第51話 不思議な消失と不気味な出現
その後、俺はサーシャの後を追って闇の中を奔走したのだけれども、彼女に追いつくことはついになかった。彼女は闇の中に忽然と、姿を消してしまったのである。
何があったのだろう、何を見たのだろう──俺は彼女が何を思って駆けだしたのかすら分かっていなかったのだ。
湖沿いの遊歩道を当てもなく彷徨い、山の向こうから登ってきた月明かりの下で彼女を探す。ロマンあふれる情景だが、俺は動揺してそれどころではない。
「もしかしたら、宿の方に戻ったのかもしれない……」
俺は一つの可能性として口に出してみたが、内心では全く信じていなかった。何かあったに違いない。事故なのか何なのか、それは分からないけれど、何かがあったのは間違いない……。
俺は人通りのない暗い道を、迷子の子供のような心境でとぼとぼと歩いた。剣は抜身のままにして、周囲を注意深く警戒しながら──はたから見れば俺自身が、何らかの不審者に見えたに違いない。
サーシャを探し始めてから二十分ほどたった頃。俺は自分の視界の中に、とある奇妙なものを見た。
俺の数十メートル前方に、紫色の光がゆらゆらと揺れているのである。俺は直ぐに警戒態勢を取って、だらりと下げていた剣を前方に構え直した。
「……なんだ?」
揺らめきながら燃える光は、次第に俺との距離を詰めてくる。いよいよ俺が剣を握る手に力が入る。一体何なのだ? サーシャなのか? いや、彼女は暗闇の中で紫色に光ったりはしていなかった……。
目視で十メートルほどの距離に差し掛かったあたりで、おれはさらに奇妙なものを目撃することになる。
それは……形容しがたかった。なんと表現したらいいのか分からない。あえて端的に言うのであれば、凄まじく不気味な物体である。
紫色の光に照らされて、白い人型の影が闇の中に浮かび上がる。人の形状をしているが、明らかに人間ではない。遠めに見ても、何かしらの人工物であることは明らかである。
そして何より異様なのはその頭部である。人間の顔が来るはずの所に、奇妙なウサギの着ぐるみのような顔が乗っている。細くて白みがかった裸体の上に、笑顔のウサギの顔である。不気味としか形容しがたいその風体に、俺は思わずうおっ、と叫んだ。
「なんだお前は! なんなんだお前は!」
恐怖を振り払うように俺は叫ぶ。その謎の人物は、十メートルほど前方をひたひたと、俺の方向目掛けて歩み寄ってくる。
よくよく注意して見てみると、最初に見た謎の紫色の光は、その人型の手の先から発せられていた──奴の両手は紫色の炎に包まれて、闇の中に怪しく揺れているのである。
「止まれ、お前! 一体何なんだ? サーシャが見つけたのもお前か? 彼女はどこに行った?」
俺は矢継ぎ早に質問を投げる。人型はただただ沈黙を保ったまま、前進する足を止めようとしない。
この奇妙な状況に説明を加えてくれる人はいなかったけれども、俺には確信があった。ヤバい。目の前のこいつは、かなりヤバい。
サーシャがどうなったか分からないが、ここままでは俺がどうにかなってしまう。俺は戦闘に対する覚悟を固めて、剣を上段へと振りかざした。
その瞬間である。そのウサギのような何かは、突然俺目掛けて突進を始めたのである。俺はまっすぐに剣を振り下ろす──ことが出来ればよかったのだが、あまりの異様さに驚愕して、思わず一歩退いてしまったのである。
そして、その判断が間違いだった。俺は足元の小石につまずいて、バランスを崩した。体勢が崩れて後方に倒れこむという瞬間に、その人型はあっという間に距離を詰めてきた。
その不気味な表情! 暗闇の中でニタリと笑うその顔!
全身の鳥肌が立つのを感じたが、どうすることも出来なかった。俺が地面に倒れこむ寸前、ウサギ顔は俺の顔面に向かって鋭いパンチを繰り出してきた。剣を振り上げたままの俺は防御態勢も取ることが出来ず、奴の打撃をまともに受けてしまった。
鈍い痛みが額に走る。俺は思い切り地面に叩きつけられ、ダメ押しとばかりに後頭部を強かに打ち付けた。意識こそ失わなかったが、凄まじい激痛に視界がクラクラと揺れる。俺は地面に倒れ、頭を抱えたままのた打ち回った。
本能が警笛を鳴らしていた。俺は地面に倒れた剣を杖代わりにしてほうほうと立ち上がって、霞んでいる視界を目で擦った──俺を殴打した謎の人影は、突然俺に対して興味を失ったかのようにその場を立ち去っていった。
「……ま、待て!」
俺は負け惜しみのように叫んだが、その人影はこちらに一瞥もくれることなく、再び闇の中へと姿を晦ましていく。
すぐさま奴の背を負うべきなのは分かっていた。しかし、動揺と恐怖心で足が動かないのだ。結局、奴の姿が完全に消えてしまうまで、俺は強風にゆすられる雑草のように、フラフラと力なく揺れているだけだった。
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