第47話 バイネルの風景
列車がバイネルに付いた時には、すっかり太陽も沈んでいた。
駅から延びる大通りは、数多くの街灯と店から漏れる光でとても明るい。若い男や女の集団が、大声を上げながら街を闊歩している。成程噂通り賑やかな場所である。
「急にやってきたはいいが、何所に泊まる気だ?」
「その点は大丈夫、既に無理を言って宿泊場所を確保してあります」
無理を言って、という言葉に若干引っ掛かったが、俺は素直にサーシャの後に付いて行った。駅から歩いて数分、やや古ぼけた外装の建物の前で彼女は立ち止まり、
「ここですよ」
と言って中に入っていった。
「クラマースさん、ご無沙汰しております」
サーシャが受付に声を掛けると、ぼんやりと煙草を吹かしていた眼鏡の男がこちらの方をじっと見た。
「……サーシャさん、もっと早く言ってくれればよかったのに。今日いきなり来るって言ったって、こちらにも準備というものがあるんですからねえ」
男は厭味ったらしい口調でそう言った──今日連絡を入れたのだとしたら、至極当然な態度であろう。
「済みませんね。今日いきなり決まったものですから」
「前来た時もそうだったでしょう? まったく、突発で物事を決めないほうがいいって以前言ったはずですが」
「おや、そうでしたか。それは失敬、失敬……」
口ではそういうものの、あまり悪びれていない様子でサーシャは受け付けの書類にサラサラと書き込んでいる。クラマースという男も、呆れてはいるものの、それほど本気で怒っているようには見えない──二人の関係性は知らないが、恐らくは気心知れた仲なのだろう。
「それで、その男は誰ですか」
男の視線がこちらを向いた。サーシャもちらりと俺の方に視線を投げて、
「……なんでしょうね? 面白そうだから連れてこさせたんですが」
「同行者ですか? 電話口で言った通り、部屋は一つしか準備していませんよ?」
「それでいいです。彼は私と同じ部屋に泊まります」
「えっ!?」
青天の霹靂! 何を言い出すかと思えば……。俺は思わず受付に近寄って話に割り込む。
「えっ、その部屋って、ベッドが二つあるんですか? いや、それでもちょっと……」
「いや、デカいベッドが一つあるだけだ」
クラマースはあっさりとそう答えたが、俺の心はかなり動揺していた。
「なんですかその顔は。私と同室がそんなに嫌ですか」
「いや、むしろお前は嫌じゃないのか? 昨日今日あったばかりの人間が隣になんて……」
「自分が襲い掛からないか心配しているのですか? でしたらそれは杞憂です。私は常に聖剣の力に守られていますからね。変な気を起こせば、後悔するのはあなたですよ」
「そんな気は一切ない。無いけれど……こう……」
クラマースは訝し気な表情で俺を見ていた。この二人、どういう関係なのだろうかと怪しんでいるのだろうか? しかし俺自身、なぜこんなことになっているのか理解できていないのだ。
サーシャは部屋の鍵を受け取ると、荷物を持って階段の方へとさっさと歩いて行ってしまう。俺は背中にクラマースの視線を痛いほど感じながら、ぎくしゃくした歩様で彼女に付いて行く。
急遽確保された二階の部屋は、全体的に落ち着いた配色のきれいな部屋だった。美しい木目に彩られた内装、天井からぶら下がる美しいシャンデリア風の照明。それと、部屋の隅にデンと置かれた巨大なベッド……。
「"呪いの人形"の目撃情報は夜。というわけで、今は絶好の時間帯なのですが、流石に今日は小休止にしましょう。……外においしい店があるんです。ちょっと遅いですが夕食にしましょう、そうしましょう」
「……ああ」
混乱と疲労がピークに達していた俺は、特に反論するでもなく彼女の提案に従うことにした。
僅かばかりの荷物を宿に残し、煌びやかな歓楽街へと赴く。サーシャはぼんやりと周囲を見回して、とある小さな洋食屋へと近づいて行った。彼女が店の玄関を開くと、
「おお、サーシャちゃんじゃないか。久しぶりだね!」
と恰幅のいい女性が大声を上げる。
「お久しぶりです。いつもの、二つお願いします」
「あいよ! ……おや、連れの彼は誰だい? もしかして、サーシャちゃんのボーイフレンドかいな?」
「そんなところです」
「おい!」
「冗談です。窓際の席をお借りしますね」
サーシャは店の一番奥にある席に腰掛けて、窓の外の風景をうっとりとした表情で眺め始めた。
「ここからの風景も大分変わりましたね。随分と眩しくなったというか……」
「……というか、ここには何度も来ているのか? 宿の人も店の人も、随分と親しげだったけど」
「そうですね。もう何度目でしょうか。数えるのも億劫です。何しろ私もクエリも、このバイネルの出身ですからね。"剣聖"に抜擢されてからはずっとエントラに暮らしていますが、魂の故郷はこのバイネルですから」
サーシャはそう言うと、ウェイターが運んできた冷水をグイっと勢いよく飲み干した。
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