経過観察

 ──十日目──


「おはよう」

 突然声をかけられた私は戸惑い、そしてその次にその男性が何者なのか判らない自分に戸惑う。最後に、疑問だけが口から零れ落ちた。

「……ここは……病院?」

 見渡せば真っ白な部屋。窓の外も白い。


 叡智の炎によって世界が一度終焉を迎えて、残った数少ない人類は、再起のために色々な手筈を整えている。そう教えてくれたのは誰だったか。


 ……この人では、なかった気がする。


「その通り。君は病人。私は主治医」

 すらすらと流れるように説明する男。無精髭に着崩したシャツに、しわだらけのシャツ。


「はぁ」

 気のない返事……というか、自身の状況がよくわからない。

 起きたらいきなり病気だなんて。そもそも、

「僕は何の病気なんですか?」


 あぁそれはね、と一息ついて、『主治医さん』は再び口を開く。

 少し煙草の匂いがする。今時分、煙草だなんて。社会不適合者が主治医?

 不安だ。


 酸素供給や空気、水などの浄化に限界がある以上、個人に割り当てられるリソースは世界再生機構、【理解】によって管理されている。

 リソースの過剰な消費や機器への負荷を起こすものは社会不適合者の烙印を押され、死後【理解】への接続権利を失うはずだ。

 それはつまり真なる死であり、再生後の世界への移住権を失うことになる。


「正式な病名はついてないんだけど、身体に花が咲く病気の噂は知ってる?」

 聞いたことがある。

 死体の花。人体に咲く美しい花のような腫瘍。体内、体外を問わず、傷口や内臓に突如生える花々。

 外気浄化用ナノマシンの暴走だとか、叡智の炎の副作用だとか、酷い風説になると天罰だとか陰謀論だとか、まぁ原因は不明。


 要は、助からない病気だということだ。


「はい、聞いたことなら。あの、もしかして」

「そう」

「余命は?」

「不明でね」


 空虚な確認作業が終わって、そのまま部屋に音の空白が訪れた。


 手持ち無沙汰になる。

 目の前の『主治医さん』は祈るように手を組んで、額を拳に押し当てている。

 体の異常を探ろうと、がさごそとベッドから立ち上がり、くるくると回りながら自分を確認。


 うむ。健康体そのもの。

 一体どこが悪いやら。

 ……内臓か。

 体をぐりぐりとよじり、違和感を探す。


「……無い?」

 深呼吸。肺でも無さそう。素人の所感だけど。


 ぺたぺたと自分を確かめる僕に、『主治医さん』は、

「どの部位が病巣か聞きたい?」


 『主治医さん』はおずおずと、祈りの形のまま、声をかけた。

 だからぼくは、


「脳、ですか」

「……なんでそう思ったの?」


「あくまで予測なんですけど。花って言われるくらいだから、形だけじゃなくて感触も変わるんじゃないですか? あとは匂いなんかも」

「……心臓をはじめとした、外から接触で確認しづらい場所だと思わなかった理由を聞いても?」


 頷く。それはだって、まだ『主治医さん』には明確には告げていない情報だ。もちろん、察するにあまる反応はしたけれど。


「簡単です。僕は、何故ここにいるのか解らなかったんです」


 そう告げると、『主治医さん』は祈りの形から始めて顔を上げ、次に両手を挙げた。たぶん、降参のポーズ。


「正解。それで、」

「それで、あなたは僕の主治医じゃない」

 視線が交わる。目の周りには濃い隈。濁った瞳には強い意志。


「あなたは、医者ではあるんでしょうけれど、どちらかと言えば研究者ですよね?」

 はぁ、とため息が聞こえる。紫煙を想起させる香りが部屋に広がる。

「そうだよ。その通り」


「……ごめんなさい」

 項垂れる。頭を下げたように見えたかもしれない。

「患者が生きているのに?」

 心底不思議そうな声。良い人なんだな。きっと。


「また、明日も来てください」

「うん、そうする」

 始めて笑顔を見せてくれた。だから、次の言葉を紡ぐかどうか迷って、結局言葉を呑み込み、曖昧な笑顔しか作れなかった。


 ──検体は、新鮮な方が良いでしょうから──

 




 ──十四日──


「おはよう」

 突然声をかけられた僕は驚き、そしてその次にその人がどんな人なのか判らない自分に何故か戸惑う。

「あ、は、はじめまして……」

 最後に、曖昧な言葉が漏れ出た。

「……ここは……病室……ですか?」

 見渡せば真っ白な部屋。窓の外も白い。蛍光灯は眩しいくらいに真っ白で、開いたばかりの目に痛い。


 世界が一度終焉を迎えて、残った数少ない人類は、復興のために色々な準備をしている。そう教えてくれたのは誰だったか。


 ……この人では、なかったような気がする。


「その通り。君は病人。私は主治医」

 すらすらと流れるように説明する男性。伸ばし放題の髭、着崩したシャツ、しわだらけのシャツ。


「はぁ」

 気のない返事……というか、自分の状況がよくわからない。

 起きたらいきなり病気だなんて。そもそも、

「僕は、その……病気なんですか?」


 自分のことながら馬鹿な聞き方をしたな、と後悔する。病室にいるのに病気じゃなかったらなんなのだ。


 あぁそれはね、と一息ついて、主治医さんは再び口を開く。

 少し変わった匂いがする。嗅ぎ慣れない、不思議な香り。少し離れた位置にいるからそこまで嫌ではないけれど、近づいたらきっとむせてしまうだろう。


 酸素供給や空気、水などの浄化に限界がある以上、個人に割り当てられるリソースは世界再生機構、【理解】によって管理されている。

 リソースの過剰な消費や機器への負荷を起こすものは社会不適合者の烙印を押され、死後【理解】への接続権利を失うはずだ。

 それはつまり真なる死であり、再生後の世界への移住権を失うことになる。


 ──なんだ、今の──


 突然差し込まれた、意味不明な思考に恐怖を覚える。


 主治医の先生は、知ってか知らずか言葉を続けていた。


「──身体に花が咲く病気の噂は知ってる?」

 どこかで聞いた気がする。どこだったろうか。

 ここがどこかわからない以上、どこで聞いたかわからなくてもあまり困ることは無さそうだけれど。


 死体の花。人体に咲く美しい花のような異物。体内、体外を問わず、傷口や内臓に突如生える花。

 外気浄化用ナノマシンの暴走だとか、叡智の炎の副作用だとか、酷い風説になると天罰だとか陰謀論だとか、まぁ原因は様々言われている。つまり解らないことが判っている。


 要は、助からない病気だということだ。

 この病気の原因や経過が解らない。だから、治し方も判らない。結果だけはわかりきっている。


「はい、聞いたことなら。あの、もしかして」

「そう」

「……治らない、んですよね」


 僕の言葉に、申し訳なさそうに答える先生。

「……ごめんよ」

「謝らないでください。先生が悪いわけじゃないんですから。ね?」


 どうしようもない、互いの確認作業が終わって、そのまま部屋は無音になる。

 じぃ、と灯りの音だけ。外の空気もきっと凍りついて、何もかも停滞しているに違いない。


 手持ち無沙汰になる。

 先生はは祈るように手を組んで、額を拳に押し当てている。

 

「そのう、先生」

「何だい?」

 顔を上げた先生は少しやつれているように見える。やつれていない先生を見たことがないはずなのに、なんとなくただそう思った。

 髭のせいかもしれない。


「先生、お仕事はいいんですか?」

「あぁ、今やってる。患者の経過観察ってやつをね」


 経過観察?

 経過。つまり、

「えっと。初対面じゃないってことですか? あ、いやカルテだけ見てから実際に会うのが初めてって場合もあるか。あれ? でも」


 混乱する。考えたく無い思考に流されていく。

 言葉にするのが酷く怖くて、僕らは沈黙を選んだ。


 先生は経過観察と言ったのに、僕はこの部屋に見覚えが無い。

 理由は?

 一つだ。


 考え込んでいる僕を見て、先生は「しまった」と言わんばかりの表情。苦虫を噛み潰したとはこのことだ。


「僕が、先生のことを忘れたのは、何回目ですか?」

「……四回目。三日から四日程度で記憶を喪失するみたいだ」

 見ているこちらが痛ましくなるほどの苦悶を浮かべ、先生は口から己の無力を吐き出す。


「……ごめんなさい……」

「君が謝ることなんてないよ。治療の目処が立たないのは私たちの責任だ」


 そうじゃない。

 だってこの人は。

「見知った人に、はじめまして、とか、あなたは誰ですか、なんて聞かれるのは、とても辛くないですか?」


「それは……医者をやってると色々あるんだ。特に、【理解】がまだ把握しきれてない病気はね」


 人類最高の知恵の結晶、世界再生機構の根幹【理解】。

 それが「理解」できない存在とはつまり、今の人類にはお手上げ、ということで。


 だからもう、僕はきっと間に合わない。恐らく脳に花が咲きはじめているのだろう。

 記憶の欠落はそれが原因だと考えられるだけの思考力はまだ保っている。

 そして、その進行度を測るための会話であり、これから行われるであろう検査が待っていることもわかる。


 あの、とつい声が口をついて出る。何を言うか決めていない。

 正確には、言っていいのか決断できていない。

 傷つけるだけだと、やめた方がいいと、自分では思っているのに。いるのだけれど。

 それでも。


「明日もまた、来て、話してくれますか?」

 忘れられてしまうのが怖くて、幼稚な恐怖に負けて、僕は先生を傷つけてしまった。


「もちろん。患者の容体を見るのも大切な仕事だからね」


 曖昧な笑顔がふたつ。静寂の中で向かい合った。





 ──十九日──


「おはよう」

 誰だろう。起きたばかりの僕をその人はじっと見つめながら、ぼそりと呟いた。

「おはようございます」

 おはよう、と言われたのだから朝なのだろう。

「……へやが、まっしろ」

 床も、壁も、扉も、灯りも、目の前の人の服装も真っ白。

 いや、白衣の内側には色がある。それが何色なのかはわからないけど、白でないことは確かだった。


「私が誰だか判るかい?」

 剃っていない髭の生えた口をもごもごと動かして、その人は変な質問をした。


「えっと」

 困ってしまう。この人は誰だろう……そもそも、自分の状況がよくわからない。

 起きたらいきなり知らない人。その人も僕も、自分のことがわからないらしい。

「ごめんなさい。ぼくはわかりません」


「……謝ることじゃない。君は悪くない」

 だったら、どうしてこの人は悲しそうな顔をしているんだろう。

 大きくため息をついたこの人から、少し変わった匂いがする。嗅ぎ慣れた、不思議な香り。

 なんだか少し懐かしいような気がする。


 沈黙。

 蛍光灯だろうか、じーっと小さな音がする。


 なんとなく居心地が悪くて、みじろぎしようとして失敗した。

 体が上手く動かない……ような気がする。上手く動かしていた時はどうだったっけ。


「──身体に花が咲く病気の噂は知ってる?」

 髭の人は急に話題を切り出した。

 どこかで聞いた気がする。どこだったろうか。

 思い出せない。

 聞いた、という事実はきっとあるのだろうけれど、いつ、どこでそんな話を聞いたのかわからない。


「えーと。はい。でも、よくわかりません」

「そう」

 泣き笑いのような不思議な表情をしたかと思いきや、髭の人は大きくため息をついた。


「それが、どうかしたんですか?」

 わからないことだらけだ。この人のこと、僕のこと、病気のこと。


 僕の言葉に、両手を強く握って顔を隠すような仕草をする髭の人。

「……ごめんよ」

 吐き出すように口から出た、理由のわからない謝罪。


「……えっと」

 しどろもどろになりながら、自分の考えをゆっくりとまとめようとする。

 頭がなんとなくぼんやりとして、靄がかった感触。

 いつと比べて?


 わからない。

 でもきっと、僕はきちんと思考した過去があって、それをどこかに置いてきてしまったのだろう。


 はっきりしないまま脳細胞を動かす。

 聞くべきは……聞きたいことは。


「あなたは、僕に謝らなくちゃならないようなことをしたんですか?」

 問えば、目線だけをこちらにむけて……酷く疲れ切ったような視線だけ……はっきりと言った。


「そうとも言えるし、そうでないとも言える」

 これまた、よくわからない。


 手持ち無沙汰になる。

 髭の人は祈るように手を組んで、額を拳に押し当てたままだ。

 

「そのう」

「何だい?」

「祈るって、えっと違うな」


 言葉がうまくまとまらない。

 そんな僕を髭の人は、

「ゆっくりでいい。うまく言おうとしなくていい。言いたいことを言ってくれ」


「……祈るっていうのは、誰かのための行為ですよね」

「……そう、だね」

 不審な目つき。不審というか、『急に何を言いだしたのだろう』という疑問の眼差しだろうか。


「あなたは、さっきから誰かのために祈っていませんか?」

「あぁ、いや、これは、癖みたいなもんで」

 それでも。


 僕はゆっくりと言葉を象る。


「誰にとか、何にとか、理由はどうでもよくて。それが叶うかどうかなんてことは一番どうでもよくて。祈るってこと自体が、あなたの救いになるなら、僕はそれで良い……ええっと」

 少し違う。そうだ。

「それが良い、と思います」


 髭の人は難しい顔をして、

「理解が難しいな。成果が何も出ないのに、祈るのに意味があるって?」

 難しい顔、と感じたのは一瞬で、どちらかといえば諦め顔にも見える。


「解らなくても、正解に辿り着かなくても、過程が全部無駄でも、祈られた人はとても……救われる……いや全然救われないかもしれないんですけど、そういうことじゃなくて……」

 混乱してきた。何が言いたいんだ僕は。


 僕は。

「その祈りが、届かなくても、それは無駄じゃないって、無駄にならないように祈ります」


 僕は多分、この人が救われてほしいんだ。理由は、解らないけれど。


 苦々しい顔をする髭の人。

 悲しそうで、寂しそうで、こんな表情は何度も見たくないな、と思考が頭をよぎる。

 初対面のはずなのに、不思議だ。


「理解を放棄した先に、何も無くても?」

 難しい話になってきた。頭が追いつかないかもしれない。でも、

「そんなの、何も無くなってから考えればいいじゃないですか」


「再起できない状況でも?」

 深い絶望が垣間見える。暗い穴のようだ。光りが射すのはいつになるだろう。もしかしたら無理かもしれない。

 それでも僕は、

「はい。全部だめになって、もう何もできなくても、これ以上やっても無駄だって解っても、最後に足掻きましょうよ。こうやって」


 僕は、顔の前で両手を組んで見せる。


「すみずみまで考えて、それを全部やって、それでもだめでも、最後に祈ることはできるじゃないですか」

「……君は……何に祈る? 何を祈る?」


「さぁ? 僕は神様を信じてはいませんし……何でしたっけ。世界をもとに戻す機械も全然先の話ってどこかで聞きました。祈る相手はいません。だけど、」

 それでも? と淀んだ視線で問われる。


「ただただ祈る。それで良いかなって。もしかしたらいつか、何かが起きるきっかけになるかもしれないじゃないですか。だって、僕らはやれることをすべてやったからこそ祈れるんです」


 頭を振って、髭の人は困った顔をする。

「私は無力だよ。君を治す事はできない。それでも、祈るだけはしてもいいって?」

「治す……ってやっぱり僕はどこか悪いんですね」


 ため息。重々しい。

「そう。全部やって、それでも駄目だった。【理解】はまだ君たちを救う手段を持たない。まだ。模索は続ける。けど、君は」

「なら」

 遮る。少し強い語調になってしまう。でも。


「なら、祈ってください。そうしたらきっと、救われます」


 一体誰が? と聞き返すこともなく、髭の人は力無く……いや、ようやく力が抜けたように肩を落とした。


「明日もまた来るよ」

「はい。また、明日」

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