第7話 入門

「……大丈夫か?」


 何をどうしたらいいか──俺はひどく混乱していたのだけれど、とりあえず彼女の肩を取って体を起こしてやった。その女の子はぼんやりとした表情で、真っ暗な森の奥を見つめていた。


「……何が……あったの……?」


「それはこっちが聞きたいところだ」


「あなたが……助けて……くれ……? 私は……オスロ……」


「っ! おいおい、大丈夫か?」


 目は開いている。呼吸もはっきりとしている。しかし、意識はまだ朦朧としているようだった。俺は彼女が再び倒れないように背中を抑えながら、医者が重篤な患者にそうするように、一方的に声をかけ続けた。


「お前、どっから来たんだ? とりあえず、人気のあるほうに移動したほうがいい」


「おいおい、正気かよ!」


と、ミーンが茶化すような声を上げる。


「お前が殺すべき相手だぜ、そいつは! オスロ・スカイベル! "十二剣聖"の一角! 悪魔の手先だ!」


「お前がそれを言うのか?」


 俺は腰の厄介者を無視して、オスロと名乗った女の子の方を見つめていた。彼女の顔は──こんな非常時に不謹慎としかいいようがないけれども──非常に整っていて、美しく見えた。

 オスロは弱弱しく何か呟きながら、森の奥を指さした。俺はその先に何があるのか、皆目見当がつかなかったけれども、とにかくその方向へと歩き出した。彼女を肩に背負って、散乱する枝や石で進みにくくなっている悪路を歩き出した。おそらく傍から見れば俺のほうがよっぽど重傷で、人の看護をしているような余裕などとても無さそうに映っただろうが──これはもう、悪魔の力に感謝すべきとしか言いようがないだろう。


「契約違反だ! 契約違反だ!」


 しかし悪魔の宿った黒い剣は、大層機嫌が悪そうだった。


「"十二剣聖"を救うだなんて、そんなことのためにお前に力を貸しているのではないぞ! 主様に言いつけてやるからな! あの方が聞いたらすぐにだって……」


 道中、腰の悪魔はさんざん俺を罵倒し、脅迫し、非難の意思の表明なのか刀身をぶるぶると振るわせる。俺はしかし、抗議を無視して進み続けた──まあ、そっぽを向かれて死ぬのならそれでもいい。

 戦争を仕掛けたのがこの悪魔の言う通り"十二剣聖"とやらの仕業であるならば、俺はその連中を一生許さないし、復讐したいと心から思う。それはしかし、その話は所詮、悪魔が一方的に言った言葉に過ぎない。俺は結局のところ、自分の目で見たものしか信用しない人間なのだ。


 森の中を一時間ほどさ迷うと、悪魔は遂に何も言ってこなくなった。疲れたのか、諦めたのか、主様とやらにコンタクトを取って、俺の処分方法を相談しているのか、見当もつかない。けれど、黙ってくれたのは好都合だ──俺は幾分かペースを速めて、彼女が指さした深い闇の中をずんずんと進んでいった。


 やがて周囲を取り囲む木々の密度も疎らになってくると、進行方向に鬼火のような橙色の光を俺は認めた。距離を詰めていくうち、それが巨大なレンガ造りの壁に設けられた電燈の明かりだと判明した。人工物! 文明の光! 俺は奇妙な高揚感に、進む足を速めた。


 電燈の明かりの下には、仰々しい防具に身を包んだ門番が立っていた。どうやらその巨大な壁は出入国のための検問のようだった。想像するに、ここは巨大国家エントリア──悪魔の証言では、戦争を吹っ掛けた憎むべき国──の入り口であるのだろう。


「さて、しかし何と説明したらいいのやら……」


 背中で気を失っているオスロとやらはともかく、少なくとも俺はエントリアの人間ではない。入国許可証も持っていない。この戦争の時分である。身分不詳の怪しい人間が迂闊に入国門に近づけば、厳しい取り調べは免れないだろう。それは少々……面倒くさい。


「彼女をここに寝かせて、音でも立てて気が付いてもらう……?」


 色々な可能性を頭の中に巡らせて、結論として浮かんだのがその方法だった。彼女が本当に"十二剣聖"とかいう偉い身分の人間なら、すぐに適切な手当てがなされるだろう。

 俺は門から少し離れた場所にある倒木の上に彼女を寝かせようと考えた。が、その考えが実行に移されることはなかった。──唐突に背後から声がしたのである。


「あっ! あなたは……あなた様は、オスロー様ではありませんか!」


 俺は驚いたが、オスロに肩を貸しているせいですぐには振り向けなかった。背後から何者かが駆け寄ってくる音がする。その足音の主は俺の正面に回り込んで、俺とぐったりしているオスロの顔を睨むように眺めた。それは、濃緑色の外套を着た女剣士だった。


「ああ、やはりオスロー様。なぜこんなボロボロに……ちょっと、あなた! すぐに医務室に彼女を」


「えっ、あっ、はい」


 その女は俺のもう片方の手を取って、せかせかと門に向かって歩き始めた。俺は混乱して何も言えず、何も抵抗できずに門番たちの前に引き出されてしまった。


「オスロー様が怪我をなさっています。直ぐに開門して! 早く!」


「ああ、本当だ! おい、早く門を開けろ」


 門番の一人は青ざめた表情で、近くの若い男たちに合図を出した。その木製の門は重々しい軋み音を立てながら、ゆっくりと厳かに開いていった。


「さあ、付いてきて! さあ早く!」


 女剣士は再び俺の手を取って、門の内側へと引っ張り込もうとする。


「……トーチカ様、その男は? どうやらエントリア軍の人間ではないようですが……入国許可証はお持ちですか?」


 門番の一人が、俺の方を訝しげな表情で睨んでいたので、俺は思わず目を伏せた。当然、このまま門内に侵入すれば不法入国だ。厳罰が処されるだろう。俺は内心恐怖を覚えていたのだけれど、


「緊急事態です! いいですよ後でそんなもの!」


と女の一喝により、門番は不満げながらもおずおずと引き下がった。これでもう、障壁はなかった。俺は女に手を引かれ、オスロを背負ったまま門の内側へと足を踏み入れた。


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