2話 車輪の響

「なんじゃこれは? 随分とハイカラな食べ物じゃの。まさかお主、これ全部一人で食べるのか?」

「そんなわけ無いじゃないかい。いいから黙って運んどくれ」

 木枯らしが吹く秋の昼暮れ、私たちは町外れにある孤児寺へ向かっていた。車掌さんの両手には、さっき買ったケーキが六つ重ねて置いてある。もはや曲芸だ。

「ワシが子供の頃はこんなもん見たこともなかったからの。甘味といえば花の蜜じゃったわ」

「へぇ、あんたにも可愛げのある時があったのかい」

 今なら何を言っても怒られない。それに車掌さんは、顔ほど怖くないみたいだ。なよ竹ちゃんが示してくれた。

 寂れて半分朽ちた門をくぐる。堂の中は枯葉一つないくらい綺麗に掃除されていた。週に一度私がくるときは、子供たちが張り切って箒を振り回してるんだとか。

「あ、ナツが来た!」「駅員さんも一緒だぞ!」「ナツ、今日は何持ってきてくれたの?」

 庭で遊んでいた子供たちが、私めがけて一斉に走ってくる。女の子は腰の周りに抱きついて、男の子はその後ろから車掌さんの持つケーキに群がっていた。

「こらこらあんたたち、ちゃんと全員分あるから押すんじゃないよ。徳太郎、あんた年長だろ? みんなを堂に集めな。花佳、あんたは切り分けるの手伝っとくれ」

 群がる子供たちを引き連れながら、台所へ行ってケーキを切る。西洋由来のスポンジケーキに、甘ったるいクリーム。口周りを真っ白にして、一息つけばもう食べきっていた。

「意外かい? 私がこういうことをしてたのは」

 戸が外れかかった縁側で、子供たちが遊ぶのを眺めていた。住職は寄り合いで留守にしてるらしい。

 空っ風が髪を梳く。車掌さんは私の隣で、生まれて初めてのケーキを頬張っていた。

「……前から知っておった。お主のことは全て時刻表に記してあるからの」

 なよ竹ちゃんが教えてくれた。煉獄行き鉄道の車掌が持てる支給品の三つ目。その時刻表には、客の人生が載っているらしい。

 その時刻表を見れば、車掌さんも私の過去を知る。そんなものがあるのに、わざわざこうして煉獄へ行かせるなんて。神様ってやつは、どうにも意地が悪い。

「ナツ、鬼ごっこしようぜ! お前が鬼な!」

「美味そうな小僧ども、みんなまとめて食ってやるぞー!」

 それでも私がこうするのは、きっと贖罪なんかじゃない。この子達と昔の私を重ねる、なんてことはしてない。もうそれも、口と心が別れた今じゃ確かめようがないことだけれど。

 日が暮れる前に住職も帰ってきた。黄昏前の金色に、伸びる影を追いかける。車掌さんも途中から参加した。彼はすごく足が速かった。

 遊び疲れてお堂でぐったりしていると、車掌さんがお茶をいれてくれた。

「……あんたを見てると、なんだかつい昔を思い出しちまうよ。時刻表に書いてあるだろうけどね、私もこの子達と同じだったんだ」

 ここから先は秘密の話。陽富ナツが、まだただのナツだった頃。春には桜の花弁を、夏には虫を、秋には恋を、冬には雪を追いかけていた。

「半月か……。やりたいことは山ほどあるんだけどねぇ。叶えられたのは空を飛ぶことくらいか」

「ワシにできることなら言ってくれればええ。本来干渉するのは規律違反なんじゃが、あいにくワシはなよ竹の言う通りクソガキでな」

 眉間にしわを寄せたまま笑う車掌さんは、どこか無邪気な子供のようだ。

 街に明かりが灯る。吹き抜けの廊下に、子供たちがろうそくを置きにきた。そんな時だった。門の方から、怒号と住職の叫び声が聞こえたのは。

「ここは我々の家です! これ以上子供達から何か奪うと言うのなら、たとえ仏様が相手であっても私はどきません!」

 くたびれきった袈裟を着て、夕日を背に浴びながら。住職は十数人の男とにらみ合っていた。

 着物を半身に構えた男が、肩から仁王を覗かせた。中には何人か、私が知っている人もいる。得意げに、自分は浪人だと宣っていた人たちだ。

「ナルコ、なんとか……。いや、ダメなんだったね。ここで私が口を出したから、後から殺されるのかい?」

「どうじゃろうな。ただワシの口から言えるのは一つ。たとえ煉獄行き鉄道を使っても、今日を変えることは明日にはできん」

 私と同じで、この人もしがらみやらに縛られている。その大きな背中に、どれだけの鎖が絡められているかはわからない。でもね、車掌さん。あんたはやっぱりいい男だよ。

 今日を変えることは明日にはできない。だけど、明日を変えることは今日できる。

 息をのむ。目を開く。あまりの圧力に住職はたじろいでいた。子供達は柱の陰で怯えていた。

 覚悟は決まった。そうだ。この程度、あの日に比べればなんてことない。

「なんだい、あんた達。こどもらが怯えるじゃないか。何の用か知らないけどね、今日のところは帰っとくれ」

 懐から煙管を取り出して、火も付いてないのに咥えてみる。私の顔を知っていた男が素っ頓狂な声をあげた。

 私の登場で、住職も大きく肩を張る。沈黙が続いた。さっき食べたケーキが出てきそうだ。でも大丈夫。少なくとも今、こいつらは私に手を出せない。

「……誰か、こいつを知ってるのか?」

 一番前にいた男が、煙管に火を点ける。一人が手を挙げた。

「例の娼館の女さ。それも花魁方だ」

 政府や役人相手ならともかく、この街の浪人連中は私に手を出せない。吉原内門の人間は、遍く吉原のモノなのだから。

 ため息をついて、男が踵を返す。他の連中もそれに続いた。やっとこさ全員が姿を消すと、住職は糸が切れた人形みたいにその場にへたり込んだ。

 車掌さんが肩を貸す。子供達が布団を敷いた。夜が来る前に粥を食って、子供達を畳間に寝かしつける。吹き抜けの堂に、三人の大人が集まった。

「……実は、ちょっと前からここを空け渡すように言われてましてね。なんでも、新しい娼館を建てるんだとか。でも、提示された額じゃとてもみんなで移り住むことなんてできないんです……」

 住職が見せた書類に記された金額は、たしかに彼ひとり分と考えれば悪くない。だけどここに居る子供達の事を考えれば、とてもじゃないが寺を移すなんてできるはずもない。そもそも寂れているとはいえ代々続く寺なのだ。

 先の大戦に備えて、今の警察は私たちの話を聞いていられない。ましてやそれが土地云々の事ともなれば、車掌さんよりもアテにならない。

「……わかった。ちょいと私が掛け合ってみるよ。住職は安心して、体を休めてな。それ以上痩せちまったら目も当てられないよ」

 やることは一つ。すぐに結果を確かめるすべもある。

「車掌さん、今すぐ切符を用意しとくれ」




 車輪が空を廻る轟きが、お腹の底に響いていた。窓の外を目をやれば、電気が通った街が見える。宵闇の向こうの銀河を目指し、煉獄行き鉄道は走っていた。

「よく来てくれたのぅ、ナツ。話し相手ができて妾嬉しいのじゃ。……でも、あんまり使いすぎるでないぞ? 妾、自己紹介は一回しかしたくないからの?」

「わかってるさ、なよ竹。しかし、何度来てもこの汽車はいいねぇ。駅弁がないのが残念だけど」

 家に帰ってすぐ、私は準備をした。晩のうちに車掌さんに切符をもらい、山の上から汽車に乗った。行き先はひと月後。私が死んだ後の世界だ。

 汽車がうねり、真っ白な煙を吐く。雲を突っ切ると、お月様がすぐそこにあった。

「間も無く汽車はひと月後に着く。妾達は降りられないが、ナルコが付いて行く。お主は未来のものには触れられぬ。未来の者はお主を観測できぬ。生きておる者は何人であっても、時の連結路を変えられぬのじゃ」

「……ちょいと見たいもんがあるだけさ。それさえ確認できたら、あとは私がいなくなった世界でも見物してこようかね」

 汽笛が鳴る。気がつけば、地面すれすれを汽車は走っていた。金属が摩擦する音が耳をつんざく。

『大正七年、十一月十日。十一月十日でございます。お降りの方は、お忘れ物のないように』

 車掌さんの声が汽車に響き渡る。窓の外には、今日と対して変わってない街が広がっていた。

 手荷物一つ持たずに、私はその場所へ向かう。私が生きていた頃に、孤児寺があった場所へ。

 そこには何もなかった。寺の跡だけが残っていて、側には新たな建材と骨組みが積まれていた。

「……すまん、ナツ。こんな結果を見せてしもうて」

 申し訳さそうに目深に帽子をかぶる車掌さんを傍目に、私は拳を強く握った。

「まだ確認は終わっちゃいない。こっちがこうなることは想定済みさ」

 車掌さんの手を引いて、私は駅に向かって走り出した。ただで乗るのは気がひけるけど、切符を買っても渡せないんじゃ意味がない。

 本物の汽車に乗るのは久しぶりだった。行き先は東北の片田舎。そこに私の見たいものがある。

 私たちは車両の外、連結部の近くに座っていた。一等と二等の間なので人はこない。

 乾いた風が袴を揺らす。車掌さんは帽子が飛んでいかないように、顔がよく見えないくらい目深に被りなおす。そう言えば、間近で彼を見るのは初めてだ。

 どれくらい時間が経っただろう。真上にあったお天道様がすっかり姿を隠した頃に、汽車はゆっくりと止まった。そこから歩いて十数分。雑木林を抜けた先に、寺はあった。

 息を潜めて中に入る。鍵も扉も、今の私たちはすり抜けられるようだ。

「……よかった。私は未来を変えられたんだね」

 お堂でぐっすり眠りこける十四人の子供たちの頭を、一人ずつ撫でてやる。同じ部屋で住職も眠っていた。手はぼろぼろで、髪は剃ったのか勝手に抜けたのかわかったもんじゃないけれど。あの孤児寺にいた人は、みんな新天地にたどり着けたようだった。

 帰ろうか。私が言うと、車掌さんは黙って頷いた。死ぬのが少し怖くなった。

 雲ひとつない空の下、灯りもつけずに田舎道。見渡す限りの山と畑のせいで、いやでも昔を思い出す。

「……ナツ、お主何をしたんじゃ?」

「遺書を書いたのさ。私が死んだ後に全ての金をあの孤児寺に寄付しろ、って。それと、住職宛に手紙も出してね。私の故郷に安い土地があるから、そこに引っ越せって」

 これじゃ確かに負けかもしれない。街に屈して、逃げたのかもしれない。

 でもいいじゃないか。どんな場所でも生きていけるなら。誇りを捨てるんじゃなくて、今は少し足元に置いておくだけ。いつかまた、必要な時に拾い上げられるように。

「ワシに人の矜持はわからんが、それでも、死ぬまで生きられれば満足なもんなんじゃろうか」

 車掌さんの質問に、私は答えられない。心と口が、身体と頭が離れてしまっているのだから。

 人には生きろだとか、誇りを捨てるなだとか宣っておきながら。私自身は、後半月で死ねることに少しだけ安堵している。これ以上、戦わなくていいんだ、と。

 街灯ひとつない山道に、昔の旅人用の休憩所があった。潰れてしまった団子屋の椅子に腰掛ける。今日は少し疲れてしまった。

「私の時刻表、十歳までのところになんて書いてあるんだい? 未来を教えるのは無理だろうけど、過去を確認するだけなら問題ないだろう?」

「……聡いやつじゃ。そんなに細かくは書いてないから、あまり期待するなよ」

 やっと聞ける。人の口から私の過去が。私の罪を攻められることが、やっと叶う。

 ナツという名前は、私を拾った先生が付けれくれたらしい。真夏の暑い日、先生の診療所の前に私の入った乳母車が置いてあったんだとか。最低限の布と水、ほんのすこしのお金だけを持って、私は独りになった。

 先生の診療所は半ば孤児寺のようで、身寄りのない子供達が働いていた。その日から私も憧れの看護師の一人になった。とても体の弱かった私は、日がな一日寝ているばかりだったけど。

「五歳、ヒトミに出会う」

 彼はひとつ年上で、初めて見たときはボロボロの格好をしていた。彼と出会っていなければ、私はずっと布団の中からしか空を見ていなかった。

 理由は知らない。でもヒトミも独りになって、診療所に来た。他のみんなは赤子の時からの付き合いなのに、ヒトミはすぐに周りに馴染んでいった。

『なっちゃん、今日こそ町行こうよ。僕と遊んでよ』『いや。アンタ弱そうだもん。なんかあっても私を守れやしないだろ』『じゃあ強くなったら一緒に遊んでくれる?』『遊んでやらなきゃ、アンタずっとここに来るつもりだろ』

 暇つぶしのつもりで、毎日ヒトミの相手をしていた。弱っちそうな顔で、いつも笑っていた。

 一年もした後だろうか。ヒトミは強くなった。薪割りの仕事は一人でこなすし、子供達が喧嘩した時も一番に止めに入れるくらい。

 ある日、先生から許可が出た。ヒトミを連れて街に行った。初めて歩いた診療所の外は、なんだかとても眩しかったのを覚えている。

「八歳、恋をする」

 私の病気はゆるやかに改善されていた。先生はいつか絶対治ると言ったけど、それでも一月に何度か発作が出た。動けなくなった私を先生のもとに連れて行ってくれたのは、いつもヒトミだった。大きな背中に揺られるのが、なんだか心地よかった。

 毎年新しい子が来ては、十五を超えた子が卒業していく。私たちはどこに行こう、なんて毎日話していた。

「十歳、孤児院の火事で先生の知り合いに引き取られる」

 車掌さんの言葉で、あの光景が蘇る。忘れられない、文字通り焦げ付いた記憶だ。

 気がついた時には、もう炎が診療所全体を覆っていた。悲鳴と柱が折れる音で、私はしばらく頭が動かなかった。

 扉を突き破ってヒトミが入ってきた時、それは起こった。いつもの発作で動けなくなった私を、ヒトミがおぶった。他のみんなが道をこじ開けて、先生は焼けながら私に濡れたシーツをかぶせてくれた。

 火が消えた時、息をしていたのは私だけだったという。ヒトミの肺は灼け爛れ、一部の子供以外は誰が誰だか分からない状態だった。

「私だけが、みんなの命を犠牲に生き残っちまったのさ。三十四人の家族全員分の人生を背負えるほど、私は強くないってのに」

 さぁ、責めてくれ。それで私は楽になる。私を引き取ってくれた先生の知り合いも、街の人も。一人として私が悪いとは言わなかった。

 そんなこと言われても、私は聞いてない。彼らの口から、私を赦すと。ヒトミの最後の言葉を知ってるのは私だけだ。先生が最後に泣いていたのを知っているのは私だけだ。他の子供たちの最後も、見たのは私だけ。

 先生の知り合いが流行病で死んだら、街へ出た。誰も私を知らない所で、一人になりたかった。娼館の仕事は最初こそ辛かったが、慣れればなんてことはない。後ろ盾のない私が街で一人を満喫できるほどに給金はもらえるし、誰も救えなかった私が、誰かを救った気になれたから。

「……人を殺した私が、誰かを助けられたんだ。これ以上の贅沢は言えないね」

「アホウなのか? お主を助けた者たちは殺されたのではない。お主を生かしたんじゃ。生者が死者の感情を知った風に語るでない」

「アンタに何がわかるんだい?」

 口より先に手が出ていた。シワ一つなかった車掌さんの襟を強引に掴み下ろす。さっきまで上にあった目線が、同じところまで降りてきた。

「知るか。お主が何も話さないからわかる訳ないじゃろ。ワシはカミサマでも閻魔様でもない」

 いつも通り眉間にしわを寄せて、ぶっきらぼうに開いた目で彼は答えた。車掌さんの口から出るのは、偽りでも正論でもない。一言で表すなら、彼は強いのだ。

 拳に力を込めると、彼も私の胸ぐらを掴んだ。ひとまわり大きい身体の迫力に腰が引けるが、脚は地面についている。

「ただ一つだけわかる。お主は胸を張って生きろ。お主は三十四人の尸を背負っておるのではない。三十四人と共に生きておるのじゃ」

 ため息をついて肩の力を抜いた。ぬるい風が髪を揺らす。蒼莱が雑木林を抜けていった。東の空が白んで、鳥が忙しなく鳴き出す。

「それじゃ、今から互いの話をしようか。どうせ来ない未来の、他愛ないバカな話を」

 暁が来る。腹の底に響く汽笛を轟かせながら、煉獄行き鉄道はやってきた。それに乗って帰るまで、私たちは話をした。なよ竹ちゃんとは文学の話、機関士さんとは仕事の話。車掌さんとは、過去と未来を。

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