第23話 第十二剣 チリン・ベルコート

 リースは明後日の準備をしておけと俺たちに言った──しかし、具体的にどんな準備をすればいいのか、新米の俺には見当もつかなかった。


「……取り合えず話を聞く限り、服でも用意した方がいいんじゃないか? エントラの城下町に安い服屋がいくつかあるから、そこで仕入れてくるといい。……なに、金がない? 大丈夫。警備部へのツケということにしておけば、予算管理部の人が適当に処理してくれるさ」


 モラートは別れ際に、そんなアドバイスをくれた。成程確かに、俺は服らしい服を持ち合わせてはいない。旅に出るのに──いや、決してそんな呑気なものではないけれど──全ての時間を一着の制服だけで過ごすわけにもいくまい。俺はモラートの言葉を聞き入れて、次の日の午前から、エントラの街へと繰り出した。


 この場所に来た時にはエントラ城へとまっすぐに引っ張られてしまったので、街の様子を眺めている余裕がなかったのだけれども、改めて見回してみると美しい場所である。焦げ茶色煉瓦の建物が立ち並び、街路樹の緑が日の光を浴びて美しい。目抜き通りには大勢の人が忙しそうに歩き回り、巨大な国の中心都市らしい雰囲気を漂わせている。祭りでもないのに店を出している屋台には、砂糖をまぶしたパンだの、狐色の焼き菓子だの、香りのよいものがずらりと並んでいる。眺めているだけでも楽しめる──エントラはそんな街だった。


 モラートが勧めてくれた服屋に辿り着く前に、俺はふらりと覗いた出店で強引な店主に押し負けて、なにやら正体不明の巨大な飴のお菓子を買わされてしまった。こんなものを持って店に入るわけにもいかない──俺は道中に小さな公園を見つけると、ベンチに腰掛けて一気に食べてしまおうと思い立った。その飴は独特な甘みがあって美味しい。しかし如何せん大きいので、食べるのに時間がかかった。俺はしばらくの間、公園を行き交う人々の流れを眺めながら、静かに飴を舐めていた。


 静かな格闘を始めて十分ほどたった頃だろうか──俺が腰かけているベンチの横に、一人の女の子が腰かけてきた。その子は見るからに暗く、落ち込んだ表情を浮かべていた。地面をぼおーっと眺めて、時折深々と溜息を吐く。かと思えば、自分の顔を両手で覆って、うーんと唸り声を上げる……。彼女は俺の存在を気にも留めていない様子だったが、俺の方はかなり気に掛けてしまう。何か悩んでいる様子だが、突然話しかけるのも妙だろう……しかしその時の俺は、街の美しい景観に浮かれていたためであろうか、迂闊にも彼女に声をかけたのである。


「……あの、何かお悩みですか?」


 俺が声をかけると、彼女はびっくりしたような表情でこちらを向いた。


「……ああ、いえ。何でもないんですよ。とても詰まらないことで……おや?」


 彼女は気恥ずかしそうに照れ笑いをしたが、何かに気が付いたのか、俺の顔をじろじろと観察し始めた。


「あなた……以前お会いしましたね? 名前、なんでしたっけ?」


「えっ?」予想外の反応だった。「俺は、レイルといいますが……以前お会いしましたっけ?」


「ああ、そうそう。レイルさんでしたね。オスローさんが連れてきたとかいう。……"十二剣聖"の会議場に私もいたんですが……覚えてませんよね。いや、そういえばこちらから名乗ってもいませんでしたね。私はチリン・ベルコートと言います。十二剣聖の第十二剣、一番の新入りですが」


 ……思い返してみれば、後から入ってきた数人の中に、似たような人がいたような気もしてきた。俺は改めて彼女の全身を眺めた。僅かに赤みのかかった黒髪のショートヘア、小洒落た文様が美しいベージュの服、緑のスカートにロングブーツ。見た目は息をのむほど美しいが、その表情にはどこか影が差している。


「……なぜ"十二剣聖"のあなたが、こんな場所に?」


「……散歩です。なんというか、色々と考え事がありましてね」


 チリンは何やら悩んでいるようだった。しかしながら、自分から声を掛けたとはいえ、"十二剣聖"という偉い人の悩みに首を突っ込んでいい立場なのだろうか、という妙な葛藤が俺の中に芽生えた。俺は次の言葉を発するのを躊躇していると、今度はチリンの方が俺に話を振ってきた。


「一つ、聞いてもいいですか? 君に聞いても仕方がないのかもしれませんが……」


「……なんでしょう?」


「……良いリーダーとは、理想のリーダーとは、どういったものなのでしょう?」


 あまりにも想定外にして、答えにくい質問! 俺は返答に困った。何が正解なのだろう。何と答えるのが正解なのだろう。


「良いリーダー……強くてカッコよくて、皆の意見をよく聞いて、皆を正しく導いてくれるような……」


 俺は思いつくだけの要素を呟くように言った。抽象的で何らの具体性もないが、しかし特に独創的な回答が用意できる気もしなかった。俺がそういうと、チリンははあー、と長々と溜息を吐いてから、


「そうですか……そうですよねえ……そうなんですよねえ……」


とぼそぼそと言った。顔色はここに来た時よりも暗く沈んでいる。それはまるで、『君の回答は不正解です!』と暗に告げられているようで、俺の方もなんだか気が重くなった。


「分かってはいるんですけどねえ……そう簡単じゃないし……おまけに今回オスローさんまで……はあ……」


 俺のことなど忘れてしまったかのように、チリンはふらりと立ち上がってぶつぶつと呟きながら去っていった。……なんだったのだろうか。俺はなんだかもやもやとした気分のままその場に取り残されてしまった。俺もこの場を離れようかと考えたのだけれど、飴菓子は未だ半分以上残っていた。俺はふたたび公園の風景を眺めながら、甘ったるいその菓子を舐め始めた。


 

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