第9話 回想(逃亡編)


 オレが走っている。暗闇の中、まばらに生えた木の間を抜けるように。

 もうすでに何時間も走っているようで、疲労の限界がきている。足元がおぼつかない。

 それでも前に進まなければ、捕まれば、命は無いのだ。


 オレは気付く。これは夢だ。


 何度も見た夢。紅玉カレンが奪われたあの日の、国から逃げ出した直後の。


 転生してからは紅玉カレンの恩恵で痛みや疲労を感じたことがなかった。だからこれは前世からの、久々の感覚だ。部屋から飛び降りたときに打った肩が痛い。走りつづけたために、全身が重く、今すぐに倒れ込みたい。


 ここは故郷のスツヌフ王国から北東にある、『鷲獅子グリフォンの聖域』だ。

 王国が建国されるよりも以前から、ここはグリフォンの縄張りだったのだ。


 スツヌフ王国は、グリフォンを聖獣、守護獣として不可侵の扱いをすることで、『聖域』への侵入を制限し、グリフォンを刺激しないようにしてきた。

 グリフォンにとってはそんなこと知ったことでは無いだろうが、縄張りに入って来なければ、あえて人を襲うことはなかった。


 だからこそ、オレはそこへ逃げ込んだ。追っ手をまくにはそれしかなかった。


 当たり前だが、この先のことを今のオレは知っている。

 もう日付が変わろうかというころ、疲れきったオレが遭遇したのは、『月の夜熊』という、夜行性の巨大な熊だ。

 オレも体は鍛えていたし、格闘技や剣術も得意だった。鎧は着ていなかったが、量産品とはいえ魔剣も持っていた。体調さえ万全なら、熊などそれほど脅威では無いはずだった。


 でもこのときは違った。すでに満身創痍で、剣を構えるのも定まらないほどだ。

 それでも牽制しながら、逃げるか戦うか、迷っていたとき、それは突然飛来した。

 グリフォンが、一瞬で月の夜熊を蹴り殺したのだ。

 別にオレを助けるためにそうしたのではない。熊がオレを食べてしまえば、グリフォンの獲物が一つ減る。だからその前に熊をしとめた、多分、それだけの話だ。その証拠に、グリフォンがオレを見る、夜目の魔術のかかった輝くような瞳、それは完全に獲物を見る目だった。


 グリフォンはデカい。象より二回りはデカい。


 グリフォンは、一説にはドラゴン属の生物ではないかといわれている。何故なら、四肢の他に翼を持つというドラゴンと同じ身体特徴を持ち、その強さはドラゴンに匹敵するともいわれるからだ。

 そんなグリフォンにとってオレを捕食するなど、それこそ赤子の手を捻るよりも簡単なことだ。なんの警戒もなく近付いてきて、その猛禽の前足を振り上げ、振り下ろす。それだけで済むはずだった。

 ただ少し誤算だったのは、思ったよりオレが機敏に動き、初撃を外したことだ。

 それでもかすったその爪が、オレの左頬を切り裂いていた。口の内側まで貫通するほどの傷だったが、気にしている余裕はなかった。


 グリフォンは改めてオレに向き直ると、無造作に前足を振り上げた。そう難しく考えることはない。捕まえるまで、同じように繰り返すだけのことだ。


 ただ、オレにとっては絶体絶命。剣は構えたものの、グリフォンが諦めるまで避け続けられるとは到底思えない。

 そのときだ、オレが二度目の、転生してからは初めての、あの声を聞いたのは。


『設定を有効にしますか?』


 それは、オレが前世で死ぬ間際に聞いた声。

 それに対して、オレはなんて答えたか覚えていない。

 それでも多分、ハイか、イエスか、お願いしますか、なんにしろ肯定の意思を示したのだろう。


 直後、とんでもない量の魔力が溢れ出したのだ。


 オレはそれを制御しきれず、過剰なほどの魔力を魔剣の魔力回路へと流し込んでしまった。

 通常であれば、適正な量よりも少なかったり多かったりしただけならば、単純に動作不良を起こして発動しないだけのものなのだが、あまりに圧倒的な量を急激に流し込まれたそれは、その容量に耐えきれず。


 大爆発を起こした。


 剣という形のためか、刃の方向へと爆発の指向性があって直撃はしなかったが、それでも余波に巻き込まれただけで吹き飛ばされ、オレは何度も地面を転がった。


 朦朧とした意識の中、なんとか体を起こして状況を確認する。


 周りの木々が何本も吹き飛び、即席の広場を作っていた。

そしてその向こう側に、グリフォンが倒れていた。


 オレは立ち上がり、グリフォンへと近付く。

 死んではいないようだが、気を失っているようだ。


 それを確認したオレは、何を思ったか、戦利品を貰おうと考えた。

 いまだ朦朧とした意識で、討伐=戦利品と結びついたのかもしれない。


 オレはグリフォンの背中に回り、左右の翼から一枚ずつ羽根を引き抜いた。鳥の羽根に比べればかなり大きいが、グリフォンにとっては小さい方だ。飛行に問題はないだろう。


 それを持って、オレはさらに逃げようとした。


 しかしすでに体力の限界だった。そこからたいして進まないうちに、気を失ってしまった。


 そんなオレを助けてくれたのが、命の恩人であり、オレの魔術の師匠である、ジン師匠だ。



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