第20話 白い直方体

「担当の者を呼んでくる。しばらくここで待っていろ」


 それ以上何も言わず、俺をその場に残してフェリは去っていった。俺はベンチに座っているオスローの方に歩いて行った。彼女は手をひらひらさせながら、「なんとかなった?」と問いかける。


「なんとかなったのか? あの人何も言わなかったけれど」


「何も言われなかったら大丈夫でしょう」オスローはつい、と立ち上がって伸びをする。「警備部の訓練は大変だけど、まあ何とか頑張って! ……さてと、ここから先は他の人に任せようかな。改めてだけど、助けてくれてありがとう。また会う機会があったらよろしくね」


 彼女を助けたことへの義理は果たしたということだろう──彼女は通常の、つまり、"十二剣聖"としての生活に戻るというのだ。これ以上彼女に世話を焼けというのは図々しいし、不自然だろうと俺の方も納得はしていた。


「こちらこそありがとう」俺は気の利いたことも言えなかったが、オスローは俺の顔を見てニコリと笑った。彼女はコートを翻して歩き出した。去り際に一言、


「聖剣の寵愛のあらんことを」


という祈りの言葉を残して。


 オスローが去ってしまった後、俺は彼女が座っていたベンチに腰掛けて、フェリの言う担当者とやらを待つことにした。中庭の風景と通路を行き交う人々の影をぼんやりと眺めている──と、俺の背後から急に声がした。


「……オスロー様とどういう関係なんですか……」


 そのおどろおどろしい声色に俺は驚いて振り帰ったが、ベンチは白い建物の壁に接しているのである。俺の後ろには誰もいるはずがないのだ。


「……誰だ?」


「……オスロー様とどういう関係なんですか……。見かけない顔ですけど……」


 再び声がする。慌てて周囲を見渡すが、俺の方を見ている人影はない。


「彼女とは……なりゆきだ。色々あったんだ」


「色々……?」


 声のトーンがさらに低くなる。「色々って……色々って何……」


「いや、誤解するな。別に深い意味があるわけでは。それより、君は誰だ? 姿を現してほしいんだが」


「オスロー様とあんなに親し気に……羨ましい……」


 急にポンという軽やかな音が鳴って、目の前に白い煙が立ち上る。その煙に紛れるようにして、新たに人影が現れる──顔色の悪いしかめっ面の女性が、俺をジトリとした視線で見つめていた。身に着けている制服からして、警備部の人間であることは間違いない。


「リース・アンティルです。本部基地の新人指導担当です。フェリさんからあなたを空き部屋へと案内しろと命令を受けました。……付いてきてください」


 彼女はそういうと、俺の反応を待つことなくとぼとぼと歩き出し、俺は慌てて彼女の後を追う。警備部の敷地内をふらふらと歩き回ると、美しい直方体の建造物の前に辿り着く。


「とりあえず二階に空き部屋があるから、そこを使って。ベッドと簡単な家具だけは用意されてるから……」


「……ありがとう」


 俺は感謝の言葉を述べてみるが、リースは仏頂面を崩さない。


「明日から仕事の説明をしますから、全部一回で覚えてください」


「……努力します」


 口ではそう言ってみるけれども、はっきり言って俺には全く自信がない。というより、何をやらされるのかすら俺はよく分かっていないのだ。俺の理解が追い付くには、あまりにも展開が早かった。


「あの、今更こんなことを聞くのもどうかとは思うんですけれど……エントリア警備部って具体的に何をする場所なんですか」


「国の警備。あるいは外敵からの守護」リースは淡泊に返答する。


「外敵……リーベルンの人たちか」


「リーベルンの軍勢は、とても厄介。神出鬼没で、しかも強い。特に最近……"三大悪"と呼ばれる強力な勢力が、国境沿いの襲撃を続けてる。ここのところ、警備部の主な仕事は連中の対処。"十二剣聖"の人たちともとも協力して頑張っているけれど、中々成果が出ていません」


「そうなのか」


 俺は入国口を襲撃したリーベルンの軍勢──その先頭に立っていた女性の顔を思い出していた。夜の影の中に垣間見えた、あの如何にも気だるげな表情は、目の前のリースの顔とどことはなしに似ているような気がした。


「なんだか……似ている?」


「何? じろじろと人の顔を……」


「いや、別になんてことはないんだ。国境沿いで、君に似た人を見たような気がしたから……」


 俺がそういうと、リースはピクリと眉を動かしたようにも見えたが、本当のところはよく分からなかった。


「私に家族はいないから」


 リースはそう言って、意味ありげに深く溜息を吐いた。

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