第40話 勇敢なる剣聖

 チリンに手を引かれ、俺は夜の空を駆けた。


 地上を見下ろすと、赤や黄色の明滅が星のように瞬いている。風切り音に紛れた破裂音から察するに、恐らくは友軍がリーベルンの軍を押し返しているのだろう。


「あの変な砲撃さえ止められれば、こちらに負ける道理はありません」


 チリンは下方を見ながら、安心したような表情を見せていた。


「加勢しなくても大丈夫かしら?」


「……問題ないでしょう。既に敵軍も撤退を始めているとのこと。流石にこれ以上何かしてはこないでしょう。敵の大将も倒したことですし……」


 チリンが片手の剣を軽く振るうと、三人の体が下降し始めた。落ちていく先には眩い照明に照らされた拠点基地がある。その段になってようやく、俺の心の中に、助かった、という実感が湧いてきた。


「オスロー様、チリン様、ご無事で……」


 地表にフワリと降り立った俺たちを、焦ったような表情を浮かべてリースたちが出迎えた。


「割と間一髪だったけど……チリンが駆けつけてくれたから」


「いやいや、一番重要なところを任せてしまいましたから……。私は大したことはしてません。オスロー様には感謝しかありません」


 チリンは謙遜してそう言うと、彼女の持っていた聖剣を鞘の中にしまい込んだ。




 伝令手がリーベルンの完全撤退を報告すると、兵士たちはようやく安堵して各々の銃を下ろした。俺は帰還して直ぐに医務室に運ばれて怪我の治療を受けた。


 服を脱いで全身を眺めてみると、多少の切り傷こそあれ、問題となるような負傷は見当たらなかった。これはむしろ、不自然にも思えた。俺の記憶の中には確かに、あの謎の少年を道連れに自爆した映像が残っていたのだ。傷がないどころか、木っ端みじんになっていてもおかしくない。


 不発だったのかとも考えた。だとすると、あの少年が姿を消した理由が分からない。あの時何があったのか……俺の中には再び奇妙な謎が残ったが、少し考えて分かるような問題でもあるまい。


 きっと、"呪い"のせいなのだろう──俺はそんな安直な結論を付けて、それ以上考えるのをやめにした。


 看護室には俺以外にも、大量の負傷者が運び込まれていた。モラートも全身に包帯を巻いて、俺の近くのベッドの上に寝ころんでいた。


「数こそこちらのほうが有利だったけど、あの訳の分からない砲撃に怯えていたからね。いつもの数倍は、やりにくかった」


 彼はやれやれと言った表情で、絆創膏の張られた手の甲を撫でていた。


「けれど……チリン様が最前線に立たれてね。"聖剣"の力で僕たちを庇いながら戦ってくれたんだ。流石、"十二剣聖"の一人。エントリア防衛の最重要戦力。まったく、惚れ惚れするよ……」


「まったくだ」


 俺もモラートの言葉に素直に同意する。彼女の助けが入らなかったら、俺もオスローも……非常に危なかったかもしれない。俺が心の中で彼女に感謝を言葉を捧げていると、まるでそれを聞きつけたかのように、チリンが看護室に姿を現した。


 看護室の患者たちは一斉にチリンのほうを向いて、女神の降臨を目の当たりにしたような表情で彼女を見つめていた。彼女は病床に一つ一つ歩み寄っては、慈しむような表情で何やら声を掛けていた。


「お優しい方だよなあ。出てくる言葉こそ力強く逞しいけど、下々への尊敬と温かみに満ちている……」


「ああ? ……ああ……」


 俺はチリンが、皆の前では厳しい指導者のように振舞っていることを思い出した。あまりに不安げな表情ばかり見ていたのですっかり忘れていたのだった。


「……でも、けっこうネガティブ思考だぜ、あの人」


 俺はモラートにそう言った──とっておきの秘密を得意げに話す子供のような心持で。




「大丈夫ですか、レイル君?」


 そのうちに俺の所までチリンがやって来た。俺は無理やりに笑顔を作って、


「問題ないですよ。おかげさまで」


「そうですか、それなら安心です。けれども今は、安静にしていてください。……後で、向こうであったことの詳細を伺うことになりますが、ご協力くださいね」


「ええ。俺も語りたいことは山のようにありますから。それと、約束の件、考えておいてください」


「約束?」チリンは一瞬、きょとんとした表情を浮かべたが、ぽんと手を叩いて、


「アメリア様に……という話ですか」


と少し真面目な表情になって言った。


「無事仕事を終わらせました。とりあえず、ダメ元でも頼んでみてはくれませんか?」


「確かに、約束でしたからね。……三日ほど後で、片づけを東部基地の方に任せて我々は撤退し、エントラへと戻ります。その時に打診してみましょう。前にも言った通り、私のような下っ端の意見を聞き入れてくれるかどうかは確証がありませんが……」


 チリンはそういうと、小さくお辞儀をしてから俺の前を去り、隣のベッドの患者に向けて話を始めた。やっぱり根はネガティブなんだな──俺たちを助け出したときの勇猛果敢な表情とのギャップに、なんとも言えない面白さが湧き上がってくるのだった。

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