第46話 再出撃

 あまりにも慌ただしい出立だった。


 警備部にある自分の部屋──まだ大して寝泊まりしておらず、特に愛着も湧きもしない空間──に戻ってから、持ち帰ったカバンの中身を整理する。


「戦いに行くわけではありませんから、服でも持ってくればいいですよ」


とサーシャは軽くそう言い放った。……そもそも入念な準備などしている時間的猶予はない。東部基地で洗濯して折りたたんだ衣服をそのままにして、再び基地の外へと急ぐ。もちろん、口やかましい黒の刀は腰につけたままで。


 本部基地の門を潜ったところで、駅の方向から歩いてくるチリンの姿を見た。彼女は俺にニコリと笑いかけて、


「そんなに慌てて、どこに行くんです? これから戦勝祝いで、警備部の方々とパーティーでも開こうと思うのですが、あなたもいかがです?」


「そりゃあ素晴らしい提案だが、悪い。今から直ぐに出かけなければならないんだ。命令でね」


「命令?」


 チリンはむっとした表情で首を捻る。


「命令って、戦場から帰ってきたばかりではないですか。まだ疲れも癒えてないでしょう? 誰がそんな非常識な命令を? "十二剣聖"の権限で断ってやります」


「残念だが、命令者もその"十二剣聖"だ。サーシャという人でね」


「うっ……"剣聖"からの命令ですか……」


 憤慨していたチリンの表情が、みるみる自身なさげに曇っていった。


「サーシャちゃんは"第十四剣"。私よりも階級が上です。上の階級からの命令を覆すことは……済みません……」


 チリンは申し訳なさそうに頭を下げた。


「いやいや、あなたが謝ることでは……。それに、モラートに聞いた話だと、これから向かうバイネルという場所は、それなりの観光地だとか。気晴らしのつもりで行きますよ」


「そうですか。どうかお気をつけて。また帰ってきたら改めて祝勝会をしましょうね」


 俺は軽く頭を下げてから、名残惜しさを振り切るように駅に向かって走り出した。道中ちらと振り返ると、チリンが俺の背中に向かってひらひらと手を振っていた。


 既に太陽が西に傾き始めていた。息を切らしながら駅前広場に辿り着くと、サーシャは相変わらず不思議な表情で佇んでいた。


「来ましたね。さあ、行きましょうか」


 肩で呼吸をして息を整えている俺を見ながら、サーシャは特に思い悩む様子も見せずに出発を宣告する。彼女は丸っこいカバンをガラガラと引きずって、ホームに止まっている黒い列車へと歩いて行ってしまう。余りにも俺の方を気にしない態度にむしろ感動すら覚えながら、俺は彼女の後を追った。


 俺たちが乗り込むと、列車は厳かな音を立ててゆっくりと動き出した。


 車両の中には俺とサーシャ以外にほとんど乗客がいなかった。サーシャは俺の目の前に座り、不思議なものでも見ているように目を丸くして俺の方を見ている。


「……見る限り、華奢な少年のようにしか見えませんが」


「俺のことか?」


「そうです。チリンさんが報告していたような大立ち回りができるような人には見えませんけれど」


 実際"呪い"の力を借りたインチキであるのだから彼女は正しい。しかしその感想は、そのままそっくりサーシャにお返ししたくなる。袖口からのびるスラリとした手は、剣など持ったことも無さそうにほっそりとしている。


 しかし、彼女の荷物の中には赤紫の長い鞘が含まれていた。言われるまでもなく、あれが彼女の持つ"聖剣"なのだろう。彼女もまた、オスローやチリンのように化け物じみた能力を持っているに違いないのだ……。


「あなたも、"聖剣"に選ばれた人間なんでしょう? どんなことが出来るんですか?」


 俺は何の気なしに尋ねてみた。するとサーシャは目を僅かに細めて、


「聖剣の詳細について尋ねたり、公言したりするのはダメなんです。イスカさんに怒られます」


「そうなのか?」


「実はそうなのです。皆さん割と平気で手の内を晒しますが、本来は慎重に扱うべきものなのです」


 サーシャはやれやれと呆れたように首を振る。


「じゃあ、他の人が何ができるかについても知らされていないということか」


「噂には聞きますけれど、殆ど知りませんね。私の能力も、殆ど他人には話していません。乙女の秘密です」


「そうなのか」


 彼女がそう言うのだから、それ以上詮索するのも悪かろうと、俺はそこで会話を打ち切ったつもりだった。しかし、しばしの沈黙を挟んだ後、


「気になりませんか、私の聖剣」


と言いながらサーシャがこちらをチラチラ見るのである。


「……聞いてほしいのか?」


「そういうわけではありません。好奇心の有無を尋ねただけです」


 俺は正直なところ、興味がなかった。平時ならいざ知らず、旅からの帰還と再出立で疲労困憊していた俺は、むしろ早く会話を止めて眠りたかったのだ。


 しかし、俺の願いを邪魔する奴がいた──急に顔面の自由が利かなくなったかと思えば、


「教えてくれるのなら、君の剣について是非知りたいんだ」


と勝手に俺の舌が言うのである。間違いなくミーンの仕業だった。


「気になりますか。そうですか。でも言いません。姉やイスカさんに怒られますからね」


 サーシャはニヤッと笑ってそういうと、更に一言付け加えた。


「まあ、あなたと戦うことになれば、否が応でも知ることになりますけれど」

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