりにメイド服の女性が入ってきてテーブルに紅茶とスコーンを置いた。そしてメイドの女性も静かに一礼をして部屋を出る。
ドアが閉まり、スゥイーリアが話始める。
「お呼びいたしましたのは我がパーティに入って頂きたく……」
「ごめんなさい」
アルクが言葉を遮って返答した。スゥイーリアは嫌な顔をせずに、
「ソロ活動をなさってるお聞きいたしましたが」
「今はパーティーを組んでいます」
「そうでしたか」
落ち込む様子もなくスゥイーリアはカップを口元へ当て紅茶を飲む。アルクにもどうぞと言って勧める。
「何人とですか?」
「私をいれて三人です」
「ではその方たちとご一緒にどうですか?」
アルクはめっそうもないと大きく首を強く振った。
「いえいえ、二人の内一人はイベント開催日に始めて初心者なんです。もう一人も中級者でまだ……」
スゥイーリアはソーサーにカップを置き、
「イベント開催日にですか。それはまたご不幸な」
「ええ」
アルクもカップを持ち、中の紅茶を口に含む。良い茶葉を使っているのか口の中だけでなく鼻腔にも香りが充満する。
「失礼ですが、どうしてその初心者の方とパーティーを?」
「リアルの友人で。そいつはなんかクラスのやつに誘われてプレイし始めたとかで」
「なるほどそれなら仕方ありません。わざわざお呼び出しして申し訳ありません」
「いえ、こちらこそご期待に沿えず」
アルクは紅茶を一口飲みソーサーにカップを置いた。
「ところで話は変わりますが貴女はこのイベントの意味をどのように考えておりますか?」
「意味ですか?」
スゥイーリアは頷いた。
「私は……正直わかりません。ロザリーが何者で何を考えているのか。実際、制圧戦の後に解放されるかどうか怪しいかな……とも考えています」
「わたくしもです。このイベントステージにもまだ不明な点は多くありますし。なにより参加者条件も不明。先程お仲間の一人が初心者方と言いましたよね?」
「はい」
「どうして初心者の方も含まれたのでしょうか? そしてこちらと向こうのパワーバランスもどうなっているのかもわかりません」
それはアルクも気になっていた。
「実のところ私たちのパーティーメンバーの半分もイベントに参加していないのですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。ですから臨時に人をメンバーに迎え入れようと思っていたのです」
なるほど。だから自分が選ばれたのかとアルクは理解した。
「でも私より強い方はもっといるかと思いますが」
「パーティーというものは強いだけでは駄目なのです」
スゥイーリアは目を伏せ、首を小刻みに振る。
「貴女の掲示板の書き込みを見ました。プレイヤー全員の身を案じた想いがひしひしと伝わりましたよ」
「そんな。適当に書いたようなものです」
アルクは恥ずかしく手を振り、否定する。
「いいえ。大抵のプレイヤーは秘密にするか、ざっくりとしたことだけを書くか。もしくは相手を煽るだけです。でも貴女は違います。自分が損になろうと情報をきちんと書き込みました」
スゥイーリアのはっきりとした物言いにアルクは気恥ずかしくなって目線をテーブルに向けた。
アルクはふとあることに気づいた。
「あの! カブキオオトカゲの狩りはしなくても大丈夫なのですか?」
「私たちのパーティーは二手に別れてカブキオオトカゲ狩りを行うことにしたのです。私は明日狩り出掛けます。一応、今朝がた一体だけ試しに狩りましたけど」
「そうでしたか」
そして話が止まり、沈黙が生まれた。
話もここで終わりかなと思い、残りの紅茶を一気に飲み、アルクは退出しようとしたその時、
「少し頼みごとをしてもよろしいでしょうか?」
「……なんですか?」
「実は今朝がたに変わったゼカルガと対峙したという情報を手にいれたのです。ただ情報に信憑性がなく。できれば明日、私たちのパーティーと一緒に調査をしてくれませんか?」
「でもそういうのは攻略班がやるのでは?」
その言葉にスゥイーリアは首を振る。
「実はさっき言った通り、人が少ないのです」
「何人ですか?」
「攻略班は……一人だけなのです」
「……それは、少ないですね」
普通、攻略班はメンバー数も多いと聞く。今回はイベント参加できなかったということか。一人だとせいぜい情報収集、整理くらいだろう。
「前に情報班でバイトや手伝いをしていた人は?」
「いいえ」
「それで私にその攻略班と調査をしろと」
「その攻略班も主に雑用を担当してた人なのでランクが低いのです」
「はあ」
「あ、その人と二人でってわけではありません。私たちのパーティーから一人お付けいたします。少々お待ちを」
スゥイーリアは端末を取り出し、操作する。
そして一分も経たないうち、ノックが。
「入ってください」
「失礼します」
入ってきたのは先程の黒いドレスの女性だった。
「彼女はスピカ。EXジョブ、ソードマスターを修得しています」
「ソードマスター!」
アルクは声を大にして驚いた。
ソードマスターはゲーム内で近接戦最強と言われて、修得者は一人と言われている。その一人が目の前に。ソードマスターはアルクが目指しているジョブでもある。
口を開け驚くアルクにスピカはにっこりと笑みを向ける。
「どうでしょうか? 明日彼女とゼカルガの調査をして頂けないでしょうか?」
あのソードマスターと一緒に行動なんて夢のようである。願ってもないことだ。通常ならすぐに返事をしたのだが今回はユウたちのこともある。
「一日だけお力をお貸しください」
最強のスゥイーリアとソードマスターのスピカが頭を下げる。ここまでされたら無下に断れない。
「わかりました。一日だけ」
○ ○ ○
「ふーん。それで断らなかったんだー。へー」
セシリアは不機嫌を表すように唇を尖らせた。
夕方を過ぎた頃、宿屋にてアルクが今日の出来事を語ったのだ。それを聞いてセシリアは不機嫌になった。
「ごめん。だから明日は二人でお願い。この埋め合わせはいつか」
アルクは手を合わせて頭を下げて謝る。そして、
「そうだ。夕食はまだだろう。奢るよ」
「ええ。お腹ペコペコよ。ねえ、ユウ」
本当は一時間前に軽食を取ったのだ。リアルなら苦しいけど。ここはゲーム内。満腹もなければ空腹もない。一応ここはセシリアの肩を持つことに。
「そうだね」
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