第10話 旅立ちの前哨戦
オスローが再び部屋に戻ってきたのは、二日後のことだった。
「……一応、イスカさんに聞いてみたんだけど……あっ、イスカさんていうのは、"十二剣聖"の偉い人なんだけど……」
「はあ」
「なんというか、やっぱり私の独断ではダメだって。まあ、今は戦争中だからね。仕方がないのかも。だけどもし、"十二剣聖"の会議でもし認められたなら、エントリアへの入国と居住、認めてくださるって」
「そりゃあ……なんというか……ありがたいね」
悪魔に体の自由を奪われていたとはいえ、入国と居住を要求したのは俺の口ではある。多少は喜ばなければ不自然かと気をまわして、俺は作り笑いを浮かべる。
「それでね、もし認めてほしいのであれば、"十二剣聖"の定例会議の場に参加して、そこで相談しようって話になった。……あんまりイスカさんは乗り気ではなさそうだったけど」
「その会議とやらは、どこで?」
「エントリアの真ん中、エトラ城という場所。まあ、近くの列車に乗ればすぐ着くと思うけど。それでね、その定例会議ていうのが、割と近々開催されるわけ。ちょっと急だけど、私と一緒にエトラまで行きましょう。多分だけど、そんなに反対されないと思うわ。……怪我の方は大丈夫?」
俺は自分の両腕に視線を落とした。一週間ほどの休養のせいか、既に痛みは引いていた。むしろ元気が有り余るほどである。今すぐにでもベッドを飛び出して、芝の上でバク転でもしてやろうかという気分だった。最も今までの人生において、そんな器用な真似が成功した試しはなかったけれども。
「問題はない、と思う」
俺がそういうと、屈託のない笑顔でオスローは笑う。
「そう、それはよかった! それじゃあ、急だけど明日出発にしましょう。朝一に迎えに来るから、そのつもりで」
オスローはそういうと、手をひらひらさせながら部屋を出て行った。
彼女が出て行ったあとは、日が暮れるまで白い部屋の天井を眺めながら過ごした。トーチカが気を利かせて部屋に飾ってくれた紫色の花が、心地の良い香りを放っている。慣れてしまえばなんと居心地のいい場所だろう。俺は半ば夢見心地で一日を過ごし、やがて、眠ってしまった。
次に目を覚ましたのは、夜中だった。突然、鼓膜をつんざくような警報音が部屋の中にこだましたのである。
「な、なんだ?」
俺は飛び上がるようにベッドから降りると、部屋の扉が勢いよく開け放たれて、
「リーベルンの連中です! こんなところまで攻めてきました。あなたも早く逃げてください!」
と白衣の女性が大声で叫んだ。俺は酷く混乱して──故郷が攻撃を受けた日も、確かこんな風だった──机の上の黒剣をむんずと掴み取ると、借り物の服のまま部屋の外へと飛び出した。
看護施設の敷地内から外に出たのはこれが初めてのことだった。いくつかの民家と思しき家の屋根から煙が上がっている。頭上を見上げると、赤い閃光が流れ星のように飛び交っている。
「……」
俺は殆ど無意識のうちに、剣を鞘から抜いていた。自分の身を守るための行動だ。
「向こうから敵がやってきます! 退避場所まで走ってください!」
警官のような身なりの男が道でざわついている人ごみに叫び散らす。老若男女、様々な格好の人々が引き潮のように去っていくが……俺は剣を携えてその場に突っ立っていた。何故? 自分でも分からない。武器を持っているせいで増長していたのかもしれない。あるいはまた、金縛りでも受けているのかもしれない……とにかく俺は、人混みが引いて行った道の真ん中に突っ立っていた。
やがて、周囲を誘導していた人たちの影も消えた頃──俺が入ってきた門の方向から、ゆらゆらと光る明かりをもった一団が、美しい隊列を組んで進んできた。その列の最前線には──何やら背の高い、青いコートに身を包んだ女が一人。
「んー……?」
俺はその隊列の行進を見ながら、ただ佇んでいた。最前列の女と目が合った瞬間、軍勢はピタリと行進を止めた。その女と俺との距離は、僅か十数メートルしか離れていない。
「だーれ? 君? ……"十二剣聖"……じゃあないよねえ、男の子だねえ……」
その女は気だるそうな声で俺に話しかけてきた。
「リーベルンの連中か?」
俺は剣の柄を強く握りしめて、叫んだ。
「んー、そうだよー。君はー? 警備部の人間っぽくはないけれどー……」
「……俺のことはいい。お前ら、一体何をしに来た」
「えーと……なんだっけ? ……ああ、そう、軍事拠点の制圧。大丈夫、非戦闘兵を"故意に"傷つけるのは禁止って言われてるからー。悪いこと言わないからどいてくれない?」
その女はそういうと、腰に携えた二本の剣を、ゆっくりと抜いた。あからさまな脅しである。
状況から考えて、たぶんあの女は後ろに控えている軍服姿の連中を束ねている人間だ。恐らく相当な手練れだろう。対する俺は、今まで剣の修行など受けたこともないし、握ったこともない。俺がこの剣を持って突っ込んでいったところで、何が起こるかなんて想像する必要すらない。
しかし。
「うおっ!」
全身に電撃のような衝撃が走る。体の自由が奪われる。俺はこの感覚に覚えがあった。
「まさか……ミーン!?」
黒い剣は沈黙している。しかし……何が起こったのかを理解するのにそれほど時間は必要なかった。ミーンが再び体の自由を奪っているのだ。
俺の体はゆっくりと剣を前方に構え始める。剣先は十メートル先に立っている、きょとんとした表情の女剣士に向いている。
「よせ……」
俺は辛うじてそう呟いたが、俺の願いは届かない──俺の体は真正面に向かって、爆弾のような勢いで飛び出していった。
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