ライオンみたいな奴

 巨大な魔物を目の前にして、純貴は戦慄した。こんなに大きな生き物は見たことがない。


「どうされたんです?」


 耳はおろか目も勘も衰えているらしい。この緊迫した状況を全く把握出来ていない。


「静かにしてください。前に魔物がいるんですよ」


 ベームは首を傾げた。ダメだこりゃ。

 戦っても良い。しかし、一度でも攻撃を受ければ、死んでしまう。殴るのは最終手段。今優先すべきは、この老婆を安全に逃がすことだ。

しかし――

 恐らく自分より何倍も足が速いだろう生物に、背を向けて走ることは禁忌だった。なぜならすぐに追いつかれ、捕食されてしまう。選択肢は、一つしかなかった。

 純貴はベームを背中から下ろし、なるべく距離を置くようジェスチャーで伝える。ベームは訳もわからず距離を取った。

 純貴は真っ直ぐ魔物の瞳を見つめ、深く息を吐く。魔物も純貴の異様な雰囲気に、襲う手を一度止めた。


「おい、純貴!」


 奥から声がしたかと思うと、人影が跳躍して、目の前に降り立った。凌馬である。


「ここは俺に任せろ。お前はその婆さんを連れて逃げるんだ」


 純貴は頷くと、ベームを担いで人とは思えぬ速さで駆け抜けていった。


「さあ、子猫ちゃんよ。俺の勇者になるための糧となるがいい!」


 純貴は森を駆ける。元々山育ちだ。森を走るのはどうということも無い。

 と、後ろから気配を感じ、咄嗟に屈んだ。手足の以上に長い、緑色の猿だった。


「なんだあの猿は」


「ナガナガザルじゃ。一般的にはそう呼ばれておる」


 上から声がして、純貴は視線を上に向けた。何やら精悍な顔立ちをした腰が曲がった老人が、鋭い目付きでそう教えてくれた。


「あなたは?」


「はようそのババアを連れて行け。ここはわしに任せろ」


 純貴は言葉に甘えて再び走り出す。


「あ」


 しかしその速さに耐えられなかったのかベームは薬草の入ったカゴを落としてしまった。


「おばあちゃん、後で拾いにいくから」


 純貴はそのままの速度で駆け抜ける。あの老人、ただ者ではなかった。

 ベームを国に届けると、即座に落としたカゴを拾いに行く。あの場所まで走った。着いた頃にはあの老人が地上に立ち、あのカゴを持ち上げていた。


「すみません、そのカゴあのおばあちゃんので」


「わかっておるわい。ほれ」


 老人はカゴを手渡すと、純貴の顔を覗き込んだ。


「なにか、ついてます?」


「ついておるな。人を殺せぬ顔だ。旅はやめた方が良いだろう」


 純貴は驚いた。


「な、なぜ旅をしたいことを知っているんですか」


「目を見ればわかる。旅してぇー! って顔しとるからな」

 どんな顔だ、と純貴は疑問に思ったが、「人を殺せぬってどういう事ですか」と尋ねた。


「そのまんまじゃ。お主の拳を一つ振り抜けば一つの生物は必ず死ぬ。そしてそれをお主は躊躇ってしまう。違うか?」


 確かにそうかもしれない。人をこの拳で殴るのは、無理だろう。


「はい……」


「だから諦めろと言うたんじゃ。旅をするには二つに一つ。人を殺す覚悟を持つか、半殺しで済ませる方法じゃ。お主は前者を持っていなければ無理」


「あの、なぜそれを?」


「見りゃわかる。お主、何番目だ」


 まさか、転生者のことを?


「七番目です……」


 老人はほう、と頷くと、ジロジロ舐めるように見回した。


「七番目か……」


 老人は少し考えると、


「まあ良い。お主のその一撃の力、押さえることが出来るかもしれん」


「え!」


「会得したいか?」


「ぜひ!」


 老人は頷くと、跳んで木の上に降り立った。


「ではわしについてこい!」


「はい!」


 老人は目にも止まらぬ速さで移動し始めた。


「おい、純貴。無事だったか」


 凌馬が奥から現れる。非常に都合が良かった。


「凌馬、これをあのおばあちゃんに渡しておいてくれ」


「え? おい!」


 それだけ言って、純貴は老人を追っていった。

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