3 揺籠
船室の窓から街並を見ると、自分が記憶していたものとは違うことに気づいた。四角い素朴なコンクリート造りの小さな港町は、コロニアル様式の二階建ての街並へと変貌していた。ところどころに「カジノ」と書かれた看板が見えた。
浮遊ブイが定間隔に漂い、我々の航路を指し示している。ブイの先端には物々しく大きなパラボナアンテナがついており、その全てが島側を向いていた。切っ先から放たれる光で島を射殺そうとするかのようだ。島内が地上と同じ重力なのは、この装置のおかげだ。昔、人類が宇宙開発に躍起になっていた頃、軌道上のステーションで使用されていた重力維持装置の転用だ。今はどの国もすっかり宇宙開発に愛想をつかしているため、この技術のありがたさは薄まっていた。島をぐるりと取り囲む浮遊ブイ群は、不可視の柵であり、さしずめ島は鳥籠と化していた。
接岸完了のアナウンスが船内に流れ、私はタラップへと向かった。外に出ると、甘ったるいこの島独特の濃密な香りが鼻腔の奥へと流れ込んできた。高度があがったせいか、以前のような蒸し暑さは感じられないが、太陽が近い分、顔がピリピリと痛んだ。
ターミナルに入ると、出迎えの者たちでごった返していた。賑わう群衆の中に、懐かしい丸っこい顔が見え隠れした。向こうが私を見つけると、私の名を大きな声で呼び、駆け寄ってきた。昔より一回り大きくなったサントスは、サングラスを外し「私が本当にあの時の私か」を確認すると、現地語で早口で歓喜の言葉をまくしたてると、握手と抱擁を求めた。彼の胸に抱かれ、その昔と変わらないにおいを感じると、なんとも言えない感情が押し寄せてきた。
「またそんなに痩せて、普段何食ってんだお前」と大きく笑い、背中を三度強く叩かれた。「とりあえず俺の家に来い」
車に乗り込み、少し走ると昔と変わらない風景が流れこんできた。主要な道路は綺麗に舗装されていたが、横道はまだ乾いた土を覗かせていた。椰子の幹のような太い腕でハンドルを握る大男と、暫しの間、昔話に興じた。
「それで、今はなんの仕事をしているんだっけ、サントスは」
「あれメールに書いてなかったっけ?葬儀屋だよ、葬儀」
変わりようにあっけにとられていると、彼はにこやかに
「小児科医をやっていた男が、死者の世話しているだなんて笑えるだろ?」と言った。
私が島にいた頃、サントスは島唯一の総合病院の若き小児科医だった。先進国並の医療と設備を整備するため、サントスをはじめ三十代の医者たちは昼夜を問わず働いていた。彼と初めて会ったのは、私が自転車事故にあい、彼の病院にかかった時だった。外科が今いないから代わりに俺が診るよと、笑いながら声をかけてきたのがサントスだった。心配げな目をした私に、紙パックのジュースを渡して、ただ「ノープロブレム」と言い放った。ちょうど私が滞在していた外国人用のアパートの裏が医師たちの寮だったこともあり、定期的なバーベキュー交流会を経て、一気に仲良くなった。
「まさか、お前が子供に愛想をつかしたわけじゃあるまい」
「当たり前だろ。じゃなきゃ子供四人も作らんわ。まぁいろいろあったんだよ」
「にしても、葬儀屋とはな・・」
「変な話だよな。でもよ、不思議なことに、島が宙に浮いてから、みんなここで死にたがるんだよ。ふわふわと浮かぶ南国の揺籠ツァカル。天国により近くなった楽園。現に今、欧米資本の富裕層向けの終末医療施設がばんばん作られている」
サントスは、いつもの早口で島の現状を喋っていたが、私の耳にはあまり入ってこなかった。私が島を訪れた頃、住民たちは水没の危険性を知りつつも、明るく笑ってひたむきに生きていた。それが今は、島全体がタナトスに覆われているのだろうか。母親の胎内のあたたかな海から、地上に引きずり出されて、最後は天に還る。生と死の単純なメカニズム。それがこの島で、歪められているような気もしてくる。我々を産み落とした海にじりじりと追い込まれ、天へと逃げた島を待ち受けていたのは、やはり死なのだろうか。
不意に、ツァカルの底抜けに青い空に吸い込まれそうになった。いつの間にか車はコンクリートの滑らかな幹線道路を抜け、砂利道へと進んでいった。
浮遊海域〜ツァカル諸島再訪記〜 井中 鯨 @zikobou12
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