第19話 R-4 J・シェヘラザード

 その日は妻に起こされる前に花田は目を覚ました。


「あら? 今日は早いのね」

「まあな。こういう日もあるさ」


 リビングでは娘が朝食を食べ終えるところだった。


「今日も早いのか?」

「うん」


 娘はテレビに顔を向けながら素っ気なく答える。


「友達と約束だったわよね」


 妻がコーヒーを旦那の前に置く。


「またか? もしかして彼氏か?」


 何となく聞いたのだが、


「違う」


 と、今度は父親の方を向き答えた。年頃なのか親に対してすぐ目くじらを立てる。


「まさるちゃんだったよね」


 妻が取り直すように聞く。


「そっちじゃない」


 娘はごちそうさまと言い、鞄を持ちリビングを出た。


「あらあら」

「まさるは男の名前だろ」

「それじゃあ、えっと……」


 そこでドアがもう一度開けられた。


「めざまし鳴ってるから」


 と、娘はそう言い放ち、ドアを閉めた。

 花田は早起きしたから目覚まし時計を止めるのを忘れていたことを思い出して二階の寝室に向かった。


  ○ ○ ○


 花田のファインプレーのおかげで女子高生の数が僅かほどに絞れた。

 その結果、花田たちは女子高生の絞り込みではなく江戸川区の三崎大橋記念病院に向かっていた。


 病院の第一駐車場は混んでいて、道路を挟んで向こうにある第二駐車場に車を止めた。


 二人は病院の庭道を歩く。雲一つなく、いい散歩日和である。病院の庭は広く、地面は芝生でパジャマ服の小さな子供たちが看護師に見守られながらバルーンボールで遊んでいる。子供たち以外にもベンチに腰掛け談笑する女性患者たち、看護師に車椅子を押され庭を散歩する老人がいる。そんな風景を眺めながら病院施設へと進んでいた花田たちは一人の女子高生とすれ違った。女の子は頭や頬、腕、足に包帯を巻いていた。すれ違いざまに花田はちらりと女の子の顔を伺った。


 花田はしばらく進んでから後ろを振り返る。もうその時には女子高生の背中は小さく、敷地の外に出ようとしていた。その女子高生の背中を見て、花田は思案する。


「花田さん? どうしたんですか?」


 蒔田も足を止め尋ねる。


「いや、なんでもない」


 そう言って、また花田は歩き始めるが、やはりなにかが引っ掛かってた。


「なあ、さっきの女子高生だが……」

「すれ違った子ですか?」

「どっかで会ったか?」

「いいえ」

「なんか引っ掛かるな」


 娘の友達か? しかし、記憶に思い当たる子はいない。というか娘の高校の友達に会ったことがない。


「目撃された女子高生と似た背格好だからですかね?」


 そう言われて同じであったと気づいた。しかし、それだけだろうか?


「背格好は同じでもあれは黒の長袖だろ。さっきの子は……」


 白の半袖であった。

 そして花田は思い出した。あの服は……。


「娘と同じだ」

「え?」


 確か娘の制服も冬服は長袖だったはず。

 花田は病院の外に向かい全速力で駆けた。そして外に出て左右を見る。離れたところにバス停があり、丁度バスが来ていた。花田がバスへの足を向けたところでバスが動き出した。花田はなんとか止めようと走るも間に合わずバスは無情にも走り去る。


 バスの後部座席にあの女子高生の後ろ姿が見える。その後ろ姿は徐々に小さくなっていく。


「クソっ」


 花田は走るのを止め、膝に手をついた。

 別に彼女がくだんの女子高生と決まったわけではない。同じ条件のの女子高生は山ほどいる。だがなぜか花田の勘が怪しいと告げるのだ。


「は、花田さん、どうしたんでふか?」


 後ろから走って追いかけてきた蒔田が聞く。


「容疑者候補を逃がしてしまった」


 蒔田は呼吸を整えて、


「早とちりでは?」

「だといいんだかな」


 花田はもう視界から消えたバスをにらみ小さく言葉を返した。 


  ○ ○ ○


 二人はあの後、病院へと戻り、受付で身分と目的を話した。そして少し待たされたのち事務局長に案内され院長室に通された。院長室には担当外科医と院長、そして松本弁護士が。


 花田たちは松本弁護士を見て驚いた。なんと病院側の弁護士は田宮敏郎の経営する会社の顧問弁護士だったのだ。


 担当外科医と院長は挨拶した。しかし、弁護士のインパクトが強くて彼らの挨拶を聞き逃してしまった。


「どうしてこちらに?」

「偶然にもこちらの弁護士もしておりまして」


 と、弁護士は不敵に笑う。


「さ、どうぞ」


 院長が席を薦める。


「では田宮信子さんの人工補助脳の手術についてですが何かトラブルはありましたか?」

「いえ。何も」


 と、担当外科医はすぐに答える。


「では田宮信子さんが人工補助脳手術をした理由は?」


 担当外科医は一度、弁護士を窺い、


「痴呆が進行していたので」

「田宮信子さんは人工補助脳の手術後に両手足のサイボーグ手術を決めましたが、当時どう思いましたか?」

「どうとは?」

「年配の方が次々と体をサイボーグ化を決意したのですよ。異様に思いませんでしたか?」

「そんなことはありませんよ。誰だっていつまでも健康にいたいと思うでしょ」

「両腕、両足切断しないといけないんですよ」


 その質問に担当外科医は頬を撫でる。


「とは言ってもねえ」

「まあ、手術に関しては何の問題はなかったんですよ。ねえ?」


 院長が担当外科医に強く確認する。


「ええ」

「人工補助脳にドリームステーションが内臓されていましたけど。それも本人の希望で?」

「はい」

「痴呆対策としての記憶補助にしては、人工補助脳は大げさすぎませんか? ミア・ナータを選ばれたのどうしてでしょうか?」

「すみませんが守秘義務がありますので」


 と、弁護士が割って入った。


  ○ ○ ○


「あの弁護士、偶然なんですかね」


 病院を出て、すぐ蒔田が聞く。


「偶然じゃあないだろ」

「やっぱ、なんかあるんですかね?」

「なにかはあるな。ただそれが事件に関わりがあるかはわからんがな」

「次、どうします?」

「決まってるだろ」


  ○ ○ ○


 花田たちが次に訪れたのは江戸川区の隣、江東区にあるJ・シェヘラザード社だった。病院のあった江戸川区の隣の区なのですぐに辿り着いた。オフィスビルとは違い白い外装のビルで横に広い。敷地内にはビルが3つあり、それぞれは渡り廊下で繋がっている。そしてその内の2つは工場と倉庫である。二人の目の前のビルはその中で一番小さいビル。


「シェヘラザート社ってどこかで聞いたことがあるような?」


 蒔田は白いビルを眺め、腕を組み唸る。


「元フラットジパングだ」

「ああ、そうでした。中国企業に買収されたとこですね」


 受付で身分を証明しミア・ナータの商品責任者に取り次いでもらった。

 そしてわざわざ受付嬢から三階の会議室に案内された。会議室で待たされて数分後に彼らが来た。


「どうも。ミア・ナータ商品品質管理担当の孟です」

「私はカスタマーセンターの村田と申します」

「弁護士の黒木です」


 花田たちはまた弁護士かよと思ったがあの松本でない分、気が楽であった。目の前の弁護士は女性でどちらかというと新卒のOL風であった。


 しかし、弁護士から名刺を受け取り目をしかめた。そこには松本法律事務所と明記されている。


「お話はなんでしょうか?」


 花田たちがソファーに座ると孟がさっそく聞き始める。


「開発責任者は?」

「今は出払っておりまして」


 孟がすぐ返す。にこやかだが目が笑ってない。


「そうですか。では先日、田園調布でお亡くなりになった田宮信子さんが御社のミア・ナータをインプラントしていたのですが」

「事件ですか? はあ、その事件とうちがなにか?」


 孟がびっくりという顔で尋ねる。その顔も演技くさい。


「事件はご存知で?」

「それはもう物騒な事件ですし、ニュースでも連日報道されているでしょ」

「御社のミア・ナータで何か田宮信子さんとトラブルはありましたか?」

「まさか。ありませんよ。ねえ?」


 孟は村田に顔を向ける。その目は肯定を強調していた。


「……はい。そのようなことはありません」


 村田は恐縮したように答える。質問に答えるというよりか、質問にだ。


「田宮信子さんはご存知で?」

「いいえ」


 村田は額の汗を拭きながら首を振る。汗が一滴テーブルに落ちる。


「ではどうして田宮さんとトラブルがなかったと言い切れるのですか?」

「わが社は一度もミア・ナータで苦情は来ておりませんので」


 孟が村田に代わり目を細め、やんわりと答える。


「一度もですか? 世の中にはいちゃもんを突けてきたり、関係のないことで電話をする方もいらっしゃるのでは?」

「もちろん、そういうお客さまも中にはいらっしゃいますがきちんとした相談や苦情は今のところありません」


 孟がにっこりと笑う。


  ○ ○ ○


「あれは嘘臭いですよ」

「だろうな」


 孟は始終笑みを貼っていた。

 車を発信させる前に花田はナビを捜査する。


「どこに?」

「一駅離れた喫茶店だ」


 まず花田は錦糸町駅を入力するがすぐに消し、平井駅を入力し直す。そして喫茶店を検索。検索結果から駅からは近いが大通りの裏側にある喫茶店を見つけた。喫茶店名はカミーユ。花田はそこを行き先にと登録する。


「発進してくれ」


 蒔田がオート運転モードで車を発進させた。

 花田はスマホを取り出し、通話を始める。


「よう。お前んとこのミア・ナータの件で話がある。……ああ。すでに品質管理担当の孟に会ったよ。開発責任者に会えなかったからお前に電話してんだよ。できれば開発責任者連れてきて欲しいんだが。……無理か。……じゃあ、お前だけでも喫茶店に来てくれ。平井駅のカミーユというところだ」


 花田は通話を切りスマホをポケットに入れる。


「誰にかけたんですか?」

「妹だ」


  ○ ○ ○


 J・シェヘラザードから一駅離れた平井駅の喫茶店カミーユは大通りの裏にあり人通りも少ない道に面している。にも関わらず店内は七割ほど埋まっている。


 喫茶店カミーユで少し待つと茶髪のショートヘアーの女性が入ってきた。


「おう。こっちだ。早いな」

「近くで昼休憩とってたから」


 蒔田がアイスコーヒーのグラスを持ち、花田の隣に移動した。


「蒔田です」

「花田桃です」

「何か頼むか?」


 花田はメニュー表を桃に手渡す。


「いいの? 供述なんたらになるんでは?」

「利益誘導のことか? 取調べじゃあないんだし。俺は妹と会話をしているだけだ。もしかして何か世間に背くようなことでもしたのか?」

「私は何も」


 と、言って桃はアイスコーヒーを注文した。


「先輩、そろそろ話してくれませんか?」

「ん、ああ、こいつはJ・シェヘラザード社の社員で、……今も開発一課に身を置いている。……だったよな?」

「ええ。それよりどうして会社から離れたここに?」

「気を使ったつもりなんだがな。あとできればミア・ナータの開発責任者を連れてきて欲しかったんだが」


 アイスコーヒーが届き、桃はストローを差しこみコーヒーを飲み始める。


「さっき、お前んとこの会社に行ったんだがミア・ナータの件で開発責任者で会おうとしたけど会えなかったぞ」

「そりゃあ、きっと会っても何も言えないからでしょ」

「どうしてだ?」


 花田は眉をひそめた。


「だってそれうちで作ってるわけじゃないんだもん」


 桃は肩をすくめながらコーヒーを飲む。


「あ? いやいや、お前んとこだろ」

「assembleよ。だから実質販売元みたいなものよ」


 桃はストローを口から放し、ストローを摘まんで中のアイスを転がす。


「assemble? どっかで……」


 花田は額に指を当て記憶を探る。


「それって問題になったやつですよね。確か外国で作って日本で完成させたことにしてメイドインジャパンと銘記するっていう」


 蒔田が花田の代わりに答えた。


「そう。それよ」

「ああ、思い出した。でも、それって確か国会で持ち出さられただろ。そして確か、法改正されて厳しく取り締まられたんだっけかな?」


 中国で完成させ、わざと蓋を開けてそこにassembleシールを貼り、日本にある会社に送る。そしてシールを取り、蓋を閉じて再度中国に送る。それを中国本社は日本製と謳い販売するのだ。そのせいで悪質な不良品が出回り日本に風評被害をもたらした。そこで国会はメイドインジャパン銘記は協会、組合、連盟等に加盟している企業のみが可能とするようにした。しかし、それはそれで新たな問題を生んだりもした。ペーパーカンパニーが集って生まれた組合など。そして一年ほど前に大事件が発生し、ペーパー組合が社会問題にもなった。


「ええ。でもうちの件は日本企業を買収したもので法的にギリギリのラインなの。うちの社は協会に加盟しているからね」

「それじゃあミア・ナータは中国製か?」

「ええ。だから中身についてはさっぱりよ。前に社員が怪しいと思って調べたら、販売元がこっちなのにプロテクトがかかっていたのよ。ちなみにその子、親会社にその件について連絡したら次の日、クビになってたわ。孟が来たのもその頃ね」

「きなくせえじゃないか。ミア・ナータだけか?」


 花田は重くなってきた頭を手で押さえる。


「いいえ。ドリームステーション系は全部ね」

「うわぁー! それマジですか? それじゃあ……」


 蒔田と桃は会話を始めるが花田にはまるで聞こえなかった。二人がいる世界が遠いもののように。今、花田は別のことを考えていた。もしかしてという最悪なことに。血の気が下がり、喉の調子がおかしい。自分の体が自分のものでないような。


「ちょっと待った」


 二人がどのような会話をしていたのかわからないが変なとこで割って入ったのは空気で理解する。


「……お前、確か娘にクリオネ・デバイスを紹介したよな」


 花田はおそるおそる聞く。

 二年ほど前だったはず。花田は娘がVRMMOをプレイしたいからと言い、手術にサインしてくれ頼まれた。その時はそんな理由でサインできるかと突っぱねたが、その後でなんだかんだと説得されサインした。丁度VRMMOが若者の間で流行ってたこと。

VRMMOができないという理由でハブられるという話もあったこともあり許可をした理由わけでもある。桃には費用が少なく、かつ安全性のデバイスを紹介してもらった。それがクリオネ・デバイス。耳後ろの後頭部から直径2センチの穴を開け、そこからストロー状のパイプを差し、小さなクリオネ・デバイスを挿入れるだけ。部分麻酔の後、超極太い注射を打つだけと桃は言っていて、娘と一緒に医者からの説明を受けた花田もそう考えた。

 桃は目を逸らし窓の方を向く。


「そのデバイスもメイドインチャイナか?」

「ええ」


 悲しそうに眉を伏せ桃は答えた。そして、両手を強く握る。


「どうしてそんな危険なものを」

「私だって気づいたのは一年前よ。その頃には……」


 桃は下唇を噛んでくやしそうに答える。


「クリオネ・デバイスは大丈夫なのか?」

「今のところ問題は聞いてないわ」

「そうじゃなくて、怪しい点はないのか?」


 桃は一度目を伏せ、


「怪しい点は、……あるわ」


 花田は反射的にテーブルを叩いた。大きな音が立ち、グラスが揺れた。店員や他の客が驚き、振り向く。


「あ、すみません。大丈夫でーす」


 蒔田が代わり謝った。


「できるだけ調べておくわ。ミア・ナータもクリオネ・デバイスも」

「当たり前だ」


 花田は険しい顔をして、強く歯を食い縛る。

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