第39話 舞う風、堕ちる火
今度こそ完璧に、俺の剣は奴を捉えた──そう思った。
「……何っ!?」
まるで水風船に刃を突き立てたかのように、切り口から大量の水が勢いよく噴き出した。俺は異様な反応に驚いて飛びのいた──地面に倒れこんだヒンテルの体は、まるで噴水のように水を天へと噴き出し続ける。
「……まさか、分身?」
オスローが険しい表情でそう言うと、俺たちを嘲るような口調で、
「何を驚いている。君たちにもできることを、私が出来ないとでも思ったのか?」
と頭上から声がした。驚いて見上げると、俺たちを取り囲んでいる背高の柱の上に腰掛けて、ヒンテルが歪んだ笑顔を浮かべて見下していた。
「いつの間に入れ替わったの……いや、それより……」
オスローは水を噴き出し続けるもう一人のヒンテルの体を睨んでいる。……嫌な予感がする。このヒンテルの"分身"は、俺たちの攻撃を躱すためだけの代物ではない──俺の直感が警鐘を鳴らしている。
「二人がかりとはいえ、なかなかどうして素晴らしいじゃないか。特に……」
ヒンテルの眼は俺を……いや、俺の握っている剣に釘付けになっていた。
「お前のその剣……どうやら"聖剣"の類ではないようだが……フフフ、大変興味深い。出来ればもう少し堪能していたいところだが……残念だが時間が足らない」
柱の上に立ち上がったヒンテルは、空中に文様を描くように剣を振るった後、
「──呪法、『雨葬』(レイン・ブリアル)」
と呟くように言った。
瞬間、俺たちを取り囲んでいた青い柱が突然変形を始めた。雨が降りこんでいた穴は柱によって塞がれ、ヒンテルの姿も柱の向こう側に見えなくなった。その間、俺もオスローも激しく鳴動する地面に立っているのがやっとで、奴の姿が完全に消えてしまうまで殆ど何もできなかった。
「水の出口を完全に塞いだ。お前たちの前にある身代わりは、これから延々と水を吐き出し続ける。名残惜しいがそろそろお別れだ。……水が完全に満ちるまで、精々魚のように泳ぐがいいさ」
「なんだって!?」
ヒンテルの声が止み、身代わりが水を噴き出すゴオゴオという音だけが響き渡る。奴の言う通り、逃げ場を失った水がかなりの速さで足元に溜まり始めた。このままでは水がこの空間を完全に満たし、溺れ死ぬのも時間の問題である。
「オスロー! 早くこの檻をぶっ壊さないとまずいぞ!」
「分かってる! でも……」
俺は柱の傍まで駆け寄って、思い切り剣を振り下ろした。しかし尋常な硬さではない。剣はあっけなくはじき返されて、手がビリビリと痺れるだけである。
「オスロー、お前の炎の力で何とかならないか?」
俺は情けなく縋るように問いかけるが、オスローは険しい表情のまま首を振る。
「こんなに大量の水、それにこの閉鎖空間……聖剣の力が鈍ってる! こんな時に!」
「本気かよ……」
水は二言三言の会話の間に、水位は既に膝まで迫っていた。もはや余裕はない。しかし打開策もない。どうしたらいい、どうしたらいい?
オスローはしかし冷静に、懐から取り出した懐中時計を見て俺に言う。
「……けれど、三分! 拠点に連絡を入れてから三分が経っている。時間稼ぎは既に完了した!」
「何を言っている、オスロー!」
「援軍がもうすぐ来るってことよ。……!」
オスローは突然何かに気が付いたように、檻のある方向を見つめて静止した。そして、叫ぶ。
「……伏せて!!!」
俺は溜まりに溜まった水に向かってダイブした。ザブン、と全身が水に塗れるのと同時に、俺の頭上を何かが高速で通り過ぎるような感覚があった。そして遅れて──透き通りような金属音。
キイィィィンン……
何が起こったのかは直ぐに分かった。俺たちを閉じ込めていた青色の檻が、切断されたのである。檻の上部は宙を舞って、その切れ間から外が見えた。
そして、その切り裂かれた空間から人影が侵入してくる。濃緑色のコートに身を包んだその影は……
「お待たせしました。十二剣聖"第十二剣"、チリン・ベルコート参上いたしました!」
……剣を左手に構えて飛び込んでくる、真剣な表情のチリンだった。
「ナイスタイミング!」
オスローは途端に表情を明るくして、チリンに向かって声を掛けた。
「オスローさん! レイルさん! 直ぐに私に掴まってください。直ぐにこの場を脱します!」
チリンの勇敢な声に押され、俺は溜まった水を描き分けながら彼女の元へと駆け寄った。俺がチリンの右手を掴み、オスローは俺の手を両手で握った。
「さあ、飛びますよ! 絶対に手を離さないでください」
「飛ぶ?! 一体どういう……」
俺がチリンに尋ねるより前に、彼女は檻の外側に向けて駆けだしていた。三人手を掴んだまま檻の外に出ると、リーベルンの兵士たちが銃を構えて取り囲んでいた。
「……まさかもう一人"剣聖"がご訪問とは……構わん、さっさと撃ち殺せ!」
どこからかヒンテルの絶叫が聞こえる。兵士たちは一斉に銃口を向けて、引き金に手を掛ける。
チリンは左手の剣を徐に振り上げると、
「……行きますよ!」
と叫んで振り下ろす。
──突然足元から爆風のような風が立ち上り、俺たち三人の体は凄まじい勢いで空高くへと打ち上げられた。空気抵抗で顔が歪み、視界が霞む。空中でくるりと体勢が変わり、視線が地面の方を向く。……気が付けば、俺たちの体は百メートルはあろうかという高さまで飛翔していた。
「なんだ? 何が起こった?」
俺が驚愕に冷や汗を掻いているのと対照的に、オスローは気分よさそうな表情である。
「彼女の"聖剣"の能力よ。風を操る"剣聖"、チリン・ベルコートの力ってわけ!」
オスローが芝居がかった口調でそういうと、チリンは少しだけ頬を赤らめて、
「まだまだ未熟ですから……。ゴホン。……このまま東部拠点へと帰還します! 既に全軍に前進命令を出しています。リーベルンの連中を押し返すのも時間の問題でしょう」
「ええそうね、そうすべきだと思う」オスローはいつの間にか鞘に収めていた剣を再び抜いた。「だけど、ちょっとだけお返ししましょう」
オスローは地上の一点──チリンによって切断された檻の上に立っている、豆粒ほどの大きさのヒンテルを睨みつけていた。彼女は剣先を地表に向けて、瞑想するように目を閉じたまま、
「──炎舞、『閃光花火』!」
と絶叫した。
いつぞや見た時と同じく、オスローの橙色の剣が炎を噴き出し、剣先に火の玉を作り出す。しかし今回は、大きさが俺の身長をゆうに超えるほど巨大だった。
露を払うように剣を軽く振るうと、火の玉はオスローの剣先を離れ、ヒンテルが立っている場所へと一直線に落下していき……
──カッ!!!ドドドドオオオオオオゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!!!
……凄まじい爆音と光を発して地表近くで炸裂した。
爆風は周辺の木々をもなぎ倒し、ヒンテルの檻を中心に、かなりの広範囲が真っ白な光に包まれた。そのあまりの凄まじい威力に、俺はもはや恐怖感すら湧き上がっていた。
「……やりすぎでは?」
しかしオスローは剣を再び納刀しながら、
「これくらいで十分よ。あれだけやってもどうせ、あの人たち死なないわ」
と涼しい顔で言うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます