第9話 意に反した願望
それから数日間、俺は白いベッドの上でじっとしていた。故郷を失って隣国に逃げ延びた人間が、こんな能天気にしていていいのかと、少々自虐的な気分にもなった。けれど何か、自発的に行動を起こすような気分にもならなかった。トーチカという人も、初日以降訪れることもなかった。俺は窓の外に広がる小さな庭の風景をぼんやりと眺めながら、無為に時間をつぶしていった。
四日ほどそんな日々を過ごした後、唐突に来訪者があった。部屋の扉をノックして入ってきたのは、トーチカと──俺が助け起こした女の子、オスローである。
「初めまして! あなたが助けてくれたんですって?」
オスローは寝ている俺に手を伸ばして握手を求めた。俺が恐る恐るこれに応じると、ブンブンと勢いよく手を揺すった。その明るい表情、快活な喋り方は、森の中で出会った時の彼女とはまるで別人のようだった。
「改めて自己紹介しましょう。私は、オスロー・スカイベル。あなたは?」
「俺は……レイル。レイル・フリーク」
「レイル、ね。覚えたわ」
オスローは大げさな素振りで頷いてから、にっこりと笑った。俺も笑おうとはしたが……おそらく不自然な引き笑いになっているに違いなかった。
「トーチカさんから大体のことは聞きました。森の中で倒れていた私を担いで運んできてくれたって。なんで森に倒れてたのか、あんまり私自身覚えていないのだけれども……。まあ、とにかく助かたのは間違いありません」
「そりゃあよかった」
「何かお礼をしなくてはならないかしら? うーん、何か望みのものがあれば……」
望みの物? 故郷も家族も失った俺にそんなもの、すぐに浮かんで来やしない。故郷を返せと叫んだら、返してくれるのか? ──口に出しては言わなかったけれども、胸の奥に暗い感情がぼこぼこと泡を立てているのを感じた。
そして、その瞬間である。傍のテーブルに置いてあった、数日間沈黙を続けていた黒い剣が、微かに震えたのである。おや、と一瞬思った次の瞬間、俺は全身に強烈な違和を感じ始めた。体の動きが鈍い──否、全く動かせないのである。全身が凍り付いたように動かない。指一本すら自由が利かない。
俺はミーンの言っていた言葉を思い出す。主様の意に反すれば、何が起こるのか分からない。そして今、俺はおそらく主様に反逆している状態にある。もしやミーンが手を引いて、俺の体を支えていた力を回収しようとしているのか。そうに違いない。つまりは……死が近づいてきているのだ。俺は内心恐怖したが、全身の自由を失った状態では、何らの感情の発露も起こすことはできなかった。
ところが、俺の体は予想外の動きを始めた──俺の意思に反して、勝手に喋り始めたのである。
「一つ望みがあります」
俺はそういった──俺はそんなことは思っていなかったけれども。
「なんでしょうか?」
オスローは穏やかな表情で俺を見つめてたままそう聞き返す。そして俺の体が再び声を発する。
「俺は……既にご存じかもしれませんが、レイビスの出身です。ここにたどり着いたのは、先日の大規模な戦いでレイビスが壊滅し、命からがら逃げてきた結果です。……レイビスはもはや、更地といっていいほどに崩壊しました。家族も友人も、私にはもう何もありません」
「……そうだったの。それは……気の毒に……。レイビスの件は聞いています。リーベルンとの戦いの激戦地になったって……」
オスローは途端にシュンとして、俯きがちに俺を見た。
「あなた方を恨む気はありません。が、今の俺にはいくあてがないのです。……一つ望みを言って差し支えないのであれば、俺をこのエントリアの国に住まわせてくれないでしょうか」
「なんだって?」
黙って控えていたトーチカが上ずった声を上げる。その歪んだ眉の形から、その提案に否定的な感情を抱いているのは間違いなさそうだった。
「エントリアへの居住許可が欲しいだって? そんなこと……」
「そんなことでいいの? そんなの、ものすごく簡単です。ねえ、トーチカ?」
「いやいや、そんなわけないでしょう」
トーチカは呆れたように首を振る。
「今は、人の入出国は極めて厳重に管理されています。いくらオスロー様の申し出でも、身分不詳の人間にそう簡単に許可を出すわけには……」
「でも、身元も改めずに彼を門の中に入れたのでしょう?」
「いや、まあ……それはオスロー様の緊急事態でしたから……」
「故郷を失って帰る場所も行く場所もないなんて、彼のほうが余程緊急事態ではないですか。それくらい融通は利かないのですか? それに、彼は私を助けてくれたのです。悪い人ではないと思いますけどね」
「うーん、しかし……」
トーチカはしかめっ面で腕を組んで、うむむと唸った。それから少々目を閉じて、再び話を始める。
「……現在エントリアの入出国の許可を出しているのは、"十二剣聖"における合議のはずです。オスロー様が会議に出席して、その提案が認められればあるいは……」
「うーん、勝手に許可出しちゃダメなのかなあ。……でも、イスカさんとか怒らせると面倒くさいしなあ……」
オスローもまた腕を組んで渋い表情を浮かべていたが、
「ちょっと聞きに行ってみるよ」
と言い残して勢いよく部屋を出て行った。トーチカも慌てたように、オスローの背を追って部屋から一目散に去っていった。
部屋には急に誰もいなくなり、静寂が戻ってきた──ふと気が付けば全身の金縛りが解けており、両手も口も自由に動くようになっていた。俺は机の上の刀を睨みつけた。
「……お前の仕業だろう、ミーン」
「……ああ、よく気が付いたじゃないか」
数日間沈黙を保っていた黒い刀は、クククという嫌らしい笑い声を久々に上げた。
「お前の口を借りさせてもらったよ。だが、お前にとってもこれは好都合だろう」
「何のつもりだ。エントリアの居住許可だなんて、俺は別に望んではいない」
「お前の都合など知ったことではない。主様が、そうお考えなのだ。お前を"駒"として扱うには、エントリアの中である程度自由に動ける立場であってもらったほうが楽だからな」
「お前、まだ例の殺害とやらを……」
「当たり前だ! 勘違いするな? 俺が諦めていないからこそ、お前はこうして呑気に病人生活を送っていられるのだ。……まあいい。偶然か、故意か、神の思し召しかどうか分からないが……首尾よくエントリアに入れたんだ。これからじっくりと、アメリアを殺すために努力していこうじゃないか。ええ、レイル・フリーク君? ククククク……」
机の上の黒い剣は不気味な笑い声を部屋の中に響かせて、それから再び喋らなくなった。
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