銀の腕

左腕が無くなっていることに気付いた。

 真っ白な天井。蛍光灯はどこにもないのに明るい部屋。真っ白なベッド。広さに比して何も無い殺風景な部屋。真っ白な家具。窓も扉見当たらない部屋。

 伸ばそうとした左腕は肘の上で途切れている。僕はベッドで寝転んだまま、あると思って掲げようとした掌の先をぼんやりと眺めている。

 ここは、どこだろう。


 あくびを一つ。右目を擦り、体を起こす。左右のバランスは当然の如く崩れており、重力に逆らおうとするだけの動作に難儀する。

 四苦八苦とはいかないまでも、慣れたはずの何気ない所作に手こずって少し息が荒れる。だから、試しに喉に触れてみた。薄っすらとした喉仏に接触。右腕で何かを引っ張る感触。点滴だろうか。見たことのない小さな板が貼り付けられており、その先にコードが繋がっている。

(生きてる?)

 きっとそうじゃない。それに意味がない。

 身体を捩って、部屋を見渡す。机までの距離がわからない。真っ白だ。白過ぎる。

 なるほど、自身の身体の事は大体把握できた。ベッドから立ち上がろうとして、杖が無いとようやく気付く。予想通り、左足は右側と比べて力が入らない。この状態で歩くのは少し怖い。

 怖い?

 怖いだって?

 くつくつと肺で笑う。顔も半分は強張っている。きっと、不思議な表情をしているだろう。

 空気の抜けるような音とともに、壁だと思っていた一角が開いた。扉だったようだ。その向こうには、

「こんにちは」

 人形がいた。

 人形。金属のような材質で、手足は二本ずつあるように見える。白い金属のような表皮に所々黒が混じって、モノトーンの中に赤い結晶体が輝く。

 一瞬戸惑った。何せ、人間に似せた金属細工のような見た目だから。それが滑らかに喋ったのだ。

「こ、こんにちは」

 彼女は顔部から頭部にかけての結晶体に僕の読めない文字を滑らせて、何らかの感情を示した、ように見えた。

「私の名前はエリス。あなたは?」

 僕は自分の名前で応える。

「ありがとう。これで友達、でいいのかな」

「あ、いえ。その」

 それは性急に過ぎるのではないか。僕は言いかけて、しかし口籠る。

「ごめんなさい。距離感近過ぎたよね」

 僕よりも頭半分ほど背の高い彼女は小首を傾げる。

 彼女は人間だ。事実はどうあれ、僕は彼女をそう捉えるに足る確証を得た。

「あの」

「なにかな?」

「座って、話しませんか」

「ベッドの近くに椅子持ってきても良い?」

「はい」

 じゃあ、と彼女は声を弾ませて、

「飲み物取ってくるね!」

 再び部屋の扉を開け、駆け出していった。



 窓の外を見ていると、灰色に彩られた銀世界の中に薄っすらと巨大な建物が浮かび上がった。

 窓と言っても硝子戸のことではなく、エリスが暇潰しにと貸してくれたカメラ付きのドローンと、その

 映像をリアルタイムで投影してくれる装置だ。

 この建物に本物の窓は無く、実際の風に吹かれれば僕はすぐにでも死んでしまうらしい。人類の叡智が窮まった、その証左だとか。僕にはあまり興味の湧かない話だった。

 それよりも僕は、誰もいない地平、何もない荒野にぽつねんと残る巨大で堅固な殻や、雲を越えた先にある星の海に夢中になっていた。そして今は、生まれて初めて見るあまりに巨大な人工物に釘付けになった。

「あんまりそこには近づかないであげて」

 莫大な資材を投じて造られたであろうその威容に圧倒される僕の背中に、彼女はぽつりと投げ掛けた。

「わかった。去った方がいい?」

「相互不可侵って事になってるの。ごめんなさい」

 僕は右手一本でドローンを操り、

「誰がいるの?」

「友達」

 そして黙った。


 二週間もしないうちに左腕が無い不便さに耐えられず、エリスに相談することにした。

「ドローン移動と視点移動と検索がね」

「ホモサピエンス、二本腕に目が二つ、が標準だったよね」

 机の上に一つだけ載ったカップから芳しい湯気が立っている。彼女のお茶はとても美味しい。

「どうして再生する時に生やさなかったの?」

 うーん、と声に出して指を顎(だと思う)に当てた彼女。何かを悩んでいる。おおよその予想はつく。だから、

「二人しかいないんだから、教えて?」

「わかりました」

 エリスは観念したように一度俯き、僕を再び正面に捉えた。

「あのね、あなたから異物を取り除いた時、生存に必要な最低限の機能は復帰させたの。けどね、どのくらいあなたが高い機能を確保したいのか、全く判断がつかなくて」

 今度は僕が、あー、と間の抜けた声を出した。

「世界で二番目に有名なネズミの話?」

「そういうつもりじゃなかった……んだけど、結果的にそうなっちゃったのよね……」

「ねぇ」

「……どうしたの?」

 僕は右半分しか動かせない顔で笑顔を象る。

「花束を貰うよりも贈る側になりたい。だから、手と目、あと首や脚も。治して欲しい」

「うん。わかりました」

 彼女の少し軽くなった声に、僕は救われた。

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