第52話 広いベッドの上で

 俺は逃げ延びるようにその場を離れ、駅前の宿の方向目指して歩き始めた。頭の前と後ろがヒリヒリと痛んではいたが、視界の揺れと足のふらつきは次第に収まってきた。


 ──結局サーシャの姿を見つけることは出来なかった。何度も周囲を見回しながら彼女の名前を呼んだけれども、その度に重々しい沈黙が帰ってくるだけだった。湖を殆ど一周してしまい、俺はそこで彼女の捜索を打ち切って、別の可能性に縋るよりほかになかった。


 サーシャは闇の中に何かを見つけ、懸命に追いかけたが捉えることが出来なかった、俺の元へと帰還しようとしたが、俺の方も場所を移動してしまったので入れ違いになってしまった──信憑性の低い説だと自分自身理解はしていたけれども、信じるしかない。


 息を切らして駅前通りまで戻ってくる。宿の受付で眠たそうな表情のクラマースを見つけると、


「サーシャさんは戻ってきていますか?」


と自分でも驚くほどの声量で問いかける。


「サーシャちゃん? ……いいや、特に見ていないが」


 いやな予感が現実味を増してくる。俺は急いで俺たちが確保している部屋へと戻った。そこにはやはりサーシャの姿はなく、夜の静寂さが満ちているだけだった。


 俺は不安感で叫び出しそうになるのを必死に押さえつけながら、考える。どうすればいい。どうしたらいい……。冷静にならなければ。こういう時こそ冷静に……。


 俺は直ぐに部屋を出て、受付のクラマースに通信機を貸すように頼み込んだ。彼は眉を吊り上げて俺を睨んだが、特に何も言わずに受話器を手渡してくれた。俺は記憶を必死に辿りながら、連絡が付く人間──唯一連絡先を知っている、オスローの番号にかけてみた。


「はい。十二剣聖のオスローですが」


「オスロー! ……さん。今大丈夫だろうか」


「……レイル君? どうしたのこんな時間に」


「なんと説明したらいいやら。ちょっとした緊急事態なんだ。今、バイネルという場所にいるんだけれど」


「バイネル!?」


 受話器の向こうでオスローは弾けるような声を出した。


「なんでまたそんな場所に? あなた一人?」


「いや、二人で来たんだ。ついさっき、相方が行方不明になったんだが……」


 俺は事の次第をオスローに事細かに説明した──サーシャに半ば強引にバイネルまで連れてこられたこと、彼女が夜の湖畔で何かを見つけどこかに消えて行ってしまったこと、謎のウサギ顔に襲われて負傷したこと……。


「それって、不味いんじゃない?」


「ああ、相当不味いと思う。こんなことを聞くのもあれだけれど、俺はどうしたらいい?」


「"剣聖"の一角が行方不明になるなんて、緊急事態もいいところ。……とりあえず、私はアメリア様に連絡を入れてみる。ちょっと待ってて、また掛けなおしてみる」


 オスローは落ち着き払った声でそういうと、俺との会話を打ち切った。


 俺は受付近くの椅子に腰かけて、俯いた。俺の責任かと言えば恐らく違うような気がするが、妙な罪悪感は心の中に滲んでいる。俺はオスローがとっておきの案を引っ提げてくるのを、暗い表情で待っていた。


 数分ほど経った後──受付の通話機が受信を知らせるベルを鳴らした。


「もしもし、オスローか?!」


 俺はクラマースが手を伸ばすよりも先に受話器を取って耳に当てた。しかし声の主は、別人だった。


「……フフフ、残念でした。違いますよ」


「……! あなたは……アメリア……様?」


「ええそうです。よかった、覚えてもらえて」


 忘れるわけもない。あの威厳と威圧感に満ちたあの声を。


「サーシャがいなくなったと聞きました。それと、変な人形を見たとかいう話も」


「ええ、そうなんです。なんでも、"呪いの人形"とかいうのがバイネルで目撃されているという噂があって、サーシャはその調査を依頼されていたとのことで。色々あって俺も同行することになったんですが、調査活動中に彼女を見失いまして……」


「そうですか」


 アメリアは分かったのか分からないのか、どっちともつかないような淡泊な返答を返した。


「十二剣聖が行方不明になるなど、あってはならない大変な事態です。明日の朝、適当な応援をこちらから派遣することをお約束しましょう。さて、それで私から聞きたいことがあるのですが」

 

「な、なんでしょう?」


「あなたが見たという人形……どんな感じでしたか?」


「どんな感じ……とは?」


「なんと表現すればいいかしら? 雰囲気とか、趣とか、特徴とか、何となく印象を語ってくれればいいんですが」


 アメリアはなんだか言葉に困っているようだった。俺も頭をひねったが、あの不気味な造形を上手く表現できる語彙は俺にはなかった。


「なんというか、ひたすら悪趣味な感じでした。特にあのウサギの顔が、暗闇の中で見ると不気味で不気味で……」


「……ウサギですか。うーん、意外と言うかなんというか」


 彼女は感慨深そうにうんうん、と声を出した。俺にはその行動の意味は推し量れなかった。


「まあ、とりあえず休んでください。シュトラから帰還して、すぐにバイネルに直行では、疲れも溜まっているでしょう。明日の朝、あなたの宿泊場所に応援を向かわせますから、それまで待っていてくださいな」


「……分かりました」


 アメリアは最後にフフフと意味深な笑みを俺に聞かせて通信を切った。俺はクラマースに例を言って、上階の部屋へととぼとぼと戻っていった。


 泥のついた服を脱いで、シャワーを浴びる。自分を責めるように熱いお湯を全身に浴び、逃げ出すようにシャワールームを出る。備え付けの寝間着を羽織って、巨大なベッドの上に体を放り投げた。


 俺一人では巨大すぎるベッドだった。俺は大の字に倒れこんだまま、目を閉じる。目が覚めた時には、何か事態が好転しているということを夢見ながら。昨晩はサーシャが眠っていて窮屈な気分に苛まれていたのに、この日は妙な寂寥感すら覚えて、中々眠りにつくことが出来なかった。

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